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キャラクターのイメージを壊したくない方は、スルーしてくださって構いません!
一行の前に現れた巨大な鉄扉。
アーチ型をした黒鉄のエントランスゲート。
その表面には、磔刑に処された聖人の姿と、古典聖歌の譜面を象ったレリーフが彫り込まれている。
威圧的で、見る者を拒絶するような重厚な門構え。
その上部には、古びた銀文字でこう刻まれていた。
──『
ハスミが無言で懐から黒いカードキーを取り出し、扉脇の認証装置にかざす。
無機質な電子音と共に、深紅のLEDが緑へと変わる。
続けて彼女は黒い手袋を外し、露出した指先を冷却ガラスのセンサーへと押し当てた。
《生体認証を確認。羽川ハスミ副委員長、アクセスを承認します》
合成音声のアナウンスと共に、重いロックが外れる音が連続して響く。
ズズズ、と地響きのような音を立てて、鉄扉が左右へとスライドした。
「開きます。……お気をつけて。中の空気は、あまり良くありませんから」
開かれた入り口から、冷気と共に、カビと古紙、そして錆びた鉄の匂いが混じり合った風が吹き抜ける。
それは、過去という亡霊の吐息のようだった。
中に広がっていたのは、静謐なサーバールームのような異質な空間だ。
天井には無数の配線パイプが血管のように這い回り、床からは冷気が白い霧となって立ち上っている。
整然と並ぶ巨大な保管棚。そこには、封印符の貼られたコンテナが墓標のように鎮座していた。
ミカはためらうことなく、その闇の中へと足を踏み入れる。
イチカが緊張した面持ちで続き、コハルは祈るように胸の前で手を組みながら、恐る恐る敷居を跨いだ。
最奥には、円形に開けたスペースがあった。
そこには、ひと際巨大な端末と、高さ2メートル近い湾曲モニターが設置されている。
「こちらです」
ハスミが端末の前に立ち、素早い手つきで操作を開始する。
キーボードを叩く音が、静寂な空間にリズムを刻む。
上部のセンサーから赤いレーザーが照射され、ハスミの虹彩をスキャンした。
「──羽川ハスミ。認証コードMX-2Jにて、特定記録の開示を要求」
凛とした声に応え、システムが起動する。
モニターに無数のウィンドウが展開され、文字列の奔流が流れ落ちる。
《認証完了。検索対象を指定してください》
ハスミは迷わず、ある事件コードを入力した。
TRI-22A2-PASSIO-001。
エンターキーが押された瞬間、モニターの横にある黒い鉄壁が駆動音を上げて展開した。
プシュウゥゥ……という排気音と共に、壁の中から一つの装甲コンテナがせり出してくる。
正面にはトリニティの校章と、ラテン語で『Iustitia』──正義を意味する銘が刻まれているが、その表面は薄く埃を被っていた。
「これが、ノートルダムの受難において押収された証拠品、および現場残留物の全てです」
ハスミがコンテナの生体ロックを解除する。
気密パッキンが外れる音と共に、重厚な蓋がゆっくりと持ち上がった。
中から漏れ出る冷却ガスが霧散し、その全貌が露わになる。
ミカが身を屈め、興味深そうに中を覗き込んだ。
「……ふ~ん?」
彼女の第一声は、拍子抜けしたようなものだった。
「これだけ? たったの?」
そこに収められていた物品の数は、あまりにも少なかった。
中央に鎮座するのは、一丁の大型リボルバー拳銃──M500。
ハンドキャノンとも称されるその銃は、全体が雪のように純白な塗装で覆われており、グリップ部分には金色の装飾が施されている。
無骨な鉄塊でありながら、どこか儀礼用のような美しさと、触れてはいけない呪物のような禍々しさを放っていた。
その脇には、未使用の50口径マグナム弾が二発と、撃ち殻の薬莢が三つ。
……それだけだ。
「被害者の衣服とか、現場写真とか、そういうのはないの?」
ミカが訝しげに眉をひそめる。
彼女の手元にあるナギサからの報告書には、校舎一棟が半壊し、多数の重軽傷者が出た大惨事だと記されていたはずだ。
その規模に対して、残された証拠品があまりにも貧弱すぎる。
「リストを見る限り、現存しているのはこれで全てのようです」
