ティーパーティーに銃剣を添えて   作:Agrissa

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前回から引き続き、ミカのターンです。


07. 桃色の悪魔

 冷たく無機質な光が、白いタイルの床を照らし出している。

 消毒液と、どこか金属的な匂いが混じり合った独特の空気。

 トリニティが誇る最古の部活にして医療機関、“救護騎士団”の本部──“ヨハネ診療棟”。

 その一角にある更衣室で、ボクは盛大にため息を吐き出していた。

 

 

「……はぁぁぁ」

 

 

 その吐息は、足元に沈殿する冷気に溶けて消える。

 憂鬱だ。

 

 ここ数日で、ボクの平穏は音を立てて崩れ去っていた。

 登校中、ホームルーム中、昼休み、果ては下校中に至るまで、神出鬼没のピンク色の悪魔──ミカ様による執拗なストーキングと勧誘の嵐。

 逃げても逃げても先回りされている恐怖は、もはやホラーの領域に達している。

 

 だが、今日の憂鬱の種は彼女ではない。

 いや、間接的には関係あるのかもしれないが、今は目の前の現実が問題だった。

 

 

「なんでボクだけぇ……」

 

 

 先日、全校生徒を対象に行われた健康診断。

 その結果、MRI検査においてボクのデータにのみ深刻なエラーが出たらしい。

 機器の不具合か、あるいはデータ破損か。

 詳細は不明だが、とにかく要再検査との通達が届いたのだ。

 

 

「日頃の行いが悪いからかな……。ううん、ボクは何もしてない。……あれっ、何もしてないからこそ悪いのかな?」

 

 

 自問自答しながら、漆黒のシスター服に手をかける。

 背中のファスナーを下ろし、袖口のフリルから腕を抜く。

 慣れ親しんだ布地が肌から離れると、途端に心もとない感覚に襲われた。

 

 鏡に映るのは、15歳の男子にしては小さすぎる身体。

 雪みたいに白い肌は、血の気がないせいで陶器の人形のようだ。

 華奢な鎖骨、薄い胸板、そして背中から生える純白の翼。

 我ながら、男とは思えない軟弱な造形だと思う。

 

 ボクはそんなコンプレックスの塊である自身の身体から視線を外すと、用意されていた検診衣を手に取った

 

 

「うぅ……これ、背中が開きすぎじゃない?」

 

 

 翼を通すための特注品なのだろうが、背中から腰にかけての布面積が絶望的に足りていない。

 動くたびにひらひらと裾が舞い、無防備な肌が空気に晒される。

 

 別に見られて減るものではない。

 ボクは男だし、多少肌が露出したところで誰も気に留めないだろう。

 けれど、この頼りない布一枚で守られているという心細さは、何となく居心地が悪い。

 

 

「……早く終わらせて帰ろう」

 

 

 ボクは両手で検診衣の裾をぎゅっと押さえ、翼で背中を隠すように丸めながら、更衣室を後にした。

 廊下は静まり返っている。

 自分の足音だけが、ペタ、ペタと頼りなく響く。

 

 指定されたMRI検査室の重い扉を開ける。

 プシュウ、と空気が抜けるような音と共に、中からさらに冷たい冷気が流れ出してきた。

 

 

「あのぉ……。再検査に来ました、白鍵リルです、けど……」

 

 

 部屋の中央には、巨大なドーナツ状のMRI装置が鎮座している。

 その威圧感に気圧されながら声をかけると、操作盤の向こうから一人の救護騎士団員が振り返った。

 

 ──異様だった。

 

 手術用のガウンに、頭を覆うキャップ。

 顔の半分以上を隠すマスクに、スキーのゴーグルのようなアイプロテクション。

 肌の露出が一切ない。

 まるで未知のウイルスと戦う最前線の研究員のような重装備。

 

 

「……あ、きたきた! 待ってたよ~!」

 

 

 返ってきた声は、その厳めしい外見とは裏腹に、妙に間延びした軽い調子だった。

 しかも、どこかで聞き覚えがあるような……?

