──────第一高校、A組
入学式から一夜明け、今日から学校生活が始まっていく。尽夜が教室に着いた頃には、生徒のほとんどが登校していた。尽夜が姿を見せると、クラス中の視線が集中した。時が止まったかのように全員が尽夜に釘付けになる。彼の容姿やオーラは、教室で一番大きな集団を形成していた中心の女子生徒に負けず劣らずのものだったからだ。尽夜は自席を確認すると、周りを気にすることなく向かう。それは一番大きな集団の中にあった。
「すまないが、彼女の隣が俺の席でね。話の途中なら申し訳ない。通してくれないか?」
尽夜が集団に断りを入れると、ハッと意識を取り戻した者が道を開けた。
「すまないな。礼を言う」
尽夜はお礼を述べて自席に腰を下ろした。
「おはようございます」
尽夜の隣にいた女子生徒が頃合いを見計らって話しかけた。そこには人形のように左右対称で高貴さを感じさせるが、同時に愛らしさも持ち合わせている司波深雪がいた。
「おはよう。昨日入学式で総代を務めていた司波深雪さんで合っているかな?」
「覚えていらしたんですね。とても光栄です。四葉尽夜さん」
深雪が尽夜の名前を呼んだ時、教室にざわめきが生じた。二人の周りの集団は一歩退き、恐怖が入り混じった感情が見えた。一般的に魔法師会で『四葉』の名前は恐怖の対象である。たった一つの一族が一国を滅ぼした記憶はまだ新しい。
尽夜が意図的に威圧感を出した。周囲がまた一歩退く。
「俺を知っているのかな?」
しかし、目の前の深雪だけは例外だった。変わらずにこやかな笑顔を尽夜に向け、嬉しそうに話し始める。
「昨日入学式前にお写真を拝見したので。かの有名な四葉の方とお会いできて光栄です。それに、クラスが一緒だなんて信じられません」
「俺としてもそんな風に思ってくれるのは光栄だよ。今年の総代を務めていた司波さんと同じクラスになれたことをうれしく思う」
「総代と言いましても、四葉さんが推薦入学をなさったからでしょう?昨日こっそり生徒会長にお聞きした話ですが、なんでも実技試験は満点だったとか」
「筆記試験を受けていないのには変わりない。実技試験と筆記試験の合計で一般入試は判断されるのだから、今年の総代は間違いなく司波さんだよ」
「謙虚なんですね」
「本当のことを言っているだけで、これを謙虚とは言わないよ」
「では、定期テストを楽しみにしています。少しでも四葉さんを肉薄できるように頑張ります」
「一緒に切磋琢磨していこう」
いつの間にか二人の周りには人だかりが解消されていた。片や『触れてはならない者たち』の直系、それに怖じ気づくことなく楽しそうに会話する今年の新入生総代。この空気の中に入っていける猛者は誰も居なかった。
オリエンテーションが終了すると、放課後までは授業見学や施設見学の時間に当てられていた。
「四葉さん」
立ち上がろうとした尽夜に隣席の深雪から声がかかる。
「どうした?」
「四葉さんはこの後どうお過ごされる予定でしょうか?もしよろしければ私とご一緒いたしませんか?」
「せっかくの誘いだが、これから生徒会の事務作業をする必要があってね。申し訳ない」
深雪からの提案を尽夜は申し訳なさそうに断った。深雪は顔を曇らせて残念さをアピールした。
「そうなのですか…」
「そう言えば、これは後日になろうけれども、司波さんにも生徒会への所属を打診されることだろう。詳しい説明はまた会長の方からお話なさるだろうが、一応考えてみて欲しい」
「私も生徒会に…?」
深雪は首を傾げ、不思議そうにしていた。まさか自分も勧誘されるとは思ってもいなかったからだ。
「ああ。もし司波さんも所属することになるのであれば、同じ新入生として俺も心強い。是非前向きな検討を望む」
尽夜は深雪を見下ろした体勢で微笑みかけ、手を差し出して誘った。それを受けた深雪は、思わず身体が硬直する。数秒経ち、尽夜がその手を引っ込めた。
「では、失礼する」
苦笑いになった尽夜は、深雪に背を向けて歩き出した。
「あ………」
背後からか細い単音が聞こえてきたが、尽夜は足を止めることなく教室を去った。教室には力無く扉に手を伸ばす深雪へ視線が集中していた。
──────生徒会室
