少女と羂索は新宿決戦を観戦していた 作:安西
少しばかり雑談をした後、榎本楓は時計を見た。
「そろそろ始まりますし貴方もポップコーンを食べますか?生憎ここには塩味しかありませんが、キャラメルもポップコーンマシンのところにはありますし、そっちは良いなら取ってきましょうか?」
「遠慮しておくよ、実はここに来る途中で民家の冷蔵庫のパンを幾つか食べたんだ。あまり腹が空いてなくてね」
「おや、パンなんてもう腐ってませんか?ここらから人が消えてもう二月ですし」
「避難命令が出たからといって全ての人間が居なくなったわけじゃない、むしろ火事場泥棒や要介護老人などはまだ家庭にとどまっているのさ。それに、この映画館の周囲一帯はやけに呪霊が少ない。君の仕業だろう?」
彼らのいる東京は既に避難指示及び立ち入り禁止令が出ており、周囲には殆ど人がいない。
だが羂索の発言通り、政府の指示に従わない人間も少しだが存在するのだ。
呪霊には生まれた場所に留まる性質がある、だが今現在東京にいる呪霊の多くは羂索が過去に捕らえたり契約した呪霊、彼らにはもはや帰るべき場所はない。
故にその動きは予測不可能、呪霊が少ない場所があってもおかしくはない。
だからこそ羂索は特に呪霊の少なさに関して気にしていなかったのだが、この映画館に入り榎本楓という異質を目にしてその考えは変わった。
「えぇ、少々祓わせていただきました。いくら放たれた呪霊が1000万体を超えているといっても、彼らは東京全域に散らばっていて場合によっては共喰いで数を減らしていく。だからこそ二週間前に数千体程払っただけでここら辺から呪霊は殆どいなくなりました。まぁ、今はまた少し増えてきていますがね」
家の大掃除をしても少し経てばまたゴミが溜まるようなものです、そう言って榎本は小さな溜息を吐いた。
数千体、言葉にして仕舞えば単なる数字だが実際のところその数は凄まじい。
羂索が放った呪霊はその殆どが二級以上の力を持つ、三級以下を放ったところでなんの意味もないからだ。
それらを軽く祓えるというのだから、彼女の実力は最低でも一級相当のものだろうと羂索は推測した。
醜女の絹糸を用いたマフラーによるバフの恩恵、それにより数多の呪霊討伐を可能としたのかもしれないとも。
もはや今の言葉をブラフと疑う意味はない、何故ならばそれだけの数を祓わなければここまで周囲の呪霊が減ることは無いだろうというのが羂索の認識であるからだ。
「やるじゃないか、覚醒型のプレイヤーでそこまでやれるのは君か日車くらいだろうね。それに君、コロニー内ではまるで本気を出していなかっただろう?……いや、敢えて目立たなかったと言うべきか」
万によるルール追加後、即ちコロニー外に出てからの榎本楓の事を羂索は知らない。
だが万によるルール追加以前、つまり全プレイヤーがコロニー内にいた時は監視用呪霊により各コロニーの状況を大まかに把握していたのだ。
そして榎本楓はコロニー内でも目立った戦闘は行わず、一度日車寛見と交戦したが敗走している。
だというのに一度コロニー外に出てからはそれだけの数の呪霊を祓うに至っている、実力を隠していたと考えるのが自然だ。
「覚醒以前から呪術界と繋がっていたと考えるのが自然だろうけど、それにしては不自然なところがあるんだよね。聞いたら素直に答えてくれるかい?」
「ふふっ、お断りさせて貰います。そう言った話は決戦が終わってからにしましょう。ポップコーンは本当に要らないんですか?」
「あぁ、先程までの理由に加えて君の用意した物を迂闊に食べられないという警戒も加わったからね」
そう羂索が応えると、美味しいんですけどねと言いながら榎本は塩味を頬張った。
スクリーンに映し出された新宿、旋回するカラスの視界に写っているのは聳え立つビル群。
まだ術師は1人たりとも写ってはいない。
「あぁそうだ、決戦が始まる前にこれも聞いておきたかったのですが……貴方は来栖華という術師を知っていますか?」
「五条悟を解放した少女か?そうか、先程君は「来栖華の腕とPTSDを治した」と言っていたな。そして彼女は一度宿儺に殺されかけている……まぁだいたい話は見えた」
来栖華には天使が受肉している、宿儺から聞いている通りでは彼女の片腕は喪失しているらしい。
無い腕を生やす、そんな芸当は例え乙骨憂太の反転術式アウトプットでもできるかどうかは怪しいところだろう。
そして来栖華は受肉型のプレイヤーでありながら天使と共生している、つまり元々は一般人だった少女だ。
さて、術師でも無い少女が一度死にかけて再び戦線復帰できる程強い心を持つだろうか?
