マリアンヌ in 狭間の地 作:自分を友達だと思い込む一般ブリガンド
ふわふわと浮かぶ、綺麗な霊がある。
霊クラゲというそれは、全てが敵たる褪せ人にとっての癒し、襲ってこない存在なのだそう。
普段は群体で漂い、攻撃してくる事は無い。唯一攻撃する理由も叩かれたが故の反撃でしかなく、だからこそかつて人々は、霊クラゲたちに癒しを求めたのだ。
マリアンヌもまた、このふわふわと漂うクラゲたちに癒されていた。リムグレイブの旅の辛さを、一時忘れる為にこの墓所へ訪れる。
指で触れると、弾力のある傘が跳ね返してくる。撫でてみれば、触腕が腕に絡んでくる。強く締め付けるようなそぶりもなく、腕を引けば離してくれる。
クラゲ。それは歴代の褪せ人のみならず、マリアンヌにとっても癒しであった。
リムグレイブには嵐が常に吹いている。強い風が常に吹き付けるせいで視界は利かず、松明の灯りがその僅かばかりの助けとなる他は、まったくもって不利な環境での探索を強いられている。
今までリムグレイブを訪れてきた褪せ人たちは、祝福が見えなくなった時リムグレイブから抜け出せなかった事も珍しくは無かったという。
そしてマリアンヌもまた、嵐吹き荒ぶ地へと足を踏み入れていた。そこに至るまでに5、6回ほど死んだのは、もう思い出したくないことだろう。
巨人が空から降ってきたり(あとでよく観察してみれば、かなり上に巨大な足場があった)、複数人からクロスボウによる狙撃を受けたり、笛の音を鳴らされた事で伏撃を受けたりなどして試行回数を重ねた結果、上手くなったのは隠れて進む技術ではなく、大型の相手にどう立ち回るかの技能だけだったのはここだけの話だ。
かくして雨風の吹き付けてくるリムグレイブ北部に辿り着いたマリアンヌだったが、そこで目にしたものは、金の苗木であった。
(…綺麗…)
見つけたものは黄金に輝く苗。近くの植生もまた、金色の花弁を咲かせ、幻想的な世界を切り取ったように見える。
そこに、ぽとりと何かが落ちた。屈んで拾ってみると、何とも綺麗で小さな種だった。黄金の種子は、持っていれば何かに使えるのだろうか。マリアンヌは懐にしまい込んだ。
もうひとつ、種子が実ってはいるが、それはまだ苗木から離れていない。無理矢理に採取しては木が可哀想だと、その場を離れることを決めた。
遠吠えを強風に乗せて強襲してきた狼たちを命からがら退けて、マリアンヌは先へ進む。丘を上った先にあったのは、ボロ小屋だった。
ボロ小屋とは言うが、最低限雨だけは凌げそうだった。壁に関しては
そこで少し休んでいると、先程通ってきた順路となる坂道の上から、松明の明かりが見えてきた。
──ゴドリックの軍兵、その末端たちである。
休んでいるところを見つかればまずい。
咄嗟の判断で、マリアンヌはブロードソードを引っ掴んで建物の裏に隠れる。
正気を失った兵士だという話だったが、クロスボウ部隊による包囲射撃といい、バリケードを設営しての伏兵といい、軍団・小部隊としての統率は行えているようだ。
幾度か斬り合ってわかった事だが、相手の武器に錆が見られない事も考慮するに、整備を怠っていない…気が狂う前に出来たことは、狂ったあとも出来ると考えるべきだろう。
二人の軍兵に、二人の雑兵。
見回りの戦力としては数が多い。まともにかち合えば、怪我を負う事もあるだろう。
だから、先制攻撃で仕留める。
フォドラでは、昔より独立した魔術体系とそれを構成する理論を研究していたそう。その過程で生み出された基礎魔法が、ファイア、ブリザー、サンダー、そしてウインド。
マリアンヌはこの火・氷・雷・風の基礎のうち、火を除く全てに適性があった。
中でも雷魔法の上位であるトロンは、その射程が長く取れ、奇襲戦に適しており、こういった待ち伏せには効果的だった。
記憶の引き出しから、頭に入れてある学術系と
即ち、
「はあぁぁぁっ…!」
敵へ向かい手をかざして放たれた集束する雷は、光条を伴いつつも真っ直ぐと軍兵を目指し直進し、そして貫いた。
