【Freu(n)den】柚子がレイに戻ってしまった件について 作:ところで例の件だが
Freuden……歓喜、喜び
途中で「交響曲第9番 第4楽章『歓喜の歌』」の一部分が出てきますが、最後にまとめて訳を載せています。
最終回から三ヶ月後、柚子がレイに戻ってしまって落ち込む遊矢のお話し。
O Freunde, nicht diese Tone!
Sondern last uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere
おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか!
(「歓喜の歌」より)
※
「学校に行かないの? 遅れちゃうよ」
レイが迎えに来た。
三ヶ月も前の話だ、なんでも世界の統合が近付いたので、統合前の元といえる姿と人格に戻ったらしい。娘である彼女に会いたさのあまり暴走したプロフェッサーは大人なのに泣いて再会を喜び、レイからは「私に会いたいからって、こんなことしちゃ駄目よ」とお叱りを受けていた。
年齢も柚子と同じになった彼女は舞網中学校へ通っている。当初は、周囲のどよめきは凄かったが、今ではさっぱり落ち着いていて、彼女は新しいコミュニティに溶け込み、馴染んでいる。
『世界が統合するから、もう柚子には分割できないの。ごめんね、柚子のお父さん』
レイからの謝罪を受けた柚子の父親こと塾長は散々泣いて悲しんで、そして塾を畳んで、街から去っていった。この街には柚子との思い出が溢れていて、耐えられないらしい。
『仕方ないよね』
その背を見ながら、そう呟いたレイはプロフェッサーのところへ戻り、彼女自身の父親からの熱いハグに笑顔で応えていたのをよく覚えている。
「ねぇ、出てきなよ。本当は起きているんでしょ」
もう一度、声をした。今度は先程よりもずっと近い。恐らく母さんがまた許可したのだろう。扉のカギは締めている。でも、それが意味ないことは理解していた。だって、これは朝のルーティン(お約束)なのだから。
「蝶番のネジを外しちゃえば、どうということも無いわね。ねぇ、早く起きなよ。またパジャマのまま、学校まで連れて行かれたいの?」
ドアを文字通り動かす――どかす音がする。それでも無視して布団の中に籠もっていると、布団を引っ剥がされ、顔面にペンキをぶっ掛けられた。
「これで着替えざるを得ないわね。ほら脱いで、シャワーを浴びて、着替えて、学校に行こうよ」
どろりとしたペンキが顔の輪郭を滑り落ち、セーフティーブランケットさえも汚していく。観念して、ベッドから這い出ると「最初からそうすればこんな目に合わなかったのに」と愛らしい笑顔でレイが言う。
「この前は赤のペンキを掛けたから、今回は青のペンキにしたの。次は黄色にするね。あ、遊矢はエンターテイナーだから、もっとカラフルな方が良かったかな」
話しかけているのか、独り言なのか。レイの楽しげな声が聞こえるなか、シャワーを浴びる。浴室の磨りガラスの向こうでは、母さんがレイに感謝の言葉を告げていた。
「ありがとう。あの子、ずっとあんな調子で困っていたから毎朝迎えに来てくれて助かるわ」
「これぐらいお安い御用です。きっと遊矢もそのうち元気になりますよ」
「ふふふ、そうねぇ。こんな親切でかわいい女の子が来てくれるんですもの」
「まぁ! 遊矢のお母様ったら!」
女性同士の華やかな会話が聞こえる。今度の休みは一緒にデパートへ行くらしい。蛇口を捻り終えると、タオルでさっと拭いて、制服に手を通す。のろのろとした動きで着替えていたら「全く遊矢はまだまだおこちゃまなんだから」とレイに着替えさせられたのはそう遠くない記憶だ。食欲が無くともパンを喉に突っ込む。誰かにされるぐらいなら、自分から突っ込んだほうがはるかにマシだった。
「いってきまーす」