 

 

「……その、ものすごい重装備ですね。何かパンデミックでも起きました?」

「あ、あ~、これ? ほら、最近は感染症対策で色々うるさくって! コンプラ? みたいな?」

「なるほど……。大変ですねえ、医療従事者の方って」

「そーなの! もうほんと大変! 蒸れるし!」

 

 

 騎士団員はバサバサとガウンの裾を煽ぎながら、大げさにジェスチャーをして見せる。

 先日の検査担当者はもっと事務的だった気がするが、人が変われば対応も変わるのだろうか。

 

 それにしても、妙に馴れ馴れしい。

 ボクの悪評を知らない転入生なのだろうか。

 違和感は拭えないが、早く帰りたい一心でボクは指示に従うことにした。

 

 

「それじゃ、そこのヘッドホンつけて、寝台に横になってね。あ、翼は畳んで、できるだけ小さくなってて!」

「はい」

 

 

 言われるがままに寝台へ身を横たえる。

 ひやりとした感触が背中を伝う。

 円筒形の空洞を見上げていると、自分が巨大な口に飲み込まれる餌になったような気分になる。

 

 

「え~と、コイルは……これだっけ? あれ、どっちが上?」

 

 

 ヘッドホン越しに、微かな独り言が聞こえてくる。

 操作盤の前で、騎士団員が何やら慌てふためいている様子が見えた。

 マニュアルと思しき冊子を片手に、あっちのボタンを押し、こっちのレバーを引き……。

 

 

「……あの、大丈夫ですか? なんか、すごく不安なんですけど」

「おっけーおっけー! バッチリだから! 私にかかればこんな機械くらい、チョチョイのチョイだよ☆」

 

 

 語尾に星が飛びそうな能天気な返答。

 本当に大丈夫なのか。

 このまま誤作動で強力な磁場が発生して、ボクの身体が壁に叩きつけられたりしないだろうか。

 そんな妄想に身を震わせていると、不意に寝台が動き出した。

 

 ウィーン、という駆動音と共に、身体が筒の中へとスライドしていく。

 閉塞感が視界を覆う。

 

 

「は~い、それじゃ検査始める前に…… 動けないように麻酔するね☆」

「あ、はい。………… え?」

 

 

 思考が停止した。

 MRI検査で、麻酔?

 造影剤ならまだしも、ただの撮影で全身麻酔なんて聞いたことがない。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください! MRIで麻酔ってそんなバカな話──」

「はいリラックスして~。そのまま深呼吸~!」

「いや聞いてくださ── んぐっ!?」

 

 

 抗議しようと口を開いた瞬間、半透明のマスクが強引に押し付けられた。

 ひやりとした樹脂の感触。

 そこからシューっという音と共に、甘ったるい香りの気体が流れ込んでくる。

 

 ──しまった。

 

 本能が警鐘を鳴らすが、時すでに遅し。

 反射的に吸い込んでしまった気体は、瞬く間に肺胞から血液へと溶け込み、脳髄へと駆け上がっていく。

 

 

「……これ、絶対……おかし……っ」

 

 

 視界がぐにゃりと歪む。

 手足を動かそうとするが、神経が切断されたように力が入らない。

 重力が増したように、身体が寝台に沈み込んでいく。

 

 薄れゆく意識の中で、ボクは見た。

 操作盤の前に立つ騎士団員が、邪魔そうに帽子とマスクを剥ぎ取る瞬間を。

 そこから溢れ出したのは、鮮やかな──

 

 ──桃色。

 

 

 

 

 

◆   ◇   ◆

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 どこまでも広がる桃色の花畑で、ゴリラに追いかけ回される悪夢だ。

 逃げても逃げても、ゴリラは楽しそうに笑いながら距離を詰めてくる。

 その手には、悪魔との契約書が握りしめられていて──。

 

 

「……っ!!」

 

 

 ガバッ、と勢いよく上半身を起こした。

 心臓が早鐘を打っている。

 荒い呼吸を繰り返し、周囲を見渡す。

 

