ふぅ。と、軽い溜息をつきながら目の前を見る。眼前に広がるのは子供たちが公園の遊具で遊ぶ平和極まりない光景で、ここが危険な世界だというのに、それを忘れそうになる。
さて、そんな平和な目の前の光景とは裏腹に、僕は重大な悩みを抱えている。そもそも財団世界に飛ばされてるのが悩みと言えば悩みだけど、それとは別だ。
で、その悩みと言うのは性転換してしまったことである。うーん、美形になるって言うのは有難いけどJKってのは困る。見た目としては美形に作ってくれたらしいけど鏡は無いから詳細は不明。
分かるのは髪が黒髪でおっぱいがそれほどないって事だけ。まあ前世の感覚と同じ感覚で体を動かせるのは有難い。
まあ、単純に心情的な問題として男に戻りたいと言うのはあるけど、それ以上に問題として大きいのは運動能力の低下、それに加えて異常存在を利用した性犯罪者に狙われる可能性まで出てくる。
更には女性を対象としたオブジェクトにまで遭遇する危険がある。まあ男性限定のオブジェクト*1も結構あるからこれは誤差な気もするけど。
だが、正直言ってこれらの問題はどうでもいい。だって悩んだって解決しないし。恐らく、と言うかほぼ確実にパラテク*2団体に頼めば男には戻れるだろう。そもそも通常技術でも戻れるはず。
それにまあ美少女に成れたのはあんまり悪い気もしないし、心情的な面も含めても今の所一番辛いのは運動能力低下だ。生死に直結する可能性が高い。
残念ながら悩みはまだある。就職問題だ。幸いここは日本だし、相も変わらず少子高齢化が進行中の我が国は割と簡単に仕事は見つかる方なはず...多分。残念ながら僕はこっちに来る前も高校生だからよく分からないのだ。
就職先はそれなりにある。だが、問題は住所不定中卒*3美少女を雇ってくれる場所があるかどうか、と言う事だ。少なくとも僕はこんな厄ネタ雇いたいとは思わない。
掲示板で概ねの共通方針としてまずは就職を目指すとした以上これは重大な問題である。何気に問題なのが中身の僕が社会経験が0と言う点だろう。何せ何をすればいいか全くわからないからな。
とりあえず、現在の所持品を改めて確認することにした。
1.財布と中身の10万円。内訳は諭吉8樋口2野口10である。
2.財布の中にねじ込まれてたパスポート。これで一応身分は証明できる。
3.小さめのリュックサック。容量は2Lペットボトル2本分くらい。中身は空
4.服。白Tとジーパン。シンプルが過ぎる気もする。
以上。現金とパスポートを持たせてくれただけありがたく思うべきなのだろう。
うーん、何ができるってわけでも無いよな。やっぱり仕事か家を探すべきか。
となると公園からはさっさと移動するべきだ。こんなブランコと砂場と言う公園の最小要素で構成された場所で仕事が見つかるとは思えない。早速ベンチから立って歩き出す。
正直言ってこの公園の外は全く把握してない。そもそもここがどこだかも分からないし、転生前に転生先を教えて貰わなかったら日本だと分からなかったかも。いや、さすがに分かるか。うん。
森に飛ばされたわけじゃなくて住宅街だしね。あっ、早速電柱に住所が書いてある。 霧蛙市二跳町1-41 ...どこだよ霧蛙市。何だよ蛙って。少なくとも東京では無い事は分かった。
暫く公園を基準点にして周囲の探索を進めていると、コンビニを発見した。ファミリーマートだ。良かった、普通のコンビニで。個人経営のよくわかんないコンビニとかが出てこられたら
いよいよどこかに隔離されてる異常空間っぽいし。何か情報があるかもだし、喉も乾いたし入ろう。
中は...普通だ。うん。やっぱ普通の町で間違いなさそう?聞いたこと無いところだけど僕が知らないだけかな。それとも財団世界にしかない普通の市とか?