ハスミもまた、端末の画面を見つめながら困惑を隠せない様子だ。
「おかしな話ですね。あれだけの破壊活動が行われた現場です。もっと多くの破片や、状況証拠が回収されているはずなのですが……」
「それに、この銃……」
イチカが横から口を挟む。彼女の細められた瞳が、コンテナの中の白い拳銃を見つめていた。
「ノートルダムの受難って、分校のキャンパスが倒壊したんすよね? M500は確かに対人兵器としてはオーバーキルな威力っすけど、建物一つを瓦礫の山にするにはさすがに無理があるっす。C-4みたいな爆薬か、対戦車ミサイルでも使わない限り」
「でも、私がナギちゃんから貰った資料には、爆薬のことなんて一行も書かれてなかったよ。『白鍵リルが暴れて破壊した』ってだけ」
ミカの言葉に、コハルがビクリと肩を揺らした。
白鍵リル。
その名前が出るたびに、彼女の表情は曇っていく。
「リルが……あいつが、そんな……」
そんなコハルを尻目に、ミカは手袋をした手で、慎重にM500を持ち上げた。
ずしり、とした重量感。
「綺麗な銃だね。手入れが行き届いてる。……でも、だからこそ、ちょっと違和感があるなぁ」
彼女は銃口を覗き込み、シリンダーを確認し、そしてグリップの底を見る。
そして、何かに気づいたように、目を細めた。
「ねぇ副委員長。この銃と、そこの弾薬……成分分析にかけられる?」
「ええ、可能です。この保管庫には簡易的な鑑識スキャナーが備わっていますので」
ハスミが頷き、コンテナの上部に備え付けられたスキャン装置を起動させる。
青いレーザー光が網目状に照射され、白い銃身と、転がっている金色の弾丸を舐めるように走査していく。
数秒の静寂。
モニターに、解析結果のプログレスバーが表示される。
98%……99%……100%。
ポン、という電子音と共に、結果が表示された。
「……銃本体からは、特異な反応なし。硝煙反応すら微弱です。まるで、新品のように磨き上げられています」
ハスミが淡々と結果を読み上げる。
「う~ん、ハズレかぁ」
ミカが腕を組み、つまらなそうに呟いた。
しかし、その直後。
「──っ! 待ってください。これは……!」
モニターの数値を凝視していたハスミが、驚愕に目を見開いた。
彼女の指が震えながら、画面の一点を指し示す。
「弾薬の方から……高濃度のRDX反応が検出されています」
「RDX……?」
コハルが首を傾げる。
「C-4プラスチック爆薬の主成分ですね」
ハスミが即座に答え、その表情を硬くした。
空気が凍り付く。
「C-4……!? じゃあ、やっぱり現場では爆薬が使われてたってことっすか!?」
「数値を見る限り、間違いありません。それも、微量な付着などではない。まるで爆心地にあったかのように、高濃度の粒子が弾薬の表面にこびりついています」
ハスミの声に、焦燥の色が混じる。
これは、単なる見落としで済まされる話ではない。
捜査の根幹を揺るがす重大な事実だ。
「これ、どういうことっすか……? 捜査資料には爆発物のことなんて書いてないんすよね?」
「単なるミス……? それとも、当時の鑑識班が無能だっただけ……?」
イチカとハスミが困惑する中、ミカだけが静かに、冷徹な光を瞳に宿していた。
彼女は、コンテナの中の美しい銃と、汚れた弾丸を交互に見つめ、ぽつりと呟く。
「──あるいは、隠したかった」
その声の冷たさに、全員が息を呑んだ。
「隠蔽、ですか?」
「うん。考えてみてよ。銃本体は新品みたいにピカピカなのに、弾薬だけが汚染されてるなんて、そんなこと普通あり得ないよね?」
ミカは指を立て、推理を披露する。
「多分これ、銃本体は有機溶剤かなにかで徹底的に洗浄されたんだと思う。爆薬の痕跡を消すために。……でも、薬室チャンバーに入っていた弾薬にまでは気が回らなかった。つまり凡ミスだね」
あまりにも理路整然とした推理。
ハスミの顔から血の気が引いていく。
「被害者の衣服が証拠品として残されていなかったのも、C-4の粒子が付着していたからだとしたら……辻褄が合うっすね」
イチカが呻くように同意した。
衣服の繊維に入り込んだ爆薬の粒子は、洗浄しても完全には除去できない。
証拠隠滅を図るなら、処分するのが一番確実だ。
