一方その頃。長谷川幸一は、人払いがされている集会場で昨日の船の状態についての説明と、そして、一緒にいた新生物の話を事細かに年寄り達に説明を行っていた。彼らの目の前には茶と茶請けが置かれていて、少なくとも酒宴の雰囲気ではない。
「…という形で、テレビでよく流れている、あの新生物に助けられたわけです」
幸一はあらかた説明を終えて、年寄達の顔色を窺った。この街の実力者である年寄りは5名。阿部英雄、大野一朗、桑原寅雄、松永秀雄、そして、一番の実力者である、幸一を呼び出した加藤悠雄が彼の話を聞いて、静かに頷いていた。
「まず、話は突拍子もなく、あまりにも現実離れをしていることは良く判った」
「はい」
「が、現実的にお前の船が沈まずに戻ってこれるような損傷ではない。それも事実だな」
「はい」
「…ならば、その新生物とやらに助けられた、という話も真実なのだろう」
まずは阿部がそう口を開くと、ほかの年寄りもその通りと言わんばかりに頷いている。
「で、幸一。お前はその新生物の正体は何だと思う?」
「はい。おそらくは…この島に伝わる人魚…のようなものではないかと」
「ほう、人魚伝説を引き合いに出すか」
「ええ。と、いうか、それ以外に説明のしようがありません」
幸一の言葉に、年寄り5人はもう一度頷いていた。
この島に伝わる人魚伝説は、非常に短い話でありながらも、この島の生い立ちとして語り継がれている民話だ。
内容としてはこうだ。
「海で船が難破し、遭難しかけた漁師の男を助けた美しい人魚がいた。
その人魚は難破した船と男を軽々と持ち上げ、そして陸に送り届けた。
海に帰ろうとする人魚を男は必死に引き留め、命の礼だと食事や酒で歓待して、その結果、人魚は村に住み着くようになった。
男はその美しい人魚を村の人々に紹介し、優しかった村人々と、美しい人魚は次第に村の人々も人魚と打ち解けた。
その頃から村で獲れる海の魚の質と量が圧倒的に良いものとなり、村は繁栄したのである。
そして、仲を深めた男と人魚は、村に祝福されながら契りを結び、子を成した。その子孫が、今の我々である」
まるで、今回の新生物との出会いをなぞったようなもので、だからこそ、幸一は『人魚伝説があるからなんとかなる』と自信ありげに答えたのだ。
「ふーむ…しかし、あれは伝説だからなぁ」
大野は慎重なのであろう。頷きながらも、少しだけ首を傾げる。
「ですなぁ。しかし、大野さんも見たでしょう、幸一の船の穴を。あれは5分と持たないものだ。それに、加藤さんも見たのだろう?その新生物」
今度は桑原がそう言いながら、加藤を見る。すると、加藤は強く頷きを見せていた。
「見たぞ。いやー、大層美しい娘だった。思わず俺は叫んじまったよ。長谷川さんが女を連れ込んだ!ってな」
「その声、居間で休んでいたワシにも聞こえましたよ。何事かと思ったもんですわ」
加藤の言葉に頷きを見せたのは、今まで黙っていた松永。この中では一番の長老で、髪の毛は無いが、豊かな髭を揺らしていた。
「幸一、その、新生物…まぁ、人魚様とお呼びしようか。我々もお会いすることは出来るかな?」
桑原はやわらかな笑みを浮かべると、幸一にそう問いかける。よく見れば、ほかの4人も小さく頷きを見せていた。
「可能です。ですが、彼女も少し混乱しておりまして。できれば、少数がよい、と思うですが」
幸一は伏し目がちにそう言いながら、年寄の反応を伺う。すると、彼らは目配せを行い、これまた小さく頷き合っている。何やら、言葉にはしないが、意思の疎通を行っているようであった。そして、5分程度経ったころ。
「…ならば、ワシと加藤、それに、役所の近藤さんも交えて幸一の家に伺ってもよろしいかな?」
