凱旋門賞に勝利するたびに、時間が巻き戻る!
ヴェニュスパークは、不可解な時間のループにハマってしまった。
どうやらその原因は、壊れた目覚まし時計のようで・・・

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ループ・イン・ザ・ラーク 時計仕掛けの凱旋門賞 

 凱旋門賞勝利は、夢だ。

 ウマ娘にとって凱旋門賞を勝利することは、史上最大の名誉だと言っていいだろう。私はそれを叶えた……はずだった。

 しかし夢は、夢と消えてしまった。

 

 ロンシャン競馬場の長い長い直線を走り切った後、私は今までで最も心地よい昂ぶりを感じていた。

 呼吸は乱れ、息切れは激しく、心臓が強く拍動している中、願うように掲示板を見つめる。

 ほんの少しして、電光掲示板に文字が浮かび上がる。

 

「一着 ヴェニュスパーク」

 

 その文字を見た時、身体から緊張が解かれ、一気に目頭が熱くなった。

 今までの様々な思いが歓喜の涙として溢れ出て、とっさに目蓋を閉じた。

 

 その瞬間、強烈な音が鳴り響く。

 それはまるで、世界の歯車が外れ、空から大きな鐘が次々に降ってきたかのような音だった。

 私はその音に驚き、目を閉じたまま祈るように音が鳴り止むのを待った。

 

 

 

 衝撃的な音は、ほんの短い時間だけだったようで、すぐに聞こえなくなった……鳴り止んだようだ。

 周囲を確認するためゆっくりと目を開ける。

 すると見つめていたはずの掲示板はなく、見慣れた天井がそこにはあった。

 

 そう、見慣れた「自宅」の天井だった。

 まったく意味が分からない。

 

 状況がうまく飲み込めず、混乱から頭に巨大な「?」マークが浮かぶ。何が起こっているのか理解するには少し時間が必要だった。

 

 ようやく自分の状況を理解した時には、とてもとても大きなため息が身体から抜けて行った。

 ああ、私は「夢」を見ていたんだ。

 

 あまりにもリアルな夢だった。

 おそらく大事な凱旋門賞当日、レース前の強いプレッシャーのせいだ。

 

 それにしてもターフを駆けるあの感触や呼吸の沈み込み方は、実際にあった出来事のように現実的な夢だった。

 まるで本当に凱旋門賞に出て、一着を取ったような気持ちにさえなった。ここまで質感が現実と区別がつかない夢を見たことがない。

 

 ただここは、どこからどう見てもいつもの私の部屋だ。

 ベッドの周りには着古した服が散乱し、空のペットボトルが転がっている。少し埃っぽいこと含め、いつもの私の部屋だ。

 

 凱旋門賞を地元のフランスで走れる私は、レース調整のために外部に泊まり込む必要はない。

 他の海外ウマ娘たちは仮のホテル住まいらしく、枕が合わない子もいるらしい。睡眠不足は乙女とレースの天敵だ。

 

 とにかく馬鹿な夢で流した涙を、さっさ拭おうと起き上がる。その時、足元に見慣れない目覚まし時計が転がっている事に気がついた。まさか夢から覚めるほど、うるさく響いていた音の正体はこれだろうか?

 

 形状は昔からある丸型で、時計のテッペンにベルが二つ付いている。これを物理的に打ち鳴らす仕組みのものだ。

 

 よく見ると時計の針は動いていない……どうやら壊れているようだ。

 

 こんなものどこから拾ってきたのだろうか? 全く覚えがない。

 

 壊れた目覚まし時計なんていらないし、そもそも目覚ましならスマホで事足りる。アラームは沢山設定するけど。

 

 買った覚えのない不用品が床に転がっているなんて、やや不気味だが、そういうものが転がっているのが私の部屋だった。一旦、無視だ無視。

 

