ティーパーティーに銃剣を添えて   作:Agrissa

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11. カルヴァリオの余白

 朝の光が、世界を黄金色に染め上げていた。

 

 トリニティ中央部室会館の最上階。

 選ばれし者のみが立ち入りを許される聖域、ティーパーティーのサロンに併設された広大なバルコニーには、どこまでも優雅で、そして甘やかな香りが漂っている。

 

 高く澄み渡る青空から降り注ぐ陽光は、純白のテーブルクロスを眩しく照らし出し、精緻な彫刻が施された銀のティーセットに乱反射していた。

 微かに吹き抜ける風が、眼下に広がるトリニティ・スクエアの庭園から、名も知らぬ花々の香りを運んでくる。

 

 完璧に調和した、静謐なる朝のティータイム。

 そのテーブルを挟んで、二人の少女が向かい合っていた。

 

 

「──そういうわけで、リルくん、うちに来てくれるってさ☆」

 

 

 静寂を破ったのは、小鳥のさえずりのように軽やかな声だった。

 

 聖園ミカは、何事もない日常のワンシーンを語るかのような口調で、さらりと爆弾を投下した。

 琥珀色の紅茶が入ったティーカップを両手で包み込むように持ち、その向こうで悪戯っぽく微笑んでいる。

 

 対面に座る少女──桐藤ナギサは、カップを口元へ運ぼうとしていた手を、空中でピタリと静止させた。

 

 

「……え?」

 

 

 こぼれ落ちたのは、完璧な令嬢らしからぬ、間の抜けた声。

 ナギサのプラチナブロンドの長い髪が、微かな風に揺れる。

 彼女の理知的な瞳が、ゆっくりとミカへと向けられた。

 

 

「本当、ですか……? あの子が、自らティーパーティーへ入ることを承諾したと?」

 

 

 信じられない、という顔だった。

 それもそのはずだ。

 先日、大聖堂の応接室でナギサ自らが面談を行った際、白鍵リルはティーパーティーへの勧誘を完全に拒絶し、逃げるようにその場を去っていったのだから。

 あの時彼が見せた、過去の罪に囚われ、他者との関わりを極度に恐れる怯えた瞳。

 あれほど強固な心の壁を、この短期間でどうやって崩したというのか。

 

 

「一体、どんな手品を使ったのです? まさかとは思いますが、権力を振り翳して脅したわけではないでしょうね?」

「あははっ! いくら私でも、そこまで乱暴なことしないよ~!」

 

 

 ミカはケラケラと笑いながら、焼き菓子の並んだティースタンドから、ピンク色のマカロンを一つ摘み上げた。

 

 この女、脅迫スレスレの校内放送を流したり、成績表を盾に取ったりしていたくせに、既にその記憶は脳内からデリートされているらしい。

 

 

「私のネゴシエーターとしての才能が、ついに花開いちゃったのかも! ねぇナギちゃん、今日からホストの役割、私が代わってあげよっか☆」

 

 

 ウィンクとともに軽やかに放たれた言葉。

 一歩間違えれば、派閥間のパワーバランスを揺るがす簒奪の宣言とも受け取られかねない危険な発言だ。

 しかし、彼女にとってそんな政治的な意味合いなど、今口に入れたマカロンの甘さほどにも興味がないのだろう。

 

 そんな奔放すぎる幼馴染の態度に、ナギサは小さく、しかし深くため息をついた。

 宙で止まっていたカップを静かにソーサーに戻し、背筋を正す。

 

 

「……冗談はさておき。実際はどうなのですか? 私が面会したときは、とてもこちらの言葉を聞き入れてもらえるような精神状態ではありませんでした。何かに酷く怯え、自分から殻に閉じこもろうとする……そんな印象を受けましたが」