正直言って炭酸とかが飲みたいけど贅沢言ってられないので水。後は...傘も買っておこう。空模様も怪しいし*4携行性の問題から折り畳み傘が良かったけど無かったので普通のビニール傘を選択。
ひとまず早急に必要なのはこんな物かな。傘は雨で風邪ひいたら目も当てられないし、水はペットボトルを容器として再利用できるし無駄がない。後はそう、ホットスナックを一つくらい買っても良いんじゃないだろうか。安いし。確かファミマの最安値はコロッケだったはず。
あれ?60円?こんなに安かったけ?最近何か100円に値上がりしてて3桁かよって思った記憶があるんだけど...良いや。安い分には問題ないし二つ貰おう。だけどちょっとだけ。ちょっとだけ気になるから聞いてみる。
「すみません、今年って何年でしたっけ?」
「え?2008年じゃないっすか?」
「あっ、はい。ありがとうございます」
...はい、何故かは知らないけど過去の世界です。スマホもあんまり普及してない頃じゃん。何故だろう。と少し考えて思いついたのは確か財団本家がそれくらいから出来だしたと言うぼんやりとした記憶だけ。これは後で掲示板で確認しよう。
そう思いつつ、コンビニを後にする。そして気づいた事がある。コンビニに地図とか売ってるんじゃないか?つまり、ここがどこだか分るのではないだろうか。恥を忍んでコンビニにとんぼ返りしましょう。
で、地図をパラパラとめくり索引から霧蛙市を発見。これで少なくとも異常空間の可能性はない、財団が隠蔽する必要のない普通の市と言う訳だ。場所は...千葉県?そんなところあったっけ、と思いつつ地図をめくる。
九十九里浜が無い。いや、ある。あるけど...何といえばいいのだろうか。千葉県の太平洋側のあの弓なりに凹んでるところが逆に盛り上がって楕円形の様相を呈している。で、その楕円形の海岸が九十九里浜と呼ばれてるわけだけど、確実に九十九里以上ある。
まあ元の浜も似たようなもんか。で、霧蛙市の場所はそんな前世にはなかった土地に、位置で言うと銚子市の真下辺りにできていた。この土地の発生にオブジェクトが関わってないとは言いきれないけど、今の所普通土地っぽい。良かった。
それにしてもこんなに出っ張ってると海流とかでガンガン削られていきそうなもんだけど、大丈夫なのかな。いやいや、そんな事を気にしてる場合じゃなかったとりあえず仕事を探さないと、というか普通に求職雑誌があるじゃん。
何でこれに気が付かなかったんだ、と思った瞬間更にもう一つ。僕、携帯持ってないじゃん。応募できないじゃん。そも住所無いし。やっぱり町を歩き回って求人を探すべき、との結論に至った僕はコンビニから出てまた歩くことにした。
暫く歩くと、住宅地から商業区画らしき所に出た。都会、とまではいかないけど、寂れてはいない。活気のあるいい町並みである。求人はあるかな、とちょっと見渡すと直ぐに飲食関係のチェーン店のバイト募集が見つかる。
うーん、チェーン店はなあ。住所不定を雇ってくれない気がするんだよねえ何となくだけど。後は高校生バイトとか多そうだしその中に入っていくのは現在の境遇的に厳しいものがある。ロクな人間関係を作れないだろう。
そんな事を考えながら、路地に入る。路地と言っても、いわゆる裏路地のような所では無く、車が通れないほどの道と言うだけでそれなりに活気がある。ただ、どうにも居酒屋やら酒屋、古本屋なんかで若年層は少なそうな雰囲気だ。
そんな路地を2、3分ぶらつくと、とある看板が目に留まる。料理屋『青霧』と、書かれたその看板の引き戸には、「準備中」と書かれた小さな掛札の上にバイト募集 時給1300円 内容は、配膳や掃除、皿洗いなど と書かれた手書き(鉛筆)の張り紙が。
正直言って好条件だ。表のバイト*5は大体千円以下な中で1300円は破格と言って良い。それにこう、絶妙に怪しくないラインなのが良い。特に文字が鉛筆で書かれてるってのが良い。筆とかだとちょっと怖い。
それなりの好条件だし、面接を受けてみよう。住所不定やらなんやらで断られるかもだけど、まあ受けなきゃ結果は分からない。扉をノックする。3回。返事はない。もう一度。3回。返事はない。
...入るか。すみませーん、と声を掛けつつ恐る恐る入店。扉を開けた途端香った酢飯の匂いで、ここが寿司を提供していることが分かる。それと同時に僕のテンションは若干落ちた。回る寿司の可能性があるからだ。*6
「へいらっしゃい、お客さん、今は準備中で...」
そう言いながら店の奥から一人の男が出てくる。中年の、どちらかと言えば温和な雰囲気を醸し出した、若干ふくよかな男だ。一瞬、挨拶を受けて身構えてしまったが、男の手に寿司は無い。
