第2章です。
女神
(あるえ視点)
小説家になれないなら、私は死んでも良かった。編集者がこちらにやってくる。でも、私は声をかけられない。命がかかっているのに。
「あ、あの……!」
震えた私の声を聞いて、女が振り返る。私には、彼女が悪魔のように見えた。
「これをっ、読んで欲しくて。私の自信作で……」
「小説の持ち込みですか?」
編集者はすぐに私の言葉を察した。紙の束が入った封筒を私から受け取り、中身を取り出す。編集者はすぐにその場で読み始めた。
「…………」
1枚、1枚と編集者は紙をめくる。私が何ヶ月もかけて書いた作品を、ほんの数秒で読み進める。私は編集者の顔を見れなくて、彼女の足元を見ていた。
「……君、名前は?」
編集者は紙をめくる手を止めずに、私に尋ねる。作品についてではなく、私についての質問だった。編集者に私をアピールしなくてはいけない。私は大きく息を吸って。
「わ、我が名はあるえ! 紅魔族随一の発育にして……」
「はい、あるえさんね。変な名前だね。紅魔族か」
「…………」
私の名乗りを聞き流しながら、紙をめくる。編集者を前にして失礼なことは言えない。私はぐっと我慢した。
それから5分後、紙をめくる手が止まった。
私は編集者の言葉をじっと待つ。この作品は、私の中で最高傑作だ。どんな言葉を貰えるだろうか、と待っていると、
「この小説、つまらないよ」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。私は呆気にとられて言葉を失う。
「ストーリーもダメだし設定もダメ。感情移入もないし、主人公の作り込みも浅い。誰が見てもつまらないって言うよ」
反論の余地すら与えず、一方的に言われる。
「じゃあ、そういうことだから」
編集者は原稿を私に返して立ち去る。私はその場から暫く動けなかった。編集者の
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「初心者殺しの餌にでもなってしまおうか」
私は原稿を抱えてとぼとぼと歩いていた。小説家になると、親にも友人にも宣言してしまった。こんな情けない姿を、紅魔の里のみんなに見られたくない。
所持金は殆ど残ってないが、バイトをする気にもなれない。小説家以外の仕事はしたくなかった。そんなことを考えながら、街を歩いていると。
「かじゅましゃーん! シュワシュワ買ってちょうだい!」
「この駄女神! この前買ったばかりだろうが!」
聞き覚えのある声に、私は咄嗟に物陰に隠れた。声のした方をこっそり見る。あれは、めぐみんの冒険者仲間のカズマとアクア。そういえば、ここはめぐみん達のいる街だ。
泣きっ面の私を見られるわけにはいかない。私はカズマ達に見つからないように後ずさり。
「……あっ」
後ろに置いてあった何かに
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「死後の世界へようこそ、あるえさん。短い人生ですが、あなたの生は終わったのです」
真っ白な部屋。私の目の前には、修道服に身を包んだ銀髪の女性。宗教画で見たことがあるエリス様にそっくりだった。
「……私は……死んだのかい?」
「はい。後頭部を地面に強打したのです。きっとお辛いでしょう。ここは心を落ち着かせる場所でもあります。時間はありますから、ゆっくり……」
私が死んだことなんかより、重要なことがある。
「私はまだ小説家になってない」
「…………?」
自分の書いた作品を全否定されて終わりなんて嫌だ。私はエリス様を睨みつけてしまった。このまま何も果たせず死ぬわけにはいかない。
「私はここで死ぬような人間じゃないよ。転んで頭をぶつけて死ぬなんて紅魔族として許せない……!」
「むしろそれが本音じゃ……」
エリス様はうんうんと考える素振りを見せる。私のために何か考えてくれているようだ。そして、閃いたのか口を小さく開けると。
「生き返る方法がないわけではないのですが……。あるえさんには難しいと思いますよ?」
生き返る方法があるらしい。
「教えてくれ。小説家にならずに死ぬ訳にはいかないんだ……!」
私は身を乗り出して、エリス様に伝える。
「そうですね……。一応、伝えますが……」
そこまで言うと、エリス様は一呼吸置いて。
「あるえさん、女神になりませんか?」
エリス様の提案は、私が全く予想していなかったものだった。
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「自己紹介をしていませんでしたね。私はエリス。幸運の女神を務めています。……ここに来る人の中には、貧乳の女神だとか言う人がいますが、それは真っ赤な嘘です」
エリス様はわざわざ否定する。気にしているのだろうか。
「女神になれば、私は生き返れるということで良いんだね?」
「ええ。女神になる条件は1つだけです。それは、最初の信者の願いを叶えること」
エリス様は小さな胸を張って話す。
「最初の信者の願い……?」
「女神になれる資格を持つ人には、一時的に何でも実現できる力が与えられます。私は、最初の信者に幸運を与えて、幸運の女神になりました。アクア先輩は、最初の信者に水を与えて、水の女神になったそうです。最初の信者の願いが、そのまま女神としての力になります」
何でも実現できる力。
「ふむ。例えば、最初の信者が、私に天才小説家になって欲しいと願ったら、私はその願いを実現できる、ということかな?」
「その通りですが、あるえさんの願いじゃなくて、信者の願いを叶えるんですからね? 本当に大丈夫でしょうか……」
エリス様は不安そうにため息を吐く。私に女神としての資格がないとでも言いたそうだ。
「大丈夫だよ。私を信じてくれ」
「……はぁ、心配ですが。一時的にあるえさんに、女神としての資格を与えます。能力に制限はないですが、変なことに使ったらダメですよ?」
エリス様は私に向かって手をかざす。身体がほんわりと温かい。何か力を与えられたのだろう。
「おお……!
「女神としての力です! 禍々しいとか、変なことを言わないでください!」
紅魔族として、言わずにはいれない。力が湧いてくるような、そんな気分だ。今なら傑作の小説を一つや二つ書ける気がする。
「すぐにあの編集者を見返してやらないと……! 早く生き返りたいのだけれど、もういいかい?」
「ちょ、ちょっと待ってください。女神としての申請とか色々ありますから……。これは"特別"措置なんですからね?」
特別。嬉しい言葉だ。私は
「……お待たせしました。蘇生の準備ができたので、今、門を開けますね」
エリス様がパチン、と指を鳴らすと、私の足元に魔法陣が現れる。そして、ゆっくりと体が宙に浮いていった。
「いいですか、叶えるのは最初の信者の願いです。既に何らかの宗派に入ってる人は、信者とみなされないのでご注意を! ええっと……、他に伝えることは……」
体がどんどん宙に浮いていく。
「くれぐれも自分の願いを叶えようとは、しないでくださいね。一生その願いを背負っていく訳ですから、信者に寄り添って───」
途中から、エリス様の声は聞こえなかった。自分の願いを叶えるな、と言われてもそれは無理な話だ。既に私が叶える願いは決めてあるのだから。
「私は、天才小説家になる」
私の宣言は、エリス様に聞こえただろうか。