 白い壁。MRI装置。

 まだ、検査室の中だ。

 

 耳鳴りがキーンと響いているが、視界は驚くほどクリアだ。

 麻酔特有の気怠さも、霧が晴れるように急速に引いていく。

 

 

「あれ……? ボク、今……」

 

 

 状況を把握しようと首を巡らせると、すぐ近くで『えっ』という驚きの声が上がった。

 

 視線を向ける。

 そこには、ピンク色の長髪を揺らし、目を丸くしてこちらを凝視している少女がいた。

 手には、何やら見覚えのある禍々しい書類と、朱肉。

 

 ──聖園ミカ様。

 

 

「……ミカ様?」

「うそ……もう起きちゃったの? まだ3分も経ってないのに」

 

 

 彼女は心底驚いたように呟き、手元の書類とボクの顔を交互に見比べた。

 その手にある書類。

 一番上にデカデカと書かれた文字。

 “ティーパーティー入会誓約書”。

 

 そして、ボクの右手親指には、べっとりと赤いインクが付着していた。

 

 ……状況が、繋がった。

 

 

「なっ、何してくれてんですかぁ!? 人が寝てる間に!」

 

 

 怒髪天。

 ボクは叫んだ。

 医療行為を装って麻酔をかけ、意識がない間に拇印を押させようとするなど、犯罪とかそういうレベルを超越している。

 

 

「あ~あ。もう少しだったのになぁ」

 

 

 ミカ様は悪びれる様子もなく、ぽつりと呟いた。

 唇を尖らせ、あからさまに残念そうな顔。

 反省の色ゼロだ。

 

 

「だって、リルくんったら強情なんだもん。真正面からお願いしても『ヤだ』の一点張りだし。だから、ちょっとお休みしてもらってる間に、既成事実を作っちゃおうかな~って☆」

「発想が犯罪者のそれなんですよ! 騎士団員に成りすましてまでやることですか!?」

「あははっ! 意外とバレないものだねぇ。私ってば演技派?」

 

 

 けらけらと笑う彼女を見て、怒りを通り越して呆れがこみ上げてくる。

 この人は、自分の欲望のためなら手段を選ばない。

 これまでのやり取りで理解してはいたが、ここまでとは。

 

 

「それにしても、あの量の麻酔吸ってケロっとしてるなんて……リルくんってほんとに人間?」

「失礼な! ボクは繊細でか弱い一般生徒です!」

「はいはい。……ま、ここまで手間暇かけたんだし、サービスでサインしてよ」

 

 

 ミカ様は懲りずに誓約書を突き出してくる。

 

 

「ヤです。帰ります。二度と来ません」

 

 

 ボクはふいと顔を背け、寝台から降りようとした。

 ──が。

 

 動かない。

 上半身は起こせるのに、腰から下が、まるで岩に縫い付けられたかのように動かない。

 

 

「……あれ?」

 

 

 不審に思って視線を落とす。

 するとボクの腰と太もも、そして足首が、見たこともないほど太い麻縄で、寝台にがっちりと固定されている光景が視界に入る。

 亀甲縛りとかそういう芸術的なものではなく、ただひたすらに『絶対に逃がさない』という殺意すら感じる巻き方だ。

 

 

「え、え、えっ……!?」

「あ、それね。リルくん、寝相悪そうだったから縛っておいたの☆」

 

 

 ミカ様が、良いことをしたと言わんばかりの笑顔で親指を立てる。

 

 

「どうやってくくりつけたんですかこれぇ! こんなの晄輪大祭の綱引きでしか見たことありませんよ!?」

 

 

 尋常ではない質量の縄。

 これをまさか、腕力だけで解決したのだろうか。

 ゴリラかこの人は。

 

 

「金属製の鎖だとMRIに反応しちゃうからね。わざわざ丈夫な麻縄を取り寄せたんだよ? 私ってば気が利くでしょ!」

「そんな気遣い要りませんっ! さっさと解いてください!」

「え~? でも、まだ検査終わってないよ?」

 

 

