海への恐れから生まれた呪霊…陀艮はまだ未成熟であった。
マスコットのようなまるまるとした風貌。
言語を理解する脳はあるものの、児童と同じくらいの語彙量。
唯一特筆すべき特技といえば、術式を付与しない生得領域の展開のみ。
一級数人で祓えてしまう存在。
それが今の陀艮という呪霊の底であった。
だが、それは「今」の話。
これからは違う。
呪いは人を糧とする。
死に際に人が抱く「助かりたい」、「生きたい」という欲求丸出しの姿が、呪いにとってはなによりの餌。
故に、狭い場所に人がひしめく渋谷駅は、絶好の餌場であった。
「いやぁ、いい飲みっぷりだねぇ!
ほらもっと飲ーんで飲んで飲んで飲ーんで飲んで飲んで!!」
囃し立てる真人にあわせ、ごぼっ、ごぼっ、と音を立て、人を飲み込む。
最初はこの程度でいいか。
この場にいた人間のほとんどは真人の持つストックに消えたが、それでもかなりの量を蓄えることができた。
あとは、五条悟が封印されるのを待つだけ。
封印のために地下五階にいる花御、漏瑚に心配を向けつつ、陀艮は「ぶふぅー」とやる気をアピールするように音を漏らす。
「うへぇ。びっしゃびしゃ」
「私もだから我慢して」
おかしい。先ほど、ここにいる人間は全員飲み込んだはず。
陀艮と真人がそちらを見ると、対照的な印象を受ける2人の少女が、ずぶ濡れになった服を絞っているのが見える。
飲み込み損ねたか。
陀艮はもう一度飲み込むべく、水を放つ。
この量の水をまともに受けて、立っていられる人間はいない。
真人も既に終わったものと捉え、踵を返す。
「なんかええのある?」
「『超えてはいけない防波堤』」
「じゃ、それで」
そんな声が聞こえると共に、ずっ、とタイルに固いものが擦れたような音が鳴る。
真人がそちらを見ると、呪霊に近いクリーチャーに覆われた防波堤が、水を弾いているのが見えた。
(呪術師…?偶然か…?)
「ぶぅうー…」
これ以上やっても飲み込めないと判断した陀艮が、不服そうに水を飲み切る。
と。それを見計らったかのようなタイミングで、怪しげな防波堤が崩れた。
「これ便利やな。また今度からも使お」
「いいけど、動くんならきちんと崩してからにしてよ。
超えたら問答無用で死ぬんだから」
「一通りの制約は頭に入っとるし、心配あらへんよ。ありがとな」
なんの術式だ。
構築術式にしては差異が大きい。
あれだけの壁を作ってピンピンしてるあたり、呪力の消費も少ないのだろうか。
それとも、元の呪力量が底無しなのか。
真人が憶測を立てていると、2人の視線が真人へと向いた。
「あ。お姉ちゃん、あのつぎはぎ、あれだよ。
虎杖って人が殺したがってるってやつだ。
足止めしとけって頼まれてた」
「そうなん?ほんならウチらは手ェ出したらあかへんなぁ」
そういう縛りでも結んでいるのだろうか。
なんにせよ、彼女らはこちらに手を出せない。
真人はそれにほくそ笑み、声を張り上げる。
「自分が不利になること、馬鹿正直に言うなよ」
術式の開示とは訳が違うのだ。
見た目通り若い術師なのだろう。
あの七三や虎杖悠仁と比べても練度が低いな、と思いつつ、真人は2人へと駆け出す。
2人はそれに対し、呑気に会話を交わした。
「どんなのがええやろ?
こいつが暴れ回んのがいっちゃん面倒そうやし、閉じ込める系とか?」
「いや。こいつ領域持ち。
術式の開示込みで、『あんてなさま』」
「はぁーい」
途端、ずっ、と地面から生えてきた細い腕が真人の腕を掴む。
そこから這い出てきたのは、少し触れただけでも折れてしまいそうなほどに細身な女性の異形。
その頭部は円筒系のアンテナになっており、どこか目で、どこが口かもわからない。
(呪霊か…?まあいい、触れて終わりだろ)
真人はその腕を掴み返し、無為転変で作り替えようとする。
が。即座にある違和感に気づいた。
(魂がない…?)
