結果から言えば。
黒服から指定された座標に、オリはいなかった。
超高度な演算装置があるということで、ドローンを通して通信しているリオとヒマリ。
そしてこの自治区での事態ということで、アビドスから対策委員会の面々。
生徒たちと合流して先生が向かった先にあった基地は、確かに黒服の言う通り壊滅状態にあり……。
そこにはオリこそいないものの、一つの真新しく見える看板が立っていた。
「『先生たちはこっちにゴー!』……だって」
「オリだね」
『……統計から考えて、その可能性が極めて高いわね』
『オリのやりそうなことです』
“うん、私もそう思う”
この中でもオリについて詳しい、ホシノとリオ、ヒマリに先生は一様に肯定する。
即ち、オリは確かにここにいて、看板にメッセージを残していったのだと。
その声には、期待が外れた失望やふざけた調子への怒りよりも、安堵の感情が強かった。
生徒たちは先生と違い、オリと直接会えたわけではない。
先生の話を聞いたり、覆面水着団6号が様々なところで活動している情報を得て、オリは健在なのだと殆ど確信しながらも、けれどその目で証拠を押さえたわけではなかった。
しかし今、目の前にある看板の筆跡やふざけた調子は、確かにこれを書いたのが彼女たちの知己であると信じさせるに十分なものだった。
数か月前に失踪して以来音沙汰のなかった彼女は、キヴォトスのどこかで確かに生きている。
それは親友や姉妹、古い知己の心のどこかに蟠っていた不安を解消させたのだ。
そして、オリの看板が指し示していた先。
カードリーダーにテープで認証カードが貼り付けられていた、どうやらカイザーの作ったらしいエレベーターで、一行は地下に降りていき……。
そこで、「超高度な演算装置」を目の当たりにした。
それは……。
「ほ……本当に、超巨大な、宇宙戦艦……?!」
そう、一言で言えば、船だった。
見上げる程の大きさで、近未来的なデザインではあるものの……確かに、先生たちが思う「船」の形をしたソレが、基地の地下空間に物も言わず鎮座している。
先生から伝えられたその言葉を疑うわけではなかったが、水の上でも修復用のドックでもなく、軍事基地の地下に鎮座しているそれを見ると、多くの生徒の内心では流石に驚愕の思いが先立った。
『ふむ……なるほど。確かにこれは宇宙戦艦で間違いないかと』
“うん、入ってみようか”
* * *
現在キヴォトスに敷かれている、緊急対策委員会。
彼女たちの次の仕事は、アビドスで発見された宇宙戦艦の解析となった。
ミレニアムのエンジニア部とヴェリタス、そしてヒマリとリオの主導の下、この巨大に過ぎる船に解析がかけられ……。
そう時間もかけることなく、これは終了した。
というのも、今のミレニアムの技術を以てしても、これの解析は殆ど行えなかったのだ。
理解できたのは、この船が非常に高い技術で構成されていることと、その動かし方、そして以下の情報くらいのものだった。
この遺物の名は、ウトナピシュティムの本船。
最低でも10人以上で動かすことを前提とした、巨大な移動拠点だ。
全長135メートル、高さ23メートル、幅13メートルという巨体を持ち、そのスペースの75%以上は論理演算装置によって占められている。
目につく範囲では武装されていないこと、飛行するとしても100,000mの高度までとなることからしても、宇宙を飛ぶ戦艦ではなく、高高度の飛行が可能な量子コンピューターと呼んだ方が正確だろう、とのこと。
ここから先はミレニアムの生徒たちを以てしても解析できない、ブラックボックスの領域だったが……。
ただ一人、現地には来ずにセミナーの計器を用いて解析を進めていたリオは、これまでに蓄積してきた「名もなき神」の知識もあって、更にこれを深掘りすることができた。
即ち……これは「名もなき神」の遺産に対抗するために造られた船。
まさしく今空に浮かぶ、「アトラ・ハシースの箱舟」を堕とすための遺物なのだ、と。
『この船に積み込まれた装置による演算速度は、エリドゥの全リソースを使ったものを上回る。
これならば、「名もなき神」の物質の変換に完全な耐性を持たせることも容易でしょうし……。
何より、あの空に浮かぶ要塞が広げる、多次元的解釈の振動パターンを計算・再現した痕跡が残っていた。これを用いれば、波長を合わせることによる膜の物理的突破が可能なはずよ。
それらを同時に行って、処理にかかる予測負荷は全リソースの86%。この船は元よりそのために存在していた、と見た方が蓋然性は高いわね』
打鍵音を背景にしたリオの言葉を正しく理解できた者は少数だったが、それでも一同には安堵が広がった。
生徒たちにとって、今解決すべき最大の問題は、空の要塞ではなく虚妄のサンクトゥムの復活。
その手段として大元らしい空の要塞を叩く必要があり、そしてそのためにこの遺物が必要になっている状況だ。
ただでさえ迂遠な遠回りをしているのに、これで駄目となれば手段の模索をやり直さねばならないところだった。
……ただし、良い報告もあれば、悪い報告もあるもので。
情報を繋ぎ合わせて薄々察しを付け、眉をひそめていた先生の危惧。
それは、リオから端末に直接届けられたメッセージで、現実のものとなった。
『情報を隠蔽したと認識されるより先に、そして誤解を与えないよう、告げておくわ。
この船は「名もなき神」の遺物へのカウンター。故に、「名もなき神」やそれに類する攻勢プログラム、敵性存在を検知すれば、それを即座に、なおかつ強制的に排除するシステムが構築されている。
