いつかその呪いを絶てるように 作:ジュジュ
2012年 8月○○日
夏の繁忙期は特に問題なく乗り切れそうだ。去年よりも慣れてきているのか、夜での活動も辛くない。あと忙しいから、任務のこと以外考えなくていいのが一番良かった。精鋭班での活動も順調。父さんからも戦闘面に関しては太鼓判を貰った。これからゆっくり時間をかけて、現場での権限を俺に譲渡していくらしい。できることが増えるのは嬉しいが、やらなければいけないことも増えるので、大変でもある。
2012年9月×日
祖父から連絡があり、禪院家に行くことになった。勿論、詩羽さんの件だ。俺は今後、年に2回ほど禪院家に行くことになる。俺は別に後悔なんてしちゃいない。俺の取り巻く状況は変わったが、それだけだ。あそこで見殺しにしてるよりも断然マシだ。…父さんはいまだに納得しないだろうが。
あと、今回の件で何となく感じていることがある。多分、俺と父さんは性格的に真逆の人間だ。父さんは、情はあれど、それに引きずられず、淡々と仕事をこなすことができる。俺は情に引きずられる人間だ。どちらが正しいと言う気はないが、当主としては父さんの方が理想的ではあるだろう。
2012年9月■日
禪院家に行ってきた。久しぶりに詩羽さんと話した気がする。彼女の様子は正直、あまり良くなかった。病院で話していた時より酷くなっている気がする。察する感じ、自己嫌悪の類だ。何とか慰めているが、禪院家という環境そのものが彼女にとっては良くない以上何とかした方が良いかもしれない。とはいっても、俺にできることなんてたかが知れている。
あと、また直哉さんが絡んできた。許可をもらい禪院家の道場を借りて、鍛錬をしていたのだが気づいたら直哉さんが扉からこちらを見ていた。なんか強さ云々について話された。話してみて思ったのは、直哉さんは、強さに関しては真摯だと思う。それ以外は正直、やばい。煽りは平然と出てくるわ、口は悪いわで中々疲れる。
あっち側。直哉さんは五条さんをそう称した。まだまだ俺も半人前だが、それでも分かることがある。俺は生涯、五条悟に届くことはない。その影を踏むことすらない。それほどにあの人は強い。七海建人が、あの人だけでいい、と言ってしまう気持ちも分からなくはない。だが、それは俺が弱いままで良い理由にはなってない。
■─────■
──家を出て、見返してやりなさい
私が抱えている、現状への不満を知っている母の、私への遺言だった。母は子供を産むために無理をした。それが祟ったのだろう。私が7歳頃、母は死んだ。父はそれを気にしていなかった。残された私の事も気に掛けなかった。私よりも後に生まれた術式を持つ弟の方を大切に育てていた。弟の方は努力次第では準1級に到達できる才能持ち。それに比べて私は女。術式を考慮しても準1級に行けるかどうかだった。誰も異は唱えない。術式を持った男子が優遇されるのは、禪院家では普通の事だ。
禪院家では、女は基本的に女中になることが定められる。女というだけで、こんな未だに釜戸で料理をしている古い家で、年中無休で奉仕を続けさせられる。女中たちも内心では反抗しても、表に出すことはない。この家ではそれが絶対的で、皆もうとっくに諦めている。反抗すれば暴力を振るわれるなんて言うのは誰もが通る道だ。
母はその中では反抗的な部類ではあった。指示には従っていたが、それとなく注意をしたり、裏では他の女中を励ましたりしていた。それが気にくわないと暴力を振るわれることもあったが、それでも折れなかった。そんな母に私は憧れた。女というだけで軽んじられるこの家で私に優しい母はそれだけで希望だった。
20歳になったら家を出る。そう決めた。ただ、落伍者と後ろ指をさされるのだけは気にくわなかった。だから術師として努力をした。女だからとか、禪院家だからとかそんなの関係ない。ただ努力をした。生意気だと、鍛錬と称して殴られることもあったけれど、耐えた。悲劇のヒロインのままじゃだめだ。この家には王子様なんて来てくれない。この家を出て、見返して、そして自由になる。ただそれだけが、私の意義だった。
