第一話 入学式
──────四葉本家 当主書斎
紺色のドレスを纏った女性が紅茶の入ったカップを優雅に持ち上げて口へと運んだ。艶やかで少しウェーブのかかった黒曜石の如く黒い髪。端正な顔立ちには女性の可愛らしさと大人の色気が同居しており、ひとえに左目元の涙黒子が妖艶な雰囲気を一層助長させている。彼女は屋敷の主人である四葉真夜だ。そして、洋風造りの室内には彼女の他に二人の男性の姿が見える。真夜の背後には白い髭を携えた初老の執事が恭しく控えており、正面のソファには高校生くらいの青年が姿勢良く腰掛けていた。青年は真夜と非常に似た顔立ちをしており、髪の質、目元、口元が瓜二つ。服の上からでは中肉中背と表現してよろしいだろうが、彼の顔立ちや纏う空気が普通とはかけ離れた雰囲気を醸し出していた。真夜と同じ紅茶の入ったカップをソーサーごと手にして楽しんでいた。
「……尽夜さん」
真夜は慈しむように目の前の青年を呼んだ。
「どうかなさいましたか母上?」
尽夜と呼ばれた青年は、四葉真夜を母と呼ぶ。
「いよいよ明日ね。寂しくなるわ」
真夜の言葉は儚い。さも恋人が遠くへ行ってしまうのを嘆くかのようであった。
「お側を離れてしまう親不孝をお許し下さい。しかし、これは必要なことなのです。何卒ご容赦を」
尽夜は丁寧に、いささか親子関係には過剰である程丁寧に母親を宥めた。すると真夜はバツが悪そうに尽夜から目を背ける。
「意地悪しないでくださいな尽夜さん。寂しいものは寂しいのよ。昨日モンゴルから帰って来たばかりだというのに」
拗ねた口調の真夜。尽夜は苦笑いをした。
「それにしても、入試では筆記試験を受けることができなかったのですが、合格という結果に驚きました」
「あら?そのような心配をなさっていらしたの?」
話題を変えた尽夜。その内容を真夜はおかしそうに手を口元に当ててクスクスと上品に笑った。
「そうねぇ。そのことに関しては、第一高校から直々にお電話をいただきましたのよ。止むを得ない事情による欠席を先方にお知らせしたところ、貴方の実技成績を鑑みて特別に入学を許可するそうですよ」
「裏口、ということですか?来年度からの入学、もしくは編入も致し方ないと考えていたのですが……」
尽夜は眉を顰めた。
「私も最悪そうなると思ってました。大亜連合の日本に対する侵攻計画を頓挫させる為に、元シンチャン・ウイグル自治区の独立を支援するなんて正直には申し上げられませんからね。ですが、第一高校の教諭方は貴方が入学しない事を魔法師界の多大なる損失と考えたそうです」
「……お上の方が関与を?」
「いいえ。純粋に第一高校自身が魔法協会に掛け合って、特別枠で生徒数追加を一名認めさせたそうですよ。公には推薦入学ということらしいわ。もっとも、今年限りであるでしょうし、貴方限りであるでしょう。ああ。そう言えば、尽夜さんに伝え忘れていたことがありました。明日、第一高校へ午前9時までに登校なさってくださいな」
「かしこまりました」
「受けられていなかった筆記試験をこれまた特別に実施するそうです。ただし、内容は入学試験の難易度に囚われない試験を代わりとするらしいわ」
真夜は手を膝の上で組み、尽夜に向かって微笑む。すると、一息置いて尽夜が立ち上がった。
「逃れられぬ案件であったとは言え、この様な形で計画の修正がなされることをまずは安堵いたします。そして四葉の名を、特に母上の名を汚すことがないように、四葉真夜の息子として十分な成果を挙げてみせましょう」
尽夜はこの言葉とともに、深々と真夜に向かって一礼した。
──────翌朝
「母上、それでは行って参ります。どうか御身体にはお気を付けて」
尽夜は淡白に真夜に対して別れを告げた。真夜は儚げな表情を深め、その目は潤んでいる。
「葉山さん、どうか母上をよろしくお願い致します」
続けて、尽夜は真夜の背後に控えていた初老の執事の葉山に話しかけた。葉山は心得たと意を示すように深く一礼して、これに応える。葉山からの了承を受け取った尽夜は二人に背を向けて、用意されていた自動車に乗り込もうとした。
「尽夜!」
その時、真夜が尽夜を呼び止める。その嘆きに満ちた引き止める声に尽夜は乗り込むのをやめ、真夜の方を見た。すると、真夜はゆっくりと尽夜に歩み寄り、恐る恐る彼の背中に腕を回し、彼の胸に顔を埋めた。それはとても力強く、自分の痕を尽夜に付けている様に感じた。いわゆるマーキングの様に。そんな小刻みに震えている母親の背中に、尽夜も腕を回すことで応えた。
