イスラリアに於いて、鏡というのはそう頻繁に見るものではない。
利便性やその見た目の美しさは目を見張るものがあるが、それ以前に信仰的な問題があるのだ。日光をかすめ取り、映し出す。卑しい簒奪者として、鏡、ひいては鏡の精霊は忌避されている。そんなことを踏まえて、今ウルの置かれた状況を考えてみる事とする。
(うわ)
鏡に、囲まれていた。
小さな部屋、その全方位に自分の姿があるというのは、流石のウルでも経験したことのない状況だった。けれど、ウルはそこまで焦っていなかった。誰がそれを行ったのか、というのは明白だったからだ。
「出てきていいぞ、エシェル」
「ウル!」
ぬる、と鏡の内側から少女が現れる。
かと思えば、勢いよくウルの胸に向けて飛翔し、衝突した。
「やっと起きた!もう駄目かと……」
「駄目?」
「ずっと起きなかったんだぞ!?あの砂漠から帰って来てからずっと!」
必死に語り掛けるエシェル。その姿と、「砂漠」という言葉を聞いて、ウルは大体の顛末を察した。
鏡を見る。さっきは気づかなかったが、ウルの体には、忌々しい呪いが刻まれていることが分かった。焼けただれているような、悍ましい黒炎だ。
(
黒煙砂漠。灰都ラース。
そこで無様にも敗北し、逃げ帰ってきたのがこの世界らしい。何処にもぶつけられない悔しさが湧くのと同時に、納得を感じる自分が居た。ラースで敗北し、ウル以外のすべてを失いでもしないと、エシェルはこんなことをしない。幼稚に見える彼女だが、天陽騎士として、竜呑王女として様々な責任と向き合ってきたのだ。そう簡単に、こんなことに手を染めない。
それと、彼女を支える人間は多くいる。
この世界でそうなのかは、わからないが。
「エシェルは大丈夫だったのか?」
「私、は、救助に回ってたから」
悔しそうに拳を握り込むエシェルの頭を、ウルはゆったり撫でる。
「頑張ったんだな」
「でも、ウルの方が……!」
「ほんとに、よくやったよ」
うぅ、とエシェルが唸る。
ぴこぴこと動く耳を眺めながら、ウルは小さく息を吐き出した。
「ごめんな、エシェル」
「んぅ?」
疑問を湛えて向けられた瞳から、少し目線を逸らす。
今のエシェルと、眼を合わせられる気がしなかった。
「守れなかったな、エシェルの大事な物」
「……」
仲間も、何もかも。
守ってやると、そう思った筈のなのに。
「そんなことは、無い」
だが、自己否定しかけたウルをエシェルが止めた。
たどたどしく、だがはっきりと確信をもって、彼女は言葉を紡いでいく。
「私は、全部失くすかもしれなかったんだ。ウーガの時も、陽喰らいの時だってそうだ。私は、元々何も持ってない」
家族を失って、信頼も、地位も無くなった。
地の底、暗闇の中で、彼女の鏡が映したのは。
「助けてくれたのは、いつもウルだった」
エシェルの鏡面のように透き通った瞳がウルを映す。
「だから、一回間違えたくらいで責めたりなんかしない。そりゃ、ちょっとは寂しいけど……」
エシェルの右腕が震えている。
ちょっとではないことぐらい、ウルは痛い程知っていた。だが、それを突くようなことは言えなかった。
どんなに悲しみに打ちひしがれても、彼女は自分の為にそれを飲みこんだのだ。
「ありがとな、エシェル」
「……うん」
ぱりん、と鏡が割れる。
欠片と化したそれらに、彼女の涙が反射していた。