かくして少年は泡沫の夢を見る   作:獣乃ユル

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かくして少年は翡翠の夢を見る

 ウルが眼を開くと、ただ、その先には光があった。

 雄大に広がる海面に、太陽神が沈んでいく。澄み切った空が、赤く、美しく染まっていた。波打つ海の水が陽光に煌めいて眩かった。

 

 ウルにとっては見覚えのある景色だ。それも、忘れられるはずもないもの。

 ラースでの戦いの先、灰となった聖都の向こうに在った、地獄の果ての到達点。

 

 感傷に浸った彼の口が言葉を漏らしかけるよりも先に、ウルの隣から声がかかった。

 

「綺麗ですね、ウルくん」

 

 さざ波にかき消されてしまうのではないかと思う程か細くて。

 けれど、ウルの記憶にあったその声よりも、強く、はっきりとした言葉だった。

 

「……そう、だな」

 

 生返事を返しながら、眼だけで隣を見やる。

 その目が少し先の未来を捉えたことで、ウルは全てを理解した。

 

 アナスタシアは死なず、ラースを攻略した。

 未来視が残っていることから、それは確実だろう。この世界にたどり着くのに、どんな方法を自分が使ったのかはわからない。だが、素晴らしいことだ。こんな風に終われたなら、良かったと思う。

 

 なら。

 

「泣いて、る?」

 

「ちょっと、潮風がな」

 

 この涙はなんだ。

 自分の目にアナスタシアの意志はない。なら、今流れてくるこれは、ウルの涙だ。

 

「あぁ、クソ……」

 

 どうにもならない感情を抱えたまま、ウルは俯く。

 頬を伝っていく涙は、そのまま流れていく、筈だった。

 

『AAAAA』

 

「フィー、ネ」

 

 黒炎の不死鳥。フィーネが、ウルの涙をぬぐった。

 厳密には黒炎の不死鳥だったもの、と表すのが正しいのだろう。今のフィーネは黒炎に呪われてはおらず、何故か普通の文鳥ほどの小ささまで縮んでいた。

 

「心配してくれてるみたいです」

 

「そう、みたいだな」

 

 ウルが頭を撫でてやると、嬉しそうに小さく鳴き声を漏らす。

 随分と牙を抜かれてしまった──いや、こっちが本当のフィーネだったんだろう。

 

「ほんと、綺麗だな」

 

「そう、だね」

 

『AAA』

 

 いつか見た景色を。

 ともに見る事の叶わなかった相手と眺めていた。

 

 

 ◆

 

 

 

 ウルは、次に民家で眼が覚めた。

 見覚えのある、竜呑ウーガのウルの家だ。だが、そこにいる面子を見て、ウルは小さく頭を抑えた。

 

「……まだ、醒めないのか」

 

 長い机を囲んで座るのは、黒炎払いの者達だ。

 それも、ガザやレイだけではない。ラース解放に至るまでに死んだ面々も、そこには居た。勿論、その隊長であるボルドーも。

 

 覚悟をして、彼らは戦った。そして、自分はそれを飲みこんで歩き出した。

 それは不可逆であり、消化したはずだとウルは思っていた。だが、目の前で繰り広げられたのは、自分が奪った可能性だ。せめて安らかに死ねたかもしれない彼らを、地獄に連れ出したウルには、あまりにも。

 

 これが罰なんだとしたら、酷く趣味が悪い。

 

「それじゃ、乾杯!」

 

 誰かが音頭を取って、宴が始まる。

 飯を食うような精神状況ではないウルは、喧騒の中で飯と向き合っていた。

 

「体調でもわりぃのかぁ?」

 

「なんでもう出来上がってるんだよ」

 

 自分を心配しているのかペリィが顔を覗き込んでくるが、何故か彼の顔は最早真っ赤に染まっていた。

 

「……少し離席する」

 

「おうよぉ」

 

 

 

 ◆

 

 

 屋上に上がり、夜風を浴びる。

 いつしかブラックとの二次会──とは名ばかりの脅迫的な何かをされた場所だ。今になってはもう、懐かしいことな気もしてくる。

 

「どれくらい、経ったんだっけか」

 

 ウーガを手に入れてから。黒炎砂漠に放り投げられてから。魔界に、突入してから。

 永い時が経ったようで、実際のところ一年にも満たないはずだ。そのうちに、自分は幾つ他人の運命を蹴落としたのか。

 

 後悔はない。それはずっとそうだ。

 ウルの判断基準は一から十まで「ウル自身」でしかないのだから。彼が思うままに、彼の道を歩いて来てつながったのが今だ。だから、後悔ができるはずも無かった。

 

「でも……」

 

「感傷にでも浸りたくなったか、ウル」

 

「……ボルドーか」

 

 振り向いた先にいたのは、黒炎払いの隊長だった。

 激戦を乗り越えた影響かその体には数多もの傷があるが、上半身と下半身が切り分けられたりはしていない。

 

「まぁ、そんなところだよ。高いところまで来たなって」

 

「確かに、ウーガは中々の全長だ」

 

