ダンジョンセトラーズ   作:高橋五鹿

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癸(みずのと)・再生

「まさか、あんなに(ちぢ)むとはな……。魚じゃないと思ったら、結局魚だったけどよ」

 

 エリクの言葉を聞いてふと、モリアは思い出す。

 

「新月から満月へ。形を変えながらも、死と再生を繰り返す、か」

「なんでえそりゃあ」

「月の神の特徴なんだってさ」

 

 それは夢の中でティーリスから聞いた言葉なのだが、そこまで語りはしない。

 

「縮んだ神様なんざ、有り難みがねえな」

「エリクは元から、信仰心なんて無いでしょ……」

 

 小さくなったとはいえ、武装ブリッグ船をわずかに上回るほどの全長だ。

 互いの縮尺をもう少し縮めてみたところで同じこと。

 船と同等の大きさの魚など、まず人間が勝てるような相手ではない。

 

「本体の大きさは黒雷竜と同程度なのか。あれも、まともに接近戦が出来るような相手じゃなかったけど」

 

 ギブリは現在、この船に向けて側面を晒している。

 どうやら随伴していた他の武装船を、標的と定めて動いているようだった。

 運悪く選ばれたその船は慌てて回頭し、全力で回避に移っている。

 

「どっから手ェ付けんだ? 釣り糸垂らしたところで、針に掛かるような相手じゃねえだろ?」

「そうでもないさ」

 

 モリアはすたすたと、船首のほうへ歩いていく。

 あまりにも自然なその動きに、誰一人として疑問を抱かない。

 だがその中で、水夫の中でもひときわ体格の大きい男――ガンユウ。

 彼だけは自分に近付いてくるモリアを見て、ふいにある記憶を思い出した。

 

「あっ――!」

 

 思い出したときは、すでに遅かった。

 モリアは《キャノン・ハープーン》の引き金に手をかけると、いきなりその主砲をぶっ放した。

 砲手としてその場に控えていたはずのガンユウが止める暇すら与えられない、鮮やかな早業だった。

 

 轟音。

 火成石の爆圧により放たれた巨大な金属銛は、黎明の光をまとって飛翔し、寸分違わずギブリの眼球を撃ち抜いた。

 海上に鈍い衝撃が伝わり、怪魚が呻くような波紋を広げる。

 

 船上の全員が唖然とする中、巻き上げ機の駆動音が甲板に響く。

 その前でガンユウは、驚きの声を上げる。

 

「あ、あんた……キャノン・ハープーンを扱った経験があるのか!?」

弩弓(バリスタ)なら少々」

 

 そう答えるや否や、モリアはギブリと砲台をつなぐ太縄へと軽やかに跳び乗った。

 揺れる縄の上を、全く躊躇することなく疾走する。

 まさか巨大魚を相手に、海上で白兵戦を挑もうというのか。

 あまりに常軌を逸したその行動に、ガンユウが思わず悲鳴を上げた。

 

「そ、そんな無茶な! ギブリが海に潜ったらどうする気なんだ!」

 

 その声が届くよりも早く、第二の影が縄の上へと躍り出る。

 

「ふははははっ! 面白い、我に続けえっ!」

 

 八尺鋼の方天画戟が唸りを上げる。

 国士無双エツゴウが、豪快な笑みを浮かべながらモリアの背を追った。

 

「あっ、テメっ! 仕切ってんじゃねえぞ!」

 

 柄に至るまで全てが金属で打たれた斧を引っ提げ、エリクもそれに続く。

 

「船長! この場は任せる」

「あっ! 進奏官殿、あなた様まで行かれては!」

 

 船上では、まだ呆気にとられたままの船長が声を上げた。

 しかしその声に耳を貸すことなく、ヴィローもまた縄の上へと跳躍する。

 風を切って宙に浮いたその瞬間、彼の体が変化を始めた。

 

 背中はみるみるうちに膨れ上がり、緩やかな外衣の内側を盛り上げていく。

 覗く素肌は銀色の体毛に覆われ、筋肉の線が獣めいて浮かび上がる。

 時刻は既に黎明。

 本来ならば、ウールヴヘジンの時間は終わっているはずだった。

 

 だが、月は――

 境界の空に、青く光っていたあの勇魚(いさな)は。

 姿を変えてなお、ヴィローの目の前に在る。

 

 

 

 

 ギブリの頭頂部に辿り着いたモリアは、鞘から抜いたショートソードを迷いなく突き立てる。

 その刃は深くは届かぬが、靴裏の滑りを止めるには十分だった。

 

「おい、漂海の! その程度では、蚊に刺されたようなものであろうよ!」

 

 すぐ後方に追いついたエツゴウが声を張った。

 

