帝国末期の生まれであるカイエは、数奇な運命に翻弄された少女であった。
幼き頃に父母を殺された彼女は、僅か十二にして父母の仇を討つことに成功する。
劣勢であった帝国軍に象徴として祀り上げられたカイエは、周囲の予想に反し戦果を積み重ねていく。
カイエの望みは、平和な世界で普通の幸せを掴むことであった。
それは、動乱の帝国に対する疑問へと変貌していく。
自分が戦うことで、
カイエにはひとつの影が付き従っていた。
万一彼女が戦死するようなことがあった場合、その姿と能力を模倣するための影。
帝国の間者を務める種族、ドッペルゲンガーである。
彼女の望みを叶えることを約束した影は、彼女自身の寿命と引き換えに『カイエの影』となった。
そしてカイエの物語は、カイエの影が引き継ぐこととなる。
カイエの影となって帝国から最初に命令された仕事は、本物のカイエの暗殺であった。
影は速やかにこれを実行し、帝国に報告する。
この暗殺は世間に知られるところとなり、カイエの死は国中に広まった。
本物のカイエは、若干十五歳で歴史の表舞台から姿を消した。
全ては影の策略である。
影はカイエに心酔していた。
本物のカイエは死んではおらず、名前を変え、辺境の地で人知れず暮らしていたのだ。
影はその後、名乗ることも己の素顔を晒すこともしなかった。
人前に出るときは、獣の骨から削り出した仮面を常に着用していた。
時は流れた。
帝国は滅び、王国の世となっていた。
盗賊ギルドの隠れ里が樹海に飲まれ、ドゥーベに見いだされ、メラクを名乗った頃。
影は世間と隔絶された樹海において、カイエの名を伏せる必要を感じなくなっていた。
幹部となってからは、周囲に舐められては動きづらかったという事情もある。
影が明らかにした、魔撃手カイエの名には絶大な効果があった。
幹部のひとり、傀儡師までもが態度を改めた。
しかし興味はない。
このような男など、殺そうと思えばいつでも殺せる。
それでも影は、他者に素顔を見せる気にはなれなかった。
戦場には似つかわしくない、幼く優しげな顔。
あのカイエが少しでも舐められることなど、影にとって許し難いことであった。
自分よりも更に幼い顔立ちである、黄金の魔女が堂々と振る舞う姿を見た。
自分の振る舞いが少し馬鹿らしくなる。
彼女の前でだけは、ときに素顔を晒して語り合った。
メラクの里が滅んだ。
里を滅ぼした者たちも、白氷竜の前に散ったと聞く。
上には上がいる。
一部の精鋭を除き、メラクは解散した。
魔剣士が皆に適当な命令を下し、後は自由に生きるようにと促したのだ。
だが傀儡の術の影響ゆえか、今までの因果の応報か。
ほとんどの者たちは、樹海に屍を晒すこととなった。
諜報の頭目など、一度部隊が全滅した後にまた命令を聞きにきて、再び手勢を率いて出撃していった。
その後二度と戻ることはなかった。
魔女が死んだ。
氷壁城の試練にて、魔女の気配はこの世から消えた。
自分の寿命も残り僅か。
最後に竜に挑むのもいいだろう。
しかし、影にとって予想だにしないことが起こる。
メラク最後の生き残りとなり、自身も散ろうかというこのときに。
奇跡と巡り会ったのだ。
二百年の歳月を越えて、英雄は再びこの世に蘇った。
その顔を見たとき。
影は真相に辿り着き、感激に打ち震える。
間違いない。
この子はカイエの先祖返りだ。
全てを納得した。
鬼人も傀儡師も魔剣士も、カイエの敵であろうはずがない。
黄金の魔女であれば、きっと自分と同じ結論に至るはず。
竜のことなど、もうどうでもいい。
それはもはや、自分の役目ではない。
なにしろ五大幹部を全て退けた、新たなる希望の子がここにいる。
過去の英雄は去り、その意志は未来へと受け継がれていくのだ。
それが、影の最後の思考。
自分と同じ顔の存在を見たときが、己の死ぬときである――
自身ドッペルゲンガーであるはずの影は、伝承の如き最期を迎えた。
*
「別人だよな、やっぱ……」
カイエの亡骸を見て再確認するように、エリクは声に出して言った。
やはり、モリア本人ではない。
モリアより髪が長いし、髪を編み込むような暇もあったはずがない。
背丈は同じくらいだが、体格が違う。
男女の双子だったと言われても信じてしまいそうだが、この女はドッペルゲンガーなのだからそれはない。
――モリアのドッペルゲンガーだったとか?
