ティーパーティーに銃剣を添えて   作:Agrissa

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転職活動で随分と更新が遅くなってしまいました。
ようやく落ち着いたので、ぼちぼち執筆再開してまいります…!


13. 特別情報執行局(イスカリオテ)

 リルの背中が重厚な扉の向こうへと消え、廊下を打つ足音が遠ざかっていく。

 残された静寂の中、ナギサはその場に立ち尽くしていた。

 

 ふと、先ほど彼と握手を交わした、己の右手を見下ろす。

 掌にはまだ、微かな温もりが残っていた。

 

 ──想像していたよりも、ずっと細く、小さな手だった。

 硝子細工のように繊細で、風に揺れる一輪の花弁のように頼りない。

 反射的に『護ってやりたい』と思わせるような脆さを、その手は訴えていた。

 

 

「……私は」

 

 

 そんな儚さすら感じさせる後輩を、これから自分は政治の道具として利用しようとしている。

 その事実を皮膚感覚として再認識し、ナギサは強烈な自己嫌悪に襲われた。

 胸を雑巾で絞り上げられるような痛みに、思わず眉根が寄る。

 

 

「どうしたのナギちゃん? もしかして、情でも沸いちゃった?」

 

 

 そこへ、けろっとした様子の声が落ちてきた。

 見れば、先ほどまでロールケーキの餌食になっていたミカが、何事もなかったかのように身を起こしている。

 

 背後から投げかけられた図星の言葉に、ナギサはすっと顔を上げた。

 そして、振り返ることなく即座に否定する。

 

 

「いいえ。ただ、本来なら守るべき後輩に、重い役目を背負わせなければならない……そんなトリニティの現状と、自分の至らなさに思うところがあっただけです」

 

 

 わずかに乱れた心と表情を、ポーカーフェイスという鉄の仮面で覆い隠す。

 陰謀渦巻くトリニティの政界を渡り歩いてきた彼女にとって、それは呼吸をするのと同義の所作だった。

 

 

「ふ〜ん」

 

 

 ミカは興味があるのかないのか、薄い反応を返すだけ。

 だが、次に放たれた言葉からは、先ほどまでの軽薄さが完全に消え失せていた。

 

 

「じゃあ……前に言ってたことも、やっぱり本気なんだね」

「何のことです?」

 

 

 問い返すナギサの声は、変わらず平静。

 

 

特別情報執行局(イスカリオテ)のことだよ。復活させるつもりなんでしょ?」

 

 

 その名が出された瞬間、ナギサはようやくミカへと振り返った。

 そして澄ました顔のまま、きっぱりと告げる。

 

 

「もちろんです。そのためにリルさんを手に入れたのですから」

 

 

 言い切ると、ナギサはミカの側を通り過ぎ、いつもの指定席へと腰を下ろした。

 冷めかけたポットから紅茶を注ぎ足し、静かに口元へ運ぶ。

 

 対するミカは、スカートに付着したホコリを払いながら、ホストの一挙手一投足を、値踏みするように見つめていた。

 

 もともと、ナギサがリルを引き入れることを計画した最大の理由は、この特別情報執行局(イスカリオテ)という機関を復活させることにあった。

 表沙汰にできない汚れ仕事や、学園内外の不穏分子の排除。

 そして何より、ゲヘナ学園との和平条約……即ち“エデン条約”の障害となる存在を牽制するための、最強の懐刀。

 

 その構想は、最初に彼女がミカへ話をした時にも触れられていた。

 そしてミカも、それについては黙認していた……はずだった。

 

 しかし──

 

 

「私は反対かな〜」

 

 

 なんの気まぐれか、ここにきて彼女が異を唱えた。

 

 

「……何故です?」

「それ、説明する必要ある?」

 

 

 ティーカップを唇から離し、ナギサが問うと、ミカは肩をすくめながらも言葉を続ける。

 

 

「あの機関が解体された理由を考えれば分かるでしょ? 不吉すぎるじゃんね」

 

 

 その声は、彼女にしては珍しく低い響きを帯びていた。

 

 ──数百年前、トリニティに存在した特別情報執行局(イスカリオテ)

 それは、非友好的な学園や企業に対する諜報・破壊工作を担っていた、少数精鋭の情報機関。

 彼女たちの影の働きによって、多くのテロや違法取引が未然に阻止され、トリニティの平和は保たれていた。

 戒律を守護するユスティナ聖徒会に対して、戒律の及ばない外敵から学園を守護する猟犬……それが、特別情報執行局(イスカリオテ)だった。

 

