トリニティ中央部室会館、最上階。
選ばれし者のみが入室を許されるティーパーティーのサロンには、今日も変わらず優雅な時間が流れていた。
高い天井から吊るされたシャンデリアが陽光を反射し、磨き上げられた大理石の床にプリズムの虹を落としている。
窓の外には、手入れの行き届いたトリニティ・スクエアの緑と、どこまでも青く澄み渡る空。
世界から隔絶されたかのような平和な空間で、聖園ミカは一人、バルコニーのテーブルに頬杖をついていた。
彼女の視線の先にあるのは、湯気を立てるアールグレイのティーカップ。
「ん~っ、いい香り。やっぱり、このショップの茶葉が一番好きかも!」
満足げな吐息をひとつ。
そして、薔薇を模した小さなクッキーを一つ、口元に運ぶ。
サクサクとした音と共にバターの甘い風味が広がるが、彼女の表情は一瞬で不満そうなふくれっ面へと変貌した。
「それにしても……リルくんったら、ちょ〜っとワガママがすぎるんじゃないかな? この私があんなに誠意を込めて誘ってるのに、ぜんぜん靡いてくれないなんて」
くるくるとティースプーンを回しながら、ミカはふくれっ面を作る。
その言葉を当の本人が聞けば、『誠意……? あれが?』と、まるでUMAでも見たかのような顔で絶句することだろう。
「ま、でもそのくらいの方が、張り合いがあって面白いんだけどね☆」
白鍵リル。
数日前からミカの興味を独占している、訳アリの一年生。
実際に会った彼は、どこか遠い場所を見つめるような、虚ろな瞳をしていた。
アクアマリンの虹彩は宝石のように美しいが、その光はどこか濁って見えた。
透き通るような白銀のロングヘアは、月光を紡いだ絹糸のようになめらかで、頭上に浮かぶト音記号のような空色のヘイローが、彼の異質さを際立たせている。
そして、雪のように白くきめ細やかな肌と、妖精のように愛らしい顔立ち。
極めつけには、背中のふわふわとした純白の翼。
「あの見た目で男の子って、やっぱりちょっと信じられないなぁ」
どこをどう切り取っても、深窓の令嬢か、絵本の中から抜け出してきた薄幸の美少女にしか見えない。
だが、以前に見た学籍情報にはしっかりと『男子』と記載されていた。
ふと、テーブルの隅に置かれた薄いファイルがミカの目に入った。
ナギサが先日、半ば押し付けるように共有してきた、リルに関する調査資料だ。
紅茶に口をつけながら、ミカは何気なくそれを引き寄せる。
「んふふ。次はどうやって捕まえてあげようかな〜。え~っと、何か弱点になりそうな情報は〜っと……うん?」
一枚目のプロフィール欄に、ミカの視線が吸い寄せられる。
「身長145センチ……ぷふっ、ちっちゃ」
ミカは思わず吹き出し、口元を指で隠して笑った。
この年頃の男子にしては、あまりにも華奢で小柄すぎる。
もし街中で彼を見かけたら、誰もが可憐な少女だと信じて疑わないだろう。
神様も、随分と悪戯好きな造形をしたものだ。
「こんなかわいい子が、あんな物騒な事件の犯人だなんてねぇ……」
ミカの指先が、写真の縁をなぞる。
その愛らしさの裏に隠された“事実”が、彼女の心に冷たい波紋を広げた。
通称──“ノートルダムの受難”。
約三年前、トリニティ中等部の分校の一つ、ノートルダム分校で発生した大規模な傷害・器物損壊事件。
公式記録によれば、当時中等部一年生だった白鍵リルが単独で暴走し、校舎一棟を半壊させ、彼自身も含めた多数の生徒が重軽傷を負ったとされている。
その被害規模は甚大で、分校は廃校に追い込まれ、トリニティの歴史における汚点として記録された。
「人は見かけによらないって言うけど……」
ミカはファイルの中身をパラパラと捲った。
先日、救護騎士団に潜入した際に彼が見せた反応。
誓約書片手に追いかけ回す自分から、必死に逃げ回る小動物のような姿。