急峻な山々に囲まれた地図にも載っていない山村内の一角で、吹き下ろされてくる風が二人の空間だけを切り取るように優しく穏やかに流れている。
数分抱き合った後に真夜の方から離れ、尽夜は今度こそ出発して行った。四葉本家の玄関には、今にも泣き出しそうだが必死にそれを抑える女性と先程の光景を慈愛の目で見守っていた初老が残された。
──────2095年、4月、国立第一魔法科高校
魔法が御伽話の物でなくなってから約一世紀が過ぎようとしていた。
2095年4月、魔法師を育成するのに各国が躍起になる情勢で、日本も例に漏れることはなく、育成機関である魔法科高校では入学式が行われようとしていた。
現在日本には第一から第十まで魔法科高校が存在しており、定員は200名になる。
第一高校では入学式前に二人の男女が言い争っているようであった。
「納得できません!!」
そういう女性、司波深雪。人形のように左右対称の面持ちで長い黒髪を携え、人々を自然と惹きつける雰囲気を持っていた。
「まだ言っているのか……」
ため息混じりに言う男性、司波達也。深雪程では無いが整った容姿をしており、彼女の苦言を困ったように聞いている。
「なぜお兄様が補欠なのですか!入試結果は1位ではないですか!それに本当なら魔法も──」
「──深雪」
「っ!!も、申し訳御座いません」
「いや、いいんだ。どこから入試結果を手に入れたかは横に置いておくとして、深雪はいつも俺のことを思って言ってくれる。それだけで俺は嬉しい。それに俺が実技は駄目なのは知っているだろう?自分でもよく受かったものだと思うよ」
「お兄様…………」
「さあ、深雪。こんなダメ兄貴にお前の晴れ姿を見せておくれ」
「そんな!お兄様はダメ兄貴などではございません!ですが、分かりました!お兄様!ちゃんと見ていて下さいね!」
「ああ」
どうにか納得した深雪に達也は安堵する。
が、
「しかし、本来であれば総代は私などではなく尽──」
「──深雪!」
「っっ!!」
先程の宥めるような呼び方とは違い、今度は叱咤するような声で呼ぶ。
「それは今の俺たちが絶対に口にしてはいけない事だ。深雪、いいね?」
「はい……重ね重ね申し訳御座いませんでした……」
「いいさ。さあ、深雪。そろそろリハーサルに行っておいで」
「分かりました」
深雪を送り出した達也は息を吐き、入学式入場開始までの時間を潰せる場所を探しに歩き出した。
──────
第一高校の制服に身を包んだ女子生徒の一人が、周囲の新入生たちを誘導しながら気分良く校内を歩いていた。胸元には八枚の花弁のエンブレム、第一高校において一科生である証拠を付けている彼女は女性の中でも小柄な身長であるが、その体は抜群のプロポーションを誇り、男女を問わず周囲の新入生たちを魅了していた。そして、在校生であっても新入生であっても、彼女のことを知らない者はいない。それほどの有名人であった。彼女は七草真由美。日本国の魔法師界は十師族と呼ばれる組織が最高組織として君臨しており、その中の一家である七草家の長女であるのだ。
彼女は先程、新入生の中で目を着けていた生徒に出会うことができた。二科生、この学校では俗に言うウィードと陰で差別されている生徒側ながらも、入学試験の筆記テストでは他の追随を許さない圧倒的な主席。家柄も戸籍上は魔法師界で注目されるような家では無いにも関わらずだ。名を司波達也と言う。
そしてもう二人、真由美には目を付けている生徒がいる。
一人は今年度新入生で首席だった女子生徒。名を司波深雪。名前の通り、司波達也の親戚であり、続柄は妹。二科生の兄とは対照的に魔法の実技技能に優れ、また兄には劣るものの素晴らしい魔法知識を持ち合わせていた。さらに特筆すべきは彼女の容姿で、10人が10人口を揃え美人だと評する姿であった。人形のような左右対称な身体付き、艶やかで重厚そうな黒々と輝く長い髪、細い手足に引き締まったウエスト。全てが完成された女性そのものだった。
最後に目をつけている生徒は、真由美と同じ十師族出身であり、十師族の中でも特に異質な一族と世間から認識されている四葉家直系の子息だった。名を四葉尽夜。真由美が尽夜の存在を知ったのは数年前のこと。当時から四葉家当主であった真夜は、幼い頃に遭った誘拐事件によって生殖能力が失われていると判明していた為、非常に驚きに満ちた知らせだった。しかし、今日まで、正確には第一高校の実技試験日まで、尽夜の情報は名前と性別のみしか明かされておらず、その素性の詳細は謎に包まれていた。しかも、今の今まで社交場には一切姿を見せないことから虚偽疑惑も浮上しているほどだった。
