樹々の切れ目から、北壁山脈がはっきりと見えるようになってきた。
メグレズの里に出た時点で見える距離ではあったのだが。
遠景を気にする前に考えることが多かったので、今更のようにじっくりと観察する。
「伝説の通り真っ白な山ばかりなんだね。雪でも降ってるの?」
「というより、降り積もった雪が一年中溶けないのじゃな。氷に覆われた部分もあるが」
昼間でも雪が溶けないような気温ということか。
魔術師抜きで探索するような場合、装備を見直す必要があるかもしれない。
あれから野営をもう一度挟んだ翌朝。
ロカの魔法のおかげで戦闘はほとんど発生していない。
食糧のために少し狩りをした程度である。
メグレズの里から北壁山脈までは直線距離にして二日程度。
ただし道の険しさとロカの歩幅、そしてアリオトの里の位置を考慮するともう少しかかるそうだ。
ロカは瞬発力こそモリアにも劣らないが、徒歩の速度となるとそうはいかない。
精霊魔法を行使しながらの行軍なので、体力も余計に消耗する。
異変はその日のうちに起きた。
「精霊力が乱れておる」
「……?」
「そういった時期や地域では、吾輩の魔法はほとんど無力化する」
「じゃあ、魔物への警戒は怠らないようにするよ」
元より油断などしていないのだが、そう口にしておいたほうがロカも安心できるだろう。
野営時には障壁の呪石を使えば問題ない。
「索敵以外にも問題があってな」
「それは?」
「精霊の案内が無いと道が分からぬ。最後にアリオトを訪れたのはかなり前なのじゃ」
「それは……大問題だね。でもまあ――」
モリアは気楽な調子で前方の景色を見上げる。
そこに見えるのは銀嶺の山々。
北に向かっている以上、道に迷う要素が無い。
「向こうに着いても状況が変わらなかったら、そのときに考えればいいんじゃない?」
「まあ、そうなるかの。あの辺りは氷の精霊くらいしか活性化しとらんのじゃが、何もいないよりはマシじゃ」
しかし、ロカは立ち止まったまま動こうとしない。
「どうしたの?」
「何故こんな状況になったのかを考えておる。この辺りで精霊力が乱れる時期や場所があるとは聞いておらぬ」
その顔は真剣そのものだ。
思ったより深刻な事態なのかもしれない。
だがそれは状況が危機的ということなのか、それともメグレズの心情や信仰心的な意味で深刻なのか、モリアには区別が付かなかった。
「つい最近、この近くで何か大きな出来事があったとしか思えぬ。良からぬことでなければよいが……」
ロカは再び先頭に立って歩き始めたが、その足取りは重い。
周囲の敵を警戒するが、どういうわけか魔物の一匹すら現れない。
そしてその場所――あるいはこの異常の原因かもしれない場所へと到着した。
「ここは……?」
「樹木が――無いじゃと!?」
そこは、見渡す限りの
唐突に樹海が途切れていたのである。
ところどころに段差や岩塊、何よりロカの背丈を超すような草がびっしりと生えているため視界は非常に悪い。
樹海よりも進みづらいのではないかと思われる光景が、視界のずっと先まで続いていた。
「なんじゃこれは? いつからこんな場所がある」
「以前は普通の樹海だったと?」
「道を大幅に外れたのでもなければな。少なくともメグレズとアリオトの間に、こんな場所があるなど聞いたことがない」
その場で屈むと、一メートルほどある草のひとつをじっと観察してみる。
「この草は知ってる?」
「いや……初めて見る」
モリアには見覚えがあった。
完全に同じ種というわけではないだろうが。
「樹海の外に生えている草の一種に似ている」
「ほう?」
「植物同士での競争力は凄く弱いんだけど、劣悪な環境には滅法強い種だ。砂地のど真ん中とか、他には森林火災の跡地なんかで急速に繁殖したりする」
森林の中ではまずここまで成長することはない。
つまり、樹海の中ではほぼ見かけなくても当然の草だ。
厳密には同じ種の草が至るところに生えていたのだが、特性を知らなければ同じものとは気付くまい。
「火災……そうか! 大規模な火事でも起きたのなら、精霊力の乱れもこの状況も説明が付きそうじゃ」
「…………」
周囲に魔物が居ないことの説明にもなるのだろうか?