 手早く顔を洗い、メイクアップなんかの身支度を軽く整える。朝食は面倒だったので、簡単な軽食で済ませた。

 お湯を注ぐだけで、ご飯ができるようになったのは本当にいい時代に生まれたものだ。

 

 レースの事前準備は前もって済ませてある。特に必要な物は無い……あ、一つだけ例外があった。勝負服だ。

 当日にパリッとした勝負服を着たいからクリーニングに出していたんだった。ただ昨日も取りに行ったような気がするが、手元にないので勘違いだったようだ。

 

 ややデジャブを感じながら家を出て、お高めのクリーニング店に急ぐ。お高いだけあって、勝負服から軽やかな柔軟剤のいい香りが、鼻腔を抜けて行った。

 

 多少のロスこそあったが、凱旋門賞の準備は十分。

 身体の調子も万全だ。メンタルも程よい緊張で悪くない。そうして、私は夢と同じように凱旋門賞に挑んだ。

 

 凱旋門賞のレース展開は夢とほとんど同じだった。あの夢が、正夢になったんだと思い込めるぐらいには似ている。

 

 少し違うのは「日本総大将」とかいうウマ娘が、夢よりも良い動きをしていたくらいだ。

 実際、二着争いに勝ったのは彼女だった。

 当然、一着は私が取った。

 凱旋門賞で負けるわけにはいかない。

 私は、夢を正夢にした。

 

 掲示板は力強く、私を褒め称えている。私はその勝利で緊張が解け、一気に目頭が熱くなる。今までの様々な思いが涙に変わって溢れ落ちそうになった。

 私は今朝見た夢のように、また目蓋を閉じた。涙がこぼれ落ちないように。

 その瞬間、強烈な音が鳴り響いた。

 地響きにもよく似たうるさい音が、頭上から降ってくるようだ。例えるなら……そう……目覚まし時計の騒音だ。

 

 

 

 即座に目蓋を開けると、また見慣れた天井がそこにあった。ここは芝の上ではなく、ベッドの上だった。

 さっきまでの素晴らしい現実が、一気にただの夢へとすり替わっていき、勝利の興奮はつまらないデジャブへと変わっていった。

 現実を受け入れるための半自動的で巨大なため息をした時、疑問が生じた。

 

 あの夢は、本当に夢だったのだろうか?

 あまりにもリアルな夢を「また」見ていただけなのだろうか?

 

 いや違う。すでに「三回目」だ。

 

 夢の中で見た夢は……夢ではなかったんだ。あれは確かに現実だったんだ。私は凱旋門賞をすでに勝っている。

 ある意味「連覇」さえしている。

 明らかにおかしい。こんなことがあっていいのか?

 私が凱旋門賞に勝った瞬間に、意識が朝に戻っている。つまり『時間が巻き戻っている』ということだ。

 

 このおかしすぎる現象は馬鹿げた考えをただただ膨らませ、モヤモヤした混乱を頭の中に生み出していく。昔に読んだタイムスリップの物語や映画なんかのSF設定が脳みそを駆け巡るが、脳内に疑問符を無駄に増やしていくだけだった。それゆえに私はかなり長い時間ベッドの上で、放心状態だった。

 

 レースの事が頭に過ぎったのは、それなりに時間が経過した後だった。とにかく身支度をしないとレースに間に合わないと気が付き、ベットから降りる。

 

 その際に、何かを踏んだ。目覚まし時計だ。

 針は動いていない……目覚まし時計は、また壊れていた。見かけからは踏んだから壊れたのか、あらかじめ壊れていたのかの判断はつかない。

 不気味な時計をよく見ると、裏面の文字に使用されているのはアルファベットではなく、外国語だった。

 たぶんこの文字は日本語だと思う。

 

 ともかく顔を洗い、急いで最低限の準備だけしてなんとか家を出た。時間的にも余裕がないから、半分ウォームアップも兼ねて走って移動する。

 ウマ娘は下手に車や交通機関を使うよりも、自分の脚力を活かして移動する方が早く着く。

 それでもロンシャンまで急ぐ途中で、勝負服のクリーニングを受け取りに寄った。

 

