それは、生前の――このキヴォトスに来る以前の記憶。
摩耗して忘れていた筈の記憶で、
当時の俺は時計塔を出て、遠坂や
どうして――?
なんて物を問い掛けたら答えは見つからないけれど、きっと忘れ物があったんだと思う。
それは何――?
その答えも用意出来ない、どうしてだろうな、忘れ物が何なのか忘れてしまったのか、それとも探しに来たのか、とにかく俺はあの日、東南アジアで紛争を一つ終わらせることが出来て見上げた空があまりにも青くて、自由に飛ぶ鳥達が何処に向かうのか考えて、きっと彼等には帰る所があるんだと思ったら……何故か、飛行機に乗っていた。
無理な魔術の行使、その反動だろうな。
いつか見た
それもあって、搭乗手続きには苦労した。
いつもなら知り合いに頼んで国と国を移動する時は密入国する事が多かったのに、その時は何故か正規の手続きで飛行機に乗った。
日本の空気を吸うのは何年振りだっただろうか、乾燥した土地に居た所為か少し息がし辛くて、なのに居心地は良くて、海外に行った後に日本に帰ってくると『俺は日本人だ』っていうのを意識させられる。
前回は時計塔に通っている時だったから、桜と藤ねえに事前に連絡をして迎えに来てもらったんだっけか。
着替えとノートしか入っていないボストンバッグを担ぐと、この数年で自分がどれだけの物を捨ててしまったのかを実感する。
時計塔に行く時はもっと重かった荷物が、今じゃ三分の一程度に減ってしまった。
それでも、身に着けている紅のマフラーは時計塔時代からの宝物だ。
無理な魔術の行使っていうのは、文字通り人生を捨てる様な物だ。
等価交換の原則に則っていながら、失われるのは物だけじゃ無い。
最近じゃ高校時代の同級生の名前もチグハグになってきて、いつか見た星の輝きも雲に隠されてしまったかの様な陰りの向こうにある。
バスに乗り込んで、流れる景色を見つめながら覚えている事を必死に搔き集める。
搔き集めてみて分かるのは、俺自身が搔き集める対象が何かを分かっていない事だ。
俺にとって忘れたくない記憶が何なのか、忘れてしまった物が何なのか、それさえもあやふやだ。
荷物からマフラーを出していて良かった。
バスの窓越しに見える道路には雪が降りていて、無意識の内に季節さえも忘れていた事に気が付いた。
冬、俺にとっては特別な季節だ。
思い返してみても奇跡に等しい体験、動くことを知らなかった歯車が回り出して、人生という長い工程の中では短い期間だったけれど、命を賭したあの数日は俺にとってもう一つの始まりだったのだと今では思う。
トンネルに入り、ガラス越しに見えていた景色が消えて俺の顔がソコに映し出される。
トンネル内の灯りがバスの速度に合わせてフラッシュの様に瞬き、その度に過去の記憶がガラスに映る。
失われた命もあった。
救われた命もあった。
繋がった命もあった。
命の道が絡み合って、あの数日が出来ていた。
思わず吐いた深い息が窓ガラスを曇らせて、そこに映っていた筈の記憶が見えなくなる。
このままの日々を過ごせばいつか、俺は思い出せなくなってしまうのだろうか?