お昼の時間。午前の誰もいない生徒会室で黙々と作業していた尽夜は、チャイムの音を合図に手を止め、向かっていたディスプレイを落とした。昼食は生徒会室に備え付けられたダイニングサーバーで精進料理を選択。出来上がるのを待っていると、生徒会室の扉が開いた。
「こんにちは市原先輩。お疲れ様です」
尽夜は同じく生徒会に所属する先輩の姿を捉え、腰を折って挨拶した。市原鈴音は会計職を務める三年生だ。
「こんにちは四葉くん。早いですね。校内見学は終えられたのですか?」
「敷地の把握でしたら既に済んでいます」
鈴音はダイニングサーバーに向かい、逡巡を経て魚料理を選択した。その後、振り向いて尽夜のデスクを見た瞬間、鈴音が若干細目になった。もともとキツめの顔の造形は睨んでいるようにも見える。
「どうかなさいましたか?」
尽夜は鈴音の反応に首を傾げた。鈴音は呆れたように息を吐き、尽夜に近付いて見上げるような形となった。
「四葉くん、正直に答えてください。一年生は今日一日、校内見学と授業見学に当てられています。しかし、貴方を見る限り午前中にそれを行っていたとは考え難い。まさかとは思いますが、オリエンテーションが終了次第ここで作業していたのでは?」
「はい、おっしゃる通りです。先ほど申した通り、敷地の把握自体はすでに済んでおりますし、授業見学についても特に必要性を感じませんでした。それよりも俺の中で生徒会業務の方が優先度が高く、それを実行した次第です」
悪気なく尽夜は鈴音の問いに肯定した。
「そういった堅苦しい理由だけで本日の催しが開かれた訳ではないのですが…」
「理解しているつもりです。理解した上で、周囲の交友関係が円滑に形成されるためにもここにいます」
鈴音の表情が若干曇る。目線を降下させ、尽夜から目を逸らした。
「…貴方がそれでいいのであれば私がこれ以上言うべきことはありません。しかし、これだけは言わせてください。周囲が貴方を避けるのは、貴方が今、未知の存在であるからです。猫に鋭い爪があると知っているだけでは、近付こうとする人の方が少ないのと同じように」
「我々が過去に起こしたことは、嘘でも虚偽でもありません。俺は目を背けるつもりもない。母上の、ひいては一族の全てを背負っていますので。俺は四葉家であり、四葉家は俺そのものであります」
「そういったしがらみがあることは知っています。私と同学年である会長も会頭も、貴方と同じ立場にあって、その姿を他の人よりは近くで見てきましたから」
「御配慮痛み入ります」
尽夜が軽く頭を下げた。その時、ダイニングサーバーに料理が完成した機械音がなる。2人は同時にその音へ顔を向けた。
「では、料理も完成したことですし、まずは食事といたしましょう」
「そうですね」
2人は各々の料理を携えて席に着く。そして両手を合わせて感謝を述べた。食事マナーのお手本とも言える尽夜の所作は、その一挙一動が非常に美しかった。鈴音が箸を動かしながら感嘆する。
「綺麗ですね」
「外で恥を晒す訳にはいきませんので、幼少より訓練して参りました。市原先輩もお美しい所作ではありませんか」
「ありがとうございます。そのようにおっしゃっていただけると嬉しく思います。常日頃から食事作法を丁寧にと試みてはいるのですが、基本的に独学ですので不安だったのですよ」
「十分ではありませんか。その心意気だけで素晴らしいと思います」
「会長とお食事をした際に盗み見て会得したものも多々ありますが」
鈴音は恥ずかしそうに笑うと、尽夜もつられて笑みをこぼした。
「真似るは学ぶと言います。良き講師がタダで近くに居ましたね」
鈴音は口元を隠してクスクスとおかしそうに笑った。
──────放課後
学校生活の1日が終了して、太陽も赤さが徐々に増していた頃。第一高校の正門で少し大きな集団が形成されていた。どうやらその集団は二つに分かれ、何かを言い争っているようだ。
「僕たちは深雪さんに相談することがあるんだ!」
「そうよ!司波さんには悪いと思うけど、少し時間を貸してもらうだけなんだから!」
「ハンッ!そういうのは自活中にすればいいだけだろ。俺らと違って接点は多いんだし、ちゃんと時間は取ってあんだろうに」
「同感ね。そもそも、相談というのならあらかじめ深雪本人の同意を得てからするものでしょ?一方的な言いがかりで深雪の意思を無視してる時点でルール破りよ。高校生にもなってそんなことも理解できないのかしら?」