「そっちじゃねぇ」

 

「はは、冗談だ。わかっているさ、【灰の英雄】」

 

 微笑んだボルドーを、ウルは何も言えずに見つめていた。

 あのボルドーが、笑っている。怒りと、後悔と、使命の中で戦い続けた男が、こんなにも穏やかに。

 

「なぁ、ボルドー」

 

「何だ?」

 

「……選択を、後悔したことはあるか」

 

「──」

 

 ウルの問いに、ボルドーは一度瞼を下した。

 その表情には確かに、未だ燻ぶる憤怒があった。

 

「あぁ、在る。何度もな」

 

「……そうか」

 

 アナスタシアを裏切ったことなのか、仲間を何人も救えなかったことなのか。それは、ウルには計り知れなかった。

 けれど、とボルドーは首を振る。

 

「後悔することはあれど、否定はするべきではない」

 

「その心は」

 

「侮辱だからだ」

 

 淡々と、ボルドーは告げる。

 

「自分の選択への、そしてその選択で失ったものへの侮辱でしかない」

 

「っ」

 

 隊長の責務を担い続けてきた男から放たれる言葉は重く、ウルの心の中にゆっくりと沈んでいく。

 ウルの視界には、様々な景色が通り抜けて行った。今まで培ってきた、失ってきた者達の色だった。

 

「ウル。お前は何のために選ぶ?」

 

「──俺の為だ」

 

「そうか」

 

 それを訊くと、ボルドーは屋根裏から立ち去って行った。

 

「戻るのか?」

 

「ああ。お前の横には、もっとふさわしい奴が居る」

 

 ボルドーと入れ替わるように現れたのは、アナスタシアだった。

 彼女はふらふらと、しかし、確かに両の脚で地を踏みしめて歩み寄ってくる。

 

「どうやって」

 

「フィーネが、運んでくれたんです。賢い子ですよね」

 

 儚く笑うアナスタシアに、ウルは僅かに顔を歪める。

 だが、直ぐに調子を取り戻す。ボルドーとの会話で、既に心は決まっていた。

 

「ウルくん。言っておきたいことが」

 

「どうした」

 

 アナスタシアは、言いずらそうに口をまごつかせる。数秒、そうして言葉を探していたが、観念してついには言葉を紡いだ。

 

「ウルくんの未来が、見えないんです。真っ黒で……」

 

 深刻に告げられたそれを、ウルは静かに受け止める。

 

「ま、そうだろうな」

 

 ため息交じりにそう言った。

 ここからどんな風に状況が転がるとしても、無事で済む保証はない。ウルが仮に戦わないことを選んだとしても、イスラリアの滅亡という結末へのカウントダウンは既に始まってしまっている。だから、破滅が待っている。それ自体に驚きも、恐怖も無かった。

 

「驚かないんだね」

 

「知ってたからな」

 

 アナスタシアがウルの横に腰かける。

 彼女の翡翠の瞳が、不安に揺らいでいた。

 

「嫌だよ、ウルくん」

 

 アナスタシアははっきりと、拒絶を口にした。

 その様子に、ウルは思わず笑ってしまった。

 

「本気で言ってるんだけど?」

 

「すまんすまん。何というか、良かったなって」

 

 仲間に裏切られて、黒炎に蝕まれて、力なく倒れ伏していた壊れた聖女が、ここまで立ち直った。

 その景色が眩しくて。

 

「何も、良くないよ」

 

 そんな風に少し喜んだウルとは対照的に、アナスタシアは少し怒ったまま言葉を放つ。

 

「どうにかしないとウルくんが……」

 

「もう、いいんだよ」

 

 アナスタシアの頭を撫でる。

 一見諦観にも聞こえるその言葉だが、ウルの目からは一切光が消えていなかった。ならばその言葉が向けられる先は、一人しかいない。

 

「アナは、十分やってくれた」

 

 あの時伝えられなかった礼を、彼女に。

 

「何もしてない、よ?」

 

「それでもいいんだ。ここに居てくれただろ」

 

「!?」

 

 少し言葉の意味をはき違えてアナスタシアが赤面するが、それを意にも介さずウルはアナスタシアを撫でる。

 息を吸い込んで、感情を整える。いくら夢とはいえ、有難い事だった。中途半端で、歪んだまま終わった別れの続きをもう一度できるのだから。

 

「楽しかったよ、アナスタシア──。じゃあな」

 

 ウルはアナスタシアの目を真っすぐに見つめる。

 先程までコミカルに怒っていたアナスタシアも、その様子を見て並々ならぬ状況であることを理解したらしい。

 

 ぐっ、と言葉を飲み込んで。アナスタシアは。

 

「好きです。愛しています。嬉しかった。楽しかった――――さようなら」

 

 いつしか、ウルの聞けなかった言葉。アナスタシアの伝えられなかった気持ち。

 かくして、それは泡沫の夢にて紡がれた。

 

 ウルの姿が夜闇に溶ける。それを見送ったアナスタシアは、只小さく笑った。

 

「いってらっしゃい」

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