 ミカ様は楽しそうに、メスをいじり始めた。

 銀色の刃が、冷たい光を反射する。

 

 MRI検査室になんて危険物を持ち込んでるんだこの人は。

 

 

「常識を母親の胎内に置き忘れてきたような人に、ボクの体は預けられません!!」

「でもでも、ちゃんと検査しておかないと、脳腫瘍とか心臓腫瘍とか腎腫瘍とかその他諸々の腫瘍を放置することになっちゃうよ?」

「腫瘍以外ないんですか、ボクの体の中には……」

 

 

 ボクの言葉に、ミカ様はハッと何かを思い出したような顔をする。

 

 

「あと、眠っている間に飲ませた爆弾も……」

「んなっ!? なんですかそれ聞いてないぞっ!!」

「じゃあ、それは冗談として」

「じゃあってなんだ!? ほんとだな!? ほんとに冗談なんだな!?」

 

 

 しれっ、とした表情のミカ様に、上下関係も忘れて怒鳴り散らす。

 しかし、当の彼女はどこ吹く風。

 

 

「リルくんって、ほんと素直でかわいいねぇ☆」

「ぐぎぎ……! この人でなし! ろくでなし!!」

「あははっ! 悪口も小さな子供みたい」

「鬼!! 悪魔!! きぃぃぃぃっ!!」

「あははっ!」

「ゴリラ!!」

「かっちーん」

 

 

 突如、能面のような顔になったミカ様が、メスと一緒に麻酔用マスクを握り込む。

 

 

「おっけー。そんなひどいこと言っちゃう子はもう一回眠らせて、目ビームと(ゆび)ームと口から火炎放射、それと胸からミサイルが出るように改造してあげる」

「イヤああああごめんなさいごめんなさいぃ!!」

 

 

 ぶんぶか首を振りながら、全身をばたつかせて抵抗する。

 すると──

 

 

「──えっ」

「……っ、外れた!!」

 

 

 限界を迎えた麻縄が、爆音とともに破断した。

 

 ボクは寝台から飛び降りる。

 着地と同時に床を蹴り、弾丸のような速度で扉へと疾走し、驚くミカ様の横をすり抜ける。

 捲れ上がった検診衣の裾から、白く細い足が露わになるのも構わず。

 

 

「ちょ、リルくん!?」

「ばーか!! ミカ様のばーかぁっ!!」

 

 

 捨て台詞を残し、ボクは廊下へと飛び出した。

 背後でミカ様が何かを叫んでいたが、振り返る余裕はない。

 ただひたすらに、あの桃色の悪魔から逃げるため、ボクは全速力で診療棟を駆け抜けた。

 

 ……検査は後日、受け直した。

 

 

 

 

 

◆   ◇   ◆

 

 

 

 

 

 翌日の昼休み。

 マリーがシスターフッドの急用で呼び出されたため、ボクは珍しく一人で学食を訪れていた。

 

 ここトリニティの学食は、単なる食事処ではない。

 天井まで伸びる大理石の柱、煌めくシャンデリア、足元に広がる深紅の絨毯。

 壁には名画が飾られ、BGMには優雅なクラシックが流れている。

 それはまるで、五つ星ホテルのメインダイニングそのものだ。

 

 入り口脇には長大なビュッフェ台が鎮座し、フレンチ、イタリアン、中華、和食と、世界各国の料理が宝石のように輝いている。

 シェフたちがその場で調理し、出来立てを提供するスタイル。

 当然、味も超一級品だ。

 

 普段なら、この時間帯は満席で座ることすらままならない。

 優雅なランチタイムを楽しむ生徒たちの熱気で、フロアはごった返している。

 

 しかし──。

 

 

「ふん、ふん、ふ~ん♪」

 

 

 ボクがトレイを持って歩き出すと、そこにはモーゼの十戒のような道が出来た。

 談笑していた生徒たちが、ボクの姿を認めた瞬間に表情を凍らせ、さっと道を譲る。

 あるいは、食事中だったグループが、慌てて荷物をまとめて席を立つ。

 