「うるさいっ!ウィードがブルームに指図するな!」
双方共にかなり熱く口論しているようだった。禁止用語まで飛び出しているところを見るに冷静ではない。問題の核である深雪は、達也の隣で困った表情を浮かべるしかできない。達也のクラスメイトである千葉エリカや西城レオンハルトが先頭に立ち、深雪のクラスメイトたちと対峙しているのだ。
「…同じ新入生じゃないですか。一科生の貴方たちが、今の時点で一体どれだけ優れているっていうんですか!」
今時珍しいメガネをかけた女子生徒柴田美月が強い口調で主張を述べた。それに対して、相手方の男子生徒森崎駿がニヤリと口角を上げて前に躍り出た。
「いいだろう!そんなに才能の差を実感したいと言うのならそうしてやる!」
腰のホルスターにあるCADに手をかける駿。周囲の誰もがヒートアップしている集団の喧嘩を眺めるしかなかった。この時、エリカが駿の魔法を発動させまいと動き出す。駿のCADをはたき落とそうと警棒を振るう。
しかし、駿とエリカの行動はどちらも全く効力を発揮せず終わった。
関係の無い第三者が駿とエリカの間にいるからだ。エリカの相棒を左の前腕で受け止め、駿の右手首を右手で掴んでいた。予期せぬ人物の乱入に、駿とエリカが驚く。周囲も動揺して騒めいた。
「………何よアンタ」
エリカが不満そうに文句を垂れる。乱入を認識できなかった悔しさも混じっているのだろう。その声は威嚇するかのように低い。
「………何の真似だ四葉」
駿も乱入者へ不満をぶつける。尽夜は黙ったままエリカの警棒を下ろし、駿の手首を離した。そして、姿勢を整えてからエリカと駿の両名を一瞥し、瞬きを数回行った。
「双方、冷静になれ」
尽夜の声は周囲の意識に刷り込まれるように残る。脳で何度も反芻されているかのようだ。誰も口を開かず、無意識に彼の一言一句を聞き逃せない。
「力の振り方を間違えるな。魔法とは自己の満足を満たすためにあるのではない。大いなる力には常に責任が伴う。今現在の魔法力の良し悪し等は関係無く、この学び舎に所属している自覚をもっと持ちなさい。何のために知性を持っている?何のために言語が話せる?何のために他者を慮る?これらは魔法師以前の問題である。諸君らはもっと大人にならなければならない」
尽夜は駿と正面から向かい合う。駿には身長がさほど変わらない尽夜がやけに大きく感じた。思わず一歩退いてしまう程に。
「森崎駿。君の立場は君が思っている以上に影響力があり、それに付随して責任が重大である。時代錯誤的な考え方かもしれないが、十師族や二十八家、百家と格付けされているからには、上の立場に立つ者として下位の者たちのことを配慮せねばならぬ。上が威張るのではない。上の立場の者こそが配慮を身につけなければならないのだ。現代に合わせ、対応も然るべきものに変化させる必要がある。君の一族は百家に属する非常に優秀な一族だ。御先祖や子孫から恥じられる行為は慎み給まえ」
尽夜は駿に対して説教した後、今度はエリカへと向き直る。
「千葉エリカ。君の立場も森崎と同様。これの意味することを、君が理解できないはずがない。俺の意見に対して反抗したいかもしれないが、君自身の意見など、この場で汲む訳にはいかない。それをしてしまうと先程森崎に言ったことが無意味と化してしまう。君がどう思おうと、社会的に君は責任を負う立場であるのだから」
エリカは顔を顰め、何かを言いかけるが尽夜が目を細めると押し黙った。そして最後に、尽夜は深雪の側へと歩いた。深雪は驚いたように目を見開き、何故かを考え始めた。
「司波深雪」
「は、はい」
尽夜に名前を呼ばれた深雪は背筋をピンッと伸ばした。
「今年の総代として入学した君と仲良くなりたいと、他の者が考えるのは当然のことである。そういった意味で、君は今一番影響力を保持していると言っても過言ではない。つまり、今回の責任の一端は君にもあることを理解して欲しい」
深雪の表情が曇る。落ち込んでいるのが目に見えてわかる。
「厳しく言ってしまうが、周囲の円滑な人間関係を構築する対処法はいくらでもあったはず。思い返してみて欲しい。君ほどの人格者なら対処できないことはなかったはずだ」
「はい、申し訳ございません…」