森の恵みが少なくなれば、エサを求めて移動するということも……あるかもしれないが。
「ロカ。念の為に今日の移動は終えて、草原を進むのは明日からにしよう」
「賛成じゃ。焦って失敗するわけにもいかぬからな」
*
適当に、草の少ないひらけた場所へと移動した。
野営の準備をする前に、呪石を取り出して呪文を唱える。
「――降魔の障壁」
石は、なんの反応も示さなかった。
「…………?」
「なんじゃ、どうした」
何度か試してみても障壁が起動しない。
ロカにも呪石を見てもらったが、詳しくは分からないらしい。
「降魔石であることは間違いないようじゃが、メグレズとは魔術の流派が違う。吾輩にはどうにも出来んな」
なんとなく、原因には見当が付く。
一応他者の意見を聞いてもみたが、あきらめて障壁の呪石をポーチに仕舞った。
代わりに別の迷宮石を取り出して眺める。
「今度はなんじゃ。発光石か?」
「これが光っているように見える?」
周囲はまだ明るいため、迷宮石が放つ微弱な光は感じ取れない。
石を渡すと、ロカは両手で包むようにしてそれを覗き込んだ。
「光って……おらんな。そういう種類なのか?」
「違う。この場所には迷宮の力が存在しない」
ロカは言葉の意味を判りかねたような顔で、モリアを見た。
「当代のメグレズは迷宮の外に出たことがない、ということでいいのかな? 迷宮の外では、迷宮石も魔物も力を失う。それでこの周辺には魔物が居ないんだ」
「そ……!」
そんな馬鹿な、とでも言おうとしたのか。
ライシュタットが樹海に飲まれたとき、モリアは迷宮に入った経験が無かった。
そのため自身が迷宮内に居るということが分からず、迷宮石を見ても効果を理解することが出来なかった。
今はロカが、全く逆の状況に立たされている。
「僕には土地勘が無いのでよく分からないけど……北壁山脈の位置や見え方は変わらないし、急激な視界の変化や大きな異常もなかった。だから、『突然居場所を変えられた』、ようなことは起こっていないと思う」
地下迷宮には所々魔力の濃い場所があるが、それとて同じ場所に留まり続ければ気にならなくなってしまう。
まして迷宮の力などというあやふやなものを、直接感じ取れるわけではない。
だが今までの経験によって、周囲の状況や所有物から間接的に異変を察知したのだ。
「なるほどの……。セトラーズが迷宮に飲まれる現象は転移魔法の一種。なればこそ逆の可能性も考慮すべきというわけじゃな。しかし今回は、迷宮の外部に弾き出されたわけではないと。それは吾輩にも異論はないぞ」
ここはセプテントリオンの内部には違いない。
この場所から迷宮の力が失われているだけ、という仮説にふたりは至った。
「それでどうするのじゃ? 魔物が居ないのなら野営しても問題ないということか?」
「樹海の南部では『迷宮と、そうでない場所』が入り組んでいて、そこで生きる獣たちはどちらも自由に行き来できる。北部は樹海全体が迷宮化しているから、そういった生物は居ないかもしれないけど……」
モリアには確証が無いし、ロカにはその手の獣の区別が付かない。
生まれてずっと迷宮育ちなため、そのような違いを考えたこともなかったのだ。
結論として、来た道を少し引き返すことになった。
草原から少し離れたところで、発光石に光が灯る。
障壁の呪石を用いて、そこで野営をおこなうことにした。
「魔物たちが即死したり、みたいなことはないと思うけど。力がなくなれば、慌ててこの土地を離れるくらいはするかもね」
「だから周辺にも魔物はおらん、か……」
ロカは未知の現象に対し、不安そうにしているが……。
――もしかしてこの場所、樹海の中で一番安全なのでは?
ライシュタットがここに越してくるのは無理でも、新たな開拓拠点を築くにはいい場所かもしれない。
北壁山脈はもう目と鼻の先。
たとえ今回は草原での野営を避けるとしても、明日一日の強行軍で突破は充分に可能だろう。
*
翌朝早くから出発し、草原を進んだ。
歩きづらいが、魔物と遭遇することもなく距離を稼ぐ。
突如、モリアがその場に屈んだ。
「どうした?」
「ロカはそのままでいいよ」
目線の高さを合わせて言う。
周囲の草はロカの身長よりも高く、モリアはその中に身を隠したのだ。
そして、前方に見える光景を指し示す。
一定の幅で草が倒され、それが草原の奥へと続いていた。
「あれは……獣道かの?」
「違う」
踏み倒された草にはところどころ、獣の体毛や血液が付着していた。
僅かに痕跡を残した足跡、更に大きな物体を引きずった跡。
「これは、狩りの痕跡だ」
人間にとって都合が良い場所であれば、当然同じことを考える者がいる。
そしてロカの情報によれば、セトラーズは決して友好的な存在とは限らない。
――少し、楽観的な思考に寄っていたか。
樹海で一番安全な場所――
その考えを、モリアは早くも撤回することになった。
*
「魔物でないとしたら、セトラーズってことになるのかな」
「この辺りに集落はないはずじゃがな。吾輩らもこうして移動している以上、何が居てもおかしくはないか」
現状を把握したロカから、気配と隙が消える。
彼は決して魔法頼みだけの術師ではない。
非力な種族ゆえか、精霊の力が無くとも潜伏の技術に長けていた。
もっともそれは、少しばかり膂力に優れていたとしても同じこと。
迷宮内に於いて、人に出来ることには限りがあるのだ。
優れた戦士――あるいは冒険者には、『隠れる』能力が必須であるともいえる。
モリアは地形を見渡すと、草原の中にある高台を目指して移動する。
時折、岩塊だけでなく樹木が残っている場所もあった。
ただ進むには邪魔なだけの障害物も、多数を相手に戦うなら有用な遮蔽物となる。
「――見つけた」
高台から複数の人影を捉える。
ロカも岩を足場にして草の隙間から僅かに顔を出し、示された方向を確認した。
草原を進む者は三人。
ひとりは背が低いが子供ではない。やたらと幅が広く、屈強な体格の老人に見える。
残るふたりのうち、片方はあまり特徴のない中年の男。
もう片方は細身の体型で、髪から突き出たような耳が妙に目立つ。
老人と細身の男が持つ雰囲気は、半妖精、亜人などと呼ばれる種族を連想させた。
体格がそれぞれ異なる割に、皆同じような意匠の衣類を身に
「どういう集団なんだろう?」
「最悪じゃ……。あれは『メラク』だ」
「メラク? あの中のどれが?」
以前話に出ていた、曰く凶暴なセトラーズ。
――こんな過酷な環境に放り込まれたら、凶暴になるのも仕方ないのでは?