「しかし、なぜそこまでして爆薬の存在を隠す必要が?」
「簡単なことだよ」
ミカは、氷のように冷たい微笑みを浮かべた。
「あの事件には、“爆薬を使って校舎を吹き飛ばした真犯人”が別にいた。でも、捜査を担当した誰かは、その存在を公にしたくなかった。……だから、痕跡をすべて消して、現場にいたリルくん一人にすべての罪を被せた」
「そ、そんな……」
コハルが膝から崩れ落ちそうになるのを、壁に手をついて堪える。
顔色が蒼白だ。
「じゃあ、リルは……濡れ衣を着せられたの……? あいつは、何もやってないのに……!」
涙目で訴えるコハルに、ミカは小さく首を振った。
「ううん。今のはただの推測だし、リルくんが完全に無実ってわけじゃないよ。空薬莢がある以上は、あの子が発砲した可能性は高いし、それにリルくんは交戦の結果負傷して入院した履歴が残ってる。……あの子が暴れたのは、きっと事実なんだと思う」
ミカの脳裏に、あの男の子──白鍵リルの姿が浮かぶ。
儚げで、今にも壊れそうな硝子細工のような男の子。
けれど、その瞳の奥には、自分自身をも焼き尽くすような破滅願望と、強大な力が渦巻いていることを、ミカは本能的に感じ取っていた。
「でも……当時の先輩たちが、証拠の隠蔽をしていたのは確実なんですよね……? 誰よりも正義を重んじているはずの、正義実現委員会の先輩が……そんな……」
コハルの声が震える。
彼女にとって、正義実現委員会は憧れであり、誇りだった。
その根幹が、腐敗していたかもしれないという事実は、彼女の心を砕くのに十分だった。
「──コハル、それは違いますよ」
沈黙を守っていたハスミが、静かに、けれど強い口調で否定した。
「この件において、当時の正義実現委員会は捜査の蚊帳の外に置かれていました。捜査権限を独占し、主導していたのは……“旧パリサイ分派”です」
その名前に、場の空気が一層重くなる。
パリサイ分派。
かつて三大派閥に次ぐ勢力を誇りながら、薬物取引などの不祥事によって解体された、悪名高き政治派閥。
ノートルダム分校は、彼女たちの管理下にあった自治区だ。
「事件発生直後、パリサイ分派は現場を封鎖し、正実の介入を拒否しました。当時の先輩方が現場に入れたのは、全ての処理が終わった後……証拠品がこの箱に詰められた後だったのです」
ハスミは拳を握りしめ、悔しげに唇を噛んだ。
それは、過去の腐敗した体制への怒りでもあった。
「だから正直、この事件に関しては、私たちも公式記録以上のことは何も分からないのです。……情けない話ですが」
「あの……事件の捜査って、本来は正義実現委員会の仕事ですよね? それなのにどうして、当時の先輩方は無理やりにでも介入しなかったんですか……?」
コハルの問いは、あまりにも純粋で、鋭かった。
ハスミが言葉に詰まる。
答えたのは、ミカだった。
「コハルちゃん。それはね、トリニティが……『政治』で動く場所だからだよ」
ミカの声は、どこか諦観を帯びていた。
「当時のパリサイは強力だった。下手に刺激すれば、派閥間の全面戦争になりかねない。だから、それを恐れたティーパーティーも、正実の上層部も、事なかれ主義を選んだんだよ」
その言葉に、ハスミもイチカも、苦々しい顔をして沈黙する。
正義実現委員会が、トリニティ独特の派閥社会ゆえの動きづらさに縛られていることは、彼女たちが一番よく分かっていた。
重苦しい空気が再び保管庫を包み込む中、ミカはふとモニターの方へと目を向ける。
「副委員長。事件当時の監視カメラ映像って、出せる?」
「……確認します」
ハスミは再び端末に向き直り、手際よく操作を始めた。
モニターに表示される日付、時刻、ロケーション。
それぞれのデータが呼び出されていく。
しかし──その指が、不自然に止まった。
「そんな……! 映像記録、事件発生の時間帯だけ消去されています……!」
「──ぇ」
イチカの口から漏れたのは、絶句にも似た声。
「操作ログは? それも残ってない?」
「ログごと削除されています。誰かが意図的に、証拠隠滅を図ったとしか……」
「なら警備記録は? ゲートの通過ログとか、警報の発動履歴とかも」
ミカがすぐさま切り返す。
「確認します……」