 恐怖。嫌悪。忌避。

 無言の圧力が肌を刺すが、今のボクには好都合だ。

 おかげで、一番眺めのいい窓際の席を、労せずして確保することができたのだから。

 

 こういう時だけ、ボクの悪名は役に立つ。

 孤独は寂しいけれど、快適でもあるのだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 

 席に着き、戦利品を並べる。

 濃厚な魚介の香りが漂うブイヤベース。

 プリプリの身がたっぷり入ったオマール海老のサラダ。

 柔らかく煮込まれた仔羊のロースト。

 そして──デザートのフルーツタルト。

 

 ここ数日、散々な目に遭っている自分への、ささやかなご褒美だ。

 特にこのフルーツタルトは、数量限定の人気メニュー。

 色とりどりの果実が宝石箱のように敷き詰められ、その中心には、大粒の真っ赤なイチゴが王冠のように鎮座している。

 イチゴが大好きなボクにとって、これは聖域(サンクチュアリ)に等しい。

 

 まずは一口、ブイヤベースを啜る。

 濃厚な旨味が口いっぱいに広がり、冷え切った心を温めてくれる。

 仔羊のローストはナイフがいらないほど柔らかく、噛みしめるたびに肉汁が溢れ出す。

 

 美味しい。

 本当に美味しいのだけど──やっぱり、一人は味気ない。

 周囲の喧噪から切り離された、このテーブルだけにある静寂。

 見えない壁に囲まれているような疎外感が、料理の味を少しだけ薄くする。

 

 ……マリーやサクラコ先輩がいれば、もっと美味しく感じられただろうか。

 そんな感傷を振り払うように、ボクは食事のペースを上げた。

 

 そうして、メインディッシュを完食し、いよいよフィナーレの時が来た。

 皿の上には、燦然と輝くフルーツタルト。

 そして、その頂点に君臨する、ルビーのようなイチゴ。

 

 

「んふふっ」

 

 

 思わず顔がにやける。

 

 ボクはフォークを手に取り、まずは周囲のフルーツから攻めていく。

 キウイの酸味、オレンジの甘み、ブルーベリーの芳醇な香り。

 カスタードクリームの滑らかな舌触りとともに、それらがハーモニーを奏でる。

 

 そして、ついにその時が来た。

 残るは、ルビーのようにつやつやと輝く、大きなイチゴ。

 それを、まるで恋する乙女のように見つめる。

 

 いざフォークを刺し、大きく口を開けたその瞬間──

 

 

「ぱくっ」

 

 

 不意に横から現れた口が、そのイチゴに食いついた。

 あんなに存在を主張していたイチゴは跡形もなく消え失せ、ボクの手には銀色のフォークだけが残る。

 

 

「ん~っ♡ 甘酸っぱくておいし~!」

 

 

 桃色の略奪者は、イチゴを咀嚼すると甘い吐息を吐き出した。

 ボクは、何も残されていないフォークの先を、まじまじと見つめる。

 

 一体、なにが起きたというのか。

 先ほどまで目の前にあった赤い実がなくなっている。

 これは、夢だろうか。

 いや、夢ではない。

 

 ボクはようやく、現実になにが起きたのかを理解した。

 

 

「ぎゃああああっ!!」

 

 

 虚しく宙を刺すフォークを見ながら、絶叫。

 周囲の生徒たちが、何事かとこちらを一斉に振り返る。

 ボクは怒りにわなわな打ち震えながら──

 

 

「な、ななな、なにしてるんですかあああッ!!」

 

 

 向かいの席に座ったミカ様に向かって、怒涛の如く怒鳴りつけた。

 しかし、彼女は少しも物怖じせず、それどころか大いに愉しそうな顔で言った。

 

 

「イチゴ狩り☆」

 

 

 ミカ様は悪びれもせず、ピースサインを作ってみせる。

 

 

「ふ、ふざけんなあーっ!! このタルト、最後の一個だったんですよ!? それを横から盗み食いだなんて、人の心とかないんですか!?」

 

 

