レミーとザジが、ワームを倒し戻ってくる。
モリアたちもそれを出迎えるように丘から下りて、里のほうへと向かう。
メグレズの里――すなわちその砦では、住人たちが外を窺っている様子が見えた。
地上では二体のワームしか見えていないので、数が合わないと不安に思っているのかもしれない。
早く知らせてやろう。
もっともモリアがそう思うまでもなく、ロカが急いで知らせにゆくだろう。
「里の者の命は救われた。おぬしらは最高の戦士じゃ。吟遊詩人の
六人が集まり、ロカが皆に礼を言う。
モリアとザジにしてみれば、自分たちの拠点を守るためにしたことだ。
少し面映ゆい。
だが今だけは、この小さな友人の賛辞を素直に受け取ろう。
詩人の歌に残されるのは御免被るが。
「…………待て」
グルイーザが低い声で言った。
ロカたちは、「ん?」といった感じの不思議そうな反応を示す。
だが――
モリアとレミーは違った。
ふたりはグルイーザの発言が本気か冗談か、ある程度判別できるようになっていた。
今の声色から、かつてないような不穏な気配を感じ取る。
警戒心が最大まで跳ね上がった。
他の四人を守るような配置に、そして武器をいつでも抜ける体勢へと瞬時に移行する。
レミーはそのままロングソードを抜いた。
「えっ?」
「どうしたのじゃ?」
ミーリットとロカが疑問の声を上げる。
ザジにも何が起きたのか分からなかった。
しかし、モリアとレミーの反応からすれば只事ではないのは明らか。自らもすぐに弓を構える。
グルイーザは眉間に皺を寄せながら樹海の北側を睨み付けている。
そして、モリアもその気配に気が付いた。
「もう一匹……居る? グルイーザ」
「何故だ。何故今まで気付けなかった。隠蔽? 違う。眠って……いやがったのか?」
グルイーザはぶつぶつと自問自答している。
気配は徐々に大きくなっている。
ザジがその魔力を感知した。
「大きい……。話に聞く成体のワームとやらか?」
「こいつは、そんな生易しいもんじゃねえ」
地の底から唸るような地鳴りが聞こえてくる。
そして、轟音と共に大地が揺れた。
ワーム出現の前兆。それとは比べ物にならない規模だ。
樹海の樹々が、メグレズの山砦さえもが、揺れていることをはっきりと視認できる。
そして――
そしてその元凶は姿を現す。
樹海の奥。大地の底からゆっくりと。
いや、遠目にはゆっくりに見えるだけかもしれない。
樹々が盛り上がり、土砂や岩塊が上空へと跳ね上げられている。
樹木を巻き上げながら、巨大な何かはその高さを増していった。
ワームだ。
多分間違いない。
途轍もなく巨大なワームが出現したのだ。
その身体に絡み付くようにしていた樹木が地面へと落下する。
土砂が落ちて舞い上がる砂埃よりも高く、それは昇っていく。
徐々に、その表面が見えてくる。
正面には頑強そうな鱗しか見えないが、側面には巨大な
樹海の樹々は、その棘に絡め取られるように上空に持ち上げられていたのだ。
その先端、頭部と思しき場所を見て気付いたことがある。
――あれは、顎の裏側か?
恐らくこのワームは今、モリアたちの方向に下側を向けている。
下側は接地面であるからして、棘が生えていないのだ。
先端部は徐々にこちらの方へと倒れ込んでくる。
モリアたちを――いや、厳密には里のほうを向こうとしている。
そのワームには
顎門が、鼻が、眼球が。
接地面を除く上半分を無数の棘で覆われた、それはまさしく――
まさしく、『竜』の貌がそこにあったのだ。
「蛇竜の王……」
グルイーザが絞り出すように言った。
「蛇竜の王じゃと!?」
「ワームの最終進化形、迷宮守護者リントヴルム……。おい、里の住人を避難させろ。今すぐだ!」
あの『蛇竜の王』とかいう迷宮守護者は、明らかに里のほうを向いている。
だが、里というよりは人の集まりに反応しているのではないか?
