マリアンヌ in 狭間の地 作:自分を友達だと思い込む一般ブリガンド
最初に私を襲ったのは、寂しさという解決のしようも無い感情だった。
あるいは、罰なのだろうか。先生の…皆の覚悟を無為にするような真似をした私への。
船。
正確には小舟と呼ぶのが相応しいだろう。
故郷のある同盟領から逃げ去るように行商に頼み込んで、僅かばかりの渡し賃と引き換えに得た商人という隠れるための身分。それを使えば、順調に行けば季節も相まって比較的安全に帝国領で隠遁できるはずだった。
なのに、気が付けば…本当に気が付けばとしか言いようがないのだが、霧にまみれた…潮気のある事から、おそらく海洋の真っ只中で寂しい小舟に揺られていた。
混乱し、状況を整理しようとするも、到底人知の及ばない事態に理解が追いつくはずもなく、困惑のまま養父の名を呼ぶしかなかった。
霧で何も見えず、陸も何も無い。潮風のせいで服や髪がベタつき始めている。護身のために持ってきた鉄の剣はまだ大丈夫そうだが、そのうちに錆が目立ち始めてしまうのは目に見えていた。
けど、どうしようもない事だ。気付いた時には乗せられていたこの舟は、漕ぐためのオールも無ければ風を受けるための帆も無い。僅かな荷物だけが残っていた。もう天命を神に任せるしかなかった。
「神よ…どうか、お救いください……」
見守ってくださっているはずの神に祈りを捧げ、そして眠気に襲われるまでの間、少しずつ食糧を切り崩して食い繋いでいた。
けれど、それを嘲笑うかのように海は荒れていき、すぐに大時化の様相を呈すようになってしまった。一際大きい波が来れば、こんな小舟などすぐさま壊れてしまう。恐怖で怯え、不安に身を震わせて祈りを続けるしか無かった。
……息ができない。
明確にそう知覚した時、マリアンヌは既に海洋の中に投げ出されていたのだとわかった。でも水面に辿り着こうとは思わなかった。いや、考えることさえなかったと言った方が正しいかもしれない。
前後不覚の中彼女の目の前にあったのは、まるで御伽噺にある天からの祝福…それを体現したかのような黄金の煌めき。その輝きに心奪われていたからだった。
(こんなに、美しいものが…)
手を伸ばそうとし、しかし空気を取り入れることの出来ないマリアンヌの身体は重く沈んでいき、その意識もまた深く暗く、塗りつぶされていった。
狭間の地、と呼ばれる小島があった。小島とはいっても、かつてはローデイルを筆頭に複数の国が繁栄するほどの、最も成功した島国とさえ呼ばれた人類歴史の祖。
その真中にはひたむきな信仰の対象となった黄金樹、そしてその大樹の麓に栄えた王都ローデイルがあり、更にその王都を見上げるように、小さな村々や関所、牧場などが点在している。
そしてそこを中央とするように、いくつかの国が興されてきた。狭間の地、そこは他の大陸から隔絶された信仰の場なのである。
目覚めは最悪だった。肺の中に際限なく入り込んできた海水を全て吐き出し、息苦しさのせいで気付いたすぐは動くことも出来ず咳き込み続けていた。
僅かばかりの記憶に残る実母から受け継いだ青い髪は、潮に塗れてべったりと素肌に張り付く。嫌な感触だった。
あの荒波に揉まれてもまだ死なないらしい。こんな何処とも知れない場所で目を覚ますなんて。
ここはフォドラ大陸だろうか。それともブリギット諸島か。フォドラから出たことはないが、地理についてはそれなりに勉強している。けれど、ここで目に映るものは全て見覚えのないものだ。例えば植生。向こうでは見たことの無い植物が生い茂っている。
赤い葉脈の目立つ暗赤色の葉の草に、うっすら輝いて見える常緑の植物。双方ともにフォドラでは見かけることの無いものだ。
少なくとも先生が育てているところは見ていない。
浜辺。そこまで周囲を見てみてわかったのが、マリアンヌが今いる場所だ。
目の前の断崖はどう足掻いても登ろうとは思えない高さで、その麓にある大きな建物の残骸だろうか、それを屋根にするように火が焚かれている。