 すでに受け取ったという強いデジャブを感じながら、勝負服を引き取ると柔軟剤の香りが鼻に付く。無駄にいい香りなのが、余計にイライラさせられる。

 結局、時間はギリギリだったが、凱旋門賞には間に合った。レースはこの後すぐだ。

 

 体調的には問題はない。ここまで走ったが、そんなものは誤差の範囲、ほとんど疲労は残っていない。

 精神的には、状況からくる混乱と夢での喪失感があるが、やらなければならないことはわかっている。

 

 勝つ、それだけだ。

 

 そうして、私は夢と同じように凱旋門賞に挑んだ。

 レース展開は夢とほとんど同じだった。

「日本総大将」というウマ娘が抜群に切れているということ以外は。

 

 彼女は確実に前回の時よりも調子は上がってきている。

 しかしその程度で、凱旋門賞で負けるわけにはいかない。

 

 一着は譲らない。私は気合と根性で走り切り勝利した!

 

 掲示板は力強く、私を褒め称えている。

 私はその勝利で緊張が解かれ、一気に目頭が熱くなる。 

 今までの思いが涙に変わっていく……が、ここで目蓋を閉じてはいけない。現実が、夢に変わってしまう。

 

 涙を流す恥ずかしさなど、もう構わない。今更気にもしない。私は奥歯を強く噛み締め、涙を流れるままにさせた。周囲からは、嬉し泣きしているように見えるだろうか? それとも歯を食いしばった表情は、不審がられるだろうか?

 

 そんな抵抗は意味もなく、すぐに目蓋の重力は強くなり始めた。徹夜が三日目続いた時よりも、強力な目蓋の重みが襲ってくる。

 

 まるで目蓋だけ重力が数倍にも跳ね上がったかのような状態は、とてもじゃないが逆らえない。どうしようもない。

 

 結局目蓋の重力に負けて、目を閉じた。

 その瞬間、強烈な音が鳴り響いた。地響きのような鐘の音……目覚まし時計の騒音だ。

 

 

 

 目蓋を開けると、また見慣れた天井がそこにあった。

 周囲を見回し、先ほどの現実が夢に変わったことを確かめる。目の前に広がるのは、薄汚れた私の部屋だった。

 不意に視線を足元に向けると、目覚まし時計が転がっている。時計の針は動いていない。

 

 こんな状態の絶望感より先に、一気に怒りが湧き上がる。怒りの矛先が動かない目覚まし時計に向いた。

 

「調子に乗るな!!!!」

 

 ほとんど衝動的な言葉と共に、目覚まし時計を力一杯踏み潰した。ウマ娘の脚力で潰された時計は、爆発するかのように簡単にバラバラになって部屋中に部品と歯車が散乱していった。

 

 辺一面に散らばった時計の欠けらは、ただ単に部屋のゴミに変わり、掃除の手間が増えるだけだった。

 

 物に当たり、多少は衝動的な怒りも収まった。

 そんな馬鹿な行動をどこか俯瞰的に考える冷静な自分が、感情を抑え始めた時、冷めた自分がふと思いついた。

 

「師匠」

 

 何で今まで思いつかなかったのか!

 私には信用できて、頼れて、尊敬できる相手がいる。

 モンジュー師匠だ。

 

 前回は、かなり長い時間放心していたから思いつかなかった。確か夢の中ではロンシャン競馬場のVIP観覧席にいたのをチラリと見かけたから、今は国内に居るだろう。

 

 なら、電話できるじゃないか。即座に電話をかける。

 

 凱旋門賞の朝、こんな時間に電話をかけるのは礼儀知らずだとは分かっている。それでも師匠は電話に出てくれた。

 

「どうした? 流石の君でも、緊張しているのかい。でも今日はとても、とても大事な日だろう」やわらかな声で師匠は電話に出てくれたが、重複の強調は明らかだった。

 

