あと数日で帰国するファインモーションを呼び止めるエアシャカールと、それを見守る護衛隊長の話。
雪がちらつくクリスマス。
ファインモーションがアイルランドに帰るまで、残り数日となった。
日本ではたくさんの思い出ができた。
学園生活を楽しんだ。
友達もたくさんできた。
レースも懸命に走った。
そして恋もした。
本当にたくさんの思い出ができた。
大事な大事な思い出ばかりだ。
この思い出を胸に、これから先、国のために頑張ろうと決意していた。
ファインモーションは優しい家族を愛している。
ファインモーションは優秀な家臣たちを愛している。
ファインモーションは真面目な国民を愛している。
だから、このまま国に帰るのだ。
だから、この後は国に尽くすのだ。
それを選んだのは自分である。
後悔はなかった。
そう、ないはずであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ファイン、日本に残らないか?」
雪がちらつくクリスマス。
みんなで遊んで、騒いで、そろそろ寮に戻るか、といった時間のことだった。
クリスマスツリーの前で、いつの間にか友達が居なくなったタイミングで、エアシャカールはファインモーションにそんなことを言った。
それが、エアシャカールにとっての精一杯のプロポーズであることがわからないほど、ファインモーションは愚かではなかった。
それが、冗談だと誤解しない程度には、ファインモーションとエアシャカールの過ごした時間は短くなかった。
それが、いうべきではないことだとエアシャカールがわかっていながら、それでも覚悟を決めて口に出したことだということもまた、ファインモーションはわかっていた。
心が揺れる。気持ちが昂る。恋心が叫ぶ。
目の前に差し出される、エアシャカールの美しい手。
その手に無意識に手が伸びる。
日本に残りたい。
いや、違う。
日本に残りたいわけではない。
ファインモーションが望むのは目の前の彼女である。
エアシャカールとともにずっと過ごしたい。
クールを装っていて、本当は優しくて、熱血漢で、お節介で、何よりも愛おしい彼女と一緒に生きたい。
手が震える。体に力が入る。
エアシャカールの伸ばす手に、自分の手を重ねる直前。
手と手が触れ合う残り7センチメートルのところで、
ファインモーションは振り向き、視界に護衛隊長をとらえてしまった。
ファインモーションは聡明だった。
聡明すぎた。
まだ学生なのだ。まだ子供なのだ。子供の愚かさのまま、この手を取ればよかったのだ。だが、手を取ることの意味が解っていた。すべてわかってしまうほど聡明だった。
この恋は許されない。
彼女の国は、ウマ娘同士の恋など許容しない。
国に帰れば、この恋は忘れなければならない。
心のまま生きるならば、恋を貫くならば、すべてを捨てなければならない。
ああ、その意味がわかるほどにファインモーションは聡明であった。
捨てるということの意味が解ってしまった。
ファインモーションは王族である。
殿下という敬称を付けられるほどに王族である。
だから、捨てるといっても、ただ関わらなくなればいいわけではない。
家族と二度と会えない。
祖国に二度と帰れない。
知り合いにも会えない。
それだけでは済まない地位にいるのがファインモーションだ。
王位を捨てるというのはただ何もしなければ済むわけではない。
許されない恋に狂った姫の、その
だから彼女は護衛隊長を見てしまったのだ。
だって、きっとその
彼女が生贄になることを理解していたから。
本能にしたがって手を取ろうとしていたファインモーションは、残り7センチメートルで、理性にしたがって彼女に振り向いたのだ。
ずっとファインモーションの後ろに控えていた護衛隊長は透き通った笑顔を浮かべた。
「お心のままに、殿下。国の方は大丈夫ですよ。私がどうにかします」
安心させるように、聖母のような優しい笑みを浮かべながら、ファインモーションに言い聞かせるように彼女はそういった。
聡明で、そして愚かなファインモーションはわかってしまった。
ああ、そうだろう。
彼女の言うことは間違いない。王族の護衛をするほど優秀で、ファインモーションのことを妹のように、慈しみ、愛する彼女に任せれば
きっとどうにかなる。
ああ、そうだろう。
それはきっと、彼女のすべてをもって、文字通り命をも使って成し遂げるだろう。
それだけ彼女の責任も立場も重い。
ああ、そうだろう。
彼女はすべてを失う。地位も、名誉も、おそらく命さえも。
それでも
すべてを失ってでも、自分に尽くして『どうにかする』つもりなのだろう。
国を、地位を、彼女を、皆の思いを、すべて踏みにじる選択なのに。
ただ、ファインモーションという、王族でなくなる、恋する一人の少女のためだけに
彼女は文字通りすべてを捨てて庇うつもりなのだろう。
愚かなファインモーションはわかってしまった。
それを成し遂げるには、文字通りすべてを、命を、名誉を、彼女にかかわるすべてを泥に捨てるような代償が必要であることがわかってしまった。
聡明なファインモーションはわかってしまった。
手を伸ばす意味を。それで取りこぼすものの意味を。
心が痛む。気持ちが揺らつく。恋心が悲鳴を上げる。
ファインモーションの手が、エアシャカールの手に重なる直前で
