遅い。いい加減に帰ってきてほしいなぁと頭の片隅で考える。
「あーもうこんな時間かぁ」
時計の針は九時を回っている。気づけば、掃除もあらかた終わってしまって、台所の床は居間と同じように片付いている。
「換気扇は洗剤ないとなぁ」
流石に油汚れ、しかも換気扇となれば、この時間からはキツイ。気持ち的に。だけども、体力は有り余ってるんだから不思議なもんだ。
「この体のおかげかね?」
そういえば、結局、海の上でも腹が減りすぎて動けないなんてことは無かったし、こう考えると便利な体だ。しかも割と造形も良い。ある意味得をしそうなもんだけれども、ただ、この尻尾と肌色はダメだよなぁ。どう見てもやっぱり化け物だし。
「さーて、でも何をしようか?」
テレビで時間を潰そうか。それとも適当にスマホを弄ろうか。外出はできないしねぇ。ああ、コンビニが恋しい。ポテチやらシュークリームやらを食いたい。
「おっちゃんが帰ってきてりゃーなー」
酒飲みにせよ、なんにせよおっちゃんが帰ってくればなんとかなるんだけどねぇ。まぁ、あまり頼りすぎても迷惑だとは思うんだけど、頼る人がおっちゃんしか居ないんだから仕方がない。
「ま、風呂でも入ろうか」
ならばもう、この埃にまみれた体をしっかりと洗うのが吉であろう。尻尾のせいで洗うのに時間がかかるしね。っていうか、そういえば風呂も汚かったよなぁ。
「…ちょっと掃除しながら入りますかね」
カビとって、垢とって、うん。仕上げていこうと思う。
■
「うーん、道具が足らないとはねぇ」
うまいこと尻尾を湯舟の外に出して、体を湯舟に沈めながら、風呂の壁やパッキンを眺める。ところどころ黒いものがある上に、水垢なんかもびっしりだ。
「ふーむ」
流石男の一人暮らし。体を洗えればいいぐらいの考えなのだろうね。それが証拠に、カビキラー的な奴とか洗剤もほとんど無かった。これも後で買ってもらうとしようじゃないか。うんうん。
「綺麗にしとけば気持ち良いからねぇ」
幸いにして湯舟はきれいにできたから、こう、湯に浸かっていても気分が良い。いい汗を流せるってのは本当それだけで気持ちがよいのだ。
「に、しても、いまだに戻ってこないねぇ。おっちゃん」
あれから掃除しながら風呂に入っていたわけだから、そろそろ10時過ぎのはずだ。話し合いが長引いているのか、それとも本当に酒盛りしちゃってるのかわからないけどもね。お粥も温め直さないといけないしなぁ。
「…そうだな、ここまで遅いなら、ちょっと意趣返しに悪戯してもいいかもしれない」
独身男。おっちゃん。そんな相手に行う悪戯となるとそうだなぁ…。
「…ふ」
ろくでもない思いつきに、思わず自ら吹き出してしまった。うん。そうだな。ちょっとおっちゃんを困らせようかね。となると、ちょいと玄関周りをしっかりと掃除して…その上で、うん、新しいシャツを借りるとしようか。
■
12時。てっぺんを回ったその頃。ようやく家の周りに人の気配が漂ってきた。
「来た来た。いよぉし」
ガラ、と玄関が開かれた。待ってましたとばかりに、頭を下げて、手を床につける。そして、待たせすぎだという個人的なイライラを込めて、しっとりと声を作ってからこう告げる。
「お帰りなさいませ。旦那様。お風呂にいたしますか?それとも、お食事?」
ふふふふ。どうだ。完璧なる新妻ムーブ。弛めにしている胸元もなかなかのもんだと自負しているぜ?それが三つ指ついておっさんの前にいるとなりゃあ、狼狽えるもんだろう?どうだ?
「それとも、わたくしめの体をご所望でしょうか?」
顔を上げながら、どうだおっさんとニヤリと笑みを浮かべたところで、体が反射的に固まった。
「ほお…なるほど、これはこれは」
「ふむ…ですなぁ。隅に置けないとはこのことですかね」
「いや、その、そういう関係では…お前なにしてんだ」
…おっさんの呆れた顔がまず視界に入る。その背中の向こう側に、知らんおっさんが2人立ってやがる。あれ、これ、なんかいろいろやっちまった感が。