『仮称、砂狼シロコ。あの力は、アトラ・ハシースの箱舟由来のものだと考えていいの?』
「うん、大丈夫。いや正確に言うんなら違うんだろうけど、リオちゃんの発想と、やろうとしていることは通るはずだよ。
物理的な脱出ポットを飛ばすんじゃなく、空間跳躍による地上への帰還システムの構築、だよね。ケイちゃん、いけそ?」
『ケイちゃんはやめなさい、調月オリ。……ええ、問題ありません。
ウトナピシュティムのリソースは私が掌握し、アトラ・ハシースとして再定義・再構築しています。これを用いれば、空間跳躍は決して困難ではありません』
通信の向こうから声を投げかけるリオ、先生からインカムをもらったオリ、そして今はウトナピシュティムの計器の中に入っているケイが、それぞれ言葉を交わす。
現在アトラ・ハシースの箱舟占領戦は、小休止とまでは言えないまでも、一旦の落ち着きを見せていた。
4つに分けたグループの内1つが、無事にエリアの占領を完了。今は残敵排除の段階に移っている。
他のグループは未だ現着しておらず、今は一時的に、部隊の情報管制が手隙になっている状況だ。
その間に、3人は今後を見越して対策を立てているのだった。
『この場にアトラ・ハシースの箱舟と呼称される存在が2つあれば、混乱を生むわ。こちらの乗り込んでいる船は差別化のため、これからもウトナピシュティムの本船と呼称しましょう。
……そして、「ケイ」。これが地上へと無事に帰還する確率は?』
『100%。私がいる限りにおいて、この船は必ず持たせます』
即答するケイは、元「名もなき神々の王女の鍵」として、確かな自信を覗かせていた。
……が、そんなケイに対してツッコんだのがオリだ。
「それってつまり、ケイちゃんが落とされれば駄目になるってことだよね。
さっきの異常なハッキングってさぁ、明らかにこっちがギリギリ対処できるように調整してあったよね? それでこっちの意識を逸らして、シロコを潜入させられるようにさ。
アレが何倍にも増して攻めてこられたら、ケイちゃんでもキツいんじゃないの?」
つい先程、彼方の玉座にて待つ『彼女』の干渉に、ケイたちは防戦一方となった。
それを指摘され、ディスプレイの1つに表示されたケイの表情が歪む。
『…………不愉快ですが、認めましょう。
確かに、アトラ・ハシースの箱舟には、不可解な程に高度な情報処理能力を有する何者かがいます。
その力は、アトラ・ハシースの持つ本来の能力を越えている。……あるいは、名もなき神々の王女の鍵であった私すらも凌いでいるかもしれません』
『あなたを……?』
リオが不審そうに言葉を漏らす。
しかしそれも、ごく自然なものと言えただろう。
名もなき神々、あるいはその司祭。
それらによる技術は、現代のキヴォトスのそれを遥かに凌駕している。
最新鋭を誇るミレニアム、その頂点ビッグシスターの力を以てすら、都市のリソース全てを決してもなおアトラ・ハシースの力には勝てはしなかった程だ。
それなのに、アトラ・ハシースを、どころかその主たるケイすらをも凌駕する能力を、相手……プレナパテスは有しているという。
それは、一体どういうことなのか。何を意味しているのか。
『……情報が不足している。あるいは、それが色彩の力だとでもいうの……?』
考え込むリオとケイに、オリは首を振る。
「いや、それは考えても仕方ないかなー。知っても私たちにはどうしようもないし。
とにかく今大事なのは、ケイちゃんすら凌ぐとんでもない情報戦ができる相手がいるってことだよ。
ウトナピシュティムに入っているケイちゃんがソイツにノックアウトされてしまえば、というかウトナピシュティムが完全に掌握されてしまってもそうなんだけど、この船は動かなくなっちゃうよね」
『………………そうですね。誠に癪ではありますが、先程の言葉は訂正しましょう。
不確定要素がある以上、この船は100%の可能性で動くわけではありません。であれば、万一の次善策を取っておくことには意味がある。
調月リオ、あなたに技術を提供します。これらの知識を用いれば、指定のポイントへの空間跳躍は容易になるはずです』