本当に不思議なのは、そう想いながらも歩みを止める気にはならない事。
なのに、どうして俺はまた雪が降るこの季節に、
何度か乗り継いで降りたバス停は爺さんの遺してくれた家から近い場所で、昔はよく街に行く時に使っていたバス停だ。
大通りに面しているけれど少し歩けば住宅街に入る事が出来て、反対側に向かえば懐かしの高校に辿り着く。
雪は歩道を隠す程で、歩けばそこに足跡が残る。
本当に子どもみたいな話になるけれど、振り返るとそこに足跡がある光景が少し嬉しかった。
自分が何処から来たのかを確かめる事が出来て、ついつい何度か振り返ってしまった。
自宅に辿り着いて、変わっていない佇まいに安心しながらも藤ねえと鉢合わせたら気まずいなと考えて、まるで家出から戻って来た子どもみたいな自分の思考に苦笑が漏れた。
荷物を自室に置くまでに見掛けたのは炬燵の上に置かれた煎餅、相変わらず藤ねえは来てくれるんだなと不思議な安心が生まれる。
炬燵がある空間を見ていると、在りし日の思い出が脳裏を過ぎる。
思い思いに過ごしながらも窮屈さは無くて、皆が居たあの空間。
閉じた瞼の裏側に描き出せる懐かしい暖かさ――だけど。
開いた眼に映るのは誰も居ない寂しい炬燵。
ここで、藤ねえは一人で過ごしているのだろうかと考えると、胸が苦しくなった。
炬燵から見える縁側、その向こうの中庭に目を移す。
昔はこの縁側から藤ねえは入ってきたりして、玄関から入れって怒鳴ったりしたっけな。
嗚呼、昔は――なんて言葉を使うようになったんだな、俺は。
荷物を置いて外へ、何かの痕を辿る様に歩を進めた。
恥ずかしい話、土蔵の扉を開けて入口に向けて座り込んでみたり、門を出てすぐの所で誰も居ない道の先を眺めてみたり、我ながら女々しい事をした。
歩けば歩く程に雪が靴を重くして、柳洞寺に着く頃には肩にも雪が積もっていた。
お堂の傍の大きな柳の木に手を当てて、まだ在ってくれた事を嬉しく思う。
敷地内にある一成の暮らしていた家に行くと、表札に一成ともう一つ、知らない女性であろう人の名前が貼られていて驚いた。
そうか、一成は見つけられたんだな、共に過ごしていく誰かを。
きっと本人に伝えたら馬鹿だと罵られるだろうけれど、俺はその表札を見て会う事を止めた。
一成には一成の幸せがある。
今がある。
折角だと思い、爺さんの墓に参る事にした。
花は無かったけれど、そもそも爺さんが花を愛でている姿が想像できなかったし、姿を見せるだけで充分、喜んでくれると思った。
足音では無く雪音、踏みしめる音。
砂を蹴る音とも違い、踏み固める様な音。
爺さんの墓の前に立って、両手を合わせる。
雪の降る日なのに何人か他にも先祖参っている方がいて、雪だから寒いのに凄い人達だと感心した。
「爺さん、俺、正義の味方になれているかな」
問い掛けが返ってこない事は分かっていたけれど、その夢を問い掛けるべき人物は爺さんしかいないと思った。
「爺さんは、色んな選択をしてきたんだろうな」
傘を持ってくれば良かった。
――嗚呼、何かをすれば良かったなんて、考えちゃいけない。
「爺さん」
そんな事を考え始めたら、どうしても浮かんできてしまう。
「早いよ」
本当は、受け入れていたけれども、思っていた事が。
「もっと、話したかったよ」
抑えていた感情が。
足音では無く雪音、踏みしめる音。
誰かの歩く足音、誰かがこちらに近寄って来る足音。
頭にも積もる雪が冷たさを感じさせて、俯いていた俺はどんどん雪にまみれていた。
そこに、影が差した。
「あのさぁ、雪って冷たいんだよね」
誰かが傘を差してくれていた。
憎まれ口を叩きながらも、その行動は優しさがあった。
「ありがとうございます」
「……はぁ?」
謝礼を述べたつもりだったが、お気に召さなかったらしい。
不快感を露にした声にどうすればよいだろうかと思案する。
きっと、眉根を寄せて不快感を露にした表情をしているだろうと相手を見て、俺は目を疑った。
「馬鹿みたいに畏まってないで自分で傘を持てよ、それとも傘の持ち方すら忘れたのか?」
大人びてこそいるけれど、昔と変わらない。
棘のある言葉だけれど、しっかりと相手に対して吐いている独特な向き合い方。
「慎二……か?」
「あぁ良かった、僕の事まで忘れたのかと思ったよ、衛宮」
ねっとりとした言い方も変わらず。
そこに居たのはかつての悪童。
ベージュのコートに黒いハイネックのセーターに紺色のロングパンツ、雪が載っているが革靴で整ったスタイルが傍からも分かる着こなしだ。
依然と違うのは少し髪が伸びた事と、俺を見る表情。
何処か、懐かしさと悲しさを孕んだ憂いを帯びた眼で、だけど口元は相変わらず薄ら笑みを浮かべている。
それに、恐らくはこのロングパンツ。
「裏起毛か」
「……お前のトークセンスに期待はしていないけどさ、せめて久しぶりとか普通の言葉で会話して欲しいんだけど、こっちは」
帰って来た街で、帰って来た場所で、俺を待っていたのは思いもよらない人物との再会だった。
多分大筋合ってると思うんだけどミレニアムの第3章書いてもいい?
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いいよ
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だめだよ
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やってみろ
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エロ書け