「ん~? 特別なことは何もしてないよ? ただ、普通にお話ししただけ」

「普通に、ですか。にわかには信じがたいですね」

「まぁ、リルくんってあんなビジュだけど一応は男の子だし? 私の可愛さと包容力に、コロッとクラッときちゃったのかもね! あの年頃の男の子なんて、ちょっと優しくしてあげればイチコロだよ☆」

「ミカさん。私は今、非常に真面目な話をしています」

 

 

 ナギサの声の温度が、スッと1度下がった。

 穏やかな口調を保ってはいるが、テーブルの上で組まれた両手の指先が、トントンとリズミカルに甲を叩いている。

 彼女が苛立ちを隠しきれていない時の癖だ。

 

 白鍵リル。

 あの華奢で、どこか頼りなく、妖精のような愛らしい顔立ちをした男の子。

 そんな彼がミカの言葉にほだされて顔を赤らめる姿は……想像できなくもないが、事の本質はそこではない。

 

 

「あっ、わかった!」

 

 

 しかし、ナギサの苛立ちなどどこ吹く風で、ミカはポンと手を叩いた。

 そして、星屑を散りばめたような瞳をキラキラと輝かせながら、この世で最も恐ろしい禁句を口にした。

 

 

「ナギちゃんみたいに、胸は薄いくせに態度が厚かましい子は、リルくんの好みじゃなかったのかも! あの子、小っちゃいから、自分を包み込んでくれるような豊満な──」

 

 

 ──ピシリ。

 

 微かな、しかし致命的な音が、朝のバルコニーに響いた。

 ナギサの右手が握りしめたティーカップの縁に、一筋の亀裂が走った音だった。

 

 

「さっきから、ゴチャゴチャと、戯言をッ!!」

 

 

 直後、ティーパーティーのホストが纏っていた優雅なオーラが、ドス黒い怒りのオーラへと反転した。

 

 

「いい加減にしないと、その小ぶりな鼻にフィナンシェをぶち込みますよッ!?」

 

 

 立ち上がったナギサの背後には、不動明王もかくやという怒りの幻影が浮かび上がっていた。

 全身の毛穴から蒸気が噴き出しそうな勢いで、彼女はティースタンドにあったフィナンシェの塊をミシミシと音を立てながら握り潰す。

 

 

「ひぃっ……! じ、冗談だよナギちゃん! 謝るから! だから、チェンジアップ投げる時みたいなえげつない握りでフィナンシェを構えるのはやめて!」

「フー……ッ! フー……ッ! なら、さっさと……私の質問に、答えなさい……!」

 

 

 肩で息をしながら、般若のような形相でミカを睨みつけるナギサ。

 もし他の一般生徒が今の彼女の姿を目撃したら、トリニティのイメージ崩壊のショックで間違いなく泡を吹いて卒倒することだろう。

 

 

「──こ、こほん。えっとね、要するに、押してダメなら引いてみよってやつだよ」

 

 

 顔を引きつらせながら、ミカはわざとらしく咳払いをし、慌てて話題を軌道修正した。

 

 

「……と、言うと?」

 

 

 ナギサがフィナンシェをゆっくりと皿に戻し、目を細める。

 

 

「あの子はね……『救い』よりも『罰』を欲しがってる」

 

 

 ミカの表情から、先ほどまでのおちゃらけた色がスッと抜け落ちた。

 代わりに浮かんだのは、どこか遠い過去を見つめるような、痛みを伴う深い理解の色。

 

 

「ああいう、自分の罪に押し潰されちゃってる子にはね、正面から『君は悪くないよ』って綺麗な手を差し伸べたりしても、全く意味がないの。だって、本人がそれを望んでないんだから」

 

 

 昨日の夕暮れ時、トリニティ・スクエアでのやり取り。

 自分自身が傷つくことを恐れ、孤独という名の偽物の十字架を背負い続けていた彼。

 感情を暴走させ、激情のままに踏み込んできた時の、あの神速の一撃。

 それを止めて見せたことで、リルは初めてミカに心を開いたのだ。

 『この人なら、自分の暴走を止めてくれる』という、歪な安心感と共に。

 