 涙目で身を乗り出すボクに、ミカ様は肩をすくめて笑った。

 

 

「だってほら、あまりにも食べたい、食べたい、食べたいってオーラを放出してるから、こっちまで食べたくなっちゃって。でしょ?」

「でしょ? じゃない!! あなたさては自分が悪いとか思ってませんね!?」

「当然☆ 男の子なのに最後までケチケチとっておくのが悪いんだよ」

「信っじられません!! 返せっ!! ボクのイチゴ返せぇーっ!!」

 

 

 涙を瞳にいっぱい溜めて、駄々っ子のように喚き散らすボク。

 しかし、消化器官に入ってしまったイチゴが戻ってくるはずもない。

 ボクはガックリと項垂れ、廃人のように椅子へ崩れ落ちた。

 

 終わった。

 ボクのランチタイムは、絶望のうちに幕を閉じた。

 

 

「まぁ、気落ちするほどのことでもないじゃん!」

「ミカ様が言わないでください……。あっち行ってくださいよ、もぉ……」

「じゃあさ、代わりにこれあげるから機嫌直しなよ」

 

 

 ミカ様が、自分のトレイから何かを差し出してくる。

 それは、彼女が食べていたロールケーキの切れ端だった。

 しかも、クリームのほとんどが食べられた後の、スポンジだけの残骸。

 

 

「……残飯処理を押し付けないでください」

「え~? 愛のこもったプレゼントだよ?」

「愛どころか悪意しか感じません!」

 

 

 ボクは瞳に溜まった涙をナプキンでごしごしと乱暴に拭い、その残骸を押し返す。

 この人は、ボクに嫌がらせをすることしか考えていないのか。

 昨日あれだけ酷い目に遭わせておいて、まだ足りないというのか。

 

 

「ワガママだなぁ……。それなら、今この誓約書にサインしてくれたら、こっちの手付かずのチョコケーキをプレゼントしちゃう!」

「結構です。ていうか、ビュッフェなんだから追加で取ってくればいいだけでしょうが……!」

「んもう、そんなに怒らないでよ~。仲良くしようって言いに来ただけなのに」

「仲良くする気があるなら、人の大好物を強奪しないでください!」

「んふふ。だってリルくんが困ってる顔、かわいくて好きなんだもん」

 

 

 ミカ様は頬杖をつき、とろんとした瞳でこちらを見つめてくる。

 その瞳の奥には、獲物を狙う肉食獣のような輝きが見え隠れしていた。

 ゾクリと背筋が震える。

 

 そんなボクの心情など露知らず。

 ミカ様は取り出した誓約書をポーチに仕舞い込み、取ってきた料理に手をつけだした。

 トリニティでもトップクラスのお嬢様なだけあって、ムカつくくらいテーブルマナーが洗練されている。

 

 

「いつも思うけど、トリニティの学食ってレベル高すぎだよね~」

「……まぁ、少なくとも、その辺のレストランじゃ比較対象にもならないでしょうね」

「私、一日三食ここで食べてもいいくらいだよ」

 

 

 ミカ様は目を輝かせながら、テリーヌを切り分ける。

 たしかに味は極上だが、こんなものばかり食べていたら、あっという間に生活習慣病になってしまいそうだ。

 

 

「自炊とかできなさそうですもんね、ミカ様」

「むかっ。リルくんだって料理なんてできないくせに」

 

 

 皮肉交じりに返すと、ミカ様はあざといほど大げさに頬を膨らませた。

 その腹立たしい顔を見ていると、なんでもいいから言い返したくなってくる。

 

 

「……できますもん」

「へぇ~。たとえば?」

「そうですねえ……。じゃあ、そこのバゲットを両耳に当ててみてください」

「? こう?」

「バカのサンドイッチの完成です」

 

 

 真顔で言うボクの顔面に、ミカ様の目つぶしが炸裂した。

 

 ビシッ。




ゴー〇ン・ラムゼイのチャンネルを見ながら書いてたら、オチが例のアレになっちゃいました。
反省はしていません。
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