 しかし、一つの事件を皮切りに、彼女たちはその牙を主へと向けることになる。

 ある時、敵対勢力への防諜活動の最中、当時のティーパーティーメンバーが外患誘致に関わっていたことが発覚。

 特別情報執行局(イスカリオテ)は彼女と、その関係者であるメンバーを『トリニティの裏切り者』と断じ、あろうことかティーパーティーに対してクーデターを起こしたのだ。

 

 本来なら、こういった学内の粛正は“ユスティナ聖徒会”の領分だった。

 しかし、中枢の腐敗に絶望した彼女たちは、ユスティナすらも信用できないとして、自らの手による断罪を選択した。

 

 ──“ジューダス・キス”。

 後にそう呼称されるそのクーデターは、ユスティナ聖徒会の奮闘によって未遂に終わったが、裏切りと越権行為の代償は重く、機関は解体。

 以降、特別情報執行局(イスカリオテ)という名は裏切りの代名詞として、トリニティの歴史に刻まれている。

 

 

「……そうですね。確かに、そういった側面があることは事実。ですが前にも言った通り、現状のトリニティは、正義実現委員会だけで対処しきれない問題が多すぎるのです」

 

 

 澄ました声の底に、硬質な響きが宿る。

 

 

「最近学内を騒がせている薬物の密輸事件が、まさにそうでしょう」

 

 

 ナギサが口にしたのは、少し前から学区内で問題になっている、不良生徒による薬物の密輸事件だ。

 容疑者に逃げられ、押収した薬物の成分分析も進まず歯がゆい状況が続いていたのだが、先日ようやく捜査に進展がみられた。

 

 ミカが正義実現委員会の本部を訪れていたちょうどその時に、正実は容疑者であるスケバンたちの姿を捕捉することに成功していたのだ。

 その後、委員長であるツルギが動いたことによって容疑者は無事捕縛。

 これでようやく、一連の事件は終息したかに思われた。

 

 ──しかし、物事はそう単純ではなかった。

 取り調べの結果、スケバンたちはただの運び屋でしかないことが判明したのだ。

 彼女たちは『荷物をこの時間に、ここへ持っていけ』という仕事を受けただけで、依頼主や受取人については何も知らず、捜査は再び暗礁へと乗り上げることになってしまった。

 

 

「これ以上この事件を追うには、トリニティの外へも目を向ける必要があります」

 

 

 ナギサは紅茶の表面に視線を落としながら、言葉を続けた。

 

 

「ですが、実質トリニティの正規軍である正実を学外に動かせば、周囲の学園──特にゲヘナから見て悪目立ちするでしょう。最悪の場合、重大な外交問題に発展するリスクもあります」

「それは……そうかもだけど」

「その点、特別情報執行局(イスカリオテ)であればその心配はありません。少数精鋭の情報機関であれば、トリニティの関与が露見するリスクを極限まで抑えられる」

 

 

 そこで、ようやく彼女は視線を上げる。

 

 

「そして……リルさんです。あの子は、実力は十二分でありながらも、学外ではほとんど無名。それでいて学内では過剰なまでに恐れられている。秘匿工作員(パラミリタリー・オフィサー)としても抑止力としても機能する生徒は、このトリニティではあの子くらいなものです」

「また裏切られちゃうかもよ? 歴史は繰り返すって言うし〜」

「ミカさんも分かっているはずですよ。これまで政治と全く関わりのなかったあの子に、そのような心配など不要であることは。それに、新しい特別情報執行局(イスカリオテ)では、ティーパーティーのホストが長官を兼任する体制に作り替えます。これならば、万が一の事態も発生しません」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、ミカの瞳の奥で、小さく、けれど鋭い光が明滅した。

 それはまるで、獲物を狙う猛禽類が、一瞬だけ見せた狩猟本能の輝きのようだった。

 

 

「ナギちゃんが……長官を兼任?」

 

 

 ミカは小首をかしげ、鸚鵡返しに問う。

 その声色はあくまで普段通り、世間話の延長線上にあるような軽やかさを装っていた。

 だが、その内心では、瞬時にいくつもの計算が弾き出されていた。

 