「師匠お願いです、話を聞いてください。重要な話なんです!」必死だった。声が上擦って、ひどく感情的な声が出て自分でもビックリする程だった。

 

「それは……凱旋門賞の前に、話さないといけない程、重要なのか?」困惑したような師匠の声がする。語調は私を嗜めているようにも感じた。

 

「……はい。今しか話せないんです」

 師匠に対して、使った事のない声が出た。声は非常に震えていた。

 

「ふむ……分かった。君がそこまでいうなら良いだろう。話してくれ、出来るだけ力になろう」師匠の声は、困った感じと弟子への甘さが混ざっていた。

 

 私は師匠に、今までの状況すなわちこの異様な夢での出来事を話していった。やや支離滅裂になりながら、何とかこの状況について、声がつっかえながらも喋っていく。

 結局感情的を抑えられず、最後には半分泣いていた。

 

「だから、時間が巻き戻ってるんですよ!!」

 私はズビズビの鼻声で訴えていた。

 

 師匠は、何かの冗談だと思っていたようだった。

 初めは明らかに適当な相槌を打っていた。弟子が怖い夢を見て、電話をかけて来ただけの話だと思ったのだろう。

 

 ただ途中で様子が変わり、奇妙な真剣さを感じるようになった。それは話の途中で「日本総大将」という単語が出た時だった。

 

 その言葉を聞いた瞬間、電話口から地面にぶつかったような音がした。おそらく、スマホを地面に落としたようだ。

 

 その後はどこか真面目な相槌に変わり、馬鹿にした雰囲気は消えていた。

 

 そうして私の涙ながらの話は終わった。

 少しの間無言が続き、師匠は何かを話そうかどうか迷っているようだった。その間の無言は苦痛ではなかった。

 

 私の涙が収まり落ち着いたころ、師匠は決心を固め、ゆっくりとでも力強く語ってくれた。

 

 どうやら師匠にも同じような経験をたった一度だけしたことがあるらしい。私の話を聞いて、記憶の底に眠っていた嫌な思い出が蘇ったとの事だ。

 

 それは遠い異国の地、日本に招待され出場した「ジャパンカップ」というレースでの思い出だ。

 師匠は、そのレースで負けた。

 そこで「日本総大将」というウマ娘に敗北したらしい。

 

 レース自体には後悔はなかったという。実力そのものは発揮できたらしい。欧州とはレース場の芝条件がかなり違うが、それでも日本のウマ娘達は確かな実力があった。

 

 ただその遠征で、たしかな違和感があった。それだけがずっと心に引っかかっていたという。

 その違和感は、レース当日、現地のホテルで見た夢の記憶だ。もちろん、ただの夢ではない。

 

 それはあまりにもリアルな夢で、その日当日のレース「ジャパンカップ」に出場したという夢だった。随分と時間の経った今でも鮮明に思い出せてしまうほど、非常に実感のある夢だったらしい。

 

 日本の独特な芝、ターフを走る感触、日本ウマ娘からの挑発、レース展開、どれもが夢と思えないほど確かだった。そして、師匠は勝った……夢の中ではだが。

 

 師匠は途中から半分笑い声を上げながら

「そんな話あまりにも馬鹿馬鹿しくて、誰にも言ったことはなかった。でも君があまりにも真剣に喋るから……ついね」

 笑い声は少しひきつっていた。

 

「ただ私の場合は一度だけだったが……ヴェニスパーク、

 君の場合は違うのか?」

 

 師匠は昔の嫌な記憶を呼び起こした影響か、どうも調子を崩したようだ。これ以上無理に、電話で喋っても仕方ない。私は感謝と謝罪を織り交ぜながら師匠との電話を終わらせた。

 

  夢の記憶、それだけが証拠だ。

 分かった事としては私が戦っていたウマ娘「日本総大将」は、師匠が「ジャパンカップ」で戦ったウマ娘と同じだったという事。この事実がこの不可思議な状況に、関係していないとは思えない。