そして……天童アリスは、』
そこで一度メッセージが途切れ、少しして再び続いた。
『アリスは、今はミレニアムの生徒よ。それはあなたたちの行動が、アリスの取った選択がそれを肯定している。私が間違っていて、あなたたちが正しかったと、認めるわ。
けれど、アリスの前身的存在であり、その体の本来の意義であったAL-1S。そして未だ彼女の内部にデータとして存在している可能性の高い「KEY」。これらは「名もなき神」を崇める「無名の司祭」の遺したアーティファクトである、という事実は現実的に存在している。
つまるところ、このウトナピシュティムの本船を起動すれば、その瞬間に天童アリスは破壊的なクラッキングを含む攻撃を受ける可能性が高い』
先生がちらりと視線を上げれば、他のメンバーが忙しなく走り回っている中で、明星ヒマリだけは移動することなく、空中に浮かべた疑似インターフェースを渋い顔で見つめていた。
どうやら彼女の元にも、リオから同じメッセージが届いているらしい。
アリス、そして彼女の友人であり仲間であるゲーム開発部は、エンジニア部が連れて来た。
元より彼女たちと感性が近しいこともあり、4人とも好奇心旺盛に興奮し、船内を走り回っている。
ゲーム開発のインスピレーションになるからと、ミレニアムから遠路はるばる来てくれたゲーム開発部。
アリスをこの船から閉め出せば、当然仲の良い彼女たちは残ろうとしないだろう。結果として、彼女たちを追い返すようになってしまう。
しかし、アリスに被害が出るなら仕方がないと、先生は彼女たちの説得に向かおうとしたものの……。
その直前、再びリオからメッセージが届いた。
『天童アリスはこの作戦に必要な人材よ。
現在は記憶や記録を喪失してしまっているとしても、本来「名もなき神々の王女」であった彼女は、エリドゥで見せたように、未だ物質の変換等の能力を有している。
また、その能力の行使が可能であった点から考えて、内部記録や認証パスを完全に喪失したわけではなく、記憶の定義における再生と再認ができない状態なのだと推測できる。
つまるところ、彼女には利用価値があるということ。理論的に考えて、アリスをこの作戦にアサインすることは規定事項と言っていいわ』
そこでまたメッセージは途切れた。
「はぁ……リオ、あなた、少しは変わったと思いましたが」
先生が何とも言えない顔をしている横で、残念そうに息を吐き、ヒマリは両手の指を走らせる。
直後、先生とリオしかいないはずのチャットルームに、どうやってかヒマリが入室し、遥か遠方のリオに向けてメッセージを送り返した。
『あなたはまたあの子を犠牲にするつもりですか?
エリドゥでの一件で、あなたの言う「合理」が必ずしも最適解や最高効率を導くものではないと理解したと思っていましたが……下水道に流れる水は、一度浄水になろうとすぐに汚染される、ということですか。
山領に流れる雪解け水の如き清浄なこの超天才病弱美少女ハッカーと違い、誤りを正す学習能力が欠如しているようですね。全く、余計な期待をしたものです』
その文字列から溢れる怒気と、しかし裏腹に感じられる評価と期待。
それに思わず苦笑を漏らしながら、先生はメッセージを送った。
『ヒマリ、多分そういうことじゃないよ』
『リオ、アリスへの攻撃の対応策と、それからなんでそうするべきだと思ったのか、もう少し詳しく聞いてもいいかな?』
……反応は鈍く、返事が返ってくるまでにしばらくの時間を要した。
明らかに気分を害したらしいイライラヒマリの横で、待つこと数分。
軽快な通知の音が、リオからのメッセージの到来を告げた。
『アリスへの被害は、こちらで対処するわ。
私には「名もなき神」についての知識がある。論理回路や判断パターンについても相当量のデータがあるから、多少の欺瞞は効くはず。
本船が起動する直前に、ウトナピシュティムの本船が強烈な攻勢プログラムであると判断するように偽装したデータを船内にばら撒くわ。名もなき神々の王女が鎮静状態にある今、そちらよりも有害なプログラムが優先して処理されるはずよ。
勿論永続的に欺瞞を続けられるわけではないけれど、アトラ・ハシースの箱舟に到達する所要時間の600%程度の時間は稼げる計算。
そちらに私の計算のリソースを多く割くことにはなるけれど……アリスは必ず守ると、約束する』
『……何故そこまで? あなたが言った通り、アリスは今「名もなき神々の王女」としては目覚めていない。
あなたのリソースを大きく割く程に人材として必要であると指すデータは存在しません』
ヒマリの疑問に対して、また数分経って、返答が返って来る。
今までの理路整然とした長文ではなく、短い文章が。
『アリスが、乗りたがっているのでしょう?
……これまでに抑圧されていた彼女の欲求を満たすことは、ミレニアムにとってポジティブなファクターに値すると判断したわ。
それを他の要素と併せて計算し、アリスを船に乗せることは規定事項であるという結果を算出した。
以上よ。何か問題があるかしら』
リオから送られて来たメッセージを読んで目を見開くヒマリの横で、先生は嬉しそうに微笑み、メッセージを送信した。
『何も問題はないよ。リオ、今回の作戦もよろしくね』
細かくやろうとすればリオとヒマリのキャットファイトとかハナコの古則の話とかやらなきゃいけないんですが、流石にそこまでの時間はないので巻きで。
本作はあくまで調月姉妹のお話なので、フォーカスはそちらに当たります。全体的に見たい方は是非原作最終編を見直してみてね。