モリアなどはそう考えてしまうが、だからといって同情するわけではない。
戦闘になる可能性は低くない、そのように再認識する。
「全員じゃよ。メラクとは複数種族で構成されるセトラーズ。盗賊ギルドの末裔と言われておる。あの服装、間違いないわい」
「盗賊ギルドのセトラーズ? そんな
例えば複数種族の盗賊が集まる隠れ里か何かがあって、それが迷宮に飲まれたとする。
ならば、そういったセトラーズが誕生してもおかしくはないということだろうか?
どうも少し引っ掛かるものがあるが、その考証は後回しでもいいだろう。
それよりも、盗賊ギルドという集団について考えてみる。
開拓者、あるいは冒険者組合といった――食い詰め者、ごろつき用の受け皿といっても差し支えないような組織。
そんな組織にすら入れなかった者たちが、最後に行き着く場所。
必然的にケチな犯罪者の集団になりがちで、開拓者組合のような戦闘集団にとっては、さしたる脅威でもない。
――けど、それは現在の王国での話だな。
旧帝国が崩壊した原因のひとつとして、反体制の有力な人材が盗賊ギルドに流れたからという説がある。
帝政末期の盗賊ギルドは、国家を転覆させる程の反乱勢力だったという見方もあるのだ。
もしそれらの末裔がメラクだというなら、厄介な勢力であることは想像に難くない。
「なんで奴らが、こんな北部まで出てくるんじゃ……」
「この草原、現状だけを見るなら安全な場所だからね。目を付けるのも自然なんじゃないかな」
とはいえ樹海中央部を根城とするらしい集団が、このような離れた場所の異変に気付いたことは不可解である。
「幾つものセトラーズを壊滅させてきた集団じゃぞ。里の近くに出没するとなると、ワームよりも厄介な問題になりかねん」
モリアはロカのことを信用する前提で、今現在の探索を進めてはいる……が。
ロカ本人に騙す気がなくても、正しいことを言っているのかどうかはまた別の問題だ。
メラクがいかなる集団かは、モリア自身の目で見極めなくてはならない。
「草原に目ぼしい生き物が居ないのなら、周辺地域に狩りに行く必要がある。特定の集団がここを根城にした場合、行動範囲はかなり広くなることが予想されるね」
「嫌な予測を立ておる。返す言葉もないわい」
メラクがこの草原に拠点を築いた場合、迂回路を進んでも鉢合わせる可能性が出てきてしまう。
「少し現状を調べたほうがいい。アリオトの援軍を連れ帰るにしても、途中でメラクに遭遇したりすれば――」
「メグレズの信用にも関わる、か。確かにおおよその数ぐらいは知っておきたいのう」
精霊魔法が使えれば、調査は比較的簡単に済むはずであった。
この広い草原を歩いて調べたとしても、見落としがあるかもしれない。
逆に相手に見つかってしまう危険もあるだろう。
「メラクを死なせたら、マズいこととかはあるかな?」
「むしろ生かしておいたらマズいことしかないが……。何をするつもりなんじゃ、モリア」
唐突に放たれた物騒な発言に、ロカが怪訝な顔をする。
「彼らが何故ここに居るのか、どれくらいの人数が居るのか。本人たちに直接
「な――何を言っておる!」
ここにライシュタットの面々が居れば、「またか」と思うところではあるが。
ロカはまだ、モリアの隠された一面を知らない。
「ライシュタットは樹海に来たばかりで、メラクと争った過去はない。だから僕ひとりなら、少しくらいは情報交換が出来るんじゃないかってね」
「そんな甘い奴らではない。情報を搾り取られた後に殺されるだけじゃ」
「かもね。そうなる前にどうにかするつもりだ。僕の腕は信用できない?」
しばし黙った後、ロカは
「吾輩には、おぬしがどの程度の腕前なのかよく分からぬ。一匹までならワームを殺せると言うとったな。それが事実なら、確かにメラクの二、三人など問題にもなるまいよ」
頷くと、ロカにはここでで隠れていてもらうよう提案する。
もし時間が経っても自分が戻らないようであれば、草原を迂回し単身アリオトの里を目指してもらう。
そこまで言い含めると、モリアはひとり草むらの中へと姿を消した。