近藤さんが帰ってから一時間後。ようやく、おっちゃんの目が覚めた。
「目ぇ覚めたかー? おっちゃん」
「……おお。頭痛ぇ……」
のそりと起き上がったおっちゃんは、見事なまでの二日酔いであった。気持ち、顔も浮腫んでいるように見える。まぁ、あんなに飲めばそうもなるわな。こういう時は、アレだ。
「朝飯あっため直すからちょっと待っててくれ」
塩分と出汁の効いた熱い味噌汁でも食わせて、しゃっきりとさせてやろう。
■
「……近藤さんが朝から家に?」
「そ。なんでも、連絡が欲しいってさ」
私の作った朝飯を美味そうに食いながら、おっちゃんは少しばかり怪訝な表情を浮かべていた。何せ、近藤さんら島の重鎮たちが昨日の夜に来たばかりなのだ。普通に考えれば、連日となると厄介事の匂いしかしないだろう。
「ああ、あとさ。神社の氏子って人が家の周りを囲んでてさ」
「ぶっ!」
「うぉい。汚ねぇな」
啜っていた味噌汁を盛大に吹き出したおっちゃんに、ジト目を向けながら少しだけ文句を言ってやる。
「氏子って、氏子か!?」
「そ。なんだよ、そんなに慌てて」
「……お前は知らないだろうけどな。氏子ってのは、特に家督を持ってる家の代表を指すんだわ。で、しいて言えば、この島の全員の事だ」
「……ホー……え?」
テーブルや床に飛び散った味噌汁を拭くのも忘れて、おっちゃんは私の顔をマジマジと見つめてきた。
「お前、顔を外に出してないよな?」
「いやー……ドアの隙間から、近藤さんにしか見えてないと思うんだけど。あ、ただ」
「ただ?」
「あとで顔合わせはしたい、って言われたな」
「本当かよ……不味いな」
「不味いって何が」
深刻そうな顔で頭を抱えるおっちゃん。いや、確かに騒ぎにはなっているだろうけど、そこまで不味いことか?
「……あのな。いいか。お前も昨日の事で実感しただろうが、この島は、お前が居ても違和感ないぐらいに『御伽噺』が浸透しているんだわ」
「うん。それは実感してる」
「でな? 御伽噺では結婚するんだわ。人魚と男が」
「あー、そういう話だったよな?」
「その時に、島民に顔見世をして盛大に祝われた、っていう事が書かれてんの」
「あー。ありがちだな?」
「で、ここで問題だ。今現在、この島で、男と人魚って誰の事だ?」
おっちゃんの真剣な眼差し。
「そりゃー、おっちゃんと私……」
そこまで口にしたことで、ようやく、この私の鈍い頭でも気が付いた。
伝承の通りの人魚と男がいる。しかもおっちゃんが良い感じに島の長達に私を『同居人』として紹介してくれている。そして、伝承では人魚と男は結婚した。しかもその時には、島民に顔見世をしたという。さらに、家の外に集まっていた氏子は、この島の全ての島民の代表ときたもんだ。
「……あれ。おっちゃんよ」
「おう」
「なんつーかさ。明言は避けたいんだけどさ。外堀、埋まってねー?」
「その通りだよ。……ま、今はとりあえずどうにもならん。で、近藤さんがなんだって?」
「起きたら連絡が欲しいって」
「おう。判った。腹括るか……」
おっちゃんはそう言いながら、味噌汁を流し込む。うーん。こいつぁなかなか面白そうでもあり、厄介そうだな。
■
飯の後、おっちゃんが近藤さんに連絡を取って、私たち2人は島の神社へと足を向けていた。
「お待ちしていましたよ。長谷川さん、人魚様」
「こちらが島を守護する神社の神主、神木です」
「神木と申します。よろしくお願い申し上げます。人魚様」
案内された神社の応接室。そこに居たのは、いかにも神職といった落ち着いた佇まいの男性だった。
「よろしくお願い、いたします。神木様」
「ほお……噂には聞いていましたが、これはまた、随分と風変わりな」
神木と言われた神主さんは、私を見て静かにそんな感想を述べていた。まぁ、至極当然だろうな。肌は青白いし、髪の毛も白いし。んでもってこのクソほどでっかい尻尾……おまけに歯のついた大きな口まであるんだから。どう見てもバケモンだ。そんな私の困惑を知ってか知らずか、隣に立つ近藤さんは満面の笑みで特大の爆弾をぶん投げた。
「とはいえ、今は長谷川の伴侶です。長谷川の身の回りの世話、夜の相手、短い時間で見た限り、信頼に値するかと」
「左様ですか」
……近藤さん今なんつった?おいおいおい。なんか盛大に勘違いしてねー?