『灯』としての活動で外での任務がある。私はなんとか鍛えて2等級相当の実力を手に入れた。外での活動は自分にとって癒しだった。呪霊を祓うという任務こそあれけど、それの調査で外にいられるし、外にいる間は自由だ。普段食べられない美味しい料理や、おしゃれなカフェに行ったりできる。何より、あの陰鬱な家の雰囲気から解放されるのが嬉しかった。
あの任務からすべてが狂い始めた。廃工場での異様な光景に気を取られた私は、氷漬けにさせられ、口に何かを無理やり入れられ、地下へと放置された。
頭の中に呪詛が流れ込む。腹が蠢く。息ができるのに息ができない苦しさ。喉にないかが詰まっているのにそれを吐き出せないもどかしさ。苦痛と嫌悪が私を襲う。口から何かが出てきてそれが私を覆っても、私は意識をなくすことはできなかった。肉体的には意識を手放しているのに、魂が意識を手放せていない、そんな感覚だった。
次に体が目覚めたとき、私は病院にいた。どうやら私は救出されたらしい。最初は状況が呑み込めなかった。壊れた私が生み出した幻覚なんじゃないかと思った。まだあの呪詛が頭に残っている感覚が頭を軋ませる。少しすると錯乱していた私の元に独りの少年がやってきた。黒髪の中性的な少年は私の手を握ると、背中をさすってくれた。大丈夫、大丈夫と何度も声をかけながらそのまま1時間くらい経過してようやく落ち着くことができた。
その後、高専の人がやってきて事情聴取を受けた。知ってることをすべて話したが、その時も、その少年は近くにいてくれた。話を聞くと、少年の名前は『糸色弥生』といい、私を助けた呪術師だった。弥生君は私に何か食べたいものはないか、欲しいものはないかと聞いてきた。何か企みがあるのかと思っていたが、どうやら本当に親切心だというのはすぐに分かった。
「ありがとう。でももう大丈夫だから。」
そういうと彼は引き下がってくれた。でも大丈夫じゃなかった。眠ると悪夢を見るようになった。何もない暗い空間で、何もできずに、呪霊に嬲られ、殺される。すべてを拒否するが口の中に何かを無理やりにねじ込まれ、内側から浸食されるあの時の感覚が再び私を襲った。飛び出すように起きて、近くのゴミ箱に胃の中のものを戻す。
それから2日後、また彼がやってきた。お見舞いだそうだ。どうやら私が魘されているのを看護師から聞いたらしく、それで来たそうだ。いくつか飴や飲み物を持ってきてくれた。
「詩羽さん、ゲームでもやりませんか」
「げーむ…?運動はまだやめた方が良いって医者から言われてるし」
「あー、えーっとそういうゲームじゃなくて、ほら、こういうゲーム機ですよ」
弥生君はカバンから携帯ゲーム機を2台取り出し、一台を私に渡してきた。
「辛い経験をしたからこそ、こうやって気を紛らわすのも大切ですし。気分転換もしないと。」
初めて触るゲーム機。慣れないものだったけれど楽しかった。他にも彼は何か欲しいものを聞いてきたり、暇つぶしのための漫画や本なども持ってきてくれた。
「どうしてここまで優しくしてくれるの」
そんな疑問が出るのは当然だった。何も利益が無いはずなのに、彼は私に優しくしてくれる。何か裏があると思うのは当然だった。
「苦しそうにしてたからです」
「私が…?」
「少なくとも俺はそう感じましたよ。この人は苦しそうだ、疲れてるんだなって。そんな人を放っておけないんですよ」
「まぁ結局は自己満足です。詩羽さんが嫌ならやめますよ。」
そう少し照れ臭そうに笑いながら少年はこちらを見ていた。疲れている。苦しい。私は何にそう感じているんだろうか。その日は少し安らかに眠れた。
それからは彼が来る日が少し楽しみになった。彼も用事があるので毎日は来れないが、数日に一度私の元にお見舞いにやってきてくれた。そのたびに一緒に遊んで、少し外を散歩して、凄く穏やかな時間を過ごせていた。
ある日、弥生君といる際中、同じ『灯』に所属する術師が来た。
「女なのに出しゃばるからこうなるんだ。お前のようなものがいると、禪院家の評判が下がる。」
会うなり早々そんな嫌味を言ってきた。そこから一言二言嫌味が続く。せっかくの時間が台無しだった。
「なんだ、ガキ。その不機嫌そうな顔は」
「いえ、別に。他人がいるのに気にせず酷い物言いをする大人が来て驚いただけです。」
「禪院の術師でもない癖によく言う」
「そのまま感想を言っただけですよ。」
弥生君の態度が気に入らなかったのかその術師は弥生君に突っかかった。それを弥生君は適当に受け流す。その態度がさらに気にくわなかったんだろう。その術師は弥生君の胸ぐらを掴んだ。