だとすれば、避難に果たして意味はあるのか。
それでも、猶予など許されない。
ロカも、他の者も、里に危機を伝えるべく動こうとした。
動こうと、したのだ。
オオォォォ――と、咆哮が響く。
ワームと同じ唸り声、しかし相手はまだ遠く離れているというのに、ここまではっきりと聞こえる。
どさりと音がして、走り出そうとしていたロカがその場で倒れた。
あのザジが、よろめいて膝を突いた。
レミーが、ロングソードを地面に突き立てて身体を支えた。
グルイーザでさえも、苦悶の表情で耳を塞ぐ。
「ど、どうしたんですか皆さん!」
何故か無事なミーリットは異常事態に目を見張っている。
彼女は神聖魔法による、恒常的な加護を受けているのかもしれない。
体格に比して異様な腕力を持つのも、その効果なのだろう。
耳を塞ぐことに意味がないと悟ったグルイーザは、両手を離し叫ぶ。
「これは……
あの咆哮は、聞いた者を無力化させる効果を持っていたのか。
モリアはミーリットに向けて言う。
「ミーリット、なんらかの加護で皆をあの声から守れないかな。ロカは担いでいくしかなさそうだけど、すぐここから逃げてほしい」
「そ……それじゃあメグレズの里は……」
身体の小さいメグレズは、咆哮に耐えられなかったのだ。
砦の中はもしかしたらまだマシかもしれないが、まともに動ける者がいるかは分からない。
仮に動けても、外に逃げれば確実に気を失うだろう。
「そっちは、僕がなんとかする」
苦しそうな表情のグルイーザが、モリアを咎めるように言う。
「馬鹿なことを言うな……。煉獄じゃヤツの核には届かない。お前も逃げるんだよ……」
倒れているロカを見た。
メグレズの里には結局まだ訪れていない。
思い入れなど何もない。
メグレズの技術があれば、ライシュタットの助けになる。
そう思ったから協力したまでだ。
身命を賭して遂行するようなことではない。
でも――
この小さな友人が。
見ず知らずの里の住人である、モリアに救いの手を差し伸べたのだ。
未知なる樹海迷宮でも生きていけるという、希望の道をライシュタットに示したのだ。
思えば最初に出会ったセトラーズが彼であったことは、なんという幸運か。
この友人が悲しむところは――見たくない。
「試すだけ試してみるよ。逃げるのはそれからで」
グルイーザはモリアを睨み、目を閉じて、再び目を開けると言う。
「お前、本当に勝手だよな。タコ坊主の言う通りだわ」
タコというのは南方海に棲むという、悪魔のような姿の魚のことだろうか。
もちろん図鑑でしか見たことはない。
八本足の知人に心当たりはなかったが、丸い頭という共通点から、ギルターのことを指しているのだと思い当たった。
「リントヴルムの核は頭部の棘に守られているから、それをなんとかする必要がある。それから、いくらお前でもあの咆哮を間近で受けるのは無理だ。前のワームみたいに、口腔内を攻撃しようなんて考えるんじゃねえぞ」
「参考にするよ。ありがとう、グルイーザ」
言われずとも正面から攻撃するのは懲りたので、試すつもりはなかった。
頭部は棘も含めると外殻が分厚く、煉獄の射程距離では核まで届かないということだろう。
対策は思い付かないが、傾向は分かった。
「ミーリット、あとお願い!」
「必ず帰ってきてください! モリア!」
皆に背を向けて駆け出した。
蛇竜の王はゆっくりと前傾姿勢へ移行している。
もし他のワームと同じように走り出したら、攻撃の切っ掛けも掴めない。
何より、あの巨体で動けばあっという間に里に到達してしまう。
迷宮守護者リントヴルムとやらが、どれほどの格かは知らないが。
高位の迷宮守護者であれば、降魔の障壁も意味を成さないという。
急がなければならない。
メグレズの里周辺特有の荒野を駆け抜け、樹海へと突入する。
そのとき、腰に括り付けた荷物から微かな魔力を感じた。
――なんだ?
立ち止まっている暇はなく、走りながら自分の身体を見下ろす。
魔力はどうやら、
あの神樹フェクダの枝に無造作に置かれていた、アルゴの装備品である。
不審に思い、ホルダーを開けて一枚のアミュレットを取り出す。
手に取った札は、光を放ちながらぼろぼろと崩れ去った。
光の粒子は再びホルダーに戻り、他の札に魔力を宿したようだ。
その札も手に取ってみたが、同じように崩れ落ちる。
「なんなんだ? こんなときに」
今はこんなものに構っている場合じゃないが、はっきりいえばこの装備品はかなり怪しい。
アルゴへの手掛かりだと思って一応は所持していたが。
今から危険な戦いに挑むというのに、僅かな不安要素も残したくはなかった。
モリアはその場で急停止する。
ホルダーの中の札を、まとめて掴み出す。
それらの札は次々に崩れ落ち、光の粒子はまたホルダーの中へと戻っていく。
何度か繰り返すと、最後に二枚の札が残った。
片や、アルゴが作成したらしい魔導護符――『二竜の護符』。
この札からは相変わらずなんの反応もない。
問題はもう一枚。
先程から漏れ出ている光の粒子は、最終的に全てその札が吸い込んでいる。
その札は、『風刃の呪符』と呼ばれるアミュレットだ。
光の粒子の正体は、呪符に込められていたはずの魔力である。
ぼろぼろに擦り切れ力を使い果たしたと思われていた呪符は、最後に残されていた『札そのものを形成している魔力』を分解し、一箇所へと集めたのだ。
懐かしい魔力が風刃の呪符を満たしている。
モリアは確信した。
――アルゴは、生きている。
この戦場の何処かで。
いや、ひょっとしたらそれよりも前から。
モリアのことを見守っている。
何故姿を現さないのか。
今はそんなことはどうでもいい。
モリアは再び走る。
地響きと共に、蛇竜の王はその胴体を完全に樹海へと沈めつつあった。
下に生えていた樹々は、次々に薙ぎ倒されていく。
モリアは側面から近付いていった。
標的は今にも走り出しそうである。
倒された樹木に跳び乗り、その上を駆ける。
そして、蛇竜の体表から生える巨大な棘へと跳び移った。
――セルピナの樹木兵相手に何度も繰り返した動きが、こんなところで役立つとは。
そのまま胴体へと駆け上がった直後、蛇竜は走り出した。
振り落とされぬよう、背中の上に垂直に生えた棘に掴まる。
棘の長さはおよそ三メートル。
胴体の直径は十メートルを超える。その上更に棘が生えているのだ。
確かに煉獄の呪石で攻撃しても、これでは表面を削るだけで終わってしまう。
鱗や棘に掴まりながら、頭部を目指した。
頭部の首周りは更に太い。
もはや棘というより角の付いた兜であった。
その奥で、魔力核は守られている。
魔力核の直上に辿り着いた。
風刃の呪符を取り出すと、角の表面に置く。
呪符は僅かな光を発し、その場に貼り付くように留まった。
モリアはすぐに十メートルほど後退する。
――ぎりぎり巻き込まれない位置……この辺りか?