「長谷川さんにもついに春が訪れましたか」
「……え、ええ。まぁ」
「伴侶とは良いものでしょう?以前から私は、長谷川さんにはそういうお相手を見つけてほしいと……」
神主さんとおっちゃんの和やかな会話が続く中で、私は神主さんの言葉を頭の中でぐるぐると咀嚼していた。
えーと……伴侶、伴侶ね?つーか身の回りの世話は確かにしてる記憶はあるけれどもよ。なんだよ。『夜の相手』って。酒盛りっきゃしてねーぞ?二人で潰れてイビキかいて寝てただけだぞ!?それ以外一切記憶にないんだが!?
「……それにしても長谷川を寝坊させるぐらい、夜もお激しいとは。人魚様も隅に置けませんな」
「……あぁ。いえ、その」
あ―――――、そーいうことかー!!!
今朝の私のあの適当な言い訳!『昨晩から盛り上がって、疲れ果ててぐっすりと』って言ったアレ!!完全に
「では、長谷川さんと人魚様は既に、契りを結んだ仲であるということですね。ともすれば、早めに婚儀の準備をしてしまいましょうか。近藤さん」
「ええ。それがいいと思っておりまして。人魚様、ぜひ、この後、氏子たちにも顔見世をお願いしたいと思っておりまして」
「え。ええと。か、かまいませんが」
「それは良かった。では、神木様。詳しい日程は後日詰めさせていただくとしまして」
「はい。もちろんです。近藤さん。いやはや、しかし、本当に人魚様とお会いできるとは……長谷川さんも隅におけませんね」
―――――あ、駄目だこれ。完全に肯定されきった空気だ。私からは否定できねぇ奴だ。おっちゃん、おっちゃん頼む、助け舟を出してくれ……!
祈るような気持ちで隣を見ると、
「……はは、まぁ……」
うぉい!『まぁ』じゃねーって!
っていうか、なんでちょっと照れくさそうに頭掻いてんだよ!まんざらでもない、みたいな顔してんじゃねーよ!!
「……長谷川様」
何とかしろ、という意味を込めて、肘で小突く。すると、おっちゃんはハッと目をこちらに向け、少しだけバツが悪そうに笑っていた。
「近藤さん、神木さん、その、少しだけ時間を頂いても?まだ、人魚様と私は出会ってから時間がたっておりませんし」
「ああ、これはいけない。こちらで勝手に盛り上がってしまった」
「確かにそうですね。では人魚様、長谷川さん。ご準備が出来たら、ぜひ連絡を頂ければ」
私がひとまず逃げられたか、と心の中で溜息を吐いていると、ふと、近藤さんが表情を引き締め、居住まいを正した。
「……さて。喜ばしいお話の後に心苦しいのですが。長谷川さん、そして人魚様。現在、島の漁を全面的に止めてもらっている理由について、お耳に入れておきたいのです」
「理由って……人魚様(こいつ)の件で、海保や自衛隊が調べてるからじゃないのか?」
おっちゃんの問いに、近藤さんは重々しく首を横に振った。
「いえ。実は……人魚様と同種と思われる、しかし敵対的な新生物が別に5体、この近海で確認されたのです」
「はっ!? ご、5体だと?」
おっちゃんが素っ頓狂な声を上げる。え、マジ? 5体も私みたいな奴おるん? もしかしてガチモンの深海戦艦か?
「はい。しかも、調査に向かった護衛艦が一隻、奴らによって沈められました。幸い、脱出には成功したので犠牲者は出ませんでしたが……現在、海は非常に危険な状態なのです」
近藤さんの言葉を引き継ぐように、神木さんが静かに口を開く。
「……人魚様、何かお心当たりは?」
「い、いえ……わたくしには何とも……」
心当たりもクソもあるか。こっちが聞きたいぐらいだよ!
