広大なミレニアム自治区には、いくつかミレニアムタワーの管制から漏れた部分がある。
リオとオリ、そしてトキの使う数多くのセーフハウスは、そういった場所にあるわけだが……。
その内のいくつかは、オリの趣味が多分に出たものもある。
各種武器の試し撃ちのために設けられた、広大な射撃場。
最近になってようやく使われ始めた、シャーレの活動ログが収められた資料庫。
落ち着いた雰囲気の家具で揃えられた、リラックスしたい時のための一室。
年頃の女の子らしい可愛らしい内装で、大きなベッドの置かれた寝室。
そして……今、調月姉妹が使っている大浴場も、その内の1つだった。
「ふぅ~……あー、久々に足が伸ばせる湯舟だぁ……」
オリはぐっと背筋を逸らして伸びをする。
彼女はキヴォトスの生徒としてはかなり大柄な体格をしているが、それでもなお彼女の浸かる浴槽にはかなりの余裕がある。
それどころか、彼女とほぼ同じ体付きをした双子の姉妹やその付き人が入ってもまだスペースは余り、他にも10人程度までは入れるだろう広大な浴槽だ。
更には浴槽だけではなく、当然のように数多く広く充実した洗い場もあり、低温の水風呂もあればサウナもあり、自然溢れる絶景……をホログラムで映し出す露天風呂すらも用意されている。
その上浴場から出れば、暖房の効いた心地の良い脱衣室に扇風機やドライヤー、櫛などのアメニティも完備され、大型の冷蔵庫の中にはコーヒー牛乳やらフルーツオレすら列挙されている。
これこそが、調月オリが妹に土下座までして用意してもらった、趣味全開の施設。
たった3人で使うにはあまりにも勿体ない、無駄に巨大な浴場だった。
上に回していた手を下ろしながら、オリは首まで湯に浸かり、横で静かに湯に浸かる自らの妹に、文句を言うように唇を尖らせる。
「もー、リオちゃんの作るセーフハウスっていつも質素でちっちゃくて、お風呂なんてシャワーブースだけだからなー。時にはこうしてゆったりと浴槽に浸かりたいよね、トキちゃん?」
「わ、私は……」
急に矛先を向けられたのは、リオを挟んだ向こう側で湯に浸かっている少女、飛鳥馬トキ。
リオの付き人である彼女もまた、主に付き従うように、この広い浴槽に身を浸しているのだった。
実のところ、トキから見て、調月オリという少女はかなり微妙な立場にあたる。
自身の主人の妹君であるオリは、リオに次いで敬意を持つべき相手だ。
実際主人たるリオにも、「自分が不在の場合はオリの命令に従うように」と命を受けている。
しかし同時、オリとリオは真逆と言っていい性格を持ち、頻繁に対立……とは言わないまでも、言い争いに発展する。
そうした場合、オリはかなりの頻度でトキを懐柔し、味方にしようとしてくるのだ。
勿論、トキの立場からすれば、味方すべきは絶対的な主であるリオだ。
しかし、オリは頻繁にトキのことを可愛がってくれているので、心情的に裏切りにくい。
更に言えば、リオのあまりにストイックな姿勢は、実のところトキの気性にはあまり合わず、表には出さないものの無意識的に少しばかり否定的になってしまう。
そういった事情で、トキはこういう時に困ってしまい、口ごもるのであった。
本来ならば主であるリオは、即座に主に付くことができない優柔不断なトキを叱責し、それを正さねばならないのだが……。
彼女も彼女で、トキとオリの交友関係に思うところがあり、それをあまり強く否定したくはないと思ってしまっている。
なので、どうしても消極的な注意、それもオリに向けたものにならざるを得ない。
「……オリ、あまりトキを困らせないように」
それはリオにしては非常に珍しい、非合理と言ってもいい選択だ。
しかし彼女はそれを、「オリに纏わる不可避的な非合理的選択」として処理している。
その非合理を許すだけのバッファがあり、同時にリスクをペイできるだけのメリットがあるのなら、最終的な帳尻合わせ自体は難しくはない。
故にこそ、リオはオリによる数多くの不条理を許しているのだ。
……ただし、自らと瓜二つの自称姉にただ1つのみ、絶対の条件を課して、ではあるが。
ともかくそういった都合で、リオもトキも、あまりオリに強くは出られない。
その結果として、オリはその暴力的な不条理を今日も振り回すことができるのだが……。
「はいはーい。ま、リオちゃんの言うこともわかるから無理は言わないけどさー」