そんなことがあるものか。
作り物であれば頷けるが、目の前のそれは真人の尺度で見ても「生きて」いる。
であれば、確実に魂が在るはずなのだ。
だが、現に目の前の異形にはそれがない。
真人がそのギャップに困惑していると、異形の手が彼の頭を掴もうと迫るのが見えた。
(なにか、やばいっ!!)
それは真人の勘だった。
真人は体を分裂させ、己の魂を異形に掴まれていない体に移す。
と。触れられた体から通じるように、気が狂いそうになる悍ましさを孕む情報の塊が、一気に流れ込んできた。
「ぐ、ぉあっ、ぁあああっ!?!?
あ、あぁ、ああ、あばはぁ…」
掴まれた体が情報を処理しきれず、その場に崩れ落ちる。
真人はそれを前に警戒を抱き、双子の方を睨んだ。
「お姉ちゃん、術式の開示」
「はいはい。…ウチらの術式は『怪談話』。
妹が知っとる怪談話…っちゅうか、『こわーい存在』をガワだけ再現するだけの術式な。
んで、今出しとんのが『あんてなさま』。
目ぇつけた相手の頭掴んで、顔になっとる『あんてな』で集めた『悍ましい情報』を大量にインストールさせて殺すっちゅうこわーいお姉さんや」
人から生まれた呪いである自分が落ちるほどの情報量。
だがしかし、真人からすれば流し込まれる情報自体にダメージはない。
ただ、脳の処理能力が追いつかないだけ。
呪力のこもらない攻撃だからこそ、崩れ落ちた体も数分すれば戻る。
故に厄介。
こちらからも、そして相手にも決定打となる攻撃がない。
とことん足止めする気なのだろう。
真人はそれに舌打ちし、双子へ襲い掛かろうと目を向けた。
「お前らを殺せばコイツも消えるだろ!!」
「正解やけど、ウチらは遊ぶ気あらへんで。
そこで人形と遊んどき、ガキンチョ」
「お姉ちゃん、『忘れられた子』」
「はいはい」
そんな捨て台詞と共に、双子の姿が消える。
真人は苛立ちを隠すように笑い、陀艮に叫んだ。
「陀艮!俺はこの木偶の相手しとくから、先に持ち場についてて!」
飛梅の介入は予測していた。
だからこそ、既に仕込みは済ませてある。
もう少しだめ押ししたかったが仕方ない。
真人はそんなことを思いつつ、凄まじい勢いで迫る『あんてなさま』へと駆けた。
五条悟封印まで、あと数分。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「お待ちしてました、冥さん」
その頃、渋谷地下に向かうための階段の出入り口前にて。
小さな少女を連れた長髪の少女が、薄く笑みを浮かべて冥冥の名を呼ぶ。
冥冥はそれに意外そうに声を漏らした。
「おや。今日はきりちゃんではないんだね」
「絶対に行きません、椅子の人やってますって拒否られちゃって」
MCU版のスパイダーマンかよ。
そんなツッコミが浮かぶ中、虎杖はふと、少女に見覚えがあることに気づく。
「………あれ?ずんだ餅先輩?」
「お久しぶりです、虎杖くん」
「やっぱそうだ!!え、なんで!?」
「知り合いかい?」
「中学、高校と一緒で、毎日毎日アホみたいな量のずんだ餅を作って持ってきては全校生徒に均等に配ってたんすよ!!」
今でも想起できるずんだの風味。
いつもいつも「いつ作ってんだ」、「業務用の機械でも持ってんのか」と思うほどの量のずんだ餅を抱えて持ってきていた少女に、悠仁が露骨に顔を顰める。
あまりいい感情を抱いてはいないらしい。
冥冥はそれに呆れ、少女に問うた。
「君、そんなに頭がおかしかったのかい?」
「失礼な!愛が深いだけです!!」
呪術師からも頭おかしいと認識されたことに、頬を膨らませる少女…東北純子。
実を言うと、仲間内からも「ぶっちぎりで頭おかしい」と揶揄されているのだが、彼女はそのことを知らない。
彼女も呪術師だったのか、と悠仁が感心を抱いていると、ふとそばに控えたオーバーオールの少女に目が行った。
「その子は…?」
「えっと…、まあ、我が家に代々仕える精霊みたいなものです。
見た目通り非力ではありますが、心配要りません」
「どっちかというと妖精なのだ」
「…同じようなモンじゃない?」
精霊と妖精の違いがわからない悠仁がこぼすと、少女は呆れたようにため息を吐いた。
