モリアは内心頭を抱えていた。
偶然かもしれないが、疑念が
――フィムはこのことを僕に知らせたかったのか?
街の城壁の上から姿を消した、かつての同居人のことを思い出した。
だが今は、それよりもすべきことがある。
「モリア! 編成に助言があったら教えてくれ!」
「第二拠点の反乱に加わってた特例開拓者って、単なる労働力で戦闘経験は浅い人がほとんどだよね?」
「そうだ。だから連中は怪我人の運搬と商人たちの護衛に割り振ってる」
「獣道しかないから大きな荷車は使えない。怪我人はひとり一台くらいで運搬するようにして」
「分かった!」
黒鉄札の古株からの質問に答えると、次は衛兵たちから質問が飛んでくる。
「列の先頭はどうするんだ!?」
「魔物との遭遇は運が絡みますが、何よりも突破できなければ意味がありません。自由開拓者と合わせて十人は腕利きを回してください。あと、街の門を開けてもらうのに、顔が利く人も加わってもらって――」
「隊長に入ってもらうわ!」
「残りの人員は側面の護衛に回してください」
「
「僕たち三人で務めます」
「三人!?」
「人数の不利はモリアが補うから問題ねえよ。過去の
「それは作り話だよ……」
グルイーザは投石術を過大評価しているのではないだろうかと、若干不安になる。
だが
それ故、士気を下げないようにそう言っているだけなのかもしれない。
ある程度の指示を出すと、あとは準備を待つだけになる。
隊長とて準備はさせているものの、まだ出発の指示を出してはいない。
モリアは待っている間、情報を集めることにした。
拠点の現状を完全に把握したわけではないからだ。
*
「すみません、ちょっといいですか」
「え? ああ、あなたたち。噂の特例小隊ね」
手近な女性開拓者に声を掛けた。
女性が開拓者を続けることは、体格的な不利もあって難しい。
だからこそ現役の女性開拓者は、なんらかの才に秀でた者である場合が多いと聞いている。
有益な情報が得られるかもしれない。
「ここでどんなことがあったのか、まだ全然聞いていないんです。教えてもらってもいいですか?」
「そうなのね。最初は……一昨日の日没前に――」
そのとき起きたことは、街とだいたい同じ内容だった。
違うのは戦死者がゾンビ化した点である。
また、拠点の南側には防護柵が無かったために戦闘は長引いた。
開拓拠点の性質上、大部分の人間に戦闘経験があったのは不幸中の幸いだろう。
「翌日も悪夢は続いたわ。外から攻めてくるゾンビの中には、樹海で行方不明になった人たちも居たの」
「それはつまり、顔見知りが居たんですね? 具体的に誰だか分かりますか?」
「私の直接の知り合いではないけど、第二拠点の反乱の後、姿を消した人たち――」
管理し切れないからと、逃がした反乱軍の幹部か。
生きて樹海から出ることは難しいと考えられていたが、そのような末路になろうとは。
「――あと、街の酒場で噂になっていた、『樹海をひとりで歩く女』というのも目撃されているわね」
――え?
グルイーザを見た。
しかめっ面で首を横に振っている。「そんなものは知らん」ということだろう。
「樹海の悪霊は、ふたり居た……?」
「樹海の悪霊?」
「あ、いえこっちの話。その女性の正体は分かりますか?」
「一度だけ話したことがある人に、ちょっと特徴が似ているみたいなのよね。女性の開拓者で、しかも行方不明者って珍しいでしょ? だから覚えてるんだけど。長い黒髪で、背がかなり高めの人」
グルイーザとは印象の異なる外見だ。
もしかするとグルイーザの隠蔽魔法を看破した開拓者など、元からひとりも居なかったのかもしれない。
「他に、変わった出来事はありましたか?」
「樹海の樹々が動いてたって話を聞いたわ。動く樹木の怪物が河を埋め尽くしたに違いないって。でも、さっき回ってきた情報と全然違うみたいだけど。あのときは混乱して見間違えてたのかしらね?」
樹海の樹々が動いて人間たちの領土を取り囲む。
それは街でも話した仮説のひとつだが、グルイーザやベルーアの提示した事実とは異なる。
突然河が消え去り樹海が現れたことで、そう考えてしまったという可能性もあるだろう。
だが――
「あなたが一度話したことがあるという、女性開拓者の名前は覚えていますか?」