背嚢から鉤付きロープを取り出し、背中の棘と自分の身体をつなげて固定する。
標的は走り続けるだけだ。
この巨大な迷宮守護者にとって、モリアなど身体にたかる虫のようなもの。
蛇竜の王にとってモリアは敵ではない。
相手にされていない。
存在を気付かれてすら、いないのだ。
――それが、お前の敗因だ。
風刃の呪符は、術者の攻撃魔法を込めた通常の呪符とは違う。
神代の昔、世界に拡散したと言われる神の力を集めて行使するアミュレット。
原理としてはミーリットの使う神聖魔法に近い。
当然モリアでは、神の力を感じ取ることなど出来ない。
呪符があってこそだ。
これを起動するには古代語の理解が必須だが、呪文自体は単なる合言葉にすぎない。
グルイーザの呪石と同じだ。
札に刻まれた言葉を王国語で読み上げれば、それでいい。
そして、モリアは
「――四方を司る北の風、セプテントリオンよ」
世界に溶け込む普遍なる神の力。
北壁山脈の上空には、強大な風の神力が渦巻くのだという。
北の迷宮に冠される『セプテントリオン』の名は、風神の呼び名でもあるのだ。
「――我が敵を、切り裂け」
呪文の完成と共に、風刃の護符は砕け散った。
蛇竜の王が現れたときとは真逆の方向、遥か天空の彼方より轟音が響く。
音は凄まじい速度で、呪符があった位置を目掛け落ちてくる。
北天より舞い降りる風神の剣、不可視の風刃が蛇竜の首に叩き付けられた。
強烈な突風が標的の首を中心に吹き荒れる。
モリアは蛇竜の頭部後方――背中の棘を盾にして、棘と自分の身体をつなげたロープにしがみつく。
激しい破砕音と共に、蛇竜の角が折れて宙へと舞い上がった。
暴風は止みつつある。
標的の頭部を覆う兜は粉砕され、内部の肉が完全に露出していた。
魔力核はその表面から三メートル程度。
悲鳴のような咆哮と共に、蛇竜の体は大きく震える。
揺れる足場の上で、モリアは棘の前方へと躍り出た。
蛇竜の背中と棘、二点を足場とした上に片手でロープを引く。
三点で下半身を完全に固定させ、上体を捻る。
もう片方の手に握られるのは、グルイーザより受け取ったあの呪石だ。
――たとえ自分たちを滅ぼすことが、迷宮の意思だったとしても。
所詮、迷宮など人の造ったもの。
迷宮に生かされるのではなく、迷宮と共に生きる道を模索すればいい。
セトラーズの力でも、迷宮守護者を打ち破れることを示せばいい。
標的を貫かんばかりに、呪石を投擲した。
石はむき出しの肉を破り、その奥深くへと突き刺さる。
ここでようやく蛇竜の王は、己の頭上に居る敵の存在を認識した。
死角のため眼球で姿を捉えることは叶わぬが、その気配を察知することは出来る。
モリアに向けて、明確にして猛烈な殺意を向けてきた。
しかし。
――今頃本気になっても、もう遅い。
「――浄罪の獄炎」
蛇竜の頭部に埋まった呪石はその力を発動する。
展開される直径五メートルの結界は、魔力核を完全に捉えていた。
この世のあらゆる敵を撃滅せしめる獄炎が、閉じた世界の全てを焼き尽くす。
風刃に折られて舞い上がっていた巨大な角が、樹海へと落下する。
それが地面に突き刺さると同時に、蛇竜の王は息絶えた。