「……僕、ヒメとミコトみたいな規格外じゃないのだ。
ずんだ餅食べた分だけ強くなるくらいで」
「先輩がアホほど作ってたのって、そう言う理由だったんだ…」
「いや、ずん子の場合はただ単に好きすぎて作ってるだけなのだ」
「イカれてんの???」
悠仁の口から放たれたとは思えない罵倒が漏れる。
それほどまでに彼女の作るずんだ餅の量が尋常ではないのだろう。
冥冥はそれに興味を抱きながらも、「そんなことより」と話を軌道に戻す。
「中はどうなってる?」
「地獄絵図ですね。
五条悟を動揺させるためか、地下五階で無差別殺戮パレード。
その他の階も呪詛師やら呪霊やら改造人間やらでバイオハザードもびっくりな凄惨っぷりです。
私らも流石にこれをカバーすることはできませんが…、被害を渋谷駅に抑えるくらいならできますよ」
「上出来だね。渋谷に甚大な被害をもたらすことにならないというだけまだマシだ」
事は既に、そのレベルに来ている。
救える命には限りがある。
悠仁は悔しげに顔を歪めるも、即座に持ち直し、階段を見やった。
「…索敵は既に済んでるんだな?」
「ええ。お恥ずかしながら、ざっくりとしか把握できていませんが」
「いや、十分さ。私の仕事が減る」
「姉様のお手を煩わせない手前…。
素晴らしく妬ましいです」
今の今まで静観していた憂憂が、悔しさと羨ましさを滲ませた表情で純子を睨む。
彼女はそれを気にせず、階段の一段目へと足を伸ばした。
「さ、行きましょうか。
多少なら救える命はあるでしょうし」
「行きますけど…、先輩、大丈夫なんすか?
その、人を殺すこととか…」
「救いようがないんなら殺すほうが慈悲です」
「呪術師向けの性格だね。
なんで雲隠れして普通の学生やってるのかが不思議だよ」
「上下関係が普通の会社の800倍くらい面倒臭いからです」
…もしかして、『声』のメンバー全員がこんな感じなのだろうか。
悠仁は呆れを抱きながら、彼女の後に続いた。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「んー…。思ったよりあのツギハギが改造人間を作るペースが早いね。
サイヤ人みたいな成長速度のやつに、下手についなちゃんをけしかけたのは悪手だったみたいだ」
その頃、渋谷上空にて。
空に佇むミコトがそう吐き捨て、閉じた目を開く。
既に渋谷駅内の死者は五千を超えた。
これだけでも大惨事ではあるが、まだ渋谷駅の中で済んでるのは奇跡だ。
もう少し経てば、その惨事が渋谷全体に広がる。
今は多少なりとも被害を押さえているが、それもいつまで保つか。
一気に平安の時代に戻された気分だ、と呆れ、ミコトはため息を吐いた。
「脳みそ野郎め。何が変革だ。
これは『退化』って呼ぶんだよ」
既に呪いの時代は終わっている。
宿儺のような強い呪いも、道真公のように世の理から外れた者も、もう二度と世に生まれ落ちない。
生まれ落ちるべきではない。
現に、飛梅は菅原道真の力を継いではいるものの、彼を超えることはできなかった。
呪いの頂点は、道真公をはじめとした日本三大怨霊のように、「話の通じる埒外」でなければならないのだ。
そんなことを考えていると、隣に佇んでいたヒメが口を開く。
「で、どうすんの?」
「まずは呪術師側の情報伝達経路を確保する。
あの氷のガキがうろちょろしてるだろうから、ヒメはそれを邪魔しといて。
……今度は見逃さないようにね」
「ミコトは?」
「壁を一つ取っ払っていい気になってる脳みそ野郎に挨拶してくる」
彼女の視界。そこには、獄門疆に封じられた五条悟の姿が映っていた。
菅原道真…誰も超えることができない壁の一つ。生み出した飛梅にすら「人として存在すべきではない」とか思われてる。
ずんだ餅先輩…虎杖と同じ中学、高校に通ってた問題児。全校生徒に半無理やりずんだ餅を押し付け、食わなければ小一時間は「ずんだ大好き」としか言えなくなる体にされた。実害があるタイプのキチガイ。
よく怖い話に巻き込まれる双子…術式がニコイチなタイプ。妹側の知識、理解がない分には再現することができない。そのため、姉はざっくりとした概要しか知らない。