そう言ってオリは眉をひそめ、湯の中で腕を組む。
彼女は酷く破天荒な質ではあるが、肉親や親しい相手への情を持っていないわけではない。
軽く文句を言うくらいはすれども、リオの考えは理解できるし、それが正しいのだろうと判断できる程度の思慮はある。
反応が可愛いのでちょっと困らせてからかうことはするが、だからと言ってトキに殊更迷惑をかけたいわけでもない。
そういうわけで、リオやトキは強く出ることなく、オリもまた引き際を弁え。
調月姉妹やトキの間の均衡は、今日もグラグラ揺れながらも、なんとか保たれているのだった。
* * *
「で、今回は何の用なの?」
ゆったりと足を組みながら、オリは尋ねる。
この無駄に広い浴槽に、リオが来ることは少ない。
少ないと言うか、ほぼ絶無と言っていいだろう。
あらゆる面で効率重視のリオは、ゆったりと浴槽に浸かったりする時間を欲しがらない。
故に、オリはいつも一人寂しく、ここに入浴していたのだが……。
しかし、今日に限っては違う。
今回はオリがリオをお風呂に誘ったわけではなく、むしろリオがオリを誘ってきたのだ。
昨日の午後、オリの元に、リオから「話があるの。少し時間を頂戴」と連絡が来た。
ちょっと珍しいなと思いながらも、オリは受け入れられないことを半ば確信しつつ、冗談交じりで「一緒にお風呂に入ってくれるならいいよ~?」と言ってみたのだが……。
リオにそれを二つ返事で受け入れられて、思わず目を丸くしてしまったのだった。
「お風呂にまで付き合ってくれるなんて珍しいじゃん。大事な話?」
「本当に用件がわからないの?」
殆ど隙間もなく問い返された言葉に、オリは思わず苦笑する。
最近のオリは、シャーレでの活動に集中しているため、かつてのように暴れたりはしていない。
わざわざ呼び出されてまで妹に怒られる案件はなかったはずだ。
だからこそ、何の話なのかは大体察しがついてしまう。
先日、ゲーム開発部や先生と共に、廃墟に赴いた件についてだろう。
「ま、ビッグシスター相手に隠せるわけもないよね」
しかし、それを聞いたリオは、静かにまぶたを閉じる。
「……勘違いしないでほしいのだけれど、私はあなたたちが『廃墟』に行ったことに関して叱責するつもりはないわ。
そもそも廃墟は既にミレニアムの管制の下に置かれておらず、不法侵入した者を罰する権利は現在失踪中の連邦生徒会長だけが有している。
その上、『シャーレの先生』が同伴していたのでしょう? それならばミレニアムの生徒会長としては、シャーレに苦情を送ることくらいしかできない。
あなたを正式に叱責する権利を、私は有していないの」
リオはその体を動かすこともなく、まぶたを閉じたままに答えた。
ただ事実を淡々と告げているような……それでいて努めて感情を押し殺した言葉に、オリは「変わんないなぁ」と口角を上げる。
昔からそうだ。
合理の化身だとか感情のない機械だとか、彼女のことをよく知らない者には散々に言われているが、その実、オリの妹は決して冷血なわけではない。
ただ必要だから……ミレニアムサイエンススクール、そしてミレニアム自治区が抱える問題の解決のために、自分は合理に遵う必要があるから、と。
そう判断したが故に、そう在るだけ。
……まぁ、そんな生き方を長く続けた結果、今やそれが彼女の素になりつつあるのも事実なのだが。
調月リオという少女は、決して合理性の奴隷ではない。
己に強いて表情や行動に出さないだけで、内心では非合理な想いを抱くこともある。
そして、無条件で信じられる肉親……調月オリの前では、それを僅かに表に出すことがあるのだった。
「つまり、廃墟に行ったことに関して、正式には言えないにしても、個人的には私に文句があると」
「……廃墟の危険性は伝えたはずよ。それを理解した上で、あなたは武装を整えてゲーム開発部やシャーレの先生に同伴した。あなた自身の意思で、私に相談や連絡をすることもなく、その道を選んだ。
もう子供ではないのだもの。それについて、一々私が口を挟む道理はないでしょう」
どこまでも本心を語ろうとしない、しかし言葉と言葉の行間やチラリと向けられた視線から、僅かにそれを覗かせるリオに……。
辛抱たまらんと言わんばかりに、オリは抱き着いた。
「あ~んごめん、ごめんって!! 心配かけてごめんよリオちゃん!!