そして、ナギサから聞いた『ボクが一人でいれば、もう誰も怪我をしない。誰も悲しまない』という悲痛な独白。
それらの情報と、目の前の記録が、どうにも噛み合わない。
ミカの直感が、何かがおかしいと告げていた。
「……ん?」
あるページに差し掛かったところで、ミカの手が止まった。
──識別番号、TRI-22A2-PASSIO-001。
ノートルダムの受難に関する、当時の捜査報告書だ。
彼女はその文字列を流し読みし、そして眉をひそめた。
「……捜査終了まで、たったの三時間?」
ページの余白に記されたタイムスタンプ。
午前10時、第一報。
同日午後12時、聴聞会。
同日午後13時、処分決定および処遇措置完了。
「いくらなんでも、これはちょっと早すぎない……?」
一般的な軽犯罪でも、一連の捜査が終わるまで、数日から一週間の時間を要するのが普通だ。
事実確認、証言の聴取、正義実現委員会による現場検証、そして聴聞会。
それらのプロセスを経て初めて、処分が決定されるはず。
それなのに、これほど大規模かつ深刻な事件が、わずか半日足らずで処理されている。
まるで、最初から結論が決まっていたかのように。
ミカの背筋がすっと伸びる。
だらりと椅子に預けていた身体を起こし、琥珀色の瞳を細めた。
先ほどまでの楽しげな雰囲気は消え失せ、そこには“魔女”のような鋭利な知性が宿る。
「供述調書も、短すぎる。それに……」
彼女はページをめくる速度を上げた。
被害者たちの証言。
目撃者の報告。
それらの文章が、ミカの脳内で不協和音を奏でる。
「内容が、統一されすぎてる」
──『白鍵リルが突然暴れ出した』
──『理由もなくクラスメイトを攻撃した』
──『彼は以前から情緒不安定だった』
まるで判で押したように、それらの証言が多数並ぶ。
記憶というものは、本来もっと曖昧で、主観によって異なるものだ。
見る角度、恐怖の感じ方、時間の感覚。
それらがここまで一致することは、統計学的にもあり得ない。
「まるで、ひとりの人間が書いた脚本を、みんなで読み上げてるみたい」
ミカの胸中に、どす黒い疑惑が広がる。
これは、偶然や怠慢ではない。
明確に、誰かが、意図的に、この事件を早く幕引きさせようとした痕跡だ。
そして、その犠牲となったのが──白鍵リル。
ミカは再び、一枚目の写真へと戻った。
レンズ越しに見つめ返してくる、今にも泣き出しそうなアクアマリンの瞳。
そこに宿る感情は、狂気ではない。
これは──諦めだ。
理不尽な運命に抗う術を持たず、ただ断頭台の上で首を垂れる子羊の目。
「こんなにも粗雑で、都合がよくて……それに、不可解なくらい早い。まさか、リルくんは……」
ミカの指が無意識に震えた。
怒りではない。
それは、古傷を抉られたような痛みだった。
「──嵌められた?」
その言葉が口をついて出た瞬間、ミカの心臓がドクリと跳ねた。
彼女の脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。
自分の浅はかな考えが招いた、取り返しのつかない過ち。
幼稚な感情の発露が最悪の結果を招き、大切な幼馴染を傷つけてしまったあの日。
自分は、罪人だ。
“あの日の真実"を知れば誰もがそう思うだろうし、自分自身でもそう思っている。
だからこそ、同じ“罪"の匂いを纏うリルに惹かれたのだ。
彼もまた、自分と同じように、取り返しのつかない過ちを背負って生きているのだと、そう思っていた。
──だが、もし。
もしも彼が、誰かの悪意によって罪人に仕立て上げられた被害者だったとしたら?
何も知らない無垢な男の子が、政治の都合や派閥の論理で、全てを奪われ、孤独の底に突き落とされたのだとしたら?