尽夜は深雪に背を向け、集団全体へと体の向きを合わせ、一度深呼吸をした。
「長々と説教して申し訳ない。これからどう生きるかは諸君らの自由だが、少しでも今回のことを糧にしてもらいたい。では、この場は解散にする。司波さんは先約を優先しなさい。クラスメイトの人たちは急用でなければ翌日以降で我慢すること。以上」
尽夜の終了の合図で、パラパラと集団から人が抜けて行った。尽夜もそれに合わせて歩き出す。
「四葉さん」
そんな尽夜に背後から声がかかる。尽夜は半身で振り返った。どうやら、呼び止めたのは深雪のようだ。
「お手を煩わせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
深雪は深々と腰を折る。
「顔を上げてくれ。俺も酷なことを司波さんに要求している」
「いえ、私の力不足ゆえの問題でした。四葉さんのおっしゃる通り、自覚が足りてない証拠です」
「くれぐれも追い詰めすぎないようにしてくれ。気負い過ぎはよくない」
「ご配慮痛み入ります」
「ではな」
「はい」
尽夜はそうして完全に深雪たちから離れた。
──────同日夜、尽夜宅
尽夜は夕食を食べ、紅茶を飲みながらソファでくつろいでいた。そんな時、インターホンが鳴り、来客を知らせる。時刻は21時前。少々遅い時間帯だった。家政婦が対応に向かう。
「尽夜様」
「どうした?」
「深雪様がお見えになられております」
「深雪が…?」
恭しく報告する家政婦に、尽夜はリビングに深雪を通すように指示した。家政婦は了承を伝え、深雪を迎えに向かう。やがて、美しい少女がリビングに姿を現した。後ろには達也も一緒だった。
「やあ、2人ともよく来たね。久しぶり」
「こんばんは尽夜さん。お久しぶりです。夜分遅くの訪問をお許しください」
「お邪魔する」
「気にすることはない。従兄弟がわざわざウチに来てくれたんだ。拒むことはしないさ。むしろ、たいしてもてなせないのが申し訳ない」
「こちらこそお気を遣わずに」
「まあ、とりあえずソファにでもかけてくれ」
「はい、失礼致します」
尽夜は家政婦に目配せして、飲み物の配膳を促した。
「しばらく見ない内に一段と綺麗になってて驚いたよ。そのスカートもよく似合ってる。淡い水色だと爽やかな印象を付与して明るく感じる」
「ありがとうございます!」
尽夜が深雪の服装を褒めると、深雪は満面の笑みを浮かべて喜んだ。尽夜によく見えるようにその場でゆっくり体を回転させる。
「尽夜さんも背が伸びていらっしゃって非常に凛々しくなられてます」
「ありがとう。やっと達也に追いついたよ。このまま成長期が続けばいいんだけどね」
「俺と尽夜の背の高さなんて誤差の範囲でしか無かっただろうに…」
「誤差が無くなっただけでも嬉しさは変わらないさ」
家政婦がお茶とお茶請けを来客2人の前に出した。
「話は変わるのですが、どうして筆記試験をお受けなさらなかったか聞いても大丈夫ですか?尽夜さんであれば、私など云うに及ばず今年の総代は確実であったでしょうに」
「それよりも大切な仕事が入ってしまったからね。止むを得ず」
「…どこかお怪我などはなされませんでしたか?」
深雪の瞳には尽夜を心から心配する感情が見えた。尽夜の言う『仕事』が、危険を帯びたものであると知っているからだ。その深雪の不安を拭うように、尽夜は両腕を大きく広げて健康体をアピールした。
「見ての通り、元気だよ」
深雪は胸を手に当てて安堵の息を吐いた。
「尽夜さん」
「どうした?」
深雪が今度は真剣味を帯びた声音で尽夜を呼んだ。
「今日の放課後、お手を煩わせてしまってすみませんでした。今晩はその謝罪に参った次第です」
「気にすることないさ。まあ、そうだな。社会の対人関係を勉強する良い機会になったんじゃないだろうか。深雪は人気者だからね。こういう事もある。これから慣れていけばいい」
「お気遣いありがとうございます」
深雪が座ったまま行儀良く頭を下げた。
「さあ、今日の反省はこれくらいにしておこう。会えていなかった時期に何があったのか教えておくれ。俺も色々話すことがある」
尽夜はカップを手に取って口に運んだ。柔らかく微笑み、深雪に会話の主導権を渡した。3人は深雪の話を肴にして談笑を楽しむ。そこには肩書きも何も無い純粋な仲の良さが現れていた。