残り7センチメートルで止まる。
手を握ることはできなかった。
だが、手を振り払うこともまた、ファインモーションにはできなかった。
そこに愛があるから。
すべてを捨ててでもその手を取りたいから。
彼女が何よりも大事になってしまったから。
感情と理性の間に大きな亀裂が走った。
どうしていいかファインモーションにもわからなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
常に正しい結論に導いてくれることを、エアシャカールはよく理解していた。
裏切られたことなど星の数ほどあり、エアシャカールはよく理解していた。
「ファイン、日本に残らないか?」
雪がちらつくクリスマス。
みんなで遊んで、騒いで、そろそろ寮に戻るか、といった時間のことだった。
クリスマスツリーの前で、友達と逸れるように仕向けた時点でエアシャカールはおかしかったのだろう。
全くロジカルじゃなかった。
だが、エアシャカールはファインモーションにそんなことを言ってしまった。
そんなことできるわけがない。
過去の自分がそう言う。
単に苦しめるだけだろ。
未来の自分がそういう。
ああ、そうだ。
こんなことを言うのは全くロジカルじゃない。
だって、ロジカルに考えた結果、絶対に言うべきではないと結論を得たのだから。
こんなことを言ったって、なにも良いことが起きるはずがないのは分かっていたのだから。
だが、
愛するシャムロックが祖国を捨て、日本に残る。
そんなことができるはずがない。
あのダービーの、届かなかった7cmを覆すことと同じぐらいに不可能なことだ。
でも、最後まで信じていたこいつには。
ずっと、目を輝かせていたこいつには。
最後まで、可能性を魅せたこいつには。
誤魔化すことができなかった。
きっとこれが、最初で最後の恋だから。
だから何だというのだ。
全くロジカルじゃない。
恋が全てを解決するのは物語の中だけだ。
でも、もしかして
こんなきれいな雪の日に
こんなきれいなクリスマスツリーの前で
こんなきれいな彼女のためなら
全くロジカルじゃない。
それを一番わかっているのがエアシャカールというウマ娘だった。
そして裏切りの結果はすぐに示された。
いつも彼女の後ろに控えていた護衛隊長が視界に入った。
彼女は止めなかった。
彼女はすべてを分かっていた。
彼女はすべてを覚悟していた。
そうだ。
愚かなエアシャカールにも何も言わず
恋に惑うファインモーションにも何も言わず
ただ、すべてを覚悟していた。
彼女は純粋に
二人のことを願っていた。
二人に奇跡を祈っていた。
二人の恋を応援してい
そのためにすべてを覚悟していた。
そして、それを察せないほどエアシャカールは
ファインモーションは振り向いた。
振り向いてしまった。
振り向かなければ、そうすれば、一瞬でもそう考えたことをエアシャカールは恥じた。
自分の恋を他人任せに一瞬でもした自分を恥じた。
死にたくなるほどの恥というのはこういうことか、とどこかロジカルな部分が理解した。
本当に欲しいなら他人任せにせず
自分で掴みに行けばいい。
彼女の手と、自分の手との距離
7センチメートル
これを自分で詰めてしまえばいい。
たったこれだけの距離。
だが、この距離がどう足掻いても届かないぐらい絶望的に長いことを
あの時からエアシャカールは理解していた。
「お心のままに、殿下。国の方は大丈夫ですよ。私がどうにかします」
彼女はそう言った。
言わなくてもわかっていた。
彼女の決意など、聞かなくてもわかっていた。
自分に彼女と同じだけの覚悟があるのか。
彼女のように、自分の全てを掛けてでもこの7センチメートルを詰める覚悟があるのか。
ロジカルに考えれば答えはすでに出ていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
沈黙が流れる。
それが一瞬だったのか、それとも何百年という長い時間だったのかすら3人にはわからない。
だが、その沈黙を破ったのはエアシャカールだった。
だってこれは
彼女が始めたラブストーリーだから。
実らなかった愛だから。
エアシャカールは、ファインモーションに差し伸べた手を下ろし、手を握り締める。
そして、道化のように笑いながらこう言った。
「はは、冗談だよ」
全く心がこもらない嘘。
この場にいる誰もが気付く嘘。
だが今ここでは一番必要な嘘。
笑顔が引きつっていないだろうか。
エアシャカールはそんなことが心配になった。
だが、自分がどんな表情をしているかはすぐに分かった。
だって、愛するシャムロックが浮かべた表情が、ひどいものだったから。
「ヤダな、シャカール。私、ときめいちゃったじゃない」
ラブストーリーは終わった。
ここから始まるのは滑稽話。
観客も笑えないコメディ。
だが、物語は終わらせないといけない。
それが、めでたしめでたし、でなくとも。
「迫真の演技だっただろう? 国へのいい思い出になったじゃねえか」
「そうだね、きっといつまでも忘れないよ」
冗談としてすべては流された。
いつもの二人と変わらない、そんなことを取り繕った談笑。
しらじらしい、相手も、自分も騙せない嘘。
それがわかっているからこそ、護衛隊長は何も言えず、口を閉じるしかできなかった。
メリークリスマス