レイに引っ張られるようにして、家を出る。母さんがきれいな笑顔で手を振って見送っている。レイから「いつもだんまり、反抗期の遊矢」とからかわれるのも、もはやお決まりだ。
舞網中学校のクラスはレイと一緒だ。レイとともに教室に入ると、クラスメイトに「似合いのカップル!」と笑顔で囃され、権現坂は「毎日アツアツで妬ける」と笑って見ている。そうこうするうちに、先生が入ってきた。今日も遅刻せずに済んだのか、カノジョに感謝しないとな。そう茶化されるまでが、俺こと、榊遊矢の朝のルーティンだった。
※
「遊矢、いつまで不貞腐れている気だ?」
ランチタイム、レイを避けて裏庭で一人、レーションのチョコレートを食べていると、権現坂に見付かった。
「レイはお前のためにあんなに健気に頑張っているのに、お前には情がないのか」
「……なぁ、権現坂」
不動らしく断言するような口振りの権現坂に俺は話し掛ける。声を出すのは、本当にいつぶりだろうか。しっかり言葉になっていて、少しホッとした。
「柚子が、柚子が消えちゃったんだぞ。どうして、お前らは変わらないんだよ? 悲しくないのかよ?」
俺は、統合する世界に倣って柚子がレイになり、柚子に会えなくなってしまったのが悲しかった。なのに、世界は変わらない。柚子の父親が消えたぐらいで、驚くぐらい何も変わらない。
「情がないのはお前たちのほうじゃ――」
「?? レイがいるから問題ないだろう?」
あっけらかんと、それでいて不思議そうに権現坂から告げられた。権現坂の顔を見ると、てんで理解できません、という顔付きをしていた。
この場に来た時、彼は今の俺を「不貞腐れている」と表現した。権現坂はなんで悲しんでいるのか理解できないのだ。いや、悲しむ理由なんて何処にも無いからこそ、落ち込む俺を見て「不貞腐れている」と表現したのだ。
「あ、いた! 私をのけ者にしないでよ!」
レイの元気な声が聞こえる。権現坂は「あんな健気な恋人を邪険にするなんて罰が当たるぞ」と俺を小突いてから去っていった。
「遊矢」
燦々と輝く陽の光を浴びる彼女のスマイルに俺は心の底から怖くなって、何もかも置いて逃げ出した。
※
「黒崎、お前なら俺の気持ちを理解してくれるだろ!」
世界が統合に向かうなか、各世界の境はあやふやになっていて、エクシーズ次元に行くのは思いの外、簡単だった。
復興する気ゼロなのか、コンクリートの残骸が相変わらず散らばっている。復興して見る影も無くなったら、黒崎たちのアジトが分からなくなるところだったから、このまま変わらないでいてくれて助かったと思った。
「みんな、おかしいんだ。柚子がいなくなって、レイになったのに、みんな変わらないんだ。柚子がいないのに悲しんでなくて、笑顔でいるんだよ! 権現坂だって俺の気持ちを理解してくれなかった。でも、黒崎なら、瑠璃を失ったお前なら、俺の気持ちが分かるだろ?」
渾身の感情をぶつける。なのに、黒崎は壁に背をもたれて、腕を組んだままだった。視線はこちらに向いているが、ちゃんと聞いているのか疑問を覚える。
「なんか言ったらどうだよ、俺とお前はランサーズの同じ仲間だろ!?」
「……柚子はレイの中で生きているから問題無いだろう」
黒崎から出てきた言葉は、そんな薄情なものだった。
「おい! なんだよ、それ! 酷過ぎるだろ! 柚子にもう二度と会えない俺にそんなことを――」
「最愛の妹にも信頼する友人にも二度と会えなくなった俺に、お前はなにか気の利いた言葉でも言ったのか?」
「?? いや、だって、黒崎、お前、俺とのデュエルでユートを感じたって――」
「自棄に決まっているだろ、バーカ」
バーカ。黒崎が到底言わない言葉使いだ。らしくない、本当に黒崎らしくない。
「お前、本当に黒崎なのか?」
「どっちでも構わん。お前が偽物だと思うなら、俺は偽物なのだろう。ランサーズの仲間という本物でも探すんだな」
「いや、お前、おかしくなっているんだよ! 俺がデュエルで笑顔に――」