「これは目印だ! ギブリの弱点はこの下にある!」

「なにっ、ならば我に任せておけ! しっかり避けろよ!」

 

 言うやエツゴウは膝を深く折り、四足獣のように高く跳躍した。

 方天画戟を真下に向け、まさに一撃でその弱点を貫こうとする。

 だがその刹那。

 ギブリが突如として背をそらし、海上に巨大な尾と頭部を大きく持ち上げた。

 

 船とつながっていた金属銛がずるりと抜け落ち、綱を渡っていたエリクとヴィローは、海へと投げ出された。

 一方、エツゴウの方天画戟は見当違いの場所に突き刺さり、彼もまた海へと弾き飛ばされてしまう。

 

 モリアだけがなお、小剣を離さぬまま勝機を窺っていた。

 波間に沈みかけた三つの影を視線で追う。

 その中の一つ。

 白銀に光る体毛が、水中でもなお燦然と存在感を放つ姿を確認する。

 

「あれがウールヴヘジン・オリジンか。複製品(ニセモノ)とは比べ物にならない魔力だな」

 

 彼の言う複製品とは、かつてネームレスタワーで戦った相手、迷宮守護者ウールヴヘジンのことである。

 月の光届かぬ塔の中に棲むその魔物は、本来の力など失ってしまっていたのだろう。

 

 いや、それはヴィローも同じこと。

 本来の月が失われたこの天蓋境では、種族の力は失われたはずなのだ。

 だがウールヴヘジンの祖先たちは、()()()()()から力を奪うという、異様な独自進化を成し遂げた。

 そしてその()()()は今、ヴィローの目の前に在る。

 

 モリアは再びギブリの頭部へと視線を戻し、鋼の刃に体重を預ける。

 巨大な海獣は、その頭を叩きつけるように海面へと落とした。

 水飛沫と衝撃が足元を揺らす。

 打ちつけられた巨体はそのまま徐々に海中へと滑り落ちていく。

 

 その時だった。

 波間から、金属の閃きが浮かび上がる。

 ギブリの上へと這い上がってきたのは、海に没したと思われたエリクだった。

 手には例の金属銛をしっかりと握っている。

 

 ――まさか、ずっと太縄を離さずにいたのか?

 

 エリクには、まだギブリの弱点――すなわち核の場所を伝えていない。

 彼の魔力感知の練度を考えると、自力でそれを視ることは不可能なはずだ。

 だがモリアがそれを伝えるよりも早く、エリクは金属斧をギブリの外皮に打ち込み、その柄を足場に跳躍する。

 モリアの位置を狙って、振りかぶった銛を一直線に振り下ろす。

 

「もらったァ!」

 

 モリアは小剣を引き抜き跳び退いた。

 核に刃が突き刺さる、重い音が響く。

 

 ――視えてもいないくせに、よくやる。野生の勘か?

 

 かつての戦友、バリスタを思わせる不思議な能力だ。

 

「やったか!?」

 

 エリクが無造作に放ったそのひと言は――

 吟遊詩人の物語などで、最後にしくじる登場人物がよく口にする定番の台詞であった。

 

 突き立てられた銛の直下で、ギブリの巨体がびくりと痙攣する。

 そして次の瞬間――

 エリクの立つ位置よりもわずかに前方。

 頭頂部の裂け目から、白い噴気が『竜の息吹(ブレス)』の如く噴き上がった。

 

 勇魚は陸上生物と同じ肺呼吸であり、その鼻孔は水棲生活へ適応するため頭頂部に存在する。

 もっともこの相手は勇魚ではなく竜だ。

 何故そこまで頑なに、勇魚を模倣するのか謎ではあるが。

 

 視界が一気に白濁する。

 モリアの身体が弾かれるように宙を舞った。

 その中で――エリクの命の気配が、完全に途絶えたことを感知する。

 

「あ……エリクまた死んだ」

 

 十干陣(じっかんじん)の効果範囲にあってさえ、迷宮守護者のエリクでは迷宮支配者たる四方竜を殺せない。

 

 ――ということは、ネメティス陛下もやっぱり戦力外なのか。

 

 皇帝はモリアよりもずっと強いのに、もったいないことである。

 

 

 

 

 変則的なドラゴンブレスにより、海上の視界が白く染まる中。

 ギブリの胴体に取りついたヴィローが、その濡れた背を這い登り、ついに海上に姿を現した。

 この場の戦力は、もはやヴィローを残すのみ。

 

 月。

 ウールヴヘジンに、凶暴で過剰な力をもたらす『月』に。

 今、彼はついに――その手で触れられる距離にまで辿り着いたのだ。

 

 全身を覆う銀毛が風に翻る。

 その脚は竜の背をしっかりと捉え、指先には野性と理性のあいだを揺らぐ凶気が灯っている。

 竜の魔力を際限なく取り込み続ける今のヴィローは、もはや『魔神級』と呼ばれる迷宮守護者と並び立つ存在と言って差し支えない。

 

