鈴仙はこのタルタロスという監獄を感じ取りながら思案する。
最大多数の最大幸福。
この歪な社会に適応出来ない人間が発生する事もシステムはシステムに組み込んでいる。
重要なのは最大多数の最大幸福であり、全人口の幸福ではない。
治安が悪い場所をある程度放置するのは重要だ。
不可能を実現しようとすれば必ず破綻する。
完全な社会は完全な社会を諦めることによって成立する。
引っ切り無しに電波通信を繋げてくるオール・フォー・ワンの語る言葉はジェレミー・ベンサムの唱えた物をそのまま引用している。
『……そうは思わないかい? 鈴仙……僕なら平等な社会を構築出来る……』
課題の片手間にオール・フォー・ワンの妄想話……いや、くだらない戯言が耳に入る。
『……ジェレミー・ベンサムの最大多数の最大幸福ですか? それをあなたが語るとは……失笑ものですね、平等? ……貴方の纏め上げる世界では命が羽毛よりも軽いと言う点では確かに平等ですが幸福とは程遠い』
その他にも色々と語ってきた。
正義、力。
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。
正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。
そんなオール・フォー・ワンの戯言を聴きながら課題を終えた鈴仙は所定の位置に課題を置くとゆっくりと立ち上がって思案する。
さて……そろそろ作戦が展開された頃合いか……そして、伝えなければ。
(オール・フォー・ワンの
オール・フォー・ワンと死柄木弔の電波でのやり取りを身体全体で感じ取りながらそう考え込む鈴仙。
今は最高警備のこのタルタロスから脱獄するのが先決か。
自身の個性をフルに使用して空間を操作する。
波長操作が行えるのは波長操作だけである……しかし、量子力学論に当てはまるならば違う。
鈴仙は考える。
(……私の個性は潜在的には空間そのもの、及びそれが内包するあらゆる物質まで波として操作できる、過去には無理でも今なら出来る……何回か見本は見た、実際に食らって感覚も覚えてる。そしてお師匠様に教えて貰った量子力学上の波動関数とかその辺の概念……なら、やれる筈だ‼︎)
鈴仙がその身体全体で感じ取り、その眼で直接的に見ている波長。
日常の上では全く意識しない事だが、音は間に障害物があっても伝わる。
それが単なる壁でも、複雑に入り組んだ屋内でも、適当な音量であれば伝わる。
これは波に共通した性質で、『波の回折』と呼ばれる。
波は進行方向に障害物があると、障害物の後ろに回り込む性質があるのだ。
音は空気が圧縮されながら伝わる波である。
他に例えるならば、例えばテレビのリモコンが間に障害物があっても使えるのも、リモコンの信号が赤外線という電磁波だからである。
海が近い人はテトラポッドなんかを見ると、入り組んだテトラポッドの奥にまで波が入り込んでいるのを見る事ができるだろう。
すべてこの『波の回折』によるものである。
それを思い返してある一説を思い返す鈴仙。
「物質はすべて波の性質を持つ」
これはルイ・ド・ブロイという物理学者が提唱した、物質波という概念である。
かい摘まんで言うと「めちゃくちゃ小さい状況になると物質の波の性質が顕著になる」のである。
めちゃくちゃ小さい状況、例えば電子なんかは、粒子であるが同時に波でもある。
波の性質を持つ、という事は回折もする、という事である。
つまり、電子やら陽子やらそういう小さいものは、間に障害物があってもヒョイっと後ろに回り込む事があるという事だ。
障害物は別に物質的な壁じゃなくても、静電気的なポテンシャルの壁でも良い。てか物質的な壁はポテンシャルの壁でもあるし。
とりあえずいろんな壁を、その壁を超すのにエネルギーが足りなかったとしても、なぜか通り抜ける事があるのだ。
これが世に言う『トンネル効果』である。
まるでトンネルがあるように電子や陽子は壁を通り抜けてしまう。
物質はなんでも波の性質を持つので、人間が壁をすり抜けるのも不可能ではない。
でも小さくないと波の性質は如実に現れないので、多分体当たりで壁を壊す方が早い。
そして、広義的に見れば空間も一つの壁である。
ならば……自分自身を波と同義にすればいいのではないか? 鈴仙はそう考えついた。
呼吸を整えて……波長操作を用いて黒霧のワープと同じ事をする。
即ち、空間をこじ開けてタルタロスの独房に点Aを、永遠亭の自室へと点Bを確立。
自身すらも波だと理解しろ、鈴仙・優曇華院・イナバ。
そう思えばお前の個性を妨げる物は何もない。
そして……鈴仙はこじ開けた空間の穴へと飛び込む。
粒子変換される不思議な感覚が身体を包み込み、再構築が為される。
数秒後、眼を開けると……其処は15年間過ごしていた我が家。
永遠亭の自室。
「成功しましたか、良かった……練習する暇などなかったからぶっつけ本番でしたが上手くいくものですね、意外と」
たった数ヶ月離れていた我が家……懐かしさのあまり物思いと感慨に耽りそうになるが……今はそんな事をしている暇はない。
囚人服を脱ぎ捨ててある物を探す。
居間へと向かうと机に置かれていたのは自身のヒーローコスチューム。
意図を理解してくれていた教師陣に深く感謝して鈴仙はヒーローコスチュームを着込んで自室へと戻り戸棚から『ある物』を4本取り出して割れない様に防刃防弾を兼ねた対衝撃ケースに慎重に仕舞い込むと波長操作を使用して状況を把握して……行動を開始した。