奇襲は成功した。
次なる祝福がどこで揺蕩っているかなど判りもしないが、温存をする必要もない。出し惜しみをして死ねば、またやり直しなのだ。使えるだけ使って、そんな精神こそがこの世界で生き残るために必要だとわかった。
それこそ、今までの経験を全て活かさなければ、幾度でも死ぬだけだった。
敵へ向かって走りながら、次の魔法を詠唱する。こちらが見つかっている以上、視認性と直進性が強く、回避のされやすいトロンは使えない。目に見えにくく命中精度の高い風魔法で一挙に数を減らす。
「──シェイバー!」
風魔法がこの嵐に掻き消される心配は無い。魔力を用いて密度を固定した風の刃は、鋭い刀剣のごとき威力を以て敵を切り裂く。
雑兵二人をまとめて両断した風刃は、形を保てる距離限界を越えて霧散していく。そこまでやれれば上々、残った軍兵は直接倒せば魔法の節約になる。
松明を棄てて大剣を握り締める軍兵と対峙し、マリアンヌもまたブロードソードを構えて攻撃の姿勢を見せる。
先に斬りかかったのは軍兵だった。縦振りの一撃を回避し、下から切り上げる二撃目を空振りさせると、空いた脇に向かって切り込んだ。
かなり深く切りつけられ、致命傷を与えた。
そのはずだった。
軍兵は、正気を亡くしながらも歯を食いしばって痛みを堪え、三撃目を繰り出してきたのだ。
当然、剣を振り抜いたばかりのマリアンヌが攻撃を避けられようはずもなく、厚い刀身からくる重さの乗った叩きつけで、彼女の肩から腰までに深い傷を負う。
痛みに膝を着き、しかしこれ以上に追撃されまいと後ろに転がって逃げる。鮮血が疎らに地面へ散らばり、だが目の前の敵に集中している…興奮状態のために痛みはさほど無い。
しかし、この出血を放置していると死んでしまうのは明確。
「っ…えいっ!」
目の前の敵に手をかざして、魔力を練る。
白魔法、リザイア。
多くの修道士達が学ぶ回復魔法ライブと対を成す、攻撃魔法。これの明確な利点は、敵の生命力を吸収する事が出来ることにある。
無論多くの生命力を奪う事は難しいが、魔力の扱いに長けていれば相手を生かすも殺すも自在の魔法である。
そして、マリアンヌは白魔法の達人である大司教の恩寵を賜った先生から、薫陶を受けていた。特に白魔法制御はマリアンヌの最も得意とするところであった。
リザイアがそのまま命中した軍兵は倒れ伏した。
傷を負っていたはずのマリアンヌは、その胸を袈裟に斬られながらも息を整えて立ち上がっている。
痛みは残れど傷は既に塞がっており、冒険に支障はなかった。
…と言っても、訓練の痛みと実戦の痛みは違う。それに、完全に治癒したわけでもない。自己回復が可能な白魔法も、敵を媒体とするリザイアしかなく。
脇に転がってくる大玉を転がす昆虫を尻目に、草葉の陰で小休止を挟むのだった。
リムグレイブには、いくつかの関門がある。アギール湖北部の関所や、その南部から贄送りの大橋へと通ずる関所がその最たるものである。
そこには軍兵が詰めており、いずれも中規模の戦闘は免れ得ず、下手をすれば騎士をすら相手取る必要のある箇所もある。
マリアンヌが今いる隧道前の関所には、騎士こそいないものの多くの兵士がおり、バリスタすら用意されるほどの重警戒ぶりであった。
一人ずつ仕留めようにも、方や切り立った崖、方や絶壁と迂回のしようが無く、攻めあぐねる警備の厳重さである。
さて、そうしてマリアンヌはどうしたというと、どうも出来なかった。一度、ろくに偵察もせず目の前の敵を雷の槍で射抜かば、それ仇討ちだとばかりに兵が押しかけ、挙句バリスタによる狙撃を受けて即死をしたのだ。
その後に幾度か挑もうにも、手前で阻まれて隧道へ向かう事もままならず、まだ接ぎ木の君主に挑みもしないまま、心折れそうになっていた。
大きな玉を転がすフンコロガシ(カーレに聞いたところでは、スカラベと言うそう)に懐かれ、それだけが今、心の癒し…もとい支えになっていた。