『これは……確かに受け取ったわ。これから、空間跳躍による脱出装置の構築を開始する』
不慮の事態に備える。
それはビッグシスターにとって……あるいは調月姉妹にとって、本領と言っていいものだ。
いつ来るかもしれない破滅への備えとして、セミナーの資金を何百億と横領して巨大都市を建築し切ったリオもそうだし。
そのリオの破滅を避けさせるため、婉曲なやり方でもって彼女をミレニアムに縛り付けたオリもそう。
何かが起こった時に、必ずそれに対処する。
誰かが負うはずの被害を、未然に防ぐ。
あるいは……全てが終わった後のために、先んじて準備しておく。
ミレニアムの頂点に立つ姉妹は、そのためにこそいる。
「あ、帰還システムは私の分もよろしくね。生徒+先生+私って感じでよろしく~」
『…………』
軽い調子で言ったオリに、リオは無言を返す。
これまでも度々、リオはオリからの話に対し、言葉を詰まらせてしまっていた。
この事件に当たって、オリが現れたという噂や、その存在を示唆する情報が多く落ちていたために、もしかしたらこうなるかもしれないと想定はしていた。
オリの性格からしても、この事件に関わって来る可能性はあると、船に乗り込んでいるかもしれないと、予測はしていた。
けれど……いざそれが現実となると、リオの口は動かなくなってしまった。
オリが失踪してからこれまでに、実に3か月の時間が経っていた。
誰もが捜索を諦める中で、けれど懸命に彼女の捜索を続けていたリオ。
唐突に現れたオリに対して、彼女は告げるべき言葉を余りに多く持ち過ぎていたのだ。
何から話すべきか。
何を話せばいいのか。
思いは千々に乱れ、彼女の脳内に合理的な解は浮かんでこなかった。
ただ、彼女が健在であったことへの安堵と……何とも言い難い違和感と不安が、彼女の胸中に押し寄せる。
それは言語化するにはあまりに非合理に過ぎ、合理の化身たる彼女はそれを認められない。
……けれど、それでも。
彼女なりに、否定の言葉を口にした。
『オリ。あなたも、生徒でしょう?』
「ん?」
『生徒と先生とあなた、ではなく。あなたも、ミレニアムの生徒の一人でしょう』
その言葉に、オリは……。
どこかおちゃらけた表情を浮かべ、答えた。
「いや、私はもうミレニアムの生徒じゃないよ。
退学届けはセミナーに届けて来たし、シャーレの退部届も部室に置いて来たから」
『…………、は?』
リオが絶句したのは、決して無理からぬ話だっただろう。
失踪し、キヴォトス中を探しても見つからなかった姉が、ようやく会えたと思った時には学校の退学届けを出していたのだから。
学校からの退学は、「学園都市」であるキヴォトスにおいて、非常に重い意味を持つ。
キヴォトスは学歴社会ではないが、それ以上の学生社会だ。
生徒たちが自治体を回し政治を行い、キヴォトスの運行は彼女たちに任されている。
どこかの学校の生徒であるということは、それだけで非常に重く大切な意味を持っている。
それなのに……オリは、ふざけた笑顔で、退学したと宣言したのだ。
これまでは何かあるたびに細かく報告・相談していたリオに何も言うことなく。
勝手にそれを決めて、勝手にそれを行った。
『な……っ、あなた、オリ……!』
彼女らしくなく、激しかけたリオの言葉を……。
しかし横から、タブレットから顔を上げて、先生が制した。
“いいや。君はまだ生徒だよ、オリ”
「退学届けは処理されてないし退部届は先生が認めていないから?」
“ああ、そうだよ”
「ホシノの時のロジックの使い回しだねぇ」
オリはくすりと笑みを浮かべ、しかし先生に向き直って、緩く首を振る。
「……でも、そうじゃないんだよ先生。ここは、そういうんじゃないんだ。
私がアレを出したのは後片付けのため。私が今どうなのか、じゃなくて、『そうなった』時の私がどうなのか。それを解決するためのヤツだからさ」
“…………オリ。お願いだから、そういうことはやめてほしい”
「いやいや、立つ鳥なんとやらでしょ? 自分の後始末くらいするのは当然だし」
“オリ”
「ははは、ごめんって。……でもまぁ、『あの子』からある程度話は聞いてるんでしょ?