「そのぐらいなら、大丈夫だと思います、松永さん。しかし、役所の近藤さんもですか?」
「うむ。何せ、今、その人魚様は日本で一番の話題の生き物だろう。テレビで見ない日が無い。ならば、役所の近藤さんに見せるのが間違いはないだろう」
ズズ、と松永は茶を一度啜る。
「それに、近藤さんも人魚伝説には詳しい。それに堅物ではないから、きっと、悪いようにはならんだろう」
「そういうことなら」
幸一は頷いてから、茶を啜る。少し冷えたそれは、幸一の心を少しだけ落ち着かせていた。
■
「夜分遅くにご足労ありがとうございます。近藤さん」
そこから1時間ほどたったころ。年寄りのうち、加藤、松永が残って、ほかの阿部、大野、桑原は既にその姿は集会場にはなかった。
「いえいえ。松永さんからのご連絡とあればこの近藤、いつでも参上いたします。して、話とは?」
「それがですね。昨日の幸一の船の件はお耳に届いておりますか?」
「ああ、ええ。海難事故と伺っております。幸いにして、船も幸一さんもご無事だったと」
「その通りです。実はですね、その件で少々、厄介なことになっておりまして…。幸一、もう一度私たちにしたように説明を近藤さんにお願いできるか?」
「勿論です」
再び、幸一は人魚伝説に絡めた説明を近藤に行った。ただ、まだ、彼女が何かからあの姿になっている、という情報は伏せている。まずは彼女を村に受け入れてもらおうという考えがあるからだ。その上で、一歩一歩謎が解けていけばいいと考えていた。
「…という形で、船は無事に港にたどり着いて、私も無事だったわけです」
「な、るほ、ど」
近藤は困惑しながら、松永と加藤の顔色を窺った。すると、年寄2人は少し深めに頷いていた。
「ふーむ。にわかには信じがたいですが…お二人は幸一さんのお話を信頼しているのですね?」
「いかにも」
間髪入れずに答えたのは加藤だ。体を近藤に向き直すと、口を開く。
「この幸一は真面目にこの数十年漁師としてやっております。この港でも一番と行っていい、真面目な男です。その男が言う言葉にはまず嘘はありません」
「なるほど」
「加えて、私もその人魚様を見ております。非常に美しく、しかし、その肌色は青白く、更には、その背中には異形としかえないものを抱えておりました」
「…」
近藤は天を仰ぐ。人魚伝説は知っているが、とはいえ、あれは伝承の一つだ。それになぞらえるようなことが、実際に起こるなんてまず考えて生活はしていない。嘘だろいうと断じたい所だが、しかし、この村の実力者である年寄はその話を信じているし、その姿も見ているという。
「…であれば、一度、その人魚様にお会いしたいと思うのですが」
困惑した表情のまま、近藤はそう言葉を投げた。すると、松永は待ってましたと言わんばかりに強く頷いた。
「ええ。ぜひ、お会いいただければと思うのです。実は、近藤さんをお呼びしたのはその件で」
「なるほど、なるほど」
近藤は何度か、気持ちを落ち着かせているのであろうか、小さく頷きながら茶を啜った。
「…ちなみに幸一さん。その、人魚様のご様子などは?」
「そうですね、近藤さん。非常に友好的ではありました。私の作った料理…というか、カレイの揚げ物をおいしそうに食べておりました。会話も通じましたので、危険なことはないかと思います」
「そうですか。ならば、そうですね。ここで悩んでいても仕方ないでしょう」
近藤は茶を一気に飲み干した。そして、強く頷きながら、幸一、加藤、松永に目配せを行うと、腰を上げる。
「では、向かいましょうか」
4人は頷いて、集会場を後にする。そして幸一は少しだけ冷や汗を浮かべながら、年寄と役人を連れて、家路への道を歩き始めていた。