いや、だとしたら英雄カイエとはなんだったというのか。
エリクは、それについて考えることはやめた。
モリアと同じ顔の女――その死に顔は安らかであり、それ以上を考えるのは野暮だと思ったのだ。
部屋から立ち去ったエリクが、その後この件に関して語ることはなかった。
カイエが最後に考えたこととは。
何故無抵抗に死んでいったのか。
もう誰も、それを知ることはない。
*
『試練は終了した。生存者は城の中庭に集まるがよい』
ミザールの声が響いた。
ふたりを探しに行く手間が省けたようだ。
最初に中庭に到着したモリアは、周辺の状況を探るべく辺りを見回した。
上階からこの庭を見下ろしたときはまだ昼間だったが、今は真夜中だ。
見上げれば氷の天蓋に開いた大穴から星空が見える。
庭の中心部はすり鉢の底のような地形で、階段状になった周囲の構造は闘技場の観客席を連想させた。
やがて、四方の出入り口のひとつからドニが、別の出入り口からはエリクが顔を見せる。
「無事であったか、モリア。カイエとやらは倒したのか」
「ええ。他の挑戦者はもう、誰も残っていないでしょう」
「…………」
エリクはモリアの顔をしばし眺めると、無言で目を逸らした。
再びミザールの声が響く。
『モリアとエリク。汝らふたりの試練達成を、ここに認める』
それを聞いて、エリクはようやく口をひらいた。
「てことは、どっちも報酬を貰えんのか。最後はモリアと殴り合いでもすんのかと思ってたけどよ」
「そんなこと考えてたの? 僕はやらないからね……」
「ところで、爺さんの分の報酬はねえのか?」
『ドニの望みを叶える者は、我に
この期に及んで、
ドニは黙って聞いていた。
他の挑戦者をひとりも倒していない自分には、報酬を受け取る資格などない。
そのように考えているのかもしれなかった。
おもむろに――周囲の景色が歪み始めた。
闘技場が、建造物が、永久氷壁が消えていく。
エリクとドニの姿も消えた。
「これは……」
イルゼの『影の夢』にも似た空間――そうモリアは認識した。
星明かりに照らされた氷の大地に、モリアは立っている。
遠くには無数の氷山と暗い色の海が見える。そこは氷海と呼ばれる、人跡未踏の地。
そして――
目の前には、巨大な熊が
「ミザール……?」
『
しかしこの巨大な白熊の姿も、異空間の中でそう視えているだけだ。
本当にこれが、ミザールの実体なのかは疑わしい。
どうやらミザールと戦うことはなさそうなので、その辺りの情報はどうでもいいと言えなくもないが。
気になっていたことを、試みに聞いてみる。
「ミザールには《白氷竜》ドゥーベや《神樹》フェクダみたいな呼び名はないの?」
『《氷壁城》ミザール』
「えっ……」
つまり、この迷宮守護者の正体は――
「氷壁城そのものが、迷宮守護者ミザールだったと?」
『然り』
思い返せば、城内でのミザールが及ぼす影響は余りに絶大だった。
あらゆる出来事を見聞きする能力、大量の瞬間転移、破損した箇所の高速修復などやりたい放題である。
彼は、この小さな世界における『神』なのだ。
「謎が解けなければ喰われるとか思ってたけど、最初から喰われてたのか……」
そして、そのミザールを以ってしても不可侵の存在が――『竜』。
『ドゥーベは間もなく完全に蘇るであろう。そのとき残る四方竜をも取り込み、世界の終焉そのものである『ひとつの竜』に回帰する。残された時間は少ない』
――『残された時間は少なく、やるのなら今すぐにでも実行すべきです』
イルゼの言葉を、心の中で反芻する。
『四方竜と竜殺兵器は対の存在。両者は互いに遠く離れることはない』
つまり、四方迷宮とはそういう呪いなのだ。
ドゥーベは竜殺兵器のそばにいる。
「……メラクが全滅した時点で試練が終わったのは、彼らは他者と両立し得ない報酬を望んでいたと、そういうことだよね」
『汝らは竜を倒すことを望み、メラクは竜を屈服させ、その力を我が物にせんと望んだ』
「ミザールはそんな無茶な願い、聞くつもりだったの?」
『我には――――いや、誰にも正解など分からぬ』
――やはり、不正解とも限らないのか。
メラクの望みは自身の力だったかもしれないが、竜との対話という試みは独創的だ。
ドゥーベに導かれたメラクだからこそ、思い付くことが出来たのだろう。
そしてそれは、竜に対する答えを見いだせない者たちにとっての、可能性のひとつではある。
『さて、汝の願いは竜殺兵器か。それとも――』
「時間の猶予もあまり無さそうだし、竜殺兵器かな。他の選択肢は、もう少しよく考えたほうがいいと思う」
『汝の選択を尊重しよう』
再び周囲の景色が歪んでいった。
前後左右、天地上下、全ての光景は星空となった。
『汝の望む武器を創造せよ』
「どういうこと?」
『万物を断ち切る剣を創造したところで、剣の心得が無い者には無価値である。最も理想とする武器を思い描くがよい』
星々の光が胸の前に集中するような感覚があった。
両の
そこに生まれたものは――ひとつの『
*
気付けば、元の中庭に立っていた。
ドニが心配そうにこちらを見ている。
エリクは――
「エリクは何処に……」
「気付いたら消えてしまっていた。お前は大丈夫なのか?」
「ミザール、エリクはどうなった?」
返事は無い。
そんな理不尽な対応があるか。
ミザール以外に、誰がエリクの行方を知っているというのだ。
――質問の仕方が悪いのか?