ハスミが操作を続けるが──やがて、首を横に振る。
「……全て、消去されています。まるで、事件そのものを隠そうとしているかのように」
「いよいよ、きな臭くなってきたね」
「C-4の痕跡が隠蔽されていたことも含めて……偶然にしては、出来すぎてるっすよ……」
「この事件、何か大きな力が動いていたことは間違いありません」
「リ、リル……」
正実の三人が、その場に立ち尽くしたまま、額に冷たい汗を浮かべる。
ノートルダムの受難という事件が、想像していた以上に、深く、暗い闇に包まれていることに、正実の三人は恐れを抱いていた。
一人冷静さを保っていたミカが、目を細めてモニターを見上げる。
そこには、削除されたデータの残骸を示すエラーコードが並んでいた。
証拠隠滅の痕跡は、雄弁に語っていた。
そこに隠さねばならない『真犯人』がいたことを。
そして、その真犯人は、パリサイ分派にとって都合の悪い存在──あるいは、協力関係にあった何者かであった可能性が高い。
「……やっぱり、リルくんは嵌められたんだね」
ミカの呟きが、地下室に重く響いた。
あんなに小さくて、今にも消えてしまいそうな表情をした儚げな男の子。
過去の罪に怯え、誰かと関わることを恐れ、孤独を選んでいる彼。
その罪の半分以上が、政治の都合で捏造されたものだったとしたら。
彼は、偽物の十字架を背負わされ、地獄の中を歩き続けてきたことになる。
胸の奥が、焼けるように熱くなる。
それは同情などという生易しいものではない。
同じ『罪人』としての共鳴。
そして、トリニティという環境がもたらした、理不尽への怒り。
「……あ〜あ、最悪」
ミカは低く唸ると、踵を返した。
その背中から立ち上る気配は、もはやお茶会を楽しむ令嬢のものではない。
獲物を狩るために牙を剥いた、魔女のそれだ。
「今日はもう帰るね。ちょっと、『お話』しに行かなきゃだから☆」
いつもの調子に戻ったミカだが、その言葉の裏にある意味を察し、ハスミとイチカが緊張した面持ちになる。
彼女が向かう先は、旧パリサイ分派の残党──現在はペテロ分派に合流している生徒たちの元だろう。
穏便な『お話』で済むはずがない。
「ミカ様っ!」
出口へと向かうミカの背中に、切羽詰まった声がかかる。
コハルだった。
彼女は涙を拭い、真っ直ぐにミカを見つめていた。
その瞳には、恐怖を乗り越えた強い光が宿っている。
「あの……リルって、ほんっとデリカシーとかなくて、おバカなヤツだけど……」
コハルは拳を握りしめ、言葉を絞り出す。
「でも……! あいつ、根っこは……多分、悪いやつじゃないんです。私が失敗した時とか、憎まれ口は叩いても、絶対にバカにするようなことは言わないし……それに、マリーにはすごく優しいし……」
それは、監視という名目で彼を見てきたコハルだからこそ知っている、リルの不器用な優しさの断片。
「昔あいつに何があったのかは、正直よく分からないし……私が勝手なこと言ってるだけなのかもしれないけど……。でも、噂に踊らされて、よく知りもしない人間を除け者にするなんて──それだけは、絶対に間違ってると思うんですっ!」
地下室に、コハルの叫びが反響する。
それは、正義実現委員会の一員としての矜持であり、一人の友人としての魂の叫びだった。
彼女は深く頭を下げた。
震える声で、懇願する。
「だから、その……リルのこと、よろしくお願いします……!」
その姿を、ミカはしばらく無言で見つめていた。
やがて、ふっと柔らかく目を細め、口元を緩める。
「……うん。任せて」
それは、いつものふざけた笑顔ではなかった。
どこか慈しみすら感じさせる、聖母のような、深く優しい笑顔。
「あの子の涙を止めてあげられるのは……きっと、同じ痛みを知る私だけだから」
最後の言葉は、誰にも聞こえないほどの小声で囁かれた。
ミカは扉を開け、光の差す地上へと歩き出す。
その足取りは軽い。
しかし、その心には、決して消えない炎が灯っていた。
残された第十三保管室。
冷たい空気の中に、白鍵リルの運命と、彼を巡る巨大な陰謀の予感が、静かに渦巻いていた。
この小説に登場する固有名詞は、基本的にはキリスト教関連か、音楽関連のどちらかです。