顔に感じる風は非常に心地よく、天の太陽の日差しも暖かで実に穏やかな海原が、眼前に広がっている。
「うーむ、なんとも」
灯台は遥か背中に消え去ってしばらく。しかしながら海の上にはなんもないね。大海原は実に広い。ひとまず、ぐーっと背伸びをしてみるけれども、まぁ、何も変わらないよね。
「しかし」
結局目覚めが来ないとなると、やっぱり現実、なんだろうかなぁ?まだまだ疑心暗鬼だ。それにこの体よ。
「改めて見るとどうなんだこれ」
指はすらりと長く、それでいて女性らしい柔らかさを持っている。で、お胸はそこそこ…あばらがちょっと浮いていて栄養状態は悪い感じがする。…いや、もともとの私はもうちょっとふくよかだったぞ?いやはや、どうなってんだか。
尻尾についてはなんか…全部筋肉質みたいな感じ。尻尾の先の口は…でっけぇ歯がついていること。なんかB級サメ映画に出てきそう。
「まぁ、便利だけど」
物を食ってもよし、しかも自在に動くし。うまい事使うと少し海面を早くすすめたりも…しているような?
「よいしょ」
少し腹が減った気がしたので、持ってきている貝を尻尾の口に放り込む。ゴリ、ゴリ、ゴリと貝の殻が削れていく音が響く。
「…うん」
ごくりと飲み込めば、やはり腹が満たされる。うーん。口の中を覗いてみるけれども、ただのでかい口だよなぁ。ぺちぺちと舌を触ってみると、なるほど、触覚も普通にあるわいな。さらにと、頭を突っ込んでみる。十二分に広いなこの口。口臭的なものはまぁ、そこそこって具合だ。
「いやー、奇妙だね」
というほかない。わけわからん。あー、まぁ、ただ。
「若い女子の体っていうのも…ちょっといいかもね」
いろいろと出来そうだし。いろいろと。問題は明らかに化け物って所だ。と、その時だ。
「…ん?ありゃあ…船か?」
水平線の彼方に、小さく、しかし、明らかに浮いているものが見えた。ぐーっと集中してそれを見ると、どうやら、白い小さな船…形からすると漁船っぽいものが…。
って、なんか傾いてねぇかあの船。
「んー…?あれは…なんだ?なんか掻き出している?」
さらに目を凝らすと、人影が一つ。それが、バケツを持ってえらいソーラン節みたいな動きをしてら。あれ、もしかして。
「沈みそうな感じか?とりあえず向かってみるか!」
どちらにせよ今は道しるべが何もない。もし、沈みそうならばならばちょうどいい。恩を売って船にのせてもらうとしようかね。
ま、そうじゃないにしても、会話ぐらいはできるだろうよ。
■
さて、ということで大海原を進み続けること少し。明らかに人影が認知できる距離までやってきたのだが。
「おもったよりあれヤバクネー?」
予想通り、小さな船がそこにはあった。そして、水をバケツで掻き出している男がいる。んでもって、さっきよりも船が明らかに傾いている。
「こりゃー…早めに助けに入ったほうが良さそうだーね!」
走るようなイメージで体を動かしてみれば、勢いよくこの体は大海原を滑り始めた。いいね、いいね!荒波を超えて、白波を超えて。
「いやっほぉう!」
波にうまい事乗れると気持ちがええ。イメージはほんまスノボーみたいな感じ。沈む気もしねぇ。こんな夢なら見続けてもいいと思うぜ。っと、思考がずれたけれども!
「おっちゃん助太刀すんぜー!」
沈みかけている船の横について、そう声を張り上げた。
「おおおお!?誰か知らねぇが助かる!」
「これどういう状況だ!?」
「いきなり船底に亀裂が入っちまったんだ!掻き出し手伝ってくれ!」
船底か!そんならば!
「どこらへんだ!?」
「前だ前!」
前ね!…ああ、ほんとうに前のほうから水がコンコンと!ならば、出番だぜ尻尾。海面に尻尾を突っ込んでぇーの!船底に尻尾を添わせてーの!
「うおぉおお!?」
ぐいっと、尻尾で舟の前を持ち上げた。おほー、この尻尾、なかなかに力持ちだな!