「エリクの……望んだ報酬はなんだ」
『エリクの望みは、四方迷宮の扉』
「四方迷宮の……扉?」
『我がしたことは扉を開けたことのみ。何処に行ったのかまでは知らぬ』
なんだそれは。
そんなものの存在は全く知らなかった。
それが如何なるものなのか、なんとなく見当は付く。
それよりも何故、エリクはそれを知っていた?
「他の四方迷宮に行くための扉、ってことでいいのかな」
『然り』
「それは……僕にも使えるのか?」
『百年後であれば』
目の前が一瞬真っ白に染まる。
エリクの目的は、モリアが思い描く
幼い頃から、同じ場所で、同じ目標をずっと目指してきた。
竜を
ならば何故、報酬に違いが出る?
思い当たる理由はラゼルフしかない。
ラゼルフはモリアに重要な情報を話していない。
そして、エリクにも別の重要事項を伝えていないに違いない。
エリクは……ドゥーベが
思えばエリクは、「四方竜を倒す」としか言っていない。
あれはドゥーベのことではなかった。
だから他の四方竜を倒すため、さっさと次の迷宮に行ってしまった。
その行き先は四方迷宮の中で、最も到達が難しい場所。
残る二箇所は場所が分かっているのだから、そこしか考えられない。
そこへ行くための現在恐らく唯一の手段を今、エリクはひとりで勝手に消費してしまった。
モリアを置き去りにして。
「エ、エリク……あの考えなしめ。ラゼルフのジジイも……肝心なことを言い忘れて――」
悪態が口をつく。
モリアは『四方迷宮の扉』を知らなかったし、エリクは『竜殺兵器でなければ四方竜は倒せない』ことを聞かされていない。
半ば迷宮守護者であるエリクには、竜殺兵器が使えないかもしれない。
だから話さなかったという可能性もあるが、それがこの結果だ。
あとエリクは、やっぱり腕力で解決する気だった。馬鹿である。
「モリア、どうした。いったい何があった。それにエリクは?」
様子を見かねたドニが声を掛けてきた。
今は片付けるべき問題がある。やや不本意だが、エリクはまた追いかければいい。
エリクと合流したときに、情報をしっかり共有しなかったせいでもあるのだが――
モリアは、自分のことは棚に上げる性格であった。
「エリクなら大丈夫です。僕たちの
「それは……」
「アリオトを襲う白い獣と、今この場で決着を付けます」
そうだ。
モリアとドニは、そのために氷壁城へ来たのだ。
「ミザールから受け取った報酬は竜殺兵器。迷宮支配者である《白氷竜》ドゥーベを封じるための武器」
「白氷竜だと? そんなものの話が何故ここで出てくる」
「上を見て下さい。あの氷の天蓋に開けられた大穴は、白氷竜がこの城に出入りするためのものです」
モリアの言葉にドニは目を剥いた。
飛び立つ白竜を里の者が目撃したのも氷壁城の方角だった。
南へ飛んで行く姿が確認された後、その竜を見た者はいない。
「かの竜は、生贄として殺戮するためだけに、迷宮の外からセトラーズを呼び寄せる存在」
「…………!?」
「そして今、その竜に最も深く関わっているセトラーズは――アリオトだ」
「モリアよ……いったいなんの話をしているのだ」
「白氷竜ドゥーベには、元々あるべき形が無い。分割された存在故に、数という概念すら無い。つまり――」
ラゼルフ小隊との戦いで、牙折られ翼もがれし竜――
彼は生贄を喰らってその力を取り戻そうと試みる。
彼らにとって、実際に食べる行為は必要ない。
迷宮の外から訪れた新たな生命が散る度に、それは回復するのだ。
「――あの白い獣の群れこそが、
「い、いや待て。ならば何故、ミザールとドゥーベは同じ場所に居る?」
「
セトラーズは
だが――