どういう訳か尽夜は筆記試験を受けずの合格となっているが、実技試験では他を寄せ付けない圧倒的な結果を残している為に魔法協会や第一高校の便宜が働いているのだろうと彼女は予測している。四葉家ともなれば、更に言えば四葉家直系の子息ともなれば主席入学は間違いないと思われていたのだが、何とも不思議な話である。公には推薦入学の足掛かりとして、試験的に入学者を1名増やしたという説明を受けていた。それでも、教諭たちの噂によれば、彼は入学筆記試験の代用として、特別に今年度使用させるはずだった卒業試験を受け、9割以上得点するという驚異的な成績を残したらしい。
真由美は学校のサーバーに独自にアクセスして尽夜の姿を知っている。その姿を見た真由美の感想は綺麗の一言だった。写真からでも分かる艶やかな髪、色白の肌にやや鋭利に写るツリ目。魔法師はその性質や遺伝上、強大な力を持つ者ほど整った容姿で生まれることが多いのだが、真由美はこれ程までに妖しく美しいと男性に対して思ったことはなかった。まだ直接会ったことは無いが、四葉家の現当主の面影を十分に持っていた。
そう。今桜の木の下で木々を見上げている人にそっくりだった。
「…………え?」
真由美の目の前には思考の最中にいた本人がいた。彼女の思考が止まる。木々を見上げる尽夜は幻想的な姿をしていた。彼の周りの空間だけが切り取られ、現実から独立した空間のようだった。ひらりひらりと桜の花びらが尽夜の周りを舞う。尽夜は前方に手のひらを出した。1枚の花びらがそこを落ちる。
「眼を塞ぐ、道も忘れて、桜かな」
呟いた尽夜は桜を見上げたまま微笑む。桜が乗っている手を優しく握り込み、開いて地面へと流した。花びらが地面に着くのを見届けて、尽夜が振り返った。
「おや?」
尽夜が真由美を認識する。お互いに初対面。しかし、お互いにお互いを知っている。
「これはこれは、お初にお目にかかります」
尽夜が挨拶すると、真由美は意識を取り戻した。
「は、初めまして、でいいのかしら?」
「はい。四葉尽夜と申します」
「私は七草真由美です。知っているとは思うけれども、当校の生徒会長を務めています」
「存じております」
「入学おめでとう。これからよろしくね」
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」
尽夜は腰を折って礼を行う。その一切ブレのない洗練された美しい所作に、真由美は内心で感心を覚えた。
「もう少しで入学式が始まるけど、場所は分かってる?」
「御心配していただきありがとうございます。講堂の場所でしたら把握していますので大丈夫です」
「そう。ならよかったわ。ところで、入学式が終わったら何か予定はあるかしら?」
「特には」
「もしよかったら生徒会室に来ない?お話ししたいことがあるの。入学式まで時間が無いし、私も他の新入生を誘導しなくちゃならないから」
「喜んでお受けいたします。では、入学式後に講堂でお待ちしていればよろしいでしょうか?」
真由美の誘いに尽夜が承諾を示すと、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「ええ。そうしてくれると助かるわ」
「かしこまりました」
尽夜は恭しく一礼した後、真由美の横を通って講堂へ向かった。その尽夜の姿を真由美は見えなくなるまで追っていた。
尽夜と真由美が再会したのは、入学式が終わって30分程が過ぎた頃だった。新入生がほぼ居なくなった講堂で待っていた尽夜に、真由美はヒラヒラと手を振りながら歩み寄る。
「お待たせしちゃったかしら?」
「いえいえ。生徒会長ともなればやらねばならぬことが沢山あるのでしょう。お気になさる必要はございません」
「お気遣いありがとう。じゃあ、早速だけど生徒会室へ案内するわ」
真由美は尽夜を連れて歩き始めた。
「そう言えば、四葉くん」
「はい」
「聞いていいか分からないんだけど、貴方ほどの人なら首席は間違いないのに、どうして推薦っていう形になったの?」
「筆記試験日にどうしても外せない用事があったため、本当であれば入学は叶わないと思っていたのですが、第一高校が特別に便宜を図ってくださり、実技試験の結果を加味して推薦入学という形を打診いただきました」