動物に懐かれやすい質ではあったマリアンヌだが、どうやらそれは中型の虫が相手でも同じらしい。
動物を見かけることも度々あったが、森を抜けて順路通りに進んでいたマリアンヌにとっては、敵を警戒するのが精一杯で、動物と触れ合う暇などなかった。
スカラベ。
こうして見ると、案外可愛い生き物である。
……現実逃避を続けていても、状況は好転しない。突破口を見つけない事には、本当に心折れて諦めてしまうだろう。
この度の最終目的が何かは彼女には分からないが、とにかく祝福の示す先に、マリアンヌの望む何かが…ある。
そう考え、あるいは盲信していた。
きっと、帰れるのだろう。少なくともそれが、彼女が今縋るしかない、頼りない希望の糸だった。
そして事態は、突如として進展を迎えた。
兵士達の詰める奥から、怒声が聞こえてきたのだ。
「くっ、雑兵どもめ…! ローデリカ殿、後ろへ!」
「し、しかし、私は……」
「下がってと言うのです! 背にお隠れください!」
チェインメイルに獣皮のマントを羽織った、戦士然とした男に守られるように、異国の白い貴族服に身を包む赤フードの女性がいた。それは反対側、つまり兵士が最も集中している場所からで、それは即ち、彼らがこの先の城主…ストームヴィルの主、接ぎ木の君主に挑もうという戦士達であることに他ならない。
マリアンヌも、この状況を指を咥えて見ているだけの経験の程度ではない。咄嗟に動き出すと、注意が緩慢だった後方からの奇襲を仕掛けた。
「トロン!」
雷の槍は、真っ直ぐと直進して一人の兵士の背を穿った。そのまま続けて、振り向かれる前にブロードソードで敵の背中を斬る。
刃がサーコートへと吸い込まれる直前、マリアンヌの頭の中で、あるひとつのイメージが沸き上がる。山羊頭を模した、恐ろしい紋章。獣性が人である事をすら否定する、悍ましい紋章の発現だ。
紋章の力が。
そのまま剣に乗せられて……。
軍兵を
形も残らない程に、異形の力を乗せられた剣に斬りつけられて姿を消した。
───唯の人間とは思えない力。
やがてこの紋章を持つ人間達は、人ならざる、恐ろしい獣達に成り下がるのだという。
故にこそ、マリアンヌは自らの血統を忌み嫌った。かつてフォドラの歴史からすらも消された、忘れ去られるべきの紋章を持つこの血を。
しかし、戦いにおいては有用というほか無かった。
フォドラで紋章を持つ人間の血が貴いものと言われる所以であり、一騎当千とも言わしめる常識外の力を得るものでもあった。
だが、マリアンヌはいずれ獣となる運命にある。
彼女が知る限りの歴史は、これを否定できなかった。
思わず右手を抑え、息が止まる、寒気で足が震えて動かない。幸い大きな騒ぎを起こしている戦士と貴族の方に、敵は夢中になっているらしい。
…それは幸いとは言えなかった。
落ち着こう、と脳は正常な判断を下しているのに、今しがた紋章を見てしまったマリアンヌの体は言うことを聞かない。忘れていた恐怖心が芽生えるようで、楽しかった思い出を黒く上塗りするようで。
真白い頭に、彼等の織り成す剣戟の音が響く。
それを聞いて反射的に思い出すのは、かつて彼女を教え導いてくれた先生の姿だった。
彼女は、大修道院の聖騎士にも劣らない強さを持っていた。並み居る敵を斬り払い、その姿は神格が人身となったようで、けれど冗談を好む、優しい心の人だった。
…そうだ。
マリアンヌは奮起する。
先生ならどうするか。きっと諦めたりせず、死力を尽くすはず。例え私にそこまでの力が無かろうとも、今命を賭した彼らの力にだってなれるはず。
紋章も、今は置こう。その覚悟がマリアンヌにはあった。先生から受けた薫陶、それに起因する勇気が、彼女を一歩踏み込ませたのだ。
しかし、声をかける余裕などない。
彼らには、自力で突破して貰わなくてはならない。そしてそうしてもらうには、マリアンヌの命が必要になるだろう。
つまり隧道前における陽動は、自らの死を覚悟で遂行せねばならない。しかし、彼女の覚悟は揺るがなかった。少なくとも、自身は死んでも導きに招かれて生き返る。それが証明されているのだから。