 

「だから、強引に手を引いてあげたの。きみの強さも、弱さも、全部私が受け止めてあげる……ってね。ほんとに、それだけだよ」

 

 

 ミカは肩をすくめ、小さく笑った。

 

 

「……そうですか。納得がいかない部分も少々ありますが……結果として、リルさんを連れてきてくださったことには感謝します」

「まぁ、私にかかればこんなものだよ☆」

 

 

 再び得意げなドヤ顔を浮かべるミカ。

 だが、ナギサの表情は依然として硬いままだった。

 

 

「──ですが。今回のような強引な手段は、今後控えてください」

「え~? そんなに強引だったかなぁ?」

「あれを強引と言わずして、何を強引と言うのです」

 

 

 とぼけるミカに対し、ナギサはぴしゃりと告げた。

 

 

「……あ~でもたしかに、救護騎士団に成りすましてMRI検査室に潜入したり、麻酔嗅がせて眠らせたりしたのはちょっとだけやりすぎだったかも」

「……は?」

「あとは、大好物のイチゴを強奪して泣かせちゃったりもしたっけ」

「そ、そそそ、そんな犯罪紛いのことをやっていたのですか!? 貴女という人は、一歩間違えればティーパーティーの不祥事として……!」

 

 

 ナギサは頭を抱え、天を仰いだ。

 この幼馴染の倫理観はどうなっているのか。

 

 

「……いえ、今はその件は置いておきましょう。後でたっぷりとお説教させていただきます。私が言っているのは、そのことではありません。ペテロ分派から、ミカさん宛に強い抗議が届いているのです。……心当たり、ありますよね?」

「苦情〜? あははっ! 私、日頃から恨み買いまくってるから、心当たりが多すぎてどれのことかぜんぜんわかんないや☆」

 

 

 悪びれる様子など微塵も見せず、ミカはアハハと笑い飛ばす。

 良くも悪くも自分の感情と直感に忠実な彼女は、その歯に衣着せぬ言動で敵を作りやすい。

 余所から苦言を呈されるのも、今に始まったことではない。

 

 ナギサはこめかみを指で揉みほぐしながら、重々しく口を開いた。

 

 

「かつてパリサイ分派にいたメンバーたちが、貴女から強圧的な尋問まがいの接触を受けたと主張しているそうですが?」

「あ〜……。そういえば、そんなこともあったような、なかったような?」

 

 

 あっさりと認め、ミカは新しいマカロンに手を伸ばす。

 その光景に、ナギサは今度こそ深く、深く息を吐き出した。

 

 

「……ミカさん。今は、“エデン条約”の締結を控えた非常にデリケートな時期なんですよ? そんな時に、他派閥をいたずらに刺激しないでください。私たちティーパーティーとペテロの不仲は今に始まったことではありませんが、あまりに不用意です」

「はいはい、わかってまーす。条約条約って、ナギちゃんも大変だねぇ」

 

 

 エデン条約という単語が出た瞬間、ミカの顔にほんの僅かな、しかし確かな嫌悪の色が差した。

 

 ──エデン条約。

 それは、行方知れずとなっている連邦生徒会長がかつて発案した、トリニティ総合学園とゲヘナ学園の不可侵条約。

 両校の間で長年続いている確執に終止符を打つべく考案されたもので、現在はナギサが連邦生徒会長に代わり、これの調印に向けて刻苦精励の日々を送っている。

 

 しかし、ミカの反応からも分かる通り、トリニティ生のゲヘナへ向ける嫌悪感は非常に根深く、調印が間近に迫った今でもペテロ分派などの反対派の声が大きい。

 今回、ナギサたちがリルをティーパーティーに招いたのは、その武力を背景に反対派を牽制するためでもあった。

 

 

「『はい』は一回でよろしい」

「ちっ、うっさいなぁ……。反省してま〜す」

「ミ・カ・さ・ん?」

 