「ガキ、俺は禪院だぞ。」
「で?なんですか?」
顔面に拳を振るう。だが弥生君は特に何も反応しない。呪力強化で完全にダメージを消していた。相手の術師は動揺していた。まだ10代前半の子供が自分を超える実力を持っていたからだ。
「満足ですか?ここ、病院なんですよ。暴力沙汰は勘弁なのでさっさと帰ってください。」
弥生君の表情は冷たい。これ以上ここで騒ぎを起こすなら然るべき対処をする。そんな雰囲気を出していた。それを見た術師は不満げな表情を隠そうともせず、逃げるように帰っていった。
「弥生君、ごめんなさい。」
「どうして詩羽さんが謝るんですか。悪いのはさっきの人でしょ。」
「あの人も禪院の術師だし。もとはと言えば私の責任でもあるし。」
禪院家が周囲からどう見られているかは分かっている。呪術界への貢献以上にその独善的な思想が目立つ家。高圧的な態度から周囲の術師から避けられている。そんな家だ。私は退院したらそんな家に戻らなくてはいけなくなる。正直、嫌だ。あんな不自由が極まった家に戻りたくはない。許されるならこのまま外で自由に生きていきたい。だが自分のところの術師を手放す家なんて中々いない。これは禪院家でもそうだ。過去に『禪院甚爾』という人間が家を出たが、それは彼が異様な強さを持っていたからだ。誰も彼を止めることができなかった。逃げるために家を出るなんてただで許されるはずがない。
退院した私を待っていたのは迫害だった。事実がどうあれ、私は負け、呪霊のいる空間にとらわれ続けた。中に呪物を埋め込まれた。そんな私を穢れていると、他の術師は迫害した。今まで私の味方をしてくれていた女中も私に近寄らなくなった。真希だけは大して気にしていなかったが、そんなの慰みにはならない。一部の術師から直接的な嫌がらせや暴力を受けるようになった。禪院家は少し前まで『禪院甚爾』が起こした事件で色々周囲から言われていた。そんな中で私がまた事件を起こした。今回の件は周囲には、『女の私が呪霊に負け、その餌にされ、呪物を取り込み、他の術師に迷惑をかけ、そんな状態で格下の家の人間に助けられた未熟者』と言われていた。そしてそれを抱える禪院家もその悪評を受けていた。
私が『処理』されるのは時間の問題だ、という噂が女中たちの間で出てきた。それは私も薄々と感じていた。脳裏に死ぬ間際の母のやつれた姿が浮かぶ。そうならないように頑張ってきたのに、そうならないよう母は私に言葉を残してくれたのに。嫌だ。死にたくない。こんな家で死にたくない。せめて死ぬなら、外で死にたい。
「助けてよ…誰か、助けてよ…」
ある日、扇から、糸色家の嫡男を篭絡しろ、と命令があった。それに成功すればお前を生かすという条件だ。糸色家の嫡男、恐らく弥生君の事だろう。病院での出来事をあの見舞いに来た術師が報告したのだろう。そして汚名を他へと移すため、利用しようとしている。…自分の命の恩人を禪院家の謀に巻き込む。あの優しい少年を自分だけのために利用する。そんなことできるわけがなかった。でも、死にたくなかった。この惨めに一人で死にたくなかった。
最後の最後まで迷った。当日の夜、彼の部屋に入る直前まで迷っていた。でも私の背中を最悪な方向に押したのは、母の遺言だった。
彼に覆いかぶさった。そして彼の少し怯えるような顔を見て、私は、私が嫌いな人間と一緒のところまで堕ちてしまったことを理解した。自己嫌悪で一杯だった。結局、彼は私を助けてくれた。あの病院の時と同じように背中をさすられて、私は全てを吐き出した。
それから少し後の事だ。直哉から彼の事を聞かされた。弥生君は色々と噂の多い立場になってしまった。合わせる顔が無い。私は、何をしているんだろう。私は私が嫌いになっていった。今までの禪院家のクソみたいな雰囲気に逆らう私は胸を張っていけたのに、それができなくなった。そして、弥生君と会うのを心のどこかで楽しみにしている自分が嫌いだった。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
その言葉が彼にとって何の慰めにならないと知っていても、その言葉が止まらなかった。
■─────■