どうにか立ち上がり、体の状態を確認する。どこも骨折していたり打撲なども見受けられず、少し服がベタベタするくらいか。砂浜で倒れていたせいで砂が平服にこびりついてしまっている。
怪我の有無などを確かめている間に、焚き火の傍にある影が動く。それは人の形をし、また生きてもいるようだった。追い剥ぎのたぐいかと身構えるも、剣を持っていない。海で揉まれた時に腰から外れ、そのまま無くなってしまったらしい。
流石に徒手格闘は教わっていない、どうすべきか決めあぐねる間にも人影は迫って来、そして白日の下に人影は晒された。
陽の光で、その格好が何となく見えた。背に大柄なリュックを背負い、焚き火の傍にはよく見れば動物もいる。行商だったのだろう。荷物からは大小様々なものがはみ出ている。
「若ぇな…とりあえず来な、暖まれば良くなろうよ」
行商の男に連れられるままに、焚き火へと案内される。この辺りは確かに風も強く、そのままでは冷えてしまうという男なりの気遣いだろう。
マリアンヌはそのままどさりと脱力するように座り込んだ。目の前でぱちぱちと火花が散り、冷え込んだ身体を温めてくれる。
「あの…ありがとう、ございます…」
「…構わねえよ。用が済んだらとっととどこかに行ってくれ」
男はそのまま焚き火の前で干し肉や魚を乾かしている。愛想がないように見えて、人を心配するだけの心はある人なのだろう。言葉に甘えてマリアンヌは暖を取ることに決めたのだった。
暫く温まったあと。
互いに口を開くこともなかったのだが、ふと男の方がマリアンヌを見て呟く。
「…どこの生まれだ?」
「えっ? …あの……レスター同盟領で、育ちました…」
「レスターか。まあ知るわけもねえ、変な事を聞いた」
男はそれきり黙ってしまったが、今度はマリアンヌが口を開く。
「あの…ここは、どこなのでしょうか…。 フォドラ…では無いですよね…?」
「知らねえのか? 知らねえで来たってんなら、笑えるな」
男はくつくつと笑うが、彼女にとっては本当に全く見知らぬ土地での目覚めなのだ。情報など、あればあるだけ良い。少なくとも凍えるマリアンヌを見かねて救いの手を伸べてくれるような人間だ。邪険にはしないはずだとも思って。
「…まあ、いい。外から来たやつは、ここを狭間の地と呼ぶ。俺も知らねえ時代だが、まだ外との関わりが断絶される前は、多くの行商人がリムグレイブで金を落としていったと言うが、港なんかは跡形もねえ。なんせ今は、気狂いの所業、
「リムグレイブ、ですか? それに…接ぎ木というのは…」
男はふん、と笑い飛ばしたあとに説明を挟む。
「何も知らないと見える。俺たちのいるこの土地はリムグレイブと言ってな、まあなんもねえ場所だ。時にお前、祝福は見えているのか?」
その後に来る質問の意図が分からず、マリアンヌは考える素振りを見せた。祝福、彼の言うそれに思い当たるものが無いわけではないが、それだと断定するには判断材料も足りず、いまいち頭を縦に振れずにいた。
「…本気で何も知らないんだな、お前は。 仕方ないか、一から説明してやる。いいか? まず──」
男──カールと名乗った行商──から得られた事をまとめるに、この狭間の地は
そして狭間の地の王は隠れ、君主たちの王無き戦いの末に誰も王となること叶わず、大いなる意思に見放されたのだという。
永遠の女王マリカ。黄金律ラダゴン。黄金のゴッドウィン。主たる存在が消えた狭間の地は、今や断絶された魔の境だとカールは語った。
「で、大いなる意思とやらはエルデンリングを直すため、世界中の人間に祝福をばらまいたっていうわけだ。その祝福が見えるヤツも、見えなくなったヤツも…
「祝福…あの、黄金の煌めきでしょうか? まるで陽光のように、暖かかった……」