続いてマリアンヌに気付いた二人の軍兵が、それぞれの得物を構えて向かってくる。
尖った嘴のついた戦鎚…その質量を以て鎧を穿つウォーピックを持つ者と、丁寧に設えられたロングソードを持つ者の二人組だ。
戦史において、二という数は欠かせないものだ。
例えば兵を伴わない小規模の乱戦では、二人で庇い合うように戦う事で互いの欠点を補えるし、大きな軍勢同士のぶつかり合いでは前衛後衛の二軍を組ませる事でより長期の戦闘にも耐えうる共同作用が得られる。
つまり、眼前の彼らは正気を失った亡者などではなく、敵対者を排除するという確固たる意志を持ってマリアンヌに迫る戦士なのだ。
「っ、はぁぁっ…!」
たじろぐ余暇すらない。心亡くした存在とは思えないほど、高度な連携で彼女を追い詰める。戦鎚の兵にかかり切りになれば、その隙を突いて長剣の兵に串刺しにされる。
逆に、長剣の兵に対処している間に囲まれれば、袋叩きは免れ得ない。その互いをカバーし合う立ち回りからして、正気を失う前は腕の立つ兵士だったのだろう。使い込まれた武器からも、それが窺えた。
「きゃ…」
振り下ろされたロングソードを、握りしめた剣の腹で受ける。それでもなお、軍兵の持つ剣は長く、マリアンヌの腿に切っ先が刺さる。
本来なら怪我などすべきでは無い。痛みによって感覚が鈍り、そのまま押し切られ殺されるのが、戦場で死ぬ人間の常道なのだから。
だが、マリアンヌはその、一撃を与えることで敵が自ら生んだ隙、それを活用する方向に考えた。先刻の戦いで痛みを堪え、我慢し、その身をもって彼女に反撃を与えた、あの大剣を持つ軍兵のように。
「やあ! はあっ!!」
剣術と魔法術の複合、剣を振るいながらも、魔法による防御不可の攻撃。リザイアによる、傷を癒しながらの戦い。
軍兵も負けじと得物を振るうが、マリアンヌの持つ潜在的な魔法力と、その魔力から成る高い再生能力の前には、為す術も無い。
一人を切り伏せ、もう一方に向き直ると、まるで貴族同士の一騎討ちのように構え、敵から斬りかかってくるタイミングを待った。
踏み込み、叩きつけるような重い振り。確かにそれは当たれば致命傷に至りかねない危険な攻撃。だが、それをこそマリアンヌは好機だと見た。素早く振り下ろされた戦鎚の一撃を、受け流す。体勢の崩れた軍兵を前に、勢いをつける為に体をひねり、深く踏み込んだ。
「ここで…決めます」
マリアンヌの、刃に魔力を秘めた魔法剣による渾身の一撃は、ホーバークをさえ容易く斬り裂いた。
鮮血が…いや、濁っていて黒い血が飛び散る。倒れ、もう動かない軍兵を前に、だが彼女は休息を取ることなく突貫する。
なぜ、自分がそうしているかなど、わからない。勢いに任せて、一人では勝ち目のない数に戦いを仕掛けた。自分で自分の行動を説明できない彼女は、止まることもないまま目に付いた軍兵を攻撃する。
魔法で釣り出し、剣で斬りつけ、雷で穿つ。
力を込めた攻撃によって、マリアンヌの体が酷く傷ついても、心折れない限りリザイアによって不倒の戦いを演じた。
しかし、白魔法も疲労は癒してくれなかった。
やがて痛みに耐えかね、膝をつき倒れるマリアンヌ。それを隙と見てか、数人分の刃が一斉に背に突き立てられる。
言うまでもなく、死ぬ。傍から見ても分かるほどの致命傷。にも関わらず、意識を失う直前までマリアンヌの視線は兵士ではなく、接ぎ木の君主へ挑むのだろう戦士たちに向けられていた。
(どうか…)
彼らが君主を打ち倒し、平和が訪れんことを願って。
マリアンヌの意識は深みへと落ちた。
「…は…っ……はぁっ…!!」
瞼に大粒の涙を溜めて、マリアンヌは目を覚ました。祝福で起き上がったあと、癒えたはずの傷の幻覚に喘ぎ苦しんでいたのだ。
疲れ果て眠ったあとに夢を見た。
それは、士官学校の夢だった。
「皆さん…」
もう、届くかも分からないかつての日常が存在しない事に、どうしようもない寂しさを覚えていた。