「ええ。彼女の名前はセルピナよ。所属していたパーティは確か、えーっと……」
モリアはぼそりと、そのパーティ名をつぶやいた。
「…………ラゼルフ小隊」
その名前を聞いたグルイーザは「ん?」と首を捻る。
レミーはその名を知らないので、特に反応はない。
女性開拓者は、「そんな名前だったかもしれない」とだけ告げた。
*
他にも、何人かの者に聞き込みをおこなった。
その上でレミーが所感を述べる。
「動く樹木の魔物か。結構目撃証言が多いな。本当に居たのではないか?」
「そりゃあまあ、樹海の迷宮なんだし居ないとは言い切れねえけどよ。ゾンビと迷宮守護者に加えてそんな厄介な相手が居るなんて、あんま考えたかねえな」
拠点内では、開拓者や商人が慌ただしく動き回っている。
荷物をなるべく持って行きたいようだ。
そんなものは命には替えられない、などとは言い難い。
武器や食糧がなければ、結局は死んでしまうことだってあり得る。
彼らの邪魔をしないような場所に移動して、モリアたちは話し合っていた。
「グルイーザ。ゾンビを操る迷宮守護者って、例えばどんなものが挙げられる?」
「もし今回の敵が
どれが出ようと苦戦は免れないということらしい。
迷宮守護者とは、そういう相手なのだ。
「魔術師がゾンビ化したら、不死者の王と同じくらい手強いかな?」
「魔術師がゾンビになっても、知能が低下するから魔法なんて使えねーよ。迷宮守護者ってのは、迷宮に飲まれても生きていたモノが魔物化して、更に長い歳月が経って誕生するもんだ」
しかし、モリアは首を軽く横に振る。
「何事にも例外はあるんでしょ?」
「何が言いたい?」
ゾンビの群れを操っているのが何者なのかはまだ分からない。
しかし、可能性がある以上は情報を共有しておくべきだ。
「街で噂になっていた樹海の悪霊――行方不明になっている女性開拓者。……セルピナは、
「植物……。樹木の魔物に見えたのは、そいつの能力だってのか?」
「モリア。その女はもしかして――」
レミーが何かを察したように聞いた。
「今はそれは気にしないでほしい。彼女が自分の意思とは無関係に、人々を殺める存在になったのなら……僕はそれを止めたいと思う」
レミーもグルイーザも、その意見を否定はしなかった。
植物使いセルピナが敵である可能性も視野に入れ、今後の対策を相談する。
「大河からここまで二百キロもあるのだろう? 目撃された樹海の悪霊が、ここまで移動することは可能なのか?」
「守護者級の魔物が移動したとして、格下の魔物に襲われることは、ほとんど無いだろうな。あと、ゾンビなんか襲う魔物もほぼいねえだろ」
「疲れを知らないアンデッドなら、短期間で移動すること自体は容易いだろうね」
ラゼルフ小隊は一ヶ月半も前に、第三拠点よりも奥地に進んで行方不明になっている。
樹海の悪霊が大河の北岸付近で目撃されるようになったのはその後だ。
そして、動く樹木やセルピナらしき者がここで目撃されたのは二日前。
二日前に街や拠点が樹海に飲み込まれたときは、既にこちらに来ていたことになる。
「なんでそいつは、樹海を行ったり来たりしているんだ?」
「僕と同じ……かも」
「人探し、というわけか」
そうだ。
アンデッドになった者が正気や記憶を保っていることはほとんどないという。
それでも、セルピナははぐれてしまった小隊の仲間を探しているのかもしれない。
だとすれば同じ孤児院の同居人であった、フィムの不可解な行動の理由も見えてくる。
フィムはもう、この世に居ないのではないか。
彼自身はもう、何も出来ないのではないか。
霊体というものは地上で発生してもすぐ消えてしまうらしいが、迷宮ではその姿を長期間保持できると聞く。
フィムを見たあのとき、街は既に迷宮化していた。
彼は、セルピナのことをモリアに伝えるために姿を現したのではないだろうか。
*
樹々のざわめきのようなものが聴こえたのは気のせいだろうか。
「モリア、ここに居たか! 魔術師殿の言う通り、北側にはとんでもない数の群れが居るそうだ」
元第三拠点の隊長が、斥候からの報告を知らせに来た。
「今から出発する。すまないが、
「はい。そちらもご武運を」
拠点内の人間は慌ただしく動き始めた。
モリアたちが動くのは一番最後。
全ての人間がここから去った後である。