覆水は盆に返っちゃくれないし、箱舟に刺さった本船は地上には戻らない。動き出した事件は行くとこまで行かないと終わんない。
私は……その結末の後のエピローグを、できるだけ穏当なものにしたいんだよ」
“…………”
先生の懇願にも等しい言葉も、けれど彼女に届くことはなく。
それを聞いていたリオは、眉をひそめる。
『あなたたち、何を……』
しかし、オリはその疑念を食い気味に止めた。
「気にする必要はナシ! というかリオちゃんは他にやることあるでしょ。
『あの子』が本気出したらケイちゃんがいても本船簡単に落ちちゃうだろうし、帰還システムの構築急いだほうが良いよ。
ほらほら、ケイちゃんも手隙なら手伝ったげてよ。リオちゃんの仕事の是非にみんなの生還、ハッピーエンドが懸かってるって言っても過言じゃないんだしさ」
彼女に焚き付けられたケイは……。
1秒程の沈黙、そして溜め息の後、言う。
『……いいでしょう、承りました。
リオ、演算とリソースの配分はこちらで済ませます。あなたはシステムの大枠の構築を急ぎなさい』
『いえ、待って、今は……!』
『今は、そちらを優先すべきです。そうでなくては、調月オリも生きては帰れない』
『っ……!』
ケイとて、オリの言葉に、不穏を感じなかったわけではなかった。
いいや、むしろ……この場の誰よりも、オリに起こっている変化を理解していると言っていい。
ケイの語った、結晶化した神秘の発散。
それはつまるところ、「神秘を対価とした奇跡の行使」だ。
調月オリは恐らく、あの時……アリスとケイがウトナピシュティムのリソースを「アトラ・ハシースのスーパーノヴァ」に再構築しようとした時、それを行った。
アリス……AL-1Sとして作られた彼女は、本来ウトナピシュティムの本船の天敵だ。
覚醒していないために脅威度が下がっており、なおかつリオがばら撒いたフェイクデータ群の脅威度がそれを上回っているために、それまでの間彼女に被害はなかった。
しかし、あの時は別だった。
多次元バリアを突破するために、ウトナピシュティムを掌握しようとしたあの時。
アリスはケイと共に「名もなき神々の王女」としての権能を取り戻し、行使した。
当然、ウトナピシュティムのシステムは、ただのフェイクデータなどよりも遥かに高い危険度を見出し、その総力を以て敵たるアリスを排除しようとした。
完全にリソースを掌握するまでの、おおよそ1分49秒。アリスは殆ど無防備に、本船からの攻撃を受けていたはずだった。
もしも、あそこでオリが何もしなければ、アリスは……あるいは、アリスを庇ったケイは、既に喪われていたはずだったのだ。
けれど、そのアリスへの攻撃は、不可思議な手段によって『防がれた』。
それを、その在り得べからざる奇跡を起こしたのが……オリの、神秘だ。
アリスには、「オリはあなたと共に、彼女の戦いをした」としか伝えていないが……。
ケイは、過たず、理解していた。
あのエリドゥでの戦いでも。
このウトナピシュティムでの戦いでも。
調月オリの、文字通りの「献身」が、自分たちを救ったことを。
そして……その犠牲を強いたのが、自分とアリスであることを。
……故に。
『生徒たち、先生、それに調月オリ。その帰還システムは、必ず用意します。
可能な限り……この本船の防備も』
「うん、よろしくぅ! 素直なケイちゃんも可愛いねぇ!」
それが、調月オリの望むところであれば。
それが……調月オリの「なりたい自分」であれば。
ケイは、それを否定しない。
それが彼女の生き方ならば、否定はできない。
……ただ、その上で。
『…………理解しました。システム、正常化を開始』
ケイもまた、自らの望むところを、自らの「なりたい自分」を目指し、足掻き始めた。
ぷらにゃ強すぎワロタ。
本格的に敵対されてないから善戦できてるだけで、本来ならまず勝てませんね。あちらにはフィードバックによる所有者へのダメージもないので。