「おっちゃん、そのまま掻き出し続けてくれ!船、支えてるぜ!」
「な、なんだこりゃああ…!?お前何者だ!?」
「んなことよりもおっちゃん、掻き出せ掻き出せ!」
「…っおお!?恩に着る!」
おっちゃんはペースを落とさずにバケツで水を船から掻き出し続け、そしてなんとか、船は沈む運命から逃れられた、ようである。
■
海水を掻き出し終えたおっちゃんは、船の上に大の字だ。私はと言えば、船の前を尻尾で持ち上げたまま、船の淵に腕を置いてそれを眺めている。
「っはー!はー!はー!…助かったぁー!」
さぁて、ここからが本番だ。どうにかして、このおっちゃんに陸まで連れて行ってもらうとしよう。…ってことで、ひとまずいい感じにお声がけを…と。
「これで沈む心配はねぇか?おっちゃん」
「ああ…ああ。いや、本当、死ぬかと思ったわ。助かったぜねーちゃん」
ねーちゃんか。今の姿だったら確かにそんな呼び方にもなるわな。
「そっかそっか。で、おっちゃん。応急の修理とかはできるんか?」
「いやー、無理だな。正直、沈むだけだった」
声からは諦めが漂っていた。よく見れば、救命胴衣もしっかりつけてる。なるほど、もう逃げる準備はできていたわけだ。
「じゃあなんで水を掻き出してたんだ?」
「…その、この船最近買い替えたばかりでな…諦めきれなくてなぁ」
「ああー。気持ちはわかる。船ってたけぇんだろ?」
「そう、なんだよ。まったく、まだ数回しか漁に出てねぇってのによー運が悪いぜ…。いや、つーかゴミが多いんだよ最近…」
安心したからだろうか。愚痴がぽんぽんと出てくるようになったおっちゃん。うん、このぐらいになりゃあ安心だろう。
それにしても応急修理が出来ないってことは、安全な場所まで尻尾で船を支え続けてやらにゃあいかんっぽいな。よしよし。ならば。
「じゃあおっちゃん、このまま船を沈まないように支えながら進んでやるよ」
「助かる…。あ、いやまて。お前、なんで海の上に浮かんでんの?ってか支えてんの!?」
「あー。まぁね?」
大混乱のおっちゃん。指をこっちに差して錯乱中って具合だ。ま、そりゃあ…海の上で化け物に出会えばそんな反応にもなるわな。
「おま、お前なんだ!?化け物か!?」
「あー…私もよくわかってねぇんだ。おっちゃん。ひとまず落ち着いてくんない?」
「いや、いやお前。だっ…いや!?お前この船を沈めようとしてんのか!?」
「おっちゃん。そりゃねぇだろ。助けたんだぜ?ご希望とあらば支えるのやめっけど」
尻尾の力を抜いて、船底を海につけてやる。すると、こんこんと船の中に海水が入り始めた。
「うおおおお!?冗談、いや、悪い、悪かった!すまん!支え続けてくれ頼む!?」
「おう。支えるから落ち着いてくれよ」
「わかった、わかった!うおお!?」
もう一度、しっかりと尻尾で船底を海面より上にあげてやれば、海水の流入は止まった。
「いやおまえ、お前。なんだお前」
「さーなぁ。ただま、こんな大海原に浮かんでいてくれて助かったぜ、おっちゃん」
「おったまっげたぜお前…本当」
■
落ち着いたおっちゃんの導きを受けながら、夕闇の海を滑る。どうやらこの体はかなり力もあるようで、尻尾で船を支えながらもそこそこ進むことが出来ている。
「すげぇな。お前」
「まぁね」
「ってか、その尻から生えてる尻尾はなんだ?」
おっちゃんは落ち着いてくれたようで、私の近くの甲板に座っていてくれている。話し相手には事欠かないってやつだ。いやー、数日ぶりの人間との会話ってのも、いいもんだね。
「尻尾はよくわかってねー。なんせ、気づいたらこの体でね」
「あー?」
手を挙げて降参のポーズをしてみたのだが、おっちゃんは納得のいっていない顔だね。奇遇だ、私もだよ。と、そう雑談をしながら船を進めていたのだが。
「そういや船が少なくない?」
一切、ほかの船と出会うことがない。これ、漁船だよね?であれば、ここは漁場ってわけで、ほかの船も海に出ていて当然だと思うのだが?
「ああ。最近化け物が出たってんでな。このあたりは船の航行や漁が避けられてるんだよ」
「化け物?」
そりゃあまた。難儀なことが起こってるもんだ。
「そうだ。実際かなりの騒ぎでね。ほかの奴らはこの数日、漁は自粛してる」
「でも、おっちゃんは漁に出てたんだよな?」
「いやそのな、今日の漁も止められたんだが…。食い扶持のために漁に出たらこの有様よ」
ああ、それでか、灯台にいても船を見つけることが出来なかった理由は。
「しかし、その化け物ってのは何したんだ?そこまで海に出ないって」
「ああ、なんでも結構デカい船を沈めた、ってのが一般的な情報だ。ただ、一部では、眉唾だけど乗員を助けた、とかな。そのバケモンがこの近海に消えたってんでよ」
「…へー」
もしかせんでも、乗員を助けた化け物ってさ、私の事の予感がするね。…しかし、船を沈めたってか?それは穏やかじゃねぇな。
「そんな奴がいるんだな」
「ああ。写真も出回っててな。青白い肌の女…尻尾もあるとか…って、お前、よく見りゃあ…」
じろりとこちらを見たおっちゃん。うん、多分そのカンは合ってる。合ってるけどちょっと違うところもあるぜ?
