モリアが周囲の見張りにも軽く情報を共有している間、グルイーザは街側の壁を石の設置場所に選んだようだ。
床に設置して踏まれるのもどうかと思うし、外側の壁だと魔物からの攻撃で壁が破壊される可能性もあるだろう。そんな考えの結果であった。
ローブの懐から取り出された石は、火成石と同様に古代文字が刻まれている。
グルイーザはその石を壁に押し当てた。不可視の魔力が流れ、石は溶け込むように壁にめり込んでいく。
「――降魔の障壁」
まるで最初からそう成形されていたかのように、降魔石は壁の一部となった。
松明の炎のみで照らされる薄暗い通路で、石に刻まれた古代文字が仄かな魔力の光を放つ。
モリアのみならず、見張りの兵たちもその光景に驚き見入っていた。
「これならわざと掘り起こそうとでもしない限り、石が動くことはないだろうね」
「効果範囲の外から、城壁をブッ壊されでもしねー限りはな」
そんなとんでもない敵が居るのかと、兵たちは戦慄する。
先程見た巨大な火柱の存在を考えれば、戦闘の規模は自分たちの想像を超えた領域に入りつつあるのだと、嫌でも感じざるを得ない。
「具体的な効果の内容は?」
「石を中心に半径五十メートル程度の範囲で、魔物の侵入を防ぐ。樹海の獣は多かれ少なかれ魔物化が進んでいるから、門を開けても入ってくることはない。普通の獣には効果がない。例えば、家畜とかが逃げ出すのを防ぐことは出来ない」
世の地下迷宮などでは降魔石で造られた区域が存在し、そこに魔物が侵入することはない。
その空間を新たに生成する魔法のようだ。
組合には後で伝えるとして、周囲の兵にも話を聞いてもらう。
今はまだその内容を信じられないかもしれないが、いずれは分かることだ。
「持つ時間はどれぐらい?」
「迷宮内で降魔石を使った安全地帯を新たに作っても、普通は数日で解除される。迷宮には自己修復機能があって、元の姿に戻ろうとするからだ。ただ、この樹海は自然環境と混ざり合った中途半端な迷宮だからな。どうなるかは分からない」
ライシュタットの街自体が迷宮にとっては異物のはずだ。
その理屈でいえば街自体がいずれ消えてもおかしくはない。
街の中、あるいは樹海の中で迷宮の力がどのように作用するか、調べておくのは重要なことだろう。
城壁塔を降りて街中に戻ってきた。
壁上は人が多かったので、聞かれたらまずそうなことはまだ質問していない。
「他の門にも障壁を張るわけにはいかないの?」
「降魔石の予備がもうない。ひとつは探索に絶対必要だ」
「あ、もしかして野営用」
「そうだ。気付く奴はすぐ気付くだろうが、人にはあまり言うな」
樹海踏破の難点は、獣の襲撃の多さからくる野営の難しさにある。
逆にいえば、それさえ解決すれば長距離移動も可能なのだ。
もちろん魔物の強さや、未知の脅威を考慮しなければの話ではある。
樹海から脱出したい街の悪徳貴族が、グルイーザを従えるために手段を選ばず……などという、ろくでもない想像をしてしまう。
そんなことが起きて彼女を怒らせたら、次はライシュタットを火の海にされかねない。
入念な根回しが必要だと、モリアは改めて心に刻む。
「お前、連絡はまめにしろよ? なんでも直前に決めんな」
「……うん」
よく聞いていなかったが、適当に生返事をする。
いったんここで解散する流れのようだ。
「そうだ、宿の空き部屋――」
「ん?」
「いや、なんでもねえ……」
何かを言いかけたグルイーザは、しかし続きを言わずに宿の方角へと立ち去った。
――空き部屋、か。
街の外との行き来がなくなったということは、各宿屋の客はほぼ今のまま固定になるということだ。
アニーの宿は一時期留守にしていた影響で、今はグルイーザしか宿泊客が居ない。
食事処でもあるので他は無収入というわけではないが、経営は厳しいのかもしれない。
街のこれから如何では、経営どころではないだろうが……。
モリアはひとり、組合へと向かい歩き出した。
*
「お前なあ。なんかこう、事前にもう少し報告とか」
書類が積まれた組合の受付カウンターを指でトントンと叩きながら、禿頭の大男は頭の痛そうな表情をしている。
組合内の広間は、戻ってきた開拓者たちでごった返していた。
「おう、
「酒場で会ったら一杯奢らせてくれよ」
「ガキに酒を勧めるな」
