紅鏡竜の巣にある魔導書が欲しい。
「と言われてもな」
ヒンメルはフリーレンと同じように岩陰に隠れて、竜を見る。
フリーレンも杖を構えて、巣の中の魔導書を見た。前からずっと欲しいと思っていた魔導書がそこにある。
赤く硬いうろこで守られている竜は、大きな欠伸をした。今まさに魔王を倒した勇者と、そのパーティーにいた魔法使いが、自分を殺す算段を立てているなんて夢にも思っていないらしい。
「いくら僕でも硬い竜を一撃で倒せる保証はない」
「……そうだっけ?」
ヒンメルなら出来た気がするのだけれど、本人がそう言っているのだから勘違いか。
「なるべく確実に倒せる方がいいか。ヒンメルに隙を作って貰ってそこを叩くというのも考えたけれど……前みたいにシュタルクに突撃してもらおう」
「シュタルク?」
「……あれ? 誰だろ」
「アイゼンじゃないんだから、竜を相手に突撃なんて無茶だろう?」
「……そう、だね」
流れるように誰かの名前を言ってしまったのだけれど、もう思い出せなくなってしまった。ヒンメルの言う通り、アイゼンなら一人でも紅鏡竜を倒してくれる。他の誰かに、それと同じ事が出来るとは思えない。
「とにかく、あの竜を倒す方法だが――――」
☆
紅鏡竜を倒した後、巣の中の魔導書を漁っていると、近くにあるという村から大勢の人間が集まって来て、その日はお祭り騒ぎとなった。
フリーレンは隅の方で、酒を舐めた。中央で文字通り担ぎ上げられているヒンメルが、どこか遠くの存在のように思えてならない。寂しいだとか、名誉を羨んでいるとかではなくて、今こうしてヒンメルと一緒に冒険をしていることに現実味がないのだ。最近はその感覚がずっとある。
「ヒンメル……」
ふと途方に暮れた、変な吐息と一緒にヒンメルの名前を呼んでしまった。
祭りは盛況で、冬に備えて保存していた食料まで引っ張り出してきたらしい。村長が数人の女性に詰られていた。そこら中から楽器の音が聞こえてきて、しかも全員が好き勝手に鳴らしているものだから、一本一本違う色の糸で編んだセーターみたいに滅茶苦茶だ。そこに酔っぱらった人が歌いだしたり、酒をばら撒いたり。先ほどまで村長を詰っていた女性たちは、結局食事を食べながら村長への不満話に花を咲かせ。村長の方は先ほど怒られたことなどすでに忘れたらしい、誰よりも騒いで楽しんでいた。
もはや秩序などあったものではない。
「フリーレン。楽しんでいるかい?」
フリーレンの対面に座ったヒンメルは、楽しそうに笑ってはいたけれどいつもの穏やかな雰囲気を崩していない。やっと落ち着けた気がする。いつの間にか力が入っていたらしい、全身をリラックスさせて。
「楽しんでるよ。あそこまでじゃないけど」
「こんなに喜んでもらえるなんて、竜を倒して良かった」
「そう? この機会に騒ぎたいだけじゃない?」
とことん調子に乗った村長が、誰かの家の屋根に登って踊り、家主から大声で怒鳴られていた。あの様子だと竜が倒されていなくても、宴会とかであれくらい騒いだのではないか。
「そうかもしれない。でもやっぱり、それだけこの村はあの竜に苦しんでいたんだ。君がこの村を救ったんだ。フリーレン」
「別に……私は魔導書が欲しかっただけだよ」
「動機なんてなんでもいいんだ」
ヒンメルは、そっと手を伸ばしてフリーレンの頭を撫でた。
「どうしたのヒンメル……?」
「いや、今のうちにと思ってね」
フリーレンはしばらくされるがままになっていたが、急に思い出したように立ち上がって、ヒンメルの頭を撫で返した。
「ふ、フリーレン?」
「竜にとどめを刺したのはヒンメルでしょ? この村を救ったのはヒンメルだよ」
やっぱり、こんな時間が続けばいいのにと、フリーレンは強く感じた。
☆