 

 再び、堪忍袋の緒がブチリと切れる音がした。

 ナギサの背後に、今度は阿修羅のオーラが立ち昇る。

 

 彼女がスッと右手を虚空に伸ばしたかと思うと、一体どこから取り出したのか、丸太のように太く、長く、禍々しい重量感を放つ巨大なロールケーキがその手に握られていた。

 もはやスイーツの概念を超越した、物理法則を無視するかのような質量兵器。

 ナギサはそれを両手で構え、ミカの鼻先数センチの距離へと突き付けた。

 

 傍から見れば、ロールケーキを凶器のように突きつける令嬢という、シュール極まりない構図である。

 しかし、突き付けられた側のミカにとって、それは処刑執行人の振り下ろすギロチンの刃に等しかった。

 

 

「な、ナギちゃん……? その、彼〇島で吸血鬼を殴り殺す時に使う丸太みたいなロールケーキは、なぁに……?」

「私特製の、懲罰用ロールケーキです。一口で天国が見られますよ」

「それ、物理的に天国行っちゃうやつだよね……? そんなのお口に突っ込まれたら、お年寄りじゃなくても窒息死しちゃうと思うんだけど……」

「ロールケーキ死ですか。全人類が望む、名誉な死に方ですね」

「そ、それは人の死に方じゃないと思うなぁ……!」

「ご安心を。完食できずそのまま殉職されたとしても、残ったロールケーキに『勇者ここに眠る』と焼き印を入れて、墓標にしてさしあげます」

「ごめんなさいごめんなさい!! もう生意気なこと言いません!!」

 

 

 顔面を蒼白にさせたミカが、椅子の上で土下座せんばかりの勢いで謝り倒す。

 そんな彼女を、ナギサは数秒間無言で射抜くように見つめていたが、やがてフンと鼻を鳴らすと、巨大ロールケーキをゆっくりと、再び謎の空間へと仕舞い込んだ。

 

 どういう原理で出し入れしているのか。

 それをツッコむ余裕は、今のミカには微塵もなかった。

 

 

「まったく……あなたという人は、いつもいつも……」

 

 

 呆れ半分、諦め半分といった表情で、ナギサは乱れた息を整える。

 

 しばし、バルコニーに静寂が戻った。

 遠くから聞こえる噴水の水音と、木々を揺らす風の音だけが、二人の間を満たしていく。

 

 やがて、ナギサが静かに口を開いた。

 その声からは怒りの熱は消え、冷徹な為政者としてのトーンへと切り替わっていた。

 

 

「……ミカさん」

「は、はいっ!」

「貴女がペテロ分派に──いえ、元パリサイ分派の生徒に探りを入れたのは……ノートルダムの受難に関わる調査のため。リルさんを説得するための切り札を揃えるために、どうしても必要な手段だった……そういうことなのでしょう?」

 

 

 その問いかけに、ミカはようやく安堵の息を吐き、姿勢を正した。

 茶目っ気のある瞳の奥に、鋭利な知性と、どこか冷たい光が宿る。

 

 

「ふふっ。さすがはナギちゃんだね。私がただの嫌がらせで動くわけないって、分かってくれてたんだ。……うん、その通りだよ」

 

 

 ミカは素直に肯定し、口元に小さな弧を描いた。

 

 

「正義実現委員会のハスミさんから報告を受けました。ミカさんが、第十三保管室にまで足を踏み入れ、過去の事件について深く探っていたと。……それで、何か分かったことはあるのですか?」

 

 

 ナギサの問いに対し、ミカはテーブルの上で指を組み、少しだけ声を潜めた。

 

 

「結論から言うね。約三年前、たくさんの生徒たちが血を流して、ノートルダム分校を廃校に追い込んだあの事件……。あれのトリガーを引いたのは、リルくんじゃなかった。正体不明のテロリスト集団だよ」

 

 