拠点から全員が脱出したことを確認すると、その中で待機する。
列に追い付くのは容易だし、最後尾は練達の開拓者たちだ。多少離れても問題はない。
それよりも北に集まっているという魔物の確認と、可能であれば足止めをしておきたかった。
「むっ。あれを見ろ」
レミーの視線を追うと、樹海の奥、樹木の上の枝葉が
風で揺れているとか、枝に乗った獣が揺らしているとか、そんな動きでは断じてない。
樹々に隠され全貌は分からないが、樹木そのものが移動しているようにしか見えなかった。
「どうやら本当みてえだな。ゾンビを操る迷宮守護者の他に、植物を操る樹海の悪霊も相手だってのか」
モリアの考えは、それとは少し違う。
「その二体は同一人物というか、同じ存在では?」
「先月かそこらに魔物化したような人間が、迷宮守護者にまで進化しているはずはない。と、あたしは思うがな」
「それは――」
「来るぞ!」
レミーの声でその会話は中断された。
樹海の奥から無数の獣の気配がする。
第一開拓拠点に居た者たちの総数より、その気配は明らかに多い。
最低でも三百は超えようかという数の軍勢がこちらに迫りつつある。
「多過ぎる。これでは俺たちが抜かれたら、先に逃げた者たちに追い付かれるぞ」
「うん無理。残念だけど、出発が少し遅すぎたね。僕たちも列の最後尾まで退却して、囲まれないように戦うしか――」
だが、グルイーザはそれに待ったをかける。
「いや、まだだ。とっておきを使うからもう少し敵を引き付けろ。そうだな……上手く一箇所に誘導できるといいんだが」
「――!?」
「了解。なら防護柵の扉、
モリアは北側の扉へと走った。
レミーは一瞬
魔術師の力量は分からないが、モリアの判断は信用できると考えたのだ。
閂を外すと扉の隙間、そして樹々の隙間越しに敵影を確認する。
軍勢の全貌が徐々に明らかになっていく。
先頭は足の速い四足獣。だが、移動速度はゆっくりだ。
奥の方には猿のような獣や、衛兵らしき姿のゾンビも見える。
全体で歩調を合わせているのかもしれない。
ずっとこの調子で移動してくれるのならば、意外と逃げ切れるだろうか。
もちろん、攻撃の瞬間までこの速度ということはあるまい。
仕掛けてくるならば、どれくらいの距離からか。
「モリア! もう戻って来い!」
グルイーザに呼ばれ、扉から百メートル付近に居る彼女の位置まで下がる。
「今から使う魔法の効果範囲は半径およそ百メートル。ゾンビどもの動きを止めることが出来る。なるべくこの範囲に敵を入れたいが難しいだろう。だが効果は少しだけなら滞留するから、その間は足止めを期待できる」
余計な説明を省き、起こるであろう現象だけを彼女は述べた。
「つまり拠点内に多くの敵が入るまで、粘ったほうが得なんだね?」
「承知した」
モリアとレミーはグルイーザをかばうように前に立つ。
石礫とロングソードをそれぞれ構え、正面を見据えた。
ゾンビの群れが防護柵に激突する。考えも無しに体当たりを始め、騒音が鳴り響く。
中央の扉に体当たりした一団は、あっさりと扉が開いたために拠点内へとなだれ込む。
先頭の何体かは転倒し、後続に踏み潰された。
決壊した堤防から水があふれるかのように、ゾンビの群れは膨れ上がる。
距離五十メートル以内まで近付いた頃、一体の四足獣が動く。
モリアたち目掛け、全速力で駆け出した。
釣られるように、他の獣たちも動き出す。
先頭の獣が三十メートルの位置まで迫った瞬間、飛礫で額を割られて地面を滑った。
続けて後続の群れが波のように迫る。
「――消滅の場」
グルイーザの声が響き渡った。
彼女自身の魔力の流れから、それは恐らく呪文なのだろうとモリアは考える。
しかし魔法の呪文というには妙に短く、また言葉そのものも平易な王国語だった。
そして、拠点内にあふれる百体にも迫ろうかというゾンビの群れが、全て
繰糸を切られた操り人形の如く、突然に力を失ったのだ。
駆け出していた個体は続々と地面を滑り、歩いていた個体は崩れ落ち、扉に殺到していた群れは前方の倒れたゾンビにつまずいた。
拠点内に転がり込んだ瞬間、その動力源を絶たれたかのように力尽きる。
生命なき死体を操る魔力が、一切抜き取られてしまったかのようだ。
「上出来だ。逃げるぞ!」