 ナギサが長官を務めるということ。

 それはつまり、彼女がリルへの直接的な命令権を独占することを意味している。

 

 ──それは、困る。

 非常に、困る。

 

 先日、リルが見せた圧倒的な武力の片鱗。

 それを垣間見たミカは、白鍵リルという存在を、自らが思い描いている『絵図』における最強のジョーカーとして位置付けた。

 そんな彼を手元に置き、いざという時に自分の意のままに動かせる手駒とする。

 そして時が来たら、その武力をもって邪魔な存在たちを叩き潰す。

 ミカはそんな計画を、裏でうっすらと練っていたところだった。

 

 だというのに、特別情報執行局(イスカリオテ)という枠組みの中で、ナギサが彼への直接的な命令権を持つとなれば、話は変わってくる。

 リルがナギサの私兵となってしまえば、ミカの計画と、その先にある破壊的な構想にとって、彼は最強の矛ではなく、排除すべき最大の障害となりかねない。

 

 ──それは、嫌だ。

 彼は自分にとって、同じ傷跡を持つ合わせ鏡のような存在だ。

 敵対するなんてあり得ない。

 彼は、『こちら側』に来るべきだ。

 

 

「う~ん、それはどうかと思うなぁ」

 

 

 ミカはわざとらしく難色を示し、テーブルに頬杖をついた。

 長い睫毛が憂いを帯びたように伏せられる。

 

 

「だってそれってさ、ナギちゃん自身が特別情報執行局(イスカリオテ)の……『裏切りの象徴』になるってことだよ? ただでさえエデン条約のことで反対派が多いのに、これ以上火種を増やすのは悪手じゃないかな」

「覚悟の上です。トリニティの平和を実現するためならば、私は泥を被ることなど厭いません」

「……相変わらず、頑固だねぇ」

 

 

 ナギサの瞳に宿る光は、鋼のように硬く、揺るぎない。

 

 ミカは内心で舌打ちをした。

 付き合いの長い幼馴染だからこそ、分かる。

 こうなったナギサは、テコでも動かない。

 今の彼女に対し、正面から反対意見をぶつけたところで、無駄に時間を浪費するだけだ。

 下手をすれば、頑なに反対する理由を怪しまれ、藪蛇になりかねない。

 

 ならば──流れを変えるしかない。

 川の流れをせき止めるのではなく、支流を作って自分の望む場所へと水を引くように。

 

 

「……はぁ、分かったよ。ナギちゃんがそこまで言うなら、もう止めない」

 

 

 ミカは降参するように両手を上げ、背もたれに深く身体を預けた。

 ナギサの表情が、わずかに和らぐ。

 

 

「ご理解いただけたようで何よりです。それでは──」

「でも!」

 

 

 話をまとめようとしたナギサの言葉を、ミカの強い声が遮った。

 ナギサが怪訝そうに眉を寄せる。

 

 

「条件があるの。これだけは、絶対に譲れない条件」

「……条件、ですか?」

「うん」

 

 

 ミカは身を乗り出し、ナギサの瞳を真っ直ぐに見据えた。

 その表情からは、先ほどまでのおちゃらけた雰囲気は消え失せ、真剣そのものの色が浮かんでいた。

 

 

特別情報執行局(イスカリオテ)の復活は認める。ナギちゃんが長官をやるのもいいよ。……だけど、リルくんの指導は私に任せてほしいの」

「指導……つまりミカさん、あなたをあの子のメンターにしろと?」

「そう。指揮系統のトップはナギちゃんでいいけど、現場での指示出しとか、ティーパーティーについての教育とかお世話とか諸々は私がやる。それが条件」

 

 

 ナギサは数秒ほど沈黙し、思考を巡らせるように視線を宙に彷徨わせた。

 やがて、静かな声で問い返す。

 

 

「……理由を、聞かせてもらえますか?」

「簡単なことだよ。ナギちゃん、面談の時にあの子の精神状態は理解したでしょ?」

 

 

 ミカは指を一本立て、諭すように語り始めた。

 

 

「リルくんはね、不安定なの。今回、やっとこっち側に来てくれたけど、それは別にトリニティやティーパーティーへの忠誠心に目覚めたからってわけじゃない。ただ、行き場のないあの子を私たちが拾い上げた……それだけの理由で繋がってる、細い糸みたいなものなんだよ」

 

 