 その言葉が落ちた瞬間、ナギサの琥珀色の目が、驚愕で大きく見開かれた。

 

 ミカの指先が、テーブルクロスをツツーとなぞる。

 初夏を思わせる暖かな朝の光が、一瞬だけ、酷く冷たいものに感じられた。

 

 

「元パリサイの子たちに『お話』を聞いて回ったら、みんな揃って白状したよ。ガスマスクと重火器で武装した、得体の知れない連中が突然キャンパスに雪崩れ込んできたってね。……それに、正実の保管庫にあった証拠品からも、決定的な痕跡が見つかった」

「痕跡、ですか?」

「うん。リルくんが持ってたっていう拳銃……M500のチャンバーに残ってた弾薬から、高濃度のRDX……C-4爆薬の成分が検出されたの。おかしいよね? あのとき爆発物が使用されたなんて事実、報告書には一切書かれてなかったのに。……それに、チャンバーの内側にある弾薬が汚染されてるのに、外側の銃本体からは一切反応が出なかった。そんなこと普通ありえないよ」

「──っ!」

 

 

 ナギサの指先が、かすかに震えた。

 常に優雅で冷静沈着な彼女にしては、極めて珍しい反応だった。

 

 

「つまり、現場では確実にC-4が使用されていたけど、その証拠は隠蔽されて捜査記録から完全に抹消されたってこと。真犯人であるテロリストの存在を隠して、リルくんにすべての責任を押しつけるためにね」

「そんな……馬鹿な」

 

 

 ナギサは唇を引き結び、視線を落とした。

 

 

「リルくんをスケープゴートに選んだのは、それが一番、簡単で確実だったからだろうね。あの子はあの日、トリニティ側で唯一、テロリストたちと交戦してた生徒だから。現場にはあの子が発砲した痕跡が残ってるし、神秘の暴発で同級生を巻き込んじゃったのも事実。だから、あとはテロリストの痕跡を徹底的に隠蔽して、目撃者を買収しちゃえば、いとも簡単に『暴走した怪物』に仕立て上げられる……ってわけ」

「何故、そのような……。──まさか、己の管理下にある分校が、テロリストに易々と制圧されたという、警備体制の脆弱さと無能さを隠蔽するために……?」

「それに関しては口を割らなかったけど、多分……というか状況的に間違いなくそういうことなんだろうね」

「……そんなことのために、一人の生徒の未来を犠牲にしたというのですか」

 

 

 言葉を失ったナギサの顔には、隠しようのない軽蔑と、深い怒りの色が浮かんでいた。

 トリニティの正義と秩序を重んじる彼女にとって、そのような腐敗は到底許容できるものではない。

 

 対照的に、ミカは鼻で笑うように肩をすくめた。

 

 

「でもさあ、そこまでがんばって隠蔽したのに、ぜ~んぶ無駄になっちゃってるのはお笑いだよね~! あの人たち、事件から半年も経たないうちに、よくわかんない外部企業と変なお薬の取引なんか始めちゃってさ。挙句の果てにヴァルキューレに踏み込まれて、派閥は解体。ホント、お粗末すぎて笑っちゃうよ☆」

「……ミカさん、不謹慎ですよ」

 

 

 ケラケラと笑うミカを、ナギサが神妙な顔つきでたしなめる。

 

 かつてのパリサイ分派。

 三大派閥に次ぐと言われるほどに隆盛を誇っていた彼女たちだったが、キヴォトスで認可の降りていない薬物を、外部企業に製造委託したという致命的なスキャンダルによって失脚した。

 元上層部は連邦矯正局へと収監され、残されたメンバーはペテロ分派をはじめとしたタカ派の派閥に吸収されている。

 

 

「あ、そうだ。一応、事件の裏側を暴くことはできたわけだけどさ……まだいくつか、どうしても解けない疑問が三つ残ってるんだよね」

 

 

 ふいに、ミカの顔から笑みが消えた。

 雲間の空を見上げるような、淡い陰りがその表情に差す。

 