「……そんなの、許せない」
ミカは立ち上がった。
ガタ、と椅子が大きな音を立てて倒れるが、気にも留めない。
白いスカートの裾がひらりと翻り、テーブルの上の紅茶が波紋を描く。
許せない。
それは、彼を嵌めたであろう何者かだけではない。
そんな理不尽な脚本を良しとしている、トリニティという場所そのものもだ。
「ちょ~っと、調べた方がいいかもね。……なんか、すっごく気分悪いし」
冷ややかな声で、そう呟く。
その瞳には、昏く、冷たい炎が燃え上がっていた。
自分と同じ傷を持つ者だと思っていた。
けれど、彼が背負わされた傷が“偽物”だというのなら──それを暴き、本当の傷がどこにあるのかを確かめなければならない。
「それに、リルくんをここに連れてくるための、きっかけになるかもだし」
トリニティで、誰よりも深く孤独に沈む存在──白鍵リル。
その謎を紐解くことは、きっと彼を手に入れるための鍵となる。
ミカはファイルを乱暴にポーチに詰め込むと、バルコニーの手すりに手をかけた。
視線の先には、学園の敷地内にそびえ立つ、威圧的なゴシック調の塔。
正義実現委員会の本部。
朝の光は、すでに昇りきっていた。
しかし、彼女の背に射す光は、どこか鋭く、抜身の刃のような気配を孕んでいた。
ゴシック建築の宮殿を思わせる重厚さと、最新鋭のセキュリティ設備が奇妙に同居する空間。
トリニティの治安維持組織にして実質的な正規軍──正義実現委員会の指令室は、いつになく殺気立った空気に包まれていた。
壁面を埋め尽くす巨大モニターには、学園各所の監視カメラ映像や、地図データ、通信ログが目まぐるしく表示されている。
無数のオペレーターたちがキーボードを叩く音と、飛び交う怒号のような報告の声が、室内のBGMとなっていた。
「──東部学寮街、三番通りで10-35発生! 例の密輸疑惑で追ってるスケバンっす! 第五班は至急現場へ! 接触は慎重に!」
指令卓の中央で声を張り上げているのは、正義実現委員会の渉外担当──“仲正イチカ”。
特徴的な糸目と、艶やかな黒髪を持つ彼女は、普段の飄々とした態度はどこへやら、鬼気迫る形相でマイクに向かっていた。
『10-4、了解しました! 現在、対象を追跡中!』
「逃がすんじゃないっすよ! 先週押収した薬物、未だに成分分析が出てないんすから、今度こそとっ捕まえて根こそぎ吐かせるっす! 絶対に!」
ここ最近、トリニティ自治区内で横行している薬物の密輸事件。
その容疑者グループを、ようやく捕捉したのだ。
現場の空気は最高潮に達している。
この機を逃せば、次はいつ尻尾を掴めるか分からない。
『イチカ先輩! 第七区からも同様の通報来てます!』
「え、マジっすか!? もしかして片方はおとり……? うぐぐ……でも、もうこれ以上割ける人員もないし、どうすれば──」
イチカが頭を抱え、決断を迫られたその時だった。
背後の重い扉が、勢いよく開け放たれた。
「イ、イチカ先輩っ! た、たた、大変ですぅうっ!!」
転がり込むように入ってきたのは、押収品管理室担当の新入り──“下江コハル”。
ピンク色のツインテールを振り乱し、泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
「なんすかコハル? ゲヘナでも攻めてきたっすか?」
「ち、違います! そ、その、お客様がお見えに……!」
「お引き取り頂くっすよ。今ちょっとそれどころじゃないっす」
「でも、そんな言い分が通じるようなお方じゃなくて──」
コハルの悲鳴にも似た声を遮るように、カツ、カツ、と硬質なヒールの音が響いた。
その音は、喧噪に満ちた指令室の空気を一瞬で切り裂き、静寂をもたらした。
「──え゛」
音の発生源へと視線を向けたイチカの表情が、盛大に固まる。
そこに立っていたのは、場違いなほど華やかなオーラを纏った少女。
「おはよ〜! ごめんね? 受付の子の対応が遅いから、勝手に入っちゃった☆」
桃色の長髪をふわりと靡かせ、天使のような……いや、悪魔のような微笑みを浮かべるミカ。
彼女はまるで、休日のカフェにでも立ち寄ったかのような軽やかさで、修羅場と化した指令室の中心へと歩み入った。
「ひ……っ」
イチカは反射的に直立不動の姿勢をとる。
隣のコハルは、小動物のように震えながらおろおろと視線を彷徨わせている。
正義実現委員会は、組織図上はティーパーティーの下部組織にあたる。
つまり、ミカは彼女たちにとって雲の上の存在であり、絶対的な上司に等しい。
「ミ、ミカ様じゃないっすかぁ……。ど、どうされました……? 本日はどのようなご用件で……?」