「彼女は一度死にかけて、PTSD── 心的外傷後ストレス障害を患った。高専陣営に回収されたが治る見込みもなく、もう戦える状態では無かったんだろう?いったいどんな紆余曲折があったのかはわからないが、君がそれを治して新宿決戦に参加させようとしたわけか。確かに天使の『術式を消失させる術式』が有れば両面宿儺戦に勝つ可能性は高まるだろう。それでも高専が勝利するとは思えないけどね」
「えぇ、少しハズレですが大まかな流れは合っています。案外楽な物でしたよ、来栖華にとって虎杖悠仁を含む高専陣営はみすみす思い人を宿儺に奪われた勢力。そして戦えない状態で高専に回収され……とても彼らに心を開ける状態では無かったでしょう。完全に外部の存在である私だからこそ説き伏せる事が出来たのです」
「ちょっと待て、思い人?今の言い方だと伏黒恵が来栖華の思い人のように聞こえるが」
「なんでも昔呪霊に囚われていた時伏黒恵に救われたらしいですよ。その時から彼を運命の人と呼んでいるとか。意図して受肉させたんじゃ無かったんですか?」
「面白い偶然だな。少なくとも私は関与していないよ。だがそうなるとPTSDと腕を治したとしても来栖華は高専に協力しないんじゃないか?」
羂索は疑問を呈する。
「“魔”に限りなく近づいた宿儺に対して邪去侮の梯子等の技が有効なのはおそらく事実だろう、だがそれらの技では完全に受肉した宿儺を伏黒恵から引き剥がす事は出来ない。宿儺がそうやすやすと死ぬとは思えないが、もし仮に最大出力の邪去侮の梯子をモロに長時間喰らいそのまま死んだとして……伏黒恵も共倒れだろう。聞く限りでは来栖華は好きな人を自ら殺せる精神性をしているとは思えないね」
日車寛見など一部の例外を除き、覚醒型のプレイヤーは戦いに慣れていない。
呪霊には怯えるし、積極的に他プレイヤーと戦おうとしない、自らより強大な術師に立ち向かうなどもっての他。
聞くに来栖華は普通の感性を人間性をしているのだろう、そんな彼女が五条悟という圧倒的力を持つ存在がいる中でわざわざ戦おうとするだろうか?
「確かに私も同じ懸念を抱いていました。例えPTSDが直ったとしても、五条悟や虎杖悠仁が伏黒恵を奪還する方法を複数持つ中で、戦いに出れば伏黒恵を殺してしまうであろう来栖華が戦場に出たくないと言い張る可能性を」
「伏黒恵の奪還か、高専は本気でそんな事を考えているのか?……受肉による変身を中断しているから不可能では無いんだろうが、宿儺相手には無謀と言わざるを得ないな。おっと、話がズレたね。結局君はどうしたんだい?」
「天使の信条に賭けました。彼の堕天殺しへの執着と、器となった来栖華を護ることへの執念に。まぁ、要するに
「……マジ?」
「大マジです」
「参ったね、確かに新宿の呪力総量が思ったより少ないとは思っていたけど天使が抜けていたとは。そうなると今すぐにでも私の頭上から邪去侮の梯子が降りてくる可能性を考慮した方がいいかな?」
羂索は監視用の呪霊を新宿に何体も忍ばせていた、その監視機能の一つに新宿全体の呪力総量がわかるというものがある。
実際当日呪霊を配置した羂索は、想定より多少呪力総量が少ない事に気づいたが、五条悟や乙骨の呪力量が思ったより少なかったという事で自分を納得させていた。
だが実際は天使が榎本楓に着き、私を一撃で終わらせられ得る存在が近くに存在するかも知れないという事実が明らかになった。
羂索は持ち得る手段の全てを使い現状を切り抜ける気でいた、天使対策の呪霊を使役する準備を整えていた、卓越した結界術の技量によって自分を守る用意も固めていた。
「その心配は要らないと思いますよ、少なくとも現状は貴方と演り合う気は有りませんし。それに何より天使は現在新宿に居ます」
「成る程ね。君、天使と共謀して来栖になんらかの嘘を吹き込んだろう?」
「そこまで辿り着けますか……!何故そう思ったのか、一応聞かせてもらっても?」
「天使の目的は受肉体の粛清だ、中でも堕天を強く憎んでいる。そのためだけに私と契約したんだからね、異常な執念と言っていいだろう。そして天使の信条──戒律としては復活の否定が挙げられる。弱者救済などは微塵も考えていないんだ。そして受肉されて消え去ってしまった元の人格や魂を憐れみ、器の自我を沈めた受肉者を嫌悪している。天使自身は共生という手段を取っていることからもわかる通りね」