「人を救ったのは間違いないね。でも、船は沈めちゃいないよ」
本当かぁ?と言わんばかりにこちらを睨むおっさん。おいおい、そんな目でこっちを見るなって。
「そんな目すんなよ。おっさんだって助けただろー?」
「…だな。悪かった」
「わかればよろしい」
ふん、と胸を張る。わかればいいんだ分れば。と、まぁおふざけはここまでにしておいて、本題を切り出すとしよう。
「でだ、おっさん」
「あ?なんだ?」
「ちょっと物は相談なんだけど」
「お?」
おっさんの顔に疑問が張り付く。ま、いきなり海の上で会ったバケモンにそんな提案をされて困るのも判る。しかし、こちらもそんなに余裕はないのでね。
「ちょっと数日、おっさんの家で寝泊まりさせてくんね?」
「寝泊り?なんだお前、家無いのか?」
「そうなんだ。ここ数日海を漂っていてねー。落ち着けて無いんだ。何日間かでいいから置いてくんねぇ?あ、必要だったら力仕事とか家事なんかもやるぜ?」
力こぶを作りながら、笑顔でおっさんに立て続けにぶち込む。とりあえず人がいる場所に行けばスマホも使えるしな。もしかしたら、夢から覚めるかもしれんし。
「…いやしかしな」
「なんだおっさん。駄目なのか?」
「いや、まぁ、救ってくれた手前、駄目じゃあねえんだけど」
顔を掻きながら視線をそらしたおっさん。どうしたんだ?
「一人暮らしなもんでな。お前さんみたいな年頃の娘と過ごすのはちょっと気が引ける」
「はは、なんだ。別に気にしないよ。お望みとあらばいろいろとお相手しようか?これでも大人だぜ?」
それこそこの姿の前はいい年だったからな。別に、そのぐらいは問題ないさ。…いや、ふと思ったけれど、この体で夜は出来んのかね?
「お、おお、おまえ何を冗談!?」
「おっさん慌てすぎだ。ま、じゃあ、おっさんの家でお世話ンなるぜ?」
「…ちっ。仕方ねぇな。いいぜ」
仕方ねぇなぁと言わんばかりに頭をかいているおっさん。ありがたいことで。
「じゃあ、数日世話になるぜー」
「おうよ。あ…ただ、変に家から出るなよ?」
「え?なんで?」
「お前、自分の姿を鏡で見てみろ。んな姿で出歩いていたら目立ちすぎてどっかに連れていかれれるぞ?」
ああ、そうだなぁ。こんな化け物みてぇな姿で街中にでりゃあ騒ぎになるだろうよ。
「…違いないね。ああ、でも、そうなるとおっさんの家まではどうすりゃあ」
「ああ、それは問題ねぇよ。道一本挟んで海の目の前だ。ほれ、見えてきたぞ」
促されるままに、おっさんにつられて顔を動かした。なるほど、街の明かりが見える。人の明かりだ。と、ピコンと、スマホに通知が来た。どうやら、電波もあるらしい。
「なんだお前。携帯持ってんのか?」
「まぁね」
「不思議な奴だな。そんなナリで?」
「いろいろあんだよおっさん」
疑いの目を向けられてるわなぁ。そりゃあなぁ。化け物だってのに、なーんで人の道具を持ってんだって。
「いろいろ、ねぇ?」
「そ、いろいろだ。後で話すよ、おっさん。で、実際この後はどうすりゃいい?」
「あー。あの護岸あるだろ」
おっさんの指さす方角に、長めの影が見えた。その奥には多くの明かりが見える。なるほど、あそこが港ってわけか。
「あの護岸あたりで支えを解いてくれればいい。幸いエンジンは生きているからな。この距離なら、沈む前に岸壁に取り付ける。で、お前さんは」
今度はその漁港から離れた場所を指さして、おっさんは口を開いた。
「あっちに店の明かりが見えるだろ?」
「…あの、赤と白の?」
「それだそれ。そのあたりの海上で待っててくれや。後で迎えに行くさ」
なるほど。そりゃあありがてぇことで。ま、もしかすればどっかに通報されたりして騒ぎになるかもしれねぇけど、それはそれで。幸い、電波は得たわけだし、どうにかこうにか、情報収集は出来るだろ。