 ミカの言葉で、ナギサの脳裏にリルの姿が浮かぶ。

 

 

 ──『……気にしていません。不条理があることを前提に生きれば、大したことありません。それが当たり前として、生活できますから』

 そう言って視線を逸らした、彼のどこか危うげな空気。

 

 

「あの子は過去のトラウマのせいで、他人……特に権力を持った大人びた相手には壁を作る傾向がある。ナギちゃんみたいに、理詰めで正論を言うタイプとは、正直相性が最悪だと思うな」

「う……」

 

 

 図星を突かれたのか、ナギサが小さく呻く。

 先日の面談で逃げられた記憶が、まだ新しいのだろう。

 

 

「その点、私は一度あの子と本音でぶつかり合ってるから、多少なりとも信頼関係は築けてるつもり。……それに、もしもあの子が暴走した時、物理的に止めてあげられるのは、ナギちゃんじゃなくて私でしょ?」

 

 

 ミカはにっこりと笑った。

 その笑顔は、純粋な善意のようにも、自信の表れのようにも見えた。

 

 ナギサは手元の紅茶を見つめ、静かに考え込む。

 ミカの言い分は、筋が通っていた。

 リルという強大な力を運用するにあたり、最も懸念すべきはその精神的な不安定さと、制御不能になった際のリスクだ。

 多忙を極める自分が、常に彼に目を光らせておくことは物理的に不可能。

 ならば、彼と個人的な繋がりを持ち、かつ高い戦闘能力を有するミカをメンター兼監視役としてそばに置くのは、合理的かつ安全な策と言える。

 

 

「……一理、ありますね」

 

 

 ナギサは顔を上げ、ほう、と小さく息を吐いた。

 

 

「分かりました、ミカさん。その条件を飲みましょう。貴方を特別情報執行局(イスカリオテ)の現場責任者兼、リルさんのメンターに任命します」

「やった! 話が早くて助かるよ~☆」

 

 

 ミカはパッと花が咲いたような笑顔を見せ、嬉しそうに手を叩いた。

 その無邪気な反応に、ナギサは苦笑を浮かべる。

 

 

「ですが、勘違いしないでくださいね? これは遊びではありません。あの子の手綱を握るということは、あの子が犯す過ちの責任も、貴方が背負うということです」

「もちろん! 私のかわいい後輩だもん、責任持って面倒見てあげるよ」

 

 

 ミカは力強く頷いた。

 その瞳の奥で、昏い歓喜の炎がゆらりと揺らめいたことに、ナギサは気付かなかった。

 

 ──これでいい。

 形式上、リルはナギサの部下となる。

 だが、実際に彼に言葉を吹き込み、その心を導くのは、一番近くにいる自分だ。

 毎日顔を合わせ、言葉を交わし、時に優しく、時に厳しく接することで、彼の中に自分という存在を深く、深く刻み込んでいく。

 そうすれば、いざという時に彼が選ぶのは、遠い場所にいる長官などではなく、共に歩んだメンターになるはずだ。

 

 ミカはナギサの手から、リルという剣の柄を奪い取ることに成功した。

 あとは、その刃をゆっくりと、自分の望む形へと研ぎ澄ませていけばいい。

 

 

「それじゃ、話もまとまったことだし、午後に向けて色々準備してくるね!」

「あ、ちょっとミカさん! まだ細かい手続きの話が……」

「あとは任せた~! ナギちゃん大好きっ☆」

 

 

 制止の声も聞かず、ミカは風のようにバルコニーを飛び出していった。

 後に残されたのは、呆れたようにため息をつくナギサと、すっかり冷めきった紅茶だけ。

 誰もいないバルコニーで、ナギサはぽつりと独りごちる。

 

 

「……これで、状況が変わるといいのですが。もう、これ以上の犠牲者は──」

 

 

 彼女らしくもない弱々しい声音。

 それは一体、誰に向けられたものなのか──。

 

 ふと視線を落とせば、ティーカップの水面に映る自分の顔が、どこか疲れ切ったように揺れている。

 朝の光は既に去り、バルコニーには昼前のまばゆい陽射しが影を濃く落とし始めていた。

 

 ナギサは冷めた紅茶を一息に飲み干すと、静かにカップを置いた。

 カチリ、と硬質な音が鳴る。

 それは、動き出した悲劇の歯車が噛み合う音に、どこか似ていた。

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