「神の理でしたっけ?あまり私にはピンと来ない表現ですが」
「私も同じさ、神などと嘯く彼はイカれてる。そしてこれは私の推測だが、天使は体の主導権を一度も握っていないんじゃ無いか?もし一時的にでも主導権を得られるならば、宿儺との戦いで重体なんて中途半端な状態になるはずが無い。天使ほどの強者を宿儺が殺さないわけがない」
「正解ですよ羂索さん、術式行使も全て来栖華に任せていました」
「やっぱりね。あまりにも強固な戒律への執着、そこから導き出されるのは天使が何よりも優先する二つの目的。『堕天抹殺』は言わずもがな、そして『器である来栖華の無事』も前者と同列の優先度だろう。そのどちらかが優先される事はない。つまり、天使自身が守りたいのは器としての来栖華であり、個人としての執着は薄いのではないか?そうなると天使の動向が段々と見えてくる」
ピンと、羂索は指を立てた。
「仮に『来栖華が死ぬかも知れず伏黒恵は助かるが宿儺は七割の確率でしか死なない作戦』と『ほぼ確実に来栖華が生存し伏黒恵は絶対に助からないが宿儺はほぼ確実に殺せる作戦』があるならば迷う事なく後者を選ぶだろうという推測だ」
「前者は高専にそのまま所属した場合、後者は私に着いた場合……とでも?」
「あぁ、そうさ。天使にとって重要なのは器である来栖華の生存、伏黒恵については憐れんではいるだろうが宿儺ごと殺す事に躊躇はないだろう。どれほど来栖華が伏黒恵に執着していようが、無理にその意を汲む事はない。一見善良に見えるが彼もまた平安の術師だ、現代人並みの倫理観はないよ。もっとも伏黒恵も憐れな器、『来栖華も伏黒恵も生存し宿儺だけが死ぬ』そんな理想的な策があればそれに乗るだろうけどね」
「概ね私と同じ考えですね。個人ではなく戒律に執着しているのならば、多少器が不憫でも生きているならば気にする事はない。米軍襲撃時に軍人を見捨てた事から推測しました。ですが何故前者の作戦で来栖華が死ぬ可能性があるのです?」
「これは五条悟が死亡する可能性が高い戦いだ。呪術規定に則れば受肉体は死刑、勝ったとしても最強のいなくなった世界で来栖華と天使という危ない存在を高専側が生かしておくかどうか」
「……私としては仲間として迎え入れると思いますけどね。猫の手も借りたい状況ですし、宿儺討伐の功労者を殺すのは外聞が良くないでしょう」
「それは君が高専について深く知っているから出る結論だ。天使としては確証が持てないだろう」
「それを加味しても高専から離反した方が死亡率が上がると思いますけどね」
「タイミングを見ればいい。脹相がいつまで経っても殺されなければ、受肉体でも安全であることを理解して高専に戻る事はできるだろう。君の作戦に乗ればどのみち宿儺を殺した功労者だ、無下には扱われない。まぁ、これらは全て可能性だ。ここで議論して結論が出る話ではない。私はあくまで後者の方が来栖華の生存率は高いと思うが、かといって君の考えを否定できる程根拠はあるわけじゃないんでね」
「まぁ、貴方の言う事にも一理ありますしとりあえず話を戻しましょう」
「ああぁそうしよう。大方、君は天使に来栖華を騙させたのだろう?今の宿儺に邪去侮の梯子などを撃っても伏黒恵だけが生存する裏技がある〜なんて吹き込ませたのかな。そして騙された来栖華が新宿で伏黒恵を解放しようと、今現在術式の準備をしている……待て、そうすると何故新宿の呪力総量は減っているんだ?」
天使が今も新宿に潜んでいるというのならば、何故監視呪霊がそれを察知できなかったのか、羂索は疑問に思った。
「あぁそれですか、禪院家滅亡時に呪具を盗んだのでそれを使わせて貰いました。天使の呪力反応があれば宿儺は警戒します、そうなっては詠唱している間に『解』で殺されてしまうでしょう。だから隠密用の一級呪具で身を隠させました」
「ははっ、醜女の絹糸もその時に盗んだのか。しかし随分と豪胆だな、私が浴を見に禪院家に行った時には忌庫は空だった。まさか全て持ち出したのか?」