 情報が必要だ。

 師匠のレース記録もしっかり調べ照らし合わせたいが、時間がない。凱旋門賞が目前だ。

 

 ともかくレースに向かう。身支度は適当に済ませ、駆け出していく。ウマ娘の脚力はこういう時便利だ。勝負服だけは途中クリーニング店で受け取った。相変わらずのいい香りが無駄に腹立たしい。

 

 もう何度目かの凱旋門賞だ。身体の調子も悪くなく、緊張は対してしていない。どうせ気負っても夢と同じなんだ。なら、夢と同じように挑めば勝てる。

 

 そう思い込み、凱旋門賞に臨んだ。

 

 デジャブを感じさせながらレースは始まった。試合運びは夢とよく似ていて、夢と変わらず「日本総大将」が良いポジションにつけている。

 

 私はあの長い最終直線で勝負を仕掛け、最後に貯めていた足で一気に捲りこんだ。

 

 ゴール前での競り合いは苛烈で、手応えこそあったが微妙なところだった。

 

 掲示板が一着を示すのに時間がかかる。観客全員が、判定結果を固唾を飲み待ち望んでいた時、私は掲示板ではなく日本のウマ娘を見ていた。

 彼女は観客席に近寄り、トレーナーらしき人物と結果を祈るように待っていた。

 

 ほんの少しして、電光掲示板に文字が浮かび上がる。

「一着 ヴェニュスパーク」

 

 観客が歓声を上げる。二着だった彼女は膝から崩れ落ち、まともに立てないほどだった。その横でトレーナーらしき人物が、あの「目覚まし時計」を懐から取り出した。

 

 これで確信した。

 アイツがこの世界をループさせているんだ。

 

 確信してから、一瞬で目蓋が逆らえないほど重くのしかかってくる。ほとんど抵抗もできず、すぐに強烈な音が鳴り響いた。耳障りきわまりない音……目覚まし時計の騒音だ。

 

 

 

 見慣れた天井に舌打ちこそしても、それでも五回目にもなると流石に慣れてきた。

 足元に転がる壊れた目覚まし時計をゴミ箱に蹴り込み、カップヌードル用のお湯を沸かす。軽い身支度やレースへの準備をこなしながら、手元のスマホで「日本総大将」について調べる。今、やるべき事はこれだ。

 

 スマホの機械翻訳を頼りに、日本語の記事を翻訳し、日本のウマ娘についての記事を漁っていく。

 今の時代、海外のウマ娘でも凱旋門賞に出るクラスなら、それなりに情報が出てくる……はずなのだが、何かが可笑しい。

 

 あの彼女「日本総大将」という異名にしては、全然レースに出ていない。確かにいくつかの交流戦には出ているらしいが、出走数が異常に少ない。

 

 メイクデビューにこそ勝っているが、自走がG1の「日本ダービー」で、その次が「ニエル賞」だ。

 つまり公式戦ではまだ「三勝」しかしていない。それならモンジュー師匠が、負けるはずがない。

 なぜなら彼女は「ジャパンカップ」というレースに出場すらしていないからだ。

 

 なんで……このウマ娘に「日本総大将」なんて異名が付いているんだ?? 

 

 いろいろと調べて解ったことは、彼女には「謎」があるということだけ。だからこそ彼女こそが、このおかしな現象の元凶だという確信は強くなり、後ろ向きな希望が私に前を向かせた。

 

 食事の後片付けも適当に済ませ、レース場に移動する。時間には余裕があるし、準備は済んでいる。途中、私はもう勝負服の香りは気にならなかった。

 

 凱旋門賞はデジャブの塊に過ぎず、緊張や興奮はひどく薄くなっていた。それでもレース直前、彼女をゲートで見かけた時、酷く感情が揺さぶられた。

 

 咄嗟に体が動き、彼女に喋りかけていた……いやあれは、ただの挑発だった。

 