苦笑いを浮かべる尽夜。
「でも、代わりに受けた筆記テストの結果では9割以上の得点をしていたそうじゃない?」
「……生徒会長は生徒の個人情報まで閲覧できるのですか?」
「ここの学校は自治を重んじるからね」
「自治の範囲をいささか超えている気がするのは気のせいでしょうか?」
尽夜の疑問に真由美は笑顔を向けただけだった。
「世の中気にしたら負けなことも多いのよ?」
「…………そうですね」
小悪魔のような笑顔は驚くほど似合っており、気にしていたことがどうでもよくなった。
「それにしても、筆記テストを9割以上だなんて、そんな凄い点数、私には到底取れないわ。私ってこう見えて理論系も結構上の成績を取っているんだけどね。卒業する時に四葉くんの点数を思い出して落ち込みそう」
「……ああ。だからあのテストは難易度が高かったんですね。新入生に解かせるレベルの問題ではないと思っていましたが、やっと納得できました」
余裕な態度を取る尽夜が思ったような対応をしなかったからか、真由美は尽夜の少し前に体を出して口を窄めた。
「四葉くん、私のこと馬鹿にしてるでしょ?」
「世の中気にしたら負けなことも多いそうで」
「ふ~ん、そういうこと言っちゃうんだ」
「何かお気に障ることでも?」
「ぜーんぜん。おねーさんは大人だからねぇ」
真由美は後ろで片方の手首を持ち、尽夜の少し前を歩くようになった。尽夜はクスクスと真由美に聞こえないくらいの大きさで笑っていた。しばらく歩いていると、目的地に着いた。四階の廊下、つき当たり。見た目は他の教室と変わらない。違うのは中央に埋め込まれた木彫りのプレートと、壁のインターホン、そして巧妙にカモフラージュされているであろう数々のセキュリティ機器。プレートには『生徒会室』と刻まれている。真由美がIDカードをかざして扉を開いた。中に入ると男性一人、女性が三人いた。
「あ、会長、お疲れさ、ま?」
生徒会室内で最も小柄な女子生徒が真由美の入室に反応したが、尽夜の姿を捉えると固まってしまった。
「あーちゃん、お疲れ様。みんなもね」
尽夜は扉から一歩入った場所で深めに腰を折り、礼を行った。
「紹介するわね。事前に話してたと思うけれど、彼が四葉尽夜くん」
真由美が尽夜を手で示して紹介する。
「尽夜くん、生徒会のメンバーを紹介するわね。会計の市原鈴音、通称リンちゃん♪」
「……私をそう呼ぶのは会長だけです」
整った容姿だが各々のパーツがキツめの印象で、女性にしては背が高く、手足も長いため、美少女より美人と称されそうな人。
「その隣にいるのが、風紀委員長の渡辺摩利」
上級生の会話が成立してないが、彼女らはいつもの事のように気にした様子はなかった。
「それから書記の中条あずさ、通称あーちゃん♪」
「会長……お願いですから下級生の前で『あーちゃん』呼びは止めてください。私にも立場というものがあるんです」
先程まで固まっていた女子生徒。真由美よりも更に小柄な上に童顔で、本人にはそのつもりはないが上目遣いになる瞳は、拗ねて今にも泣き出しそうな子供に見える。
「最後は副会長のはんぞーくん」
「会長!いい加減その呼び方で呼ぶのは止してください!自分は服部刑部です!」
尽夜とほとんど変わらない身長、細身の体。外見的な印象は薄いが、身の回りの空気を侵食するサイオンの輝きは、彼の卓越した魔法力を保持している証明だった。
「摩利以外のメンバーが今期の生徒会役員よ。摩利は別の組織の風紀委員長をやっているわ。それで、さっそく本題に入るんだけれど、四葉くん、あなたには生徒会に入って欲しいの」
メンバーの紹介を終えると、真由美が本題を切り出した。
「毎年生徒会は新入生の総代を務めた生徒に生徒会入りを希望しています。趣旨としては後継者の育成ね。これに則れば四葉くんではなく、司波深雪さんの勧誘すべきということになるんだけど、今後の影響力を考慮した上で四葉くんにも声をかけることにしました。だから、今年は司波深雪さんが承諾すれば一年生二人を迎えることになるわね」
「理解いたしました。先の新入生代表を飾っていた司波深雪さんと共に、この生徒会に所属すればよいのですね?」
「承諾してくれた、と捉えていいのかしら?」
「はい。自分でよければ精一杯務めさせていただきます。七草先輩をはじめ、諸先輩方も以後よろしくお願いいたします」
安堵した表情を浮かべる真由美に対して、尽夜は深々と一礼した。