中央諸国グランツ海峡。
透き通るような綺麗な海。海岸にはボロボロになった船が打ち上げられていて、その残骸が散らばっていた。村人たちが少しずつ清掃をしているのを見てフリーレンとヒンメルは手助けをする。
積み荷を纏めて、座礁していた船を引き上げる。力のある村人数人がかりでやらなければならない事でも、フリーレンにかかれば簡単だった。それでもゴミの量は尋常でなく、日が傾き始めると村人も帰るので今日は掃除を切り上げた。
翌日、昼くらいにやっと起きたフリーレンは、それでも精力的に働いて、砂浜はほぼ綺麗になった。
村人の指示通りに海底のゴミをさらい、幽霊船の船長室で白骨遺体を見つけて怯え、宝箱を嬉々として開けて中には海藻が詰まっていた。
使える材木は再利用するらしい。村人たちが運んで行ってくれて、フリーレンがやらなくていいのは楽だった。
宿の食堂で、ヒンメルと並んで暖炉に当たる。季節の問題もあるけれど、海が近くにあるため随分と冷える。今も外を吹く風の音が、その音だけで寒さを感じさせた。壁とドアのわずかな隙間から、目に見える冷気が入り込んでいるような気さえする。
「何日かかかりそうだね」
ヒンメルはフリーレンを窺うように言った。フリーレンはそれに頷いてから。
「まあ、でも新年際には間に合いそうだ」
「うん。そうだね。今年は一緒に新年祭へ行こうか」
「……起こしてね」
フリーレンの言葉に、ヒンメルは少し微笑んで。
「ああ。もちろん」
☆
新年の日。出来れば徹夜するつもりだったフリーレンだったが、気が付けば本を手放して、ヒンメルに揺すられて目を覚ました。まだぼんやりとした頭のまま、ヒンメルに起こすように頼んでいたことを思い出す。
なんとなく完全に目を覚ました気がする。一度起きる事が出来たのだから、あと数分眠ってもまた起きられるはずだ。そう言ってシーツの中に包まるけれど。
「それって絶対起きない奴じゃないか! フリーレン……もう日の出の時間だぞ!」
ヒンメルがあまりにしつこく言うので、目を擦りながら体を起こした。部屋の中は薄暗い。
コートとマフラー。寝巻の上から無理やりヒンメルに着させられた。
ヒンメルと手を繋いで、というのもフリーレンがあまりにも覚束ない足取りだったので支えてくれて、共に新年祭へ向かう。
沁みるような寒さ。ヒンメルとつないでいない方の手が小さな針で刺されたみたいにひりひりと痛んだ。
「耳が冷たくて寒い……エルフは人間より耳が長いからね」
「フリーレンも冗談を言うんだな」
「うん……最近少しだけね」
「そうか」
本当は冗談なんかじゃなくてずっと冷たい。夢じゃないみたいに冷たい。手足のかじかみも本物同然で、耳に不快な、じりじりと冷めていく感じがするのも確か。
ヒンメルの靴の鳴らす音は昔聞いたものと同じ。
湿り気を帯びた土の上を歩く時の、沈み込むような柔らかさとじゃりじゃりした音と、それでも奥に板のあるような硬さ。そこから石の敷かれた道に出た時の、確かな道を歩く安心感と、心地の良い高い
永遠に醒めないでほしいとすら思う。
このまま、今この場で逃げだしてしまえば、ヒンメルと一緒にいられるような気がしたのだけれど。
「ありがとう、ヒンメル。起こしてくれて……」
「……これは僕の為だよ……フリーレンにも、日の出を楽しんで欲しい」
あたりはずっと明るくなっているのに、日の出はまだだ。水平線の向こうの空が赤く見えた。反対の空を見てみると、まだ深い紺色を残していて、フリーレンにはあちらの方が美しいように思えた。
改めて海を見る。
数日かけて片付けた浜辺は綺麗に広がっていて、海は底が見えるのではないかと思う程に綺麗だった。
水平線の果ての空は、何層にも色が重なっている。
海の黒。赤から橙、黄、青。
青は空の色ではなく、まだ夜の名残の色だった。
波の色が白い。
今にも朝日が昇ろうとする時に、フリーレンはヒンメルの顔を見ようと思った。
日の出の美しさなんてたかが知れている。白色の強い光が空と海との境界線に輝いて、フリーレンはすぐにヒンメルの方を見た。
目が合った。
しばらく、茫然と見つめあってから、どちらともなく噴き出して。
「フリーレンとこの景色が見たかったんだ」
ヒンメルはまだ直視できる明るさの、黄色い太陽を見ながら呟く。
「私は、仲間と見た。あの時、ヒンメルの言っていたことがやっと理解できたんだ」
ちょうどこんな輝きを見ながら、ヒンメルは自分の事を分かっていないと不満に感じたけれど。楽しそうにあの景色を見るフェルンに、フリーレンも楽しくなったんだ。
これをヒンメルと見れていたらよかったと、僅かな後悔を残して。
「ヒンメル。私は今ね、またヒンメルと話す為に冒険をしているんだ。オレオールを目指している」
ヒンメルは何も言わなかった。フリーレンが、こんな話をされたヒンメルが何と答えるか想像できないからかもしれない。
「今度は夢じゃなくて……私は――――」
☆
目覚めたフリーレンはすぐ目の前にいる蝶と目が合った。小鳥ほどに大きい蝶が、複眼を持っているため本当のところは分らないけれど、フリーレンを見ているような気がして、だからこそ目が合ったと感じた。
蝶はフリーレンが目を覚ました途端に、ひらひらと飛び去ろうとして、途中で攻撃魔法によって消し飛ばされた。
場所は森の中の開けた場所。そういえばオレオールを目指して冒険していたのだと思い出して、今見ていたのが本当に夢だったのだと改めて気が付いた。夢の中でも夢だと気が付いていたけれど、現実に戻ってきて再認識した感じだ。
木の根が地面から浮き上がっているのを背に、座り込んで眠っていたらしい。
一般攻撃魔法を放ったフェルンが、フリーレンのすぐそばまでやって来て顔を覗き込む。少し心配している様子だったが、どこかその奥に信頼を感じた。大丈夫だとは思うけれど、という油断の様な、心地の良い信頼だった。
「フリーレン様。大丈夫ですか?」
「フェルン? ちょっと寝ちゃってたみたいで」
服についた枯草や土汚れを叩きながら答えると、フェルンは少し考えてから。
「ひとまずザイン様にみてもらいましょう」
フェルンが倒した蝶は、トラウムという魔物だ。近頃この辺りで大量発生していると事前に聞いていた。
以前遭遇した眠らせてくる魔物のように、トラウムもまた人を眠らせて、その体液を吸う。ただ、トラウムに殺されたがる人間もいるらしく、というのも助かった人曰くこれ以上ない幸せな夢を見たらしい。
「つまりフリーレンも?」
シュタルクに尋ねられて、フリーレンは少し悩んだ。あまり幸せな夢だとは思わなかったから。
「フリーレン。精神魔法をかけられたのなら、何か気が付くことは無いか?」
ザインにも言われて、防御が破られた痕跡が無いか探るけれど全くない。
つまりあれは単なる夢だったわけだ。
改めて思い返してみて、ヒンメルはどこかヒンメルらしくなく。夢の中のフリーレンの挙動もなんとなく違和感がある。
人によってはこれを幸せだと捉えるのかもしれないなと、フリーレンは考えて。
「そういえばもうすぐ新年だし、今年は日の出でも見に行こうか?」
そう提案してみた。
初日の出見に行きたいです。