「いえ、事前に禪院扇が別の場所に呪具を移していたので忌庫が空なのはそのせいでしょう。まぁ、あらかた頂いた事に変わりはありませんが」
「成程、確かに君は第三『勢力』を名乗れる存在だ。話を戻そう、今現在来栖華は新宿で好機を窺っている……違うかい?」
「違いませんよ。『五条悟と両面宿儺との争いの最中隙を見て両者に邪去侮の梯子を放つ』という作戦に天使は快く納得してくれました。高専側の作戦では伏黒恵が助かる確率は百ではありませんからね、必ず助けられるという天使と私の
「意地が悪いね、後で恨まれるんじゃないか?」
「そうなったら伏黒恵の写真が入ったアルバムでも送ってあげますよ─────あ、始まりました」
「やっとか」
画面の中で大きな建物が続々と消し飛んでいく、崩壊音が鳴り響く。
人外魔境新宿決戦は、来栖華というジョーカーを孕んだまま始まった。
天使が何故高専陣営にいながら新宿決戦に参加しないのかについてなのですが、それには幾つか要因があると思われます。
ざっくり挙げると
・来栖華の欠損
・来栖華は伏黒恵ごと宿儺を殺せない
・天使としては堕天が死んで来栖華が生きれば大満足だから無理に戦場に出す必要性がない
という感じです。
これに加えて作中描写で来栖華が苦しそうな顔をしている事が多かったので、PTSDじゃないかと妄想しました。
まず欠損ですけど再生腕丸ごとは乙骨でも無理っぽいですね、秤の再生はなんらかの形で印を結んで領域を展開して〜〜という再生方法だと思いました。
烏鷺の腕が治っていないので、乙骨でも無理なんじゃないかな……と結論つけました。
烏鷺の腕を治す義理もないですが、術師以外殺してない烏鷺は交渉の余地があるはずだし、腕を治す代わりに協力させる縛りもできたかも知れません。
総合して『乙骨は他者へのアウトプットで腕ごとは無理』と結論つけました。
ですが来栖の治療シーンでは家入さんが『治すのが無理』と言っています。
乙骨の方が反転アウトプットの精度が高いと思っていたのですが、何故家入さんだったのか。
可能性は二つ、単純に家入さんは部位欠損も再生できる程反転が上手く乙骨より上。
もう一つは乙骨の手札をはじめは隠して置いたから。
堕天を殺す〜なんて言ってる天使は高専からすればイマイチ信用できない存在、そもそも受肉体は信用できませんし。
だからこそ初めは乙骨の反転アウトプットという切り札を隠して交渉に当たっていた、五条解放するときまでに信用できるようになったら明かした、みたいな流なんじゃないかなと思います。
後から知ってもどうせどのみち乙骨でも治らないんだから天使も怒らないでしょう。
二番目の「来栖は伏黒恵を殺せない」
完全に受肉した宿儺に邪去侮の梯子を撃てば伏黒恵も死んでしまうのは、213話でそれらしき事が語られています。
今なら引き剥がせる!ってやつです。
伏黒恵に執着する来栖華が、運命の人を殺す事なんてできない。
だから作戦に参加しなかっんだと思われます。
高専からしたら無理矢理にでも参加させたいでしょうが、五条悟が復活したしこれなら勝てるぞ!という意識もあったのでしょうし、説得はあまりなかったんじゃないかなと思います。
PTSDはこの少し無理がある説を補強するために考えた妄想です。
三番目、これに関しては天使は平安の術師であるというのが根拠です。
米軍を助ける事に意味がないと言い自分のリスクにもなるから華を巻き込むなと言っていたことからもわかる通り、善性ゆえに器を助けようとしているわけではないのでしょう。
あくまで戒律に執着しているからで、この二つの目的を遂行で来るならば手段はあまり問わないと思ったからこそ、今回裏切らせました。
必ず宿儺を殺せる状況でも来栖を乗っ取らない天使、そんな天使は執着する戒律ってなんなんでしょうね。
堕天を殺せるなら万々歳!って言ってるのにそれでも器を乗っ取らない事に拘るあたりかなり重大でしょう。
それとこれもあんまり関係ない話なんですが、レジィ・スターの仲間の針の術式は『切ったものを重くする』だと思うのですがどうでしょうか。
感想と評価が欲しいです……!
感想と評価ありがとうございました……!