「La victoire est à moi!」

 

 意味は、私が絶対に勝つ。

 師匠が「ジャパンカップ」で言われたという言葉を、意趣返しとして彼女に向ける。

 

 彼女は曖昧な笑みで、返答しただけだった。まるで挑発した言葉の意味など、理解していないかのようだった。

 その表情から彼女はきっと、このループを巻き起こしている原因を知らないのだろう。この顔は初対面の海外のウマ娘から、怒りを買う理由はないと思っている顔だ。

 

 彼女はそのまま、平然とゲートに向かった。凱旋門賞への意気込みを曇らせる事なく、純粋に持ったままで。

 その事実だけで、冷たい感情を燃え上がらせるには十分だった。たしかに負ければ、このループから抜け出せるかもしれない。でも、そんなこと私のプライドが許さなかった。

 私は誇り高き「凱旋門賞ウマ娘」だ。全身全霊を持って、相手しよう。

 

 ロンシャン競馬場の長い長い直線。過去一番の末脚を見せる彼女を相手に、私は執念で抗った。

 ここで負けられるほど、私の誇りは軽くない。

 ゴールラインまで、これまでの理不尽を走力に変換させ、足を動かせた。

 

 結果は、判定に持ち込まれた。

 

 ただここでは、止まれない。周囲は余力で走っている中で、私はもう一度スプリントをかける。

 目的は彼女のトレーナーだ。

 

 呼吸は乱れ、息切れは激しく、心臓が強く拍動している中、それでも自身に鞭を打った。

 2400mを疾走後のスプリントは心臓が破れそうな程キツイが、これでラストだ。

 

 トレーナーの元へ一気に駆け寄る。

 判定が出る一瞬が、勝負だ。その瞬間に、きっと目覚まし時計を取り出すから!

 

 後ろの電光掲示板に文字が浮かんだのだろう。周囲から歓声が上がる。トレーナーは悔しい顔で懐に手を入れる。

 

 いまだ!

 彼の目覚まし時計を、強引に払い落とそうとした瞬間、トレーナーの隣にいた緑の服の女性に、腕を捕まれ、動きを止められる。とても人間では考えられない異様な反射速度だった。耳を緑の帽子で隠しているが、きっとウマ娘だ。そうじゃなければ、筋力的に人間に邪魔できるわけがない。

 

 緑の帽子の女性はなんだか不思議な笑みを浮かべ、私を見つめている。そうして呟くようにボソッとこう言った。

 

 「六連勝してみてください。それで、終わりますよ」

 

 トレーナーは私たちに怯えた様子で、慌ただしく目覚まし時計を使用した。

 

 ああ、また駄目だった。

 私は六連勝をしなければ終われないらしい。

 あれ……なんだ、それだけか。

 

 瞬間、重くなっていく目蓋。

 次で、六度目。言葉通りなら、あとは勝つだけだ。

 

 

 

「ふっざけんなよ!」

イラつきが、口からこぼれ落ちた。

 

画面の前の貴方は苛立っていた。切れ者と距離Sが付き、イベントの完走率も抜群で挑んだクラッシック期凱旋門賞に「六連敗」したからだ。

確かに、スキルは賢さラモーヌが最大で発揮出来る程度までしか振っていなかったが、ただそれでも目覚ましを使い切る「六連敗」は明らかにおかしい。

日本総大将を傍目に、あきらめボタンを衝動的に押した。

 

「保存して『中断』しますか?」

 

少し迷いながら「中断」を押した。過去最高クラスの上振れだったから、連覇は出来なくても十分自己ベスト記録は狙える。にしてもあのウマ娘強すぎる。ヴェニュスパーク……元ネタは確か……




トレヴ 意味 
フランス語 trêve(トレヴ) [女]
意味 ❶ 休戦,停戦;休戦協定.
❷ (争いの)中断,中止.
❸ (苦痛の)休止,休息.

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