イチカが引きつった笑顔で問う。
内心では『なんでこのクソ忙しい時に!』と絶叫しているのが手に取るように分かるが、ミカはそんな空気など欠片も読んでいない。
「うん。ちょっと気になることがあって、ね」
ミカは笑顔のまま、ポーチから一冊のファイルを取り出すと、イチカの目の前にひらりと掲げてみせた。
それは先ほどまでサロンで読んでいた、リルの調査資料だ。
「ノートルダムの受難について、当時の記録とか、リルくんから押収した証拠品とか……いくつか見せてほしいものがあるの」
その名を口にした瞬間、イチカの細い目が驚愕で見開かれた。
横で控えていたコハルも、小さく息を呑む。
「ノートルダムの受難って、あの……!? でも、どうして今さらそんな古い事件を……? それに、なんでリルの名前が……?」
コハルが困惑したように呟く。
彼女はリルの監視役を自称しているが、彼がその事件の犯人であるという詳細までは知らないようだ。
「あの、ミカ様。今はご覧の通り、密輸事件の対応で手一杯でして……。それに、特級案件の資料閲覧には正式な申請と、ハスミ先輩か委員長の承認が必要で──」
しどろもどろになりながらも、イチカは必死に防衛線を張る。
今ここで過去の遺物を掘り返している余裕など、正義実現委員会にはないのだ。
しかし、そんな理屈が通じる相手なら、最初からここには来ていない。
「ふ〜ん? じゃあ、勝手に探すね☆」
ミカは言うが早いか、空いている端末の前にするりと滑り込み、勝手に操作を始めた。
「え゛!? ちょ、待っ、か、勘弁してください! そこっ、セキュリティっ! コンプライアンスっ! っていうか、勝手に触っちゃダメっすぅう!」
「やだなぁ、イチカちゃん。そんな
「それが困るって言ってるんすよ! 情報漏洩! 職権乱用! あぁもう、どうしよ、ほんとどうしよ……」
パニック寸前のイチカが、頭を抱えてうずくまりかけたその時。
室内に設置された司令官用の無線端末から、ノイズ混じりの低く、そして狂気を孕んだ声が響き渡った。
『……イチカ。第七区のゴミ掃除は、私がやる……』
その声を聞いた瞬間、室内の空気がさらに一段階、冷え込んだ。
声の主は、正義実現委員会の委員長にして、キヴォトス最強格の戦略兵器──“剣先ツルギ”。
「つ、ツルギ先輩っ!? え、でも、私じゃアクセス権限が……」
『構わない……。お前は……聖園ミカの要求に従え……』
無線越しでも伝わってくる、圧倒的な威圧感。
しかしその言葉は、意外なほど冷静で、的確な指示だった。
『ハスミが……本部に戻る。状況はモモトークで共有済みだ……。第十三保管室へ案内しろ……』
ツルギは現場で血風を巻き起こしながらも、本部の状況を正確に把握し、最適解を出したのだ。
戦闘狂に見えて、その実、誰よりも組織のことを見ている委員長らしい采配。
「あ、そうなんすね……。了解っす」
イチカは深いため息をつき、へなへなと肩の力を抜いた。
委員長の命令ならば、従うしかない。
「ふふっ。ツルギ委員長は話が早くて助かるなぁ。リルくんの件について、何か思うところでもあるのかな?」
ミカが端末から手を離し、にっこりと微笑む。
しかし無線からの応答はなく、代わりに銃声と悲鳴、そして『キエエエエエ!!』という絶叫がノイズの向こうから聞こえてきた。どうやら通話は切れたらしい。
ミカは『ま、いっか』と椅子をくるりと回し、イチカの方へ向き直った。
「それじゃ、改めて──よろしくね、イチカちゃん?」
「……はぁ。仰せのままに、ミカ様」
イチカは疲れ切った顔で敬礼した。
その横で、コハルだけが不安そうに、ミカの手にあるファイルを凝視している。
「あの……ミカ様。リルが……何かしたんですか?」
恐る恐る問うコハルに、ミカは意味深な笑みを向けた。
「さぁてね。それを今から確かめに行くんだよ。……あの子が本当に“怪物”なのか、それとも、ただの“生贄”だったのかをね」
その言葉の意味を理解する間もなく、指令室の扉が再び開く。
現れたのは、凛とした空気を纏った長身の少女──副委員長の“羽川ハスミ”だった。
「お待たせしました、ミカ様。……第十三保管室へ、ご案内します」
役者は揃った。
過去の闇に葬られた真実を暴くための、即席の調査隊。
ミカは満足げに頷き、ハスミの後に続いた。
──こうして、三年前の悪夢の蓋が、再び開かれようとしていた。
階段を下りるたび、空気が一段と冷たくなっていく。
幾層もの石壁が外界の光と温度を遮断し、かすかに響くのは、靴音と鉄骨の軋みだけ。