あーもうちくしょー私の妹かわいすぎ! そんな顔されたらごめんって言う他ないよぉ~!!」
ばしゃばしゃと足で水面を蹴りながら、纏められた髪の上からリオの頭を撫でるオリ。
「リオに観測できる範囲」で、オリが廃墟に入ったのは数年ぶりだ。
そして前回、リオやトキ、多数のAMASと共に向かった時とは違って、今回はとても十分な戦力とは言えない状態での侵入だった。
誰よりも彼女の強さを知っているはずのリオではあったが、それでも彼女ビッグシスターをして未知の技術や戦力のある廃墟においては、オリの力でさえも絶対的な有利足り得ない。
故に、リオは少なからず、今回オリが取った行動に思うところがあったのだが……。
今、肉体的な接触を介して、確かに自称姉が帰って来たことを実感し。
僅かに胸の内にあった名前も付けられない感情が、湯舟に溶けるように消えていくのを感じるのだった。
* * *
……しかし、実に3分が経過してもオリが離れないのは、リオからしても想定外。
それどころか、「リオちゃん体あったかー」「腰ほっそー。私もだけど」などと言いながら、ほっぺたを挟んだり肩を揉んだり腰をぺたぺた触ったりと、好き放題弄りまわしてくる。
別にそれ自体は不快でもないが、今は本題に入らなくてはと、リオは自分の顔に頬ずりしてくるオリの体を押し返した。
「……もう、いいかしら」
「あーん、もっと撫でさせてほしいんだけど……うん、でもまぁ、ふざけるのはこの辺で」
渋々リオから離れたオリは、改めて、と切り出した。
「リオちゃんが言いたいのは、あの子のことだよね」
「ええ。……あなたたちが廃墟で見つけた、少女の形をした不可思議な存在。
偽造された学生証によれば、今名乗っている名前は……『天童アリス』、だったかしら」
天童アリス。
あの日、オリが先生やゲーム開発部と共に廃墟で見つけた、正体不明の少女のことだ。
彼女はまるで死ぬように……と言うよりも、まだ生まれる前とでもいうかのように、椅子の上で静かに穏やかに眠っていたのだが……。
全裸のままは色々とマズいと、ゲーム開発部の2人が服を着せようとした時、「休眠状態を解除します」という不可解なアナウンスが流れるのと同時、その両目は開かれ、頭の上にはヘイローが灯った。
その後、会話を通してその正体を探ろうとしたものの、少女の言語がなかなかに独特で、なおかつ少女自身もどうやら記憶を失っているらしく、お互い全く状況を掴めず。
「敵対的なロボット群のいる廃墟に置き去りにするわけにはいかない」という名目で、結局彼女はミレニアムサイエンススクールへと連れて来られた。
ミレニアムに帰還してすぐに解散となったため、オリはその後の経緯を詳しく知らない。
けれど、先生と共に何度か部室を覗いたところ、どうやらモモイは彼女を部員とすることで部員数の不足を解決しようと企んでいるようだった。
今はユウカからの質疑に対応できるよう、アリスにゲームを通して普通の話し方を教えているようだ。
……当然ながら、これはミレニアムの規則に反している。反しまくっている。
そもそも学外の人間(?)を何の申請もなく部室に住ませている時点でワンアウト。
その学生証を偽造した時点でツーアウト。
更に部員とすることで部員数を割り増ししてスリーアウト。
ミレニアムの生徒会長であるリオからすれば、許せる部分などどこにもないだろう。
……が。
そもそも、リオはその程度の些事には動かない。
そんな小さな問題は、リオの部下であるセミナーのメンバー……それこそユウカやノアが対応すれば済む話である。
人を使うことを知る調月リオは、校則を破った程度では自分から動かない。
彼女が自分で動き、表舞台に現れるのは……1つの部の存続などとは比べ物にならない、それこそミレニアムやキヴォトスの存続に関わる案件が発生した場合に限られる。
今回オリが話に呼ばれたのも、わざわざリオがこうして入浴にまで付き合っているのも、それだけこれが重い案件であると判断したからだ。
「……オリ。あなたは『あの子』から、あの少女の正体を聞いているの?」
結局その後、リオはオリの夢に現れるという「あの子」との会話の機会を持てていない。
オリ曰く、少しやらかしてしまって「あの子」の機嫌を損ねてしまったとのことで、オリとすら面会謝絶状態にある、とのことだった。
故に、「あの子」が天童アリスの正体を察知しているのか、リオは知り得なかったのだが……。
「軽くなら聞いてるよ。『名もなき神々の王女』……だよね。
まぁ、私はその言葉の意味を、ちゃんとは理解できてないんだけどさ」
どうやら、「あの子」は少女の正体を……恐らくはその由来まで、知っていたらしい。
「それならば」と、リオが話を続けようとした時……。
「あら、そうなのですか? それでは、あなたの姉に詳細を尋ねると良いですよ、オリ。
なにせその女は、『名もなき神々』について、知識だけはため込んでいるのですから」
不意に、浴槽に浸かっていた3人ではない、誰かの声が飛んできた。
リオはそれに目を見開き体を硬直させ、トキは咄嗟に浴槽から飛び出して身構え、オリは「お!」と口角を上げ……。
そんな3人に対し、闖入者は不敵に笑う。
……ただし、布1つ纏わぬ全裸で、1人の少女に抱きかかえられながら、ではあったが。
「ふふ……ミレニアムというコンクリートジャングルの隅にひっそりと咲く一輪の白百合が如き超天才病弱美少女ハッカー、まかり越しました。
その話、この明星ヒマリも聞かせていただきましょうか」
「部長、人の家のお風呂に勝手に入るのはまずいと思う。あと、ここ、すごく暑い……」
「……エイミ、私を浴槽に入れた後はあの水風呂に入っていいですから、少し静かにしていてください」
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
自分で書いておいてなんだけどオリとリオ紛らわしすぎる。