概ねそれで間違いないだろうというカールの言葉に、マリアンヌはまるで腑に落ちたように俯く。目元の隈はよりいっそう深くなっていくが、頭の中に浮かび続ける黄金の祝福だけは、彼女の思考を目まぐるしく回転させていた。
「なんだよ、じゃあやっぱり、見たことあるんじゃないか。なら俺にとっては客人になるわけだ」
ごそりと音を立てて、カールはリュックを地面に下ろす。その中身は武器や盾など多岐に渡る。中には石ころや苔を丸めたような用途の知れないものまである。
「これが品だ。買い物がしたいなら俺に言え、少しぐらい安くなら売ってやる」
買い物とは言うものの、マリアンヌには今手持ちが無い。金品など常に持ち歩く訳ではなく、あるとしても菓子が幾つか買えただけの僅かな額である。
「これで、何か買えますか…?」
「こいつは…普通の金だな。ここじゃ金は特別の象徴だが、商いにゃ使えねえ。
そういうとカールはひとつ、手元から金の煌めきを見せる。それは海の中で見た祝福にも似て、けれどそれには遠く及ばない代物、残滓のまた欠片に過ぎないものだろうか。
それがルーン。カールがそれを砕くと、マリアンヌの身体の中に吸い込まれるようにして消えていった。それと共に微かな温もりを覚え、それがルーンを手に入れた時の感覚なのだと理解する。
商いに必要なものが金品のような物体でなく、ルーンといった概念的な物での支払いとなる。狭間の地では、今までの常識は通じないのだろう。マリアンヌはしかと記憶した。
しかし、そのルーンでの取引がどのような相場なのかさえ分からない。カールに提示された金額、もといルーン額が標準的なものなのか、判別しかねた。
「…疑ってんなら買うなよ。俺は本当に安く売ってやるってんだ、ちょっとぐらい疑わずに1品買っていけ」
そう言われては仕方ないだろう。きっと疑いの眼差しがそのまま表情にも浮かんでいたに違いない。少し迷って品の中からブロードソードを手に取ると、同時に身体の中の温もりが少し消えた気がした。これが彼の言うルーンを使う取引だろう。
「取引成立だな。それにしたって弓があるってのに剣か」
「いえ、その…これが一番、慣れていますから…」
剣術に関しては尊敬すべき先生からの薫陶を受けてきたから、これだけはそれなりの自信と自負がある。
…それにしても、結局は武器が必要になるのだろう。それもしかたない。正気を失ってしまった兵士が、この辺りには沢山いるらしいから。
ブロードソードを握って浜辺を歩く。そういえぱ何も食べていないが、不思議と空腹にはならない。それも祝福の恩恵なのだろうか?
髪も少しづつ乾いてきているから、歩きにくいということはない。けれど、所々に岩が埋まっているせいで足を引っ掛けて躓きそうになる。
直剣としては標準的なサイズ、幅広の刃。剣としては普遍的なものでも、ここで得た初めての武器として考えてみれば頼もしく思える。
確かに、魔法など使えば遠間に敵を倒すことも出来る。しかし本当に眼前にまで迫られた時、先生はマリアンヌに魔法という手馴れた攻撃手段を使わせてはくれなかった。
武器による護身。それこそが本当に切羽詰まった時に自身を守ってくれる手段だと教わった。
苦手だった槍の才能にも目覚めさせてくれた恩師。彼女が
同盟領の友人を捨てた、今となっては自分がこんな場所にいる事よりも何よりも、その事実だけが重くのしかかってくる。
…今更名前を呼んでも、彼女が慣れ親しんだ声色で呼び返してくれる事はもうない。
・マリアンヌについて
マリアンヌが狭間の地にやってきた時、フォドラは三つ(四つ)に分裂して、ついでに先生はこれから五年間眠りにつくものとします。
これから書くことになるマリアンヌは先生から受けた指導がピンキリなので、使える武器が違ったり魔法が違ったりしなかったりします。
・カールについて
海岸の洞窟近くにいる愛想の悪い商人。我々褪せ人には素っ気ない代わりにマリアンヌに対しては多少デレさせました。
これから冒険頑張りましょう!
ねっ、マリアンヌさん!