「デカい男と美人の嬢ちゃんは一緒じゃないのか?」
通りかかった者が次々に声を掛けては、ギルターに睨まれ散っていく。
「これでもすぐ報告に来てるんだけどね。今回は僕にも予想外のことが多かったというか」
「お前の行動に文句があるわけじゃねえ。……よくやった」
人であふれた広間を見渡す目は、心なしかいつもより穏やかだ。
「レミーからおおざっぱな報告は受けている。北門になんか仕掛けたらしいな」
「ああそれ。組合長に伝えておいてほしいんだけど」
「上に居るから直接伝えろ」
カウンターの中に入るよう促し、ギルターも席を立った。
二階に上がり、ギルターの案内で組合長の部屋に入るとエメリヒが出迎える。
やはり書類に忙殺されているようだ。
応接用の席に座り、三人で話をする。
「反乱軍鎮圧に要人の救助、そして今度は開拓拠点に駐留する大勢の人間の救助、ですか。凄まじい活躍ぶりですね、モリア君」
要人の救助というのが誰のことだか分からない。
今まで関わった者の中に、それなりに偉い人間でも混ざっていたのだろう。
「第一拠点の人たちが無事に帰ってこれたのは、僕の功績じゃないですよ」
「凄腕の魔術師がいるらしいな」
「その方を、ぜひ私にも紹介してほしいのですが」
どう返答したものかと、少し考えてからモリアは口をひらく。
「そのうち連れてきます。でも僕にどうこうできる人物ではないので、いつになるか……」
樹海の魔物を撃退したのは、ほとんどグルイーザの魔法によるものだ。
その報告はエメリヒも受けていると思われる。
モリアは彼女の人物像を少し大げさに伝えているが、このくらいでちょうどいいだろう。
「分かりました。レミー君が言っていた、北門の防衛とはどのようなものですか?」
「迷宮の安全地帯ってご存知ですか? それを人為的に発生させる魔法らしいです。設置済ですが、今は魔物が居ないので検証はしていません」
それを聞いたふたりは驚きの表情を浮かべる。
「そんなとんでもない魔法が使えるのですか? その方は……」
「弱点の多い魔法なので、運用にはいくつか注意点があります」
モリアは城壁に埋め込まれた降魔石の存在や、それを動かしてはならないことなどを伝えた。
「術をかけなおしてもらえば、別の場所にも障壁を張れるってことだな?」
「ですが、今は確かに北門が最適解でしょうね」
エメリヒとギルターは、上層部や衛兵たちに周知徹底すべく意見をまとめていった。
*
相談にひと区切りついたのか、エメリヒがこちらを向く。
「さて、当面の防衛方針はそれでいいとしまして」
「モリア、他になんかあるか?」
「他?」
第一拠点に関する情報は既に伝わっているようだし、他に話すことなどあったろうかとモリアは首を捻った。
「お前、第一拠点があるかもしれないと考えて北側の調査に行ったんだろうが。そういうことを事前に教えてくれりゃあ、オレたちも少しは受け入れ体制とか整えられたんだよ」
「ああ……」
言われてみればその通りである。
グルイーザがたまに不機嫌になるのも、多分同じような理由からだろう。
しかし――
「突拍子もない意見など聞き入れてもらえないから、自分だけで考えるというのは分かります。でも、今は君を信頼している者も多い。我々のことも、信じてはもらえないでしょうか」
「…………」
組合長にそうまで言われては、ここで切り上げて帰るわけにもいかなくなってしまった。
街の方針は街の上層部で決めればいいというのがモリアの考えだが、自分にも意見がないわけではない。
まず、街を捨てて全住民で逃げるという選択は無理だ。
大半は確実に死ぬだろうし、全滅も普通にあり得る。
だが街に留まっても確実に全滅するような状況が確定したら、そのときは皆で逃げるしかない。
今は樹海を脱出する方法を模索する一方で、いかにこの街で生き永らえるかを考える段階だ。
少数で逃げようとする者は好きにさせるよりないが、戦力になる者はなるべく残ってほしい。
人材の流出を防ぐには、街に残ったほうが得だと思わせなければならないだろう。
ここまではエメリヒなら分かっているだろうし、説明するまでもあるまい。
「それなら聞きたいことがあるのですが、街の食糧はどれくらい持ちますか?」
「井戸水の問題はまだ調査中だが……」
「食糧はどんなに持たせても半年でしょうね」
――半年?