早朝の禪院家の道場。そこに一人の少年で鍛錬をしていた。自身の右腕のみで全体重を支えているような姿勢を取り、そのまま10分維持。それが終われば今度は逆の腕で行う。その後は腕立てや腹筋、素振りなど10分間全力で行い続ける。それが終わると自身を落ち着けるために瞑想を行う。本来ならランニングも行うが、如何せん土地勘が無いのでやめることにした。
「…何か用ですか、直哉さん」
弥生は目を閉じたまま問いかける。禪院家『炳』筆頭、禪院直哉が道場の扉にもたれ掛かりながら、弥生の方を見ていた。
「朝から道場で騒がしい音するから気になったんや。躯倶留はこんな早朝から訓練せぇへんしな。」
「迷惑だったのなら謝ります。」
「ま、ええわ。最年少で特別1級になったガキンチョがどんな訓練してるか見れたし。」
直哉が道場の中へと足を踏み入れる。それと同時に、弥生は瞑想をやめ直哉の方を向いた。二人の間に緊張感が走る。
次の瞬間、直哉の姿が消え、弥生は直哉のいる方向の右斜め前に飛び込んだ。そして、体をひねり、再び先ほどまで自分のいた場所へと滑り込む。両者の立ち位置はつい先ほどまでと変化していない状態になった。他者から見れば何が起こったか分からない一瞬の攻防だった。直哉も早いが、弥生も充分すぎる程早かった。
投射呪法は自身の視界を画角とする関係上、移動できる範囲が限られる。そしてスピードを重視する以上、移動は直線的になりやすい。この知識と呪力感知、呪力強化を活かし弥生は、直哉の一発目の攻撃を避け、二発目の攻撃を直哉の腕を弾くことで防いだ。日々、呪力感知を鍛え続けた賜物だった。
「それなりに出来るやん。」
「これでも一応1級術師なので。」
これ以上やるなら無事では済まない。そんな雰囲気が両者の間にある。お互いが数秒間見つめ合った。
「うちの兄さん方も弥生君見習ってくれたらいいのになぁ」
直哉は戦闘態勢を解いたのを確認すると弥生も戦闘態勢を解いた。先ほどまでの張り詰めた雰囲気が嘘のように霧散した。弥生は女中さんから貰ったお茶を流し込む。
「にしても、この年で女に手出しまくってるそうやん?お盛んやね」
弥生は内心で『誰のせいで事態がややこしくなったと思ってるんだ』と愚痴を言いそうになったが我慢した。
「直哉さんも朝早いんですね。それとも朝帰りですか。」
「ちゃうわ。これでも健康的な生活心掛けとるんやで。俺も鍛錬や。」
「…意外ですね。1級でそこまで積極的に鍛錬積む人はあまり多くはないと思っていたんですが。そこで満足しがちですから」
「俺はちゃーんと、あっち側に行く目標あんねん。兄さん方や扇のおじさんとかは胡坐かいとるわ。そんなんやからぱっとせえへんねん。」
「あっち側…五条悟の事ですか」
五条悟。五条家当主にして特級と呼ばれる現代最強の術師。誰一人としてその影を踏むことができない強者。それに直哉は追いつこうとしているのだ。
「弥生君はどうなん?もしかして他の奴と同じく諦めとる感じ?」
直哉は品定めといった感じの目線で弥生を見る。弥生が強さに対してどんな価値観を持っているのかを確かめようとしているのだ。
「…追いつきたいと思うことはあります。でも無理でしょうね。そもそもの土台が違う。」
弥生は正直に話す。追いつきたいと思ったことはある。でもそれは無理だ。自身が1級となって戦闘経験を積み重ねるほどに、自分たちと五条の間には、努力などでは到底埋めることができない隔絶した差があるのを実感する。直哉の視線は侮蔑だった。こいつも結局他と同じか、と。だが、
「でも、それは俺が弱くてもいい理由にはならないでしょう。俺は俺なりに、強くなっていかなくちゃいけないんです。」
弥生は直哉の方を見つめ返す。その瞳には決意が宿っていた。例え、地面を這いつくばっても前へと進むという意思だ。
「へぇ…まぁまぁやね。」
直哉はそれを見てどこか不敵に笑った。
禪院詩羽
性別:女性 年齢:17歳
等級:2級
術式:潜影呪術
影の中に潜ることができる呪術。影の中では本人のみが自由自在に動ける。また潜った場所とは違う影から出ることができる。ただし潜る際には影が一定の大きさであることと、手から入る必要がある。応用として対象を影に引きずり込む、影の中に物を収容するといったことができる。
好きなもの:任務ついでの外出
嫌いなもの:禪院家