うん、まあ普通の挨拶だよね。大体そんな直ぐに要注意団体と遭遇するはずも無いし。ここは普通の寿司を出す店なんだろう。それなら寿司ブレードに怯えずとも安心して働けるという物だ。
「表の紙を見てバイトの面接を受けに来たんですけど今お時間大丈夫ですか?」
僕がそう言うと、男は得心が行ったような顔をして
「大丈夫ですよ、それではそちらに」
と、視線でカウンター席をさした。カウンター席の方に移動しながら、改めて店を見る。大きな店ではなく、客席はカウンターが6席に座敷が2つ。やはり個人経営の飲食店だろうといった印象を受ける。
ただ、大衆食堂、と言うには少々威圧感がある店構えで、しっかりと食事をするなら万はいくだろう、という雰囲気を感じる。高級店でそれなりに品位ある対応を求められるなら、時給1300円も決して高いとは言えないのかも知れない。
そんな事を考えながら席に着く。男、恐らく店長であろう人は、僕にカウンターに座るように促すとサッと店の厨房らしき所へと引っ込み、お茶を二杯、持ってきてこういった。
「これ、お茶ね。あと面接とかは特に無いから、採用で良いよ。なんなら今日から働く?」
「いやいや。何か書かなきゃいけない書類とかあるんじゃないんですか」
「それはあるけど...別に後でもいいし、君は此処で働きたいから面接に来たんでしょ?なら採用。」
何というトントン拍子。まあこちらとしては有難い。ありがたいけど住所不定、口座未所持、電話番号皆無であることを伝えねばならない。そうなったら、あ、やっぱなし。となる可能性も有り得る。
だが残念な事に言わないと言う選択肢はない。隠してて面倒事になったら厄介極まる。
「私ってば今住所不定で口座も持ってないし何なら電話番号も無いんですけどそれでも大丈夫ですか?」
そう言うと流石のおおらか店長も顔が曇った。当然だ。これで即答でオッケーされたらビビるわ。
「えっと、家出とか?それなら雇ったりは難しいかなあ。」
「家出ではないです。家族は居ません。」
現世には。
「あー、じゃあ、まあ。えーっと?今って現金持ってたりする?知り合いのアパートががら空き状態だからそこに住んでもらえれば一番問題の住所不定が解決するんだけど。」
マジ?仕事だけじゃなくて家も手に入るとか無敵じゃん。まあ問題は幾らいるかって事だけど。
「何円くらいあれば入れそうですかね。」
「5万あれば完璧かな。3万あると十分。1万でもまあ何とかするから、お金なかったら今晩働いてくれれば即日給料出すから...」
5万!余裕!
「5万あります。家賃は幾らですか?5万ですか?」
「ある!?何で住所不定なんてやってるの...それだけあるなら今日から住めるし電気ガス水道全部通せるよ。
家具は無いけど、雨風しのげるだけ随分マシだろう?あ、君に紹介する所の家賃は3万5000だ。安いだろう?それでも人が入らないのがこの町の悲しいところだね。」
「そんなに人が居ないんですか?」
「いやいや、逆だよ逆。バブル頃にアパートやらなんやらを建てすぎちゃったのさ。今は大分解体されてるけどそれでも家賃は他のとこと比べると安いね。」
ところで、と店長はさらに続ける。
「キミ、ここに就職決定で良いのかい?」
もちろんだ。強いて言うなら若干雇用形態と給与に不安はあるけど、それでも家を手に入れられると言うのは大きい。
...そういえばどんな家か全く聞いてなかった。けど、アパート、だし。雨風は凌げるはず。うん。大丈夫だ。うん。
「えと、はい。」
「おや、その割には随分不安そうな顔つきじゃないか。」
「いやあ私に用意してくれるって言うアパートがどんな所か聞いてなかったなあと、思いまして。」
「ああ、大丈夫だよ。確かにちょっと古いけど手入れはされてるし、雨漏りとかも無いから。僕も昔住んでたんだけど欠点は給湯器が物凄く使い辛いことぐらいだよ。」
給湯器が面倒ってのは結構ストレスになりそうだけど...欠点がそれだけならそう悪い家では無いのか?まあ見れば分かるか。
「そうですか、それは良かった。えっと、それじゃあ私は採用と言う事で?」
「うん、さっきから言ってるじゃないか。あ、そうそう、まだ名乗って無かったね。僕はこの料理屋『青霧』の店長、青桐木也だ。」
もくやとは。どういう漢字をしているのだろうか。
「私は黒谷 雀です。今後ともよろしくお願いします。」
ひとまず就職先と家を確保することが出来た。はず。
タイトル: SCP-1134-JP - 爆転ニギリ スシブレード
著者:bamboon
作成年: 2019
http://scp-jp.wikidot.com/scp-1134-jp
ちなみに寿司ブレーダー自体はこの世界に居ます。
この人がブレーダーじゃない寿司屋だっただけです。