初冬。それでも草は青く茂って、時折小さな白い花が点々と草原に散らばって見えた。花を追ってみると、白い小さな花の他にも、大輪の白い花や、森と草原の境界線に赤い花。日に日に寒さが増していく中で、あの花たちは平気なのだろうかと心配になった。
大きな街に立ち寄った時の盛況は凄まじかった。
ヒンメルは当然のように堂々としていたけれど、フリーレンはこれが苦手だった。目の前を二人の歩調に合わせた豪華な馬車が進む様子も、花や色紙をまき散らされてくらくらしそうな視界も、時折飛んでくるしぶきからアルコールのにおいがする事にも慣れない。大声で名前を呼ばれても、ヒンメルのように正面から受け止めきれない。
ヒンメルは笑顔で手を振っているけれど。
領主の屋敷に案内されてからは、静かに過ごせて安心している。この街から出る時にもまた同じように人に囲まれながら出るのかと思うと億劫だ。もう百年くらいここで過ごそうかなと、半分以上本気で考えつつ魔導書を読む。
書庫にはそこそこの量の本があって、管理も悪くない。
いくらでも持って行っていいと言われたので全部というと、領主は引き攣った表情を隠しきれずに、何なら涙を堪えながら好きにしてくれと言った。お言葉に甘えようと思ったのだが、ヒンメルに止められて三冊までになる。なんだか、やっぱり違和感があるのが、こういう注意をするのが一緒に冒険をしている女の子だったような気がすることだ。
欲しい魔導書三冊に目星をつけて、残りの滞在時間で他の魔導書を読んでしまおう。
フリーレンは違和感から逃げるように本に没頭した。
夕食の席で、魔導書を読み終えるまで滞在してもいいか問うと、領主は大いに喜んだ。どうしてあんなに喜んでいたのか分からなかったが、危うく蔵書を失いかけていたから交換条件のように受け取ったのかもしれない。数か月衣食住の面倒を見るくらいなら構わないと言ったところか。
ヒンメルもフリーレンの好きにしていいと言った。
「いいの?」
「もちろん。僕は君の魔法収集の旅について来ているんだからね。これが目的だろう?」
「そうだけど……時間がかかるから」
「? ああ、そうだね?」
言われてみればヒンメルの言う通りだ。フリーレンの魔法収集について来てもらっているのだから、それをやっていいのか尋ねるのは、なんだかおかしい。
違和感。そもそも旅の目的も、別の何かがあったような。
それから一週間ほどいくつか魔導書を読んで、やっぱり違和感がある。だいたいこれくらいの時間滞在していたら、誰かにせかされていたような気がする。
フリーレンは、とうとうその違和感から魔導書を読めなくなってしまった。
仕方なく館の中を適当に歩いて回ると、ちょうどヒンメルに出くわした。ヒンメルの方はまさかフリーレンが歩き回っているとは思っていなかったらしい、意外そうに見降ろして。
「フリーレン?」
「ねぇ、ヒンメル。ヒンメルがどこか行きたい場所は無いの?」
フリーレンが尋ねると、ヒンメルは。
「フリーレンはここの魔導書が読みたいんだろう? 別に僕の事を気にしなくとも」
「人間の時間は短い。もう、思い知ったんだ。だからヒンメル。もしヒンメルが行きたいところがあるなら……」
ヒンメルは不思議な表情を浮かべた。何か大切なものを無くしたようにも、得難いものを手に入れた喜びを噛み締めているようにも。
もったいぶって、顎に手を当てて、窓外に視線を向けて。ヒンメルは考えている時間すらも楽しむようにしていて、フリーレンには眩しかった。時間を浪費して、悩んだ時は決断をずっと未来へ投げ出せるフリーレンとはまるで違う、激しい光を持っていた。
「なら、みんなとの冒険で一度行った、あの町へ行きたいかな」
「あの町?」
「僕が選んでいいんだろう?」
「じゃあ、もう行こう」
フリーレンはヒンメルの手を取り、館から飛び出す。
既に冬。風に滅茶苦茶にされながら粉雪が舞っていた。
あらすじ通り次が最後です。