 ヴィローは拳を握った。

 獣じみた咆哮とともに、その拳が――ギブリの外皮に叩きつけられる。

 

 一撃。衝撃が波紋のように胴体を駆け抜け、霧の中に低い唸りが響く。

 二撃。堅牢な肉体が微かに軋み、内部に響く異音が混じる。

 三、四、五撃――

 打撃はすべて、深く、正確に、核へと向かっていた。

 

 そして。

 最後の一撃。

 ヴィローは突き刺さったまま残る金属銛の柄に拳を打ち下ろした。

 

 鈍い衝撃音が炸裂する。

 銛はごりりと深く沈み込み、わずかに届いていた核を貫いてなお、さらに肉を裂いて進んだ。

 全身を震わせる悲鳴が、空を裂いた。

 ギブリの巨体がびくりと震え、その輪郭は再び霧のように――

 

 いや。灰のようになって、海の上で溶けていった。

 

 

 

 

 ヴィローは黙って瞼を閉じている。

 エツゴウは拳を固く握りしめたまま、戦友の亡骸を見下ろしていた。

 そして、ガンユウの泣き叫ぶ声が船上の海風へと溶けてゆく。

 

「うう……エリク殿ぉ、嘘だろ、目を開けてくれよ……」

「あ、大丈夫です。それ仮死状態なんで」

「仮死……? え……?」

 

 モリアは適当なことを言いいながら、予備帆の切れ端を使ってエリクの死体を包んだ。

 突然蘇えるところを見たら、ショック死する者が出るかもしれない。

 皆で竜殺戦を生き残ったというのに、そんな理由で死者が出てはあんまりだろう。

 

 

 

 ガラクシアスの天蓋が消える、その瞬間を知覚した者は誰ひとりとしていなかった。

 レオーネ島はいつの間にか、本来の世界へと帰還したようである。

 閉ざされた空の檻も、霧に包まれた月の魚影も、ここには存在しない。

 

 戻ってきたのか、それとも最初からここにあったのか。

 誰にも、確かなことは分からない。

 

 ここでは世界のことを仙境と呼ぶ者などいないし、北の大陸が新大陸と呼ばれることもない。

 遥か昔に人々が語り、戦い、選び取った数々の歴史は――

 今や、夢の向こうの出来事のようであった。

 

 

 

  世界はひとつであると同時に、重なり合う無数の面でもある。

  ひとつの決断が無数の分岐を生み、それぞれが自己を持って進行する。

  異なる面に住まう我らは交わることなく、それでも影を落とし合う。

  それを以て、『並行世界』と仮に名付ける。

 

  ――『迷界探索手記』抄「並行界構造論」

     (黄金の魔女グルヴェイグの草稿より)

 

 

 

◆『特殊精神応用報告書』注解篇(魔術師ベルーアの筆記録より)

 

旧帝国では、魔術に分類されぬ先天の力が、密かに研究されていたという。

王国においては今日、これらは迷信とみなされ、顧みられることすらない。

以下に記すのは、かつて観測されたという現象群であるが――

 

・エンパシー(※推定能力保有者:クロード(バリスタ))

感情を読み取る能力。

対象個体独自の傾向として、言語を有する生物などの複雑な感情は読み取れない。

よって、テレパシーとは異なる能力に分類される。

相手側のソートプロジェクション(思考投射)を受信する能力にも優れている。

 

・イントゥイション(※推定能力保有者:エリク)

直観。あるいは野生の勘。

理屈を介さず、即座に本質や正解を見抜く力。

対象個体独自の傾向として、敵対者の弱点を見抜くことが出来る。

生物の弱点がたいてい頭・首・心臓なのは周知の事実であるため、

この能力によって、対象個体が他者より有利になる場面はほぼ存在しない。

 

・ノーエティック認知(※推定能力保有者:ヴィロー)

全体的・集合的な「意味」や「傾向」を直感する力。

対象個体独自の傾向として、人類や世界が破滅に近付く距離を知覚し、

その原因をも感知する能力を備えている。

いわば、人間終末時計。

 

※括弧内はベルーアによる注記であり、原文には含まれていない。

 

 

 

  対象個体は、いかなる既知魔術体系にも適合しない干渉を実施。

  観察された事象の一部には、詠唱・触媒・信仰のいずれも介在しなかった。

  術式ではなく意志の投射によると仮定すれば、分類上は『魔法』ではない。

  本研究所ではこれを《サイオニック》と仮称し、精神干渉として暫定登録する。

 

  ――帝国軍超能力開発研究所編

     『特殊精神応用報告書』第八章「非魔術性干渉の分類試案」

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