ご覧になられる前に、御一読ください
・これはアニメ「ラブライブ虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」及び、1990年に公開された映画「稲村ジェーン」とのクロスオーバー二次創作作品になります。両原作者様及び、登場した町とは一切関係はございません。
・アニメ虹ヶ咲時空です。
・男性モブ、多数出現します。
・やりたい放題なので何でも許せる人です
・縦書き用に調整していないので、縦書きでご覧になられる方はお気をつけください。
私自身初となる長文作品であり、習作です。
乱文、至らぬ点多数ございますが、ご了承ください。
とある海外ブログでこの記事を見つけた時、僕は英語と翻訳に少しだけ興味のあった高校生だった。二流大学への受験を無難に終わらせた僕は、平坦だった青春の残り時間を、英和辞典片手に自室の中でひたすら消耗させていた。
翻訳はただの趣味で、友人の少ない僕にとっていい暇つぶしだった。
洋楽の簡単な翻訳しか試したことのない僕はその冬、初めて長文の翻訳を試そうとしていた。そこで適当に選んだのがこのブログだった。ブログは開設されたばかりだった。特に説明らしい説明も無く、一体何のブログなのかわからなかった。でもまあ閲覧数やグットの数が少ないこの記事を訳したところで、誰の迷惑にもならないだろう。それが選んだ理由だった。
一週間毎に更新されるそのブログには、小説と言うには生々しく、自伝と言うにはあまりにファンタジーな何かが綴られていた。誰か有名な小説家にでも影響を受けた素人か、それとも中学生か。ともかく訳のわからない内容に困惑していた。
ミア・テイラー。この物語は彼女の目線で語られていると知るまでは。
勿論信じなかった。たったひとつだけ投稿された誰かのコメントも信じていなかった。怒りに近い感情まで抱いていた。これは彼女に対しての侮辱ではないかと。しかし投稿は止まらなかった。このブログの筆者は淡々と語り続けた。まるで表に数字を打ち込むように。
馬鹿馬鹿しいと一蹴できた。くだらないと吐き捨てることはできた。それでも僕は、観測を続けているうちにその話に引き込まれていった。
当時、世界中にリアルタイムで観測していた人がどれ程いただろう。その人達はどんな思いで見続けていたのだろうか。
でも、きっと誰しもこう思っていた筈だ。これが本当にミア・テイラー本人が綴っているものなら――。
これは彼女が世界の表舞台から本当に姿を消してしまうまでの五年間、彼女がどんな思いで歌い続けたかを知る最後の手がかりだ。信じなければそれこそ侮辱に値すると。
彼女が姿を消すのはこれが二度目だった。一度目は五年前、夏の一ヶ月。その間世界中が混乱した。二度目は誰も信じなかった。
彼女が消えて三ヶ月が経った今、本当に引退してしまったという衝撃が波紋のように広がり続けている。
このブログもSNS上で騒がれ始め、本当にこれがミア・テイラーが綴った物だという証拠を得られれば、名だたる翻訳家達が瞬く間に世界中の言語に訳し始めるだろう。記録代わりにこれをネット上に残しているが、素人である僕が訳した物なんてあっという間に埋もれてしまう。
それでも僕は訳したかった。
拙くてもいい。下手くそでもいい。笑われてもいい。ただ続けたかった。彼女のファンの端くれとして、自分の言葉で彼女を知るために。
ブログに綴られた彼女の物語を訳し終えた今、入学したばかりの二流大学を中退し、翻訳の勉強をするために別の大学へ転入した。両親には嫌われた。数少ない友人とも疎遠になった。生活も苦しい。だがそれと引替えに、彼女が何を残したのかやっとわかった。後悔なんてない。
だから前書きという形をとらせてもらった。
彼女が全て綴り終えた今、語るべきことなど何も残らなかったのだから。
追記
あれから時間が経ち、夏になった。僕は彼女の記録に描かれていた町へ行った。
その町の海浜公園にあった慰霊碑の碑文を読み、僕はそっと目を閉じ祈った。
その碑文の一部を抜粋させて頂き、〆させてもらう。
死にのぞんでも なお友を愛し はらからをいつくしむ
その友愛と犠牲の精神は
生きとし生けるものの理想の姿ではないでしょうか
一九一〇年 逗子開成学園ボート海難事故
ボート海難の碑(稲村ヶ崎)より
八月三十一日
PN.匿名希望