天井に取り付けられたアーチ状の蝋燭型ランプが、淡く黄味がかった明かりを揺らしていた。
先頭を歩くハスミの背中には、濡烏のように艶やかな長髪が揺れている。
その歩みは静かで、乱れがない。
冷静沈着な彼女らしい、無駄のない足取りだ。
「もう間もなく、到着します」
ハスミはそう告げると、迷うことなく地下階への回廊を進み続ける。
その後をミカ、イチカ、コハルが続く。
「えっと……あ、あの、ハスミ先輩……ここって……その……」
イチカのすぐ後ろ、ピタリと背中を丸めて歩くのはコハルだった。
彼女は普段、押収品管理室の上層フロア──明るく整頓された一般事件の押収品保管庫や電子記録室を担当している。
だが、今向かっているエリアは、彼女のアクセス権では立ち入れない、さらに深層の領域だ。
それだけに、この冷たく重々しい空気が、ずしりとその背にのしかかる。
何か、触れてはいけないものに触れようとしているような、そんな予感。
「──第十三保管室。特級案件専用の押収品保管庫です。あなたの業務エリアとは取扱いが全く異なるので、分からないのは無理もありません。私ですら、入る機会は少ないのですから」
ハスミの声は穏やかだったが、その響きはどこか厳粛なものだった。
第十三保管室。
トリニティにおける“闇”が眠る場所。
公にはできない事件の証拠品や、危険な遺物が封印されていると言われる禁断の保管庫だ。
「ミカさん。ノートルダムの受難に関わった当時の正実メンバーは、既にトリニティを卒業しています。当時の記録も、断片的なものしか残っていません。ですから、私たちにできるのは、証拠品と現存する記録をお見せすることくらいです」
ふと振り返り、ハスミがミカに問いを向ける。
「……それにしても、なぜ今さら三年も前の事件を? ティーパーティーが直接動くなど、異例中の異例ですが」
ハスミの瞳には、隠しきれない警戒の色があった。
当然だろう。
過去の不祥事を掘り返すような行為は、トリニティの平穏を乱すことに繋がりかねない。
しかし、ミカはいつもの微笑みを浮かべたまま、軽やかに答えた。
「うん? ちょっと、リルくんのことで気になることがあってね~」
その言葉に、ハスミは一瞬だけ訝しげな様子を見せるも、すぐに澄まし顔へと戻って前に向き直る。
政治的な駆け引きは不得手とする正義実現委員会としては、ティーパーティーの決定には従うしかない。
「そうですか。ですが、次回からは事前にご相談いただけると助かります。最近は、どこも人手不足で忙しく、中々手が離せませんので」
「は~い☆」
一方で、コハルは再びリルの名が出たことに、困惑した様子を見せる。
さきほどから、会話の端々に彼の名前が出てくる。
それも、こんな厳重な場所に向かいながら。
「あの……その……リルが、事件と何か……関係があるんですか……?」
コハルの問いに、イチカがゆっくりと振り向く。
その表情からは、いつもの軽やかさが消えていた。
代わりに現れたのは、深く沈んだ真剣な眼差し。
「……あるっす。というか──あの事件の犯人とされているのが、白鍵リルなんすよ」
「──うそ」
コハルの声は、掠れた吐息のようだった。
信じられない、というより──受け入れられない、といった様子。
「で、でも……リルって、そんな……。私、いつもあいつのこと監視してますけど……悪さしてるとことか見たことないし、争いごととか、関わろうともしないし……」
コハルの脳裏に、リルの顔が浮かぶ。
いつも適当で、やる気がなくて、事なかれ主義で。
でも、時折見せる寂しそうな横顔や、不器用な優しさも知っている。
あの小さくて華奢な彼が、校舎を破壊し、生徒たちを傷つけた怪物だなんて、どうしても結びつかなかった。
「だよねぇ。どう見ても、自分からトラブルを起こすタイプじゃないよね」
ミカが、くすりと微笑みながら言う。
しかし、すぐに真剣な表情へと切り替え、付け加える。
「だからこそ、確かめに来たの。あの日、本当は何があったのかを……ね」
その言葉に、全員が黙り込んだ。
回廊の先に、巨大な鉄扉が見えてくる。
重厚な金属の輝きが、彼女たちを無言で威圧していた。
この扉の向こうに、真実が眠っている。
あるいは、決して開けてはならないパンドラの箱が。
ミカは、その扉を見据えながら、静かに拳を握りしめた。
もし、リルが本当に無実なら。
あの子をこんな暗闇に突き落とした連中を、私は絶対に許さない。
その決意を秘め、少女たちは禁断の扉の前へと立った。
イチカって、不憫な役回りしてる時が一番輝いてると思いませんか?