 

「疑問、ですか?」

「えっとね、一つは……真犯人のこと」

「……!」

「証言にあった、ガスマスク姿のテロリスト。いくらトリニティの端にある分校とはいえ、武装集団が易々と侵入して、これほどの規模の破壊活動を行うなんて、ただの不良生徒やヘルメット団程度にできることじゃない。手際が良すぎるんだよね。……そいつら、一体何者で、誰の差し金だったのかなって」

「たしかに……。それに目的も不透明ですね。小さな分校でしかないノートルダムをわざわざ狙う意味が……いえ、トリニティに敵意を持つ組織が、破壊だけを目的に襲撃を実行した可能性もありますか……」

 

 

 ナギサの表情も険しくなる。

 もし、トリニティに対して明確な敵意を持ち、大規模な軍事作戦を実行できる組織が暗躍していたのだとしたら、それはエデン条約の調印式を控えている現在のトリニティにとって大きな脅威となる。

 

 

「二つ目は、キャンパスの爆破に使われたC-4についてなんだけどさ」

 

 

 ミカの声が、微かに低く、思考を探るようなトーンに落ちる。

 

 

「あの規模のキャンパスを一棟丸ごと崩壊させるには、少なくとも150から300キロ級のとんでもない量が必要なんだよね。……そんな途方もない量を、テロリストたちは一体どうやって、トリニティの警備網を掻き潜ってキャンパス内に持ち込んだのかなって」

 

 

 手慰みにティースプーンを弄んでいた、ナギサの手が止まった。

 

 

「それは……前夜のうちに、偽装したトラックか何かで搬入して仕掛けておいたのでは? 夜間なら警備も甘くなるうえ、監視の死角も作りやすいでしょう」

「ナギちゃんもそう思う? でも、監視カメラのデータとかゲートの通過ログが消されちゃってるから、トラックの出入りがあったかどうかも確かめようがないんだよね~。それに、いくら警備が甘いって言っても、300キロの物資を運び込むのは、内部に協力者でもいないと絶対に無理だと思う」

「……なるほど。内部犯、あるいは学外からの未知の侵入経路……例えば、古くから存在する地下のカタコンベなどを利用された可能性もありますね」

 

 

 ナギサは思考を巡らせる。

 

 トリニティに存在する巨大なカタコンベ。

 その内部は迷宮と化しており、周期的に内部構造が変化する性質のせいで、ロクな調査もされないまま放置されている。

 後ろ暗い連中が身を隠すには、絶好の場所だろう。

 

 

「まぁでも……一番の問題は、三つ目の方でね」

 

 

 そこまで言って、ミカは椅子の背に深くもたれた。

 陽光に照らされた桃色の長髪が、柔らかく揺れる。

 

 

「……ねぇ、ナギちゃん。リルくんの健康診断と体力検査のデータ、前に見てたでしょ?」

「ええ。……正直、目を疑うような数値でした。筋力も、神秘量も、神経の反応速度も、全てが異常値。一年生にして、あのツルギさんに迫る数値とは……恐れ入りました」

「でしょ? 私もこの前、直接対面してみて分かったけど、あの子の近接戦闘能力は冗談抜きでヤバい。私が本気で迎え撃って、ようやく対応できるレベルだったんだから」

 

 

 ミカは、リルに手刀を放たれた瞬間の、あの圧倒的な死の気配を思い出し、微かに身震いした。

 

 

「そんな、キヴォトス準最強クラスの身体能力と、膨大な神秘を持ってるリルくんが……ただのテロリスト相手に、入院するほどの『重傷』を負わされると思う?」

「──っ!」

 

 

 ナギサは息を呑んだ。

 確かに、おかしい。

 

 ヘイローを持つキヴォトスの生徒は、生半可な攻撃では傷一つつかない。

 ましてや、リルほどの規格外の神秘と肉体を持つ者が、通常の銃火器や爆発の余波程度で、流血するほどの深手を負うはずがないのだ。

 