「人魚様でも知り得ないとなると……ううむ」
近藤さんはそう言って黙り込んでしまった。すると、神木さんが軽く柏手を打ち、場の空気を和ませる。
「ひとまず今日の所は解散と致しましょう。婚姻についてはまた後日ご連絡ください。あと、近藤さんはこの後裏手に」
■
新生物……人魚様との顔合わせが終わった神木と近藤は、再び神社の奥へと足を運んでいた。件の、伝承が刻まれている古びた石碑。その前に、彼らの姿はあった。
「『海の底より来垂れる古の魂。悲しみを唄い、我らを喰らう。海には出れず、人々は生活がままならず。無理に海に出たとて古の魂に喰われてしまう。生活が困窮し飢餓に島は沈み行く。それを憂いた人魚様は、彼女の伴侶と共に海に詣で、古の魂を調伏せん』」
神木が、石碑の裏に刻まれた古文を静かに読み上げる。
「『しかし古の魂の哀しみは深く、何度も波のように押し寄せた。都度、人魚様は魂を調伏し、海から悲しみを掬い上げた。
ある時、調伏せり魂が掬われた時、その魂、哀しみから救われ、人魚様の配下となる。それを皮切りに次々と魂は配下となり、救われた魂は次々にこの島の守り神となる。
そして、全ての悲しみを掬いたもうた人魚様は、それから暫く幸せに暮らした。
年月が経ち、人魚様と旦那様、そして見守りし魂達も海に還ったが、彼女らは島の将来を憂い、深海より来垂れる魂から祓う神器を残した。それが、この神社の御神体そのものである』」
近藤は、まじまじと石碑を見つめながら息を呑んだ。
「御神体を残した……」
「はい。と、言われておりますな。神主の私も見たことがないものです」
「神木様もご覧になったことがない?」
「はい。なにせ先代より『人魚様が現れるまでは封印し、命を賭して守れ』と伝えられておりましたから」
「さようでしたか……」
「ええ。そして今、人魚様が現れた。加えてどうやら、古の魂らしき存在も島の近くに居る」
「それはつまり……」
神主である神木は、神社の本堂ではなく……今二人が立っている石碑の真下を指差してから、静かに、しかし力強く近藤に告げた。
「この御神体の封印が解かれる日は、そう遠くはないでしょう。何せ、人魚様が現れたのですから」
■
神社からの帰り道。夕日に照らされるおっちゃんの隣を歩きながら、私はのんびりと考えていた。……どうしたもんかと。
「なぁ、おっちゃん」
「なんだよ」
「なんつーか。御伽噺があるから大丈夫だ、って言ってたじゃん?」
「ああ」
「これ、もうさぁ、冷静に考えて色々とさぁ……」
「……言わんとしてることは判る」
私は意を決して、言葉を紡いだ。
「……本当に、なんだ、私ら結婚しなきゃいけない流れじゃん?てか、おっちゃん的にそれはアリなんか?」
「まー、お前がこの島で暮らしたいってんならな」
「そりゃーまぁ。この姿だし。住んでいいってんならありがてぇよ?でもなぁ」
そもそもなんで私がこの姿になってんのかも良く判らんし、おっちゃんには多大な迷惑をかけているわけだ。それに、実際は中身が男だという真実を隠してここに居るわけだ。島民の期待を裏切って、純情な田舎の漁師を騙しているような、そんな気が引ける思いもある。
「まぁ、あれだ。俺だって乗りかけた船だ。お前が良いってんなら、全部隠して一緒に暮らすのも悪くない、とは思ってる。実際お前は別嬪さんだし、家事もやってくれて有難いしな」
「……面と向かって言われっと恥ずかしいな。ま、悪い気はしねぇけど」
視線を逸らして尻尾を揺らす。おっちゃんは実際親切だし、面倒見がいい。丸二日間も一緒に酒盛りしたけど、実際、酔った勢いで手を出してくるような真似は一切しなかった。十分に信頼できる漢だっていうのは、肌で判っている。
……そんな私の葛藤を感じ取ったんだろう。おっちゃんは、ここぞとばかりに話題を変えた。
「に、しても。お前自身のことも、海のことも、謎ばっかりが増えて仕方ないな」
実に有難い気遣いだ。正直、この結婚騒動はどっちに転んでも今の私にはどうしようもない。だって、私自身が元の姿への戻り方も、これからどうすればいいかもよく判らないのだから。手掛かりなし、希望もない。正直に言えば、私を受け入れてくれたおっちゃんだけが、今の私にとっての唯一の希望なんだよね。
……うん。ひとまずは、この話題に乗っかろう。ちょっと、面倒な現実は見たくない。
「だなー。結局、まだ海には行けないんだろ?さっきの近藤さんと神木さんの話しっぷりからするとさ。他に5匹、ヤバいのがいるとか」
「そういうことだ。貯蓄はしばらく大丈夫だが、収入がねぇからこれからどうすっか、悩みどころだ」
「どっかで働くとか?」
「お生憎様。俺は生まれてこの方、漁師しか知らねぇんだわ。陸での稼ぎ方なんてわからん」
「うーん……それなら」
少し考え込む。このままだと、おっちゃんは漁に出れない。かといって海に出ないと生活が立ち行かなくなる。海にはヤバい化け物がうろついていて、護衛艦すら沈められるらしい。
あ、まてよ?つまりはだ。
「私が先導して、一緒に海に出ればいいんじゃね?」
「は?」
「私、結構強いし。それに船が沈みかけても、また尻尾で持ち上げて助けりゃええだろ?」
私のトンデモ提案に、おっちゃんは目を丸くした後、夕日に向かってニヤリと笑った。
「あ、それ、結構良い考えかもな」
かくして、化け物と漁師の、命懸けの(?)漁業ライフが幕を開けようとしていた。