「此処は火気厳禁だ。それに狭い。広い空き地は向こうにある、やるなら一人でやれ。それに、お前以外が笑顔なら、お前さえ笑えば済む話ではないか」
黒崎は面倒臭そうに欠伸をし、俺を追い抜きいていく。
「馬鹿言うなよ! 柚子がいないのに、笑える訳がないだろ!」
「そうだよ、俺もユートや瑠璃がいないのに笑える訳が無い」
遠ざかる黒崎に声を掛けたが、彼の足は止まらない。止まる気配すらもない。
「俺はユートや瑠璃がいなくなり、悲しさのあまり、自分の存在意義すら分からなくなった。だが、その一方でお前は笑って暮らしていたんだ。俺は妹も友人も故郷も失って悲しんでいたというのに。俺の悲しみに気付かず、他の人の感情・気持ちに寄り添わず、ただただ己が好む色に塗り潰して、万事解決だと笑っていたのは、榊遊矢、お前ではないか? そんなお前にどうして俺が寄り添わなくてはならないんだ」
「訳の分からないことを言って、いつまで不貞腐れているんだよ、黒崎!」
黴びたパンみたいにぼそぼそと呟く黒崎を叱り飛ばそうと発言するが、黒崎は手元の通信機器に打ち込むのに夢中で、こちらを見向きもしない。仲間が打ちひしがれているのに、なんて態度だろうか! 無理矢理にでもこちらを向かせようと黒崎の前に立ちはだかる。しかし、彼はまるで風のように避けただけだった。最初の場所から大分離れてしまったのか、次第に子供たちの合唱が聴こえてきた。
Wem der grose Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
「第九?」
「嗚呼、今日は合唱の日だったか。ふふっ。以前の俺、そして今のお前に相応しい歌詞だな」
黒崎が笑う声がする。俺は外国語が全然分からないから歌詞なんて分からないが、もしかすると歓喜の歌と呼ばれる第九を聴いて、黒崎の気が変わったかもしれない! 歓喜する俺に黒崎は背を向けたまま言った。
「ほら、『歓喜』が来たぞ」
「遊矢!!」
後方から響いてきた声に顔が瞬時に青褪める。それと同時に黒崎が通信機器をいじっていた理由を理解した。この野郎、レイに通じていたのだ!
「遊矢! 私がデュエルで貴方を笑顔にしてあげる!」
振り返ったら、きっとレイは素晴らしい笑顔をしていることだろう。そして、落ち込んでいる俺にペンキをぶち撒けて、皆の前に引き摺り出して、今の俺を塗り潰して笑うのだ。
眼の前にいたはずの黒崎はもういなくなっていた。俺はデュエルが出来ないよう、急いでデュエルディスクを叩き壊すと、この恐怖の場から走って立ち去った。
※
どうして、こうなったのか。
無茶苦茶に走りながら考える。
俺はただ柚子が一緒にいてくれさえいれば良かったのに。
父さんのエンタメデュエルを引き継いで、父さんの息子として、息子らしく笑顔でいられれば良かったんだ。
なのに、なんで世界が統合するに従って、柚子はレイにならなくちゃならなかったんだ!
(いや、待てよ。ということは、俺もいずれ……?)
骨の芯から怖気が走った。柚子だけでなく、俺も消えるというのか。精神が統合してしまったら、いくら俺という部分がズァークの中に存在したとしても、俺はこうやって好きに走ることも叫ぶことも出来なくなるのだ!
「そんなこと、させてたまるものかよ!」
立ち止まり、心の底から叫ぶ。
「もう一度、俺は柚子に会う。柚子のためなら何だってしてやる! 柚子のためなら何だって捨ててやる! 何だって滅ぼしてやる! 俺が俺であるためにも、世界をもう一度分離させてやる!」
雨が降り出す。決意を固めた俺に対する祝福の雨のようであった。
おわり
訳:
ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻(恋人)を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ
そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい