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商談
「カズマ、寝たくないです……」
俺の腕の中でめぐみんは目に涙を浮かべながら、言った。寝るのが怖いのだろう。俺は彼女の不安を少しでも和らげる言葉を与えないといけない。
「大丈夫だ、今日の出来事はちゃんと俺が覚えている」
「嫌です……! 明日になったら、私は何も覚えてないのですよ! 忘れたくないのです……私は……絶対に……」
めぐみんの言葉が途切れ途切れになる。もう少しでめぐみんは眠りにつく。そして、今日の出来事も全て忘れてしまう。
「忘れたくない忘れたくない忘れたくない忘れたくない忘れたくない忘れたくない……忘れたくない…………わすれ……」
腕に抱えている彼女の体から力が抜けていく。めぐみんは呪詛のように想いを唱えながら眠りについた。
「おやすみめぐみん」
俺は彼女の頬を伝う涙をそっと拭って、ベッドに寝かしつける。彼女が今日起きていた時間はたったの三時間だった。
+
「もうめぐみんは寝てしまったか?」
屋敷の広間。めぐみんの部屋から戻ってきた俺にダクネスが問いかけた。
「ああ。今日もめぐみんの記憶は戻らなかった。多分これから先もずっとめぐみんは……」
俺はそこで言葉を止めてしまう。
「大丈夫だカズマ、めぐみんの記憶は必ず戻る。今日もめぐみんに説明をしたのだろう?」
「ああ、毎日説明してる」
俺はめぐみんが目を覚ます度に説明しなければならない。めぐみんの身に何が起こったのかを───。
めぐみんには重度の記憶障害がある。彼女は、魔王討伐以降の出来事をまったく覚えることができない。
めぐみんの記憶に障害が出たのは、魔王討伐からこの屋敷に帰ってきてすぐのことだった。魔王討伐の翌日、めぐみんは不審な様子で俺達に尋ねた。
『さっきまで魔王城に居たはずなのに、なぜ屋敷にいるのですか』と。
最初は何かの冗談かと思っていたが、翌日もその次の日もめぐみんは同じ質問をした。様子がおかしいので、アクアに最上級の回復魔法をかけてもらうが、変わらない。
原因はすぐに分かった。脳のエピソード記憶を司る部分。そこが正常に動作していないと、全てを見通す悪魔バニルが教えてくれた。
めぐみんの症状は『前向性健忘症』という突発性の病気だった。この病気は昔の出来事を忘れる逆行性健忘症とは異なり、これからの出来事を覚えることができなくなるというものだ。
めぐみんが寝て起きると、その日の出来事を全て忘れてしまい、記憶がリセットされる。だから、めぐみんには、魔王城にいた頃までの記憶しかない。そして魔王城から帰ってきてからの事を何一つ覚えていない。
めぐみんにしてみれば、突然未来にタイムスリップしたようなものだ。当然、彼女にはそれまでの記憶がないのだから。
病気だからアクアの回復魔法でも、めぐみんを治すことが出来ない。医者にも診せに行ったが、めぐみんの病気は大変珍しいもので、明確な治療法は確立されていなかった。
そして医者からは、めぐみんの病気が治る可能性は極めて低い、と告げられた。
───。
「カズマ、酷い顔をしているが、大丈夫か?」
「……ああ、めぐみんの事を考えていて……いや、大丈夫だ。今は俺よりめぐみんの事を気にかけてくれ」
「そうだな、今日は領主代行の仕事でめぐみんの面倒を見れなかったが。今日一日のめぐみんの様子を教えてくれないか?」
ダクネスの手元にあるノート、それはめぐみんを医者に診せに行った時に担当医から貰ったものだ。滅多にない症例だから、どんな症状が出るかをノートにまとめて欲しい。医者からはそう言われた。
「……別にいつも通りだ。今日は───。」
めぐみんに今までの事を説明して、動揺する彼女を宥めるのに一時間。
めぐみんの手を握り、必ず記憶が元通りになると励ますのに一時間。
泣きながら、忘れたくないと懇願するめぐみんが寝るまでを見届けるのに一時間。
ダクネスに今日あった事を細かく話した。
「いつも通りの毎日だ。これからもきっと変わらない」
「……そうか。つまり、今日めぐみんが起きていた時間は、三時間だけだったという事か?」
「そうだな」
ダクネスは俺の伝えた内容をつらつらとノートにまとめる。これが何の役に立つのか、俺には分からない。めぐみんの記憶に異変が起きてから、俺は一度もノートにめぐみんの症状をまとめた事がなかった。
「めぐみんが病気を発症してすぐの頃は、ここまで起きている時間は短くなかったはずだ。日に日に起きていられる時間が短くなっている……」
めぐみんの病気は脳に負荷がかかっている状態だ。そのせいか彼女は普通の人より脳疲労が激しい。だから起きてから一定時間が経つと、とてつもない眠気が襲ってくる。今日、三時間程しか起きていられなかったのもそれが理由だ。
「カズマ……、めぐみんの病気を治す為に何かしてやれる事はないか? お前は今までピンチに陥っても、持ち前の機転で解決してきただろう。今回もきっとカズマなら……」
ダクネスは目で俺に縋る。そんなに俺を頼りにされても、思いつく事なんてないのだが……。
「……バニルに聞けば何かわかるかもしれない。医者に診せに行くより、的確なアドバイスを貰えるだろう」
勿論、何も解決しない可能性の方がずっと高い。
「そうだな、すぐにバニルの所へ行こう。それはそうと……カズマ」
ダクネスは立ち上がり俺の方へと歩んでくる。少し怒ったような顔で、その顔をずいと俺に寄せて尋ねた。
「……今日、一度でも笑ったか?」
「…………」
急に指摘されて上手く言葉が出なかった。
そういえば、笑ってないかもしれない。
「最近のカズマは、めぐみんの事で悩みすぎだ。心配なのは分かるが、少しくらい気晴らしをしたらどうだ?」
気晴らしか……。確かにそれも必要なことだ。
「そうだな……、バニルにめぐみんの事について相談してみるか」
誰かに悩みを相談するのも大事なことだろう。俺とダクネスはバニルのいるウィズ魔道具店へと向かった。
+
ウィズ魔道具店。開口一番のバニルの言葉は酷いものだった。
「ハッキリ言って、紅魔の娘の病気を治す方法などない」
薄々そう言われる気がしていた。医者ですらめぐみんの病気には匙を投げたのだから。バニルが大悪魔と言えども、無理だろう。
「ば、バニルさん! 折角カズマさん達が困っているんですから、そんな言い方はあんまりですよ!」
「カズマ、落ち込む事はないからな。悪魔の言う事は当てにならない」
ウィズとダクネスが俺を励ます。俺は落ち込んでない。めぐみんの病気が治らないことは、もう分かっていた。
「悪魔の言う事ほど、信用出来るものはないのだが……。しかし、吾輩があの爆裂娘の病名を言い当ててから、久しい。どうだ、改善は見られたか?」
「わざわざそんな事を聞かなくても、分かっているんだろう、バニル」
バニルは全てを見通す悪魔だ。だから、めぐみんの症状が改善してない事も既に知っているはずだ。
「フハハハ、そんなに吾輩を睨むな。小僧の悪感情を食らう為に聞いたわけではない。これは商談の前座、全ては大切なお得意様の為だ」
「?」
俺は首を傾げる。バニルは目線を俺に向けたまま、隣のウィズに指示した。
「貧乏店主よ、先日仕入れてきたあのガラクタを持ってくるが良い」
「ひ、酷いですバニルさん! 私は貧乏店主ですが、ガラクタは仕入れてませんよ!」
「貧乏店主の方は否定しないのだな……」
泣き言を言いながらも、ウィズは心当たりがあるのか、裏の商品棚からスクロールを取り出す。バニルはそれをウィズから受け取ると、俺の目の前に置いた。
「このスクロールは、貧乏店主が遠くの国から買ってきたものだ。この一品を買う為だけに数億エリスもの金を使ったらしい。本当にこの穀潰しは……!」
「す、数億エリス……!」
バニルは怒っているが、それだけの値がついたスクロールだ。きっと、とんでもない効能がある魔道具に違いない。
「い、一体その魔道具を使うと、何が出来るようになるんだ?」
「ほう、知りたいか。教えてやろう」
バニルはスクロールを手に取り、その効果を読み上げた。
「ずばり、嘘をつくのがちょっと上手くなる。ただそれだけの魔道具だ」
「……嘘をつくのが上手くなる?」
もう少し凄い効果のある魔道具かと思っていた。
「……えっと、他に何か凄い効果があるとか? 数億エリスもしたのに、ちょっと嘘が上手くなるだけなんて」
「他に大した効果などない。この魔道具を作った者は、冗談で数億エリスの値をつけただけだ。まさか本当に売れるとは思っていなかっただろう。こんな馬鹿げた物を買う奴なんておらぬわ!」
「それだけの値がついているなら、きっと素晴らしい効果が隠されているはずだと思ったんです! ば、バニルさん? 殺人光線の構えで近寄ってきて……。金庫にこっそり隠してあったお金を使った事は謝りますからあああああああ!」
バニル式殺人光線とやらで、ウィズの体からプスプスと
───。
「話を戻すぞ小僧」
気を失ったウィズと、彼女を介抱するダクネスが店の裏に行った後。商談の場は、俺とバニルだけになっていた。
「爆裂娘の病気を治す方法がない。その事は小僧も分かっているだろう」
改めてバニルに言葉にされると、心がギュッと締め付けられた。
「…………分かっているかもな」
「爆裂娘の様子は?」
「…………最近はよく泣いてる」
言葉にしたくないものを一つずつ話していく。
「これからもこの生活を続けるつもりか?」
「…………」
バニルは俺の返答を全て確認する。そして、スクロールを、静かにこちらに近づけた。
「小僧よ、このスクロールを買うがいい。数億エリスも払えとは言わないが、数百万エリスで手を打とう」
「……俺が嘘をつく相手なんかいないぞ」
「いや、一人いる」
伏し目がちだった俺はそこで顔を上げた。それは誰なのかと俺が聞こうとすると、
「爆裂娘だ。小僧よ、彼女に嘘をつけ」
バニルが先に答えた。
「このスクロールは相手の脳に負荷をかけて、嘘を信じやすくさせる。数億エリスもの値は付けられないが、その効果は本物だ。これを使えば、爆裂娘を騙すことができるだろう」
「騙すって……?」
「好きな嘘をつけばいい。爆裂娘にどんな嘘をつけば、彼女が喜ぶか。それは小僧が一番よく分かっているであろう」
そもそもめぐみんに嘘をつく事自体、まだハッキリ決めてないのに。俺がめぐみんの為に、どんな嘘をつけばいいか。俺は暫く考えた後、呟いた。
「……俺とめぐみんは、まだ恋人同士じゃないんだ」
「ほう?」
急な俺の話に、バニルは特に聞き返すこともなく、聞いてくれた。
「魔王を討伐してから、正式に告白して恋人同士になる約束だったんだ。でも、めぐみんに記憶障害が出てから、そんな事を考える余裕がなくて……」
普段、ダクネス達には言えない事を、バニルには自然と話してしまった。悪魔に弱味を見せてしまうほど、俺の心が弱っていたのだろうか。
「もうこの先、めぐみんとの関係が進展することもないと思ってたんだ。俺達はずっと同じ日を繰り返している。魔王を討伐した日から、何も変わってない」
俺の
「……例えば、めぐみんに『実は俺達は結婚している』と嘘をついたら、……あいつは喜んでくれるのか?」
「それを聞く相手は吾輩ではないだろう? 試しに爆裂娘に聞いてみるがいい。それとも、吾輩の力で未来を見通すか? 勿論、相応の対価は頂くが」
「……いや、やめとくよ」
俺はスクロールを手に取る。この魔道具を使えば、俺とめぐみんの生活は変わるのだろうか。
「……値段、いくらだっけ?」
「一千万エリスだ」
さっき言っていた値段と明らかに違う。
「フハハハ、言ったであろう。これは商談であると。吾輩は善人でも何でもない。ただの悪魔であるからな」
実に愉快そうに笑うバニル。本性は悪魔という事らしい。仕方ないので、俺はバニルの前にお金を差し出す。
「商談成立だな」
バニルはニヤリと口元を歪めて、悪魔らしい笑みを浮かべた。
かなり遅筆なので、出来るだけ短く書きたいですね。