 

「テロリストの中に、リルくんと同等かそれ以上の力を持つ未知の強敵が紛れていたか。……あるいは、ヘイローを持つ私たちを確実に破壊できるような、『強力な特殊兵装』が使われたか。そのどっちかしかないと思うんだよね」

 

 

 ミカの推測は、最悪の可能性を示唆していた。

 もし後者だとしたら、それはキヴォトス全体の治安を揺るがすほどの脅威だ。

 しかし、犯人が雲隠れし、証拠品の数々が失われた今となっては、もう捜査のしようがない。

 

 ナギサは視線を落とし、重たく口を開いた。

 

 

「……犯人の逃走を許してしまったのは、リルさんにとってだけでなく、私たちトリニティにとっても、取り返しのつかない痛手でしたね……。あまりにも多くの情報が、闇の中に葬られてしまいました」

 

 

 ナギサは視線を落とし、重々しく呟いた。

 一方、ミカは内心で、ひとつの仮説を転がしていた。

 

 

(……ガスマスクに、統率の取れた動き。それに、トリニティの警備網を無力化する手際の良さと高い戦闘能力……)

 

 

 ミカは内心で、ひとつの仮説を転がしていた。

 その特徴は、彼女が裏で密かに連絡を取り合っている、ある組織の特殊部隊のやり口に酷似している。

 

 ──もしや、あの子たちが……?

 ──いや、まさかね。

 

 ミカはすぐにその考えを打ち消した。

 三年前の時点で、彼女たちがトリニティの奥深くまで侵入し、あんな大規模な作戦を実行できたとは思えない。

 それに、目的も不明すぎる。

 ただの考えすぎだ、と自分を納得させる。

 

 

「ほんとにね〜。当時のティーパーティーの事勿れ主義を恨みたくなっちゃうよ」

 

 

 ミカは意識を切り替えるように、パチンと指を鳴らした。

 

 

「まぁでも! 過ぎたことをいまさら悔やんでも仕方ないよね。結果的に、リルくんをティーパーティーに迎え入れることはできたし、あの子のトリニティでの立場も少しは改善できそうだし、とりあえずは満足かなっ☆」

 

 

 そう言って、いつもの無邪気な笑顔を見せるミカ。

 ナギサは、そんな彼女をしばし無言で見つめていた。

 

 その沈黙の中に、幾つもの思索が過ぎていく。

 犯人の正体、爆薬の謎、そして、白鍵リルという生徒の在り方。

 

 やがて、ナギサは静かに問いかけた。

 

 

「……事件の真相。ミカさんは、公表するつもりなのですか?」

 

 

 ミカは、すぐには答えなかった。

 陽光に目を細めながら、そっと長いまつ毛を伏せる。

 

 

「私は、そうしてあげたいと思ってる。……でも、デリケートな問題だし、一応リルくんに確認してからかな。それに、私が勝手に公表しちゃったら、今度こそ本気で怒らせちゃうかも」

 

 

 その声音には、いつになく真摯で、どこか姉が弟を慈しむような響きがあった。

 

 ──そのとき。

 バルコニーへと続く豪奢な扉が、控えめに、しかし確かな意思を持ってノックされた。

 ミカの口元に、ふっと柔らかな笑みが戻る。

 

 

「噂をすれば、ちょうどいいタイミングで来てくれたみたい! さ、私たちの新しい後輩を、盛大に出迎えてあげなきゃね☆」

 

 

 満面の笑みで立ち上がり、スカートの裾を翻すミカ。

 ナギサは『やれやれ』と小さく苦笑し、居住まいを正した。

 

 朝の眩い光が、バルコニーの床に長く柔らかい影を伸ばす。

 その光の先、扉の向こうに。

 全てを失い、そして再び歩み出そうとしている生徒の気配が、そっと影を落としていた。

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