「思ったよりずっと長いですね?」
「街の地下食糧庫は無事だったからな。城塞都市の常として、長期籠城戦は常に想定されている」
「隣接国の無い北の辺境だからといって、それを疎かにしなかったのは領主の功績です」
ライシュタットは城塞都市としては規模に対しての人口が少ないので、その分長く持つということもあるだろう。
街が樹海に飲まれたのは夕刻だったので、家畜の収容も済んでいた。
もし周囲の畑も奪還できるなら、時間的猶予は更に伸びる。
――広大な地下食糧庫の存在は聞いていたけど、それほどのものだったとは。
しかし、モリアの懸念事項もその地下にあるのだ。
「それだけ地下が広いなら、未発見の魔物も潜んでいる可能性はないでしょうか?」
「二日前の襲撃以降も、何回か生きた獣は発見されています。屋内に潜んでいて家畜や、あるいは街の人が犠牲になった事例もありました」
「奴らも同じところにじっとしているわけじゃないだろうから、あらかた発見されたとは思うんだがな。いや……地下だと食うもんには困らないから、ずっと潜ってるってこともあるか?」
それもあるだろう。
ただ、保存食糧の多くは穀物と思われる。
肉食の魔物は畑の作物には手を出していない。
「魔物の大半は自然界の生物が進化したものです。ほとんど移動せずに待ち伏せで捕食するような生物……例えば
蜘蛛が地下に居るかどうかはともかくとして、樹海の生物が地下にも潜んでいた可能性は否定し切れない。
エメリヒたちもその危険性に気付き、深刻な表情になる。
「街の北側に発生しているアンデッドの件が片付いたら、次は地下を調査しようと思います。畑はその次ですね。そちらは特に案はありませんが」
「地下の食糧を取ってくるのも、開拓者小隊の仕事にしたほうが良さそうですね……。井戸の調査も」
「畑は開拓拠点同様に防護柵を作るしかねえか。規模は段違いだけどな。半年以内に形になればいいが」
街の北側を流れる大河がなくなったのも痛い。
大量の水や水産資源に頼ることが出来なくなったのだ。
樹海の至るところにある小さな水の流れは北側でも確認できたが、街の人口を養えるほどかというと微妙なところである。
――魚、食べられなくなるのかなあ。
別段魚が好きなわけではないが、食べられないとなると惜しくなる。
モリアの中で、樹海を脱出する理由がひとつ増えた。
「そういえば、モリア君にはまだこの街の領主のことを話していませんでしたね」
「……? ええ、まあ」
確かに聞いてはいないが、自分にはあまり関係なさそうな人物だ。
「領主はもう一ヶ月以上、病に臥せっています。ライシュタットの役人は有能なので、街の運営には今までなんの支障もなかったのですが――」
「第二拠点の反乱報告辺りから、雲行きが怪しくなってな」
ベルーアが言っていた問題とはそのことかと、モリアは以前の会話を思い出した。
領主に適切な対応を促そうにも、本人が不在では話にならない。
役人たちは有能だが、不測の事態には対応が追い付かないということらしい。
今までは領主の回復を待っていたが、この非常時だ。
代行を立てる、あるいは領主交代も視野に入れて緊急の会議がおこなわれている。
エメリヒもベルーアも、それに参加しているそうだ。
「それで、次の領主は決まりそうなんですか?」
「順当にいけば次期領主であろう方々は、今回の事態には対応できないと辞退されているのです」
「そのうちのひとりが、この組合長なんだけどよ」
街が樹海の奥地に移動したという荒唐無稽な話も、《グリフォン
その場合、老貴族たちの考えることは何か。
普通なら樹海からの脱出であろう。少数精鋭なら可能性はあるとベルーアも言っている。貴族の護衛はあまり表には出て来ないが、腕の立つ者が多いのは想像に難くない。
領主になってから逃げるくらいなら、初めから引き受けはしまい。
一応エメリヒの言い分によれば、街のために尽力する気はあるという貴族もいるらしい。
しかしそういう真面目な貴族に限って、自分の力不足を悟って領主就任には二の足を踏むのだそうだ。
「エメリヒさんが領主になって、ギルターが組合長じゃ駄目なの?」
「私には兵の指揮はとても……」
「オレに組織の運営なんて出来ると思うか?」
では衛兵で一番偉い人間が領主では駄目なのか。
恐らく駄目なのだろう。モリアには政治が分からない。
「身分が高そうで、戦闘の指揮も出来そうな人物……。ジークさんも、確か貴族って話でしたね」
「お前を引き抜こうとしてた奴か」
「ジークリーセ様のことですか? あの方はこの街の貴族ではないのです。しかし……そうか……その手が――」
エメリヒには何やら考えがあるようだ。
少しは役に立てただろうかと、モリアは今度こそ話を切り上げる。
相談を続けるふたりに挨拶をして、組合長の部屋を退出した。
建物の外に出ると、辺りはすっかり暗くなっている。
レミーたちはまだ飲んでいるのだろうか。
反乱鎮圧の報奨金を一部受け取っているから、酒代は問題あるまい。
黒鉄札の仲間たちは久々に羽を伸ばしているだろうし、長くなりそうだ。
先に帰るべく宿舎に向かおうとして、エメリヒの言葉を思い出す。
――人を信じる、か。
今の話も……自分のことも、そしてあの孤児院のことも。
レミーとグルイーザには伝えておこう。
そう考え、モリアは行き先をアニーの宿へと変更した。