調月姉妹のやべー方   作:アリマリア

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代償

 

 

 

 アトラ・ハシースの箱舟占領戦は、つつがなく進んで行く。

 

 勿論、一切の抵抗なく、というわけではない。

 生徒たちがそれぞれ進撃する中で、恐らくは防御システムが反応したのだろう、溢れ返らん程の軍勢が押し寄せたりもしたが……。

 先生の指揮に率いられた生徒たちは、それらを問題なく撃破していった。

 

「第一、第二、第三分隊、目標クリア! 残すは中央第四エリアを残すのみです!」

 

 ウトナピシュティムの本船に響くオペレーターの声にも、達成感と安堵が溢れていた。

 

 最初は余りにも困難な、それこそ達成確率一桁台の作戦のように思えたが、各人の努力が積み重なってようやくここまで来た。

 もう少し。もう少しで、アトラ・ハシースの箱舟は、完全に掌握できる、と。

 

 確約されたキヴォトスの滅びを避け、虚妄のサンクトゥムによって奪われた彼女たちの日常を取り戻すことができる、と。

 

 

 

 ……けれど。

 

「無駄」

 

 1人の少女が……いいや、少女とも言い難い、女性と呼んでいいだろう存在が。

 今、再び、ウトナピシュティムの本船の前に降り立つ。

 

「先生、お気を付けて。『彼女』です」

“シロコ!”

「…………」

 

 黒く昏い、深淵を思わせるようなドレスを身に纏い。

 流れる砂のようにゆっくりと揺れる銀の髪をたなびかせた……。

 生徒たちにとっての、死と破滅の象徴。

 

「キヴォトスは、滅びる。私の手によって。

 それは最初から、最期まで、決まっている運命」

 

 砂狼シロコ──否。

 

 生徒を生徒たらしめる年若さを半ば喪い、女性として、個体として完成しつつあるその姿。

 自らの宿痾を受け入れ、何者かを死に運んでいるその行動。

 

 それはまさしく死そのもの。

 狼の神、アヌビス……象徴化されたその化身が、先生たちの前に再び立ち塞がる。

 

 

 

「あー……詰んだかなぁ、これ?」

 

 ぼそりと呟かれた調月オリの言葉を聞き取れたのは、先生と、そして調月リオだけだった。

 

 直後、船内にいたはずの彼女の姿は掻き消え、シロコに向き合うようにして船外にある。

 

 本来は存在(ミレニアム)の反証のため、この世界に存在できないオリ。

 その本質の1つは「非存在」。彼女はこの世界に存在すること能わない代わり、この世界の空間に縛られることがない。

 「オリヒメ」と呼ばれていた存在が要石となってこの世界に繋ぎ止め、故にこそ物体、生命として存在できるものの……その神秘を行使すれば、本来の形へと回帰することもできる。

 

 それに依る空間転移を行ったオリは、しかし、形の良い眉をほんの微かにしかめた。

 

「…………」

 

 自身が、砂になってどこかへ流れてしまうような錯覚。

 痛みすら覚えないまま、自己が喪失する恐怖。

 

 それらを抑え込み、顔面に綺麗な笑みを貼り付けて……。

 努めて明るく、彼女は口を開く。

 

「ハロー、シロコ! 元気そうだね!」

「知りもしないあなたに、馴れ馴れしく呼ばれる筋合いはない」

「ははっ、辛辣ゥ! こっちは君のこと知ってるんだけどなー、そう言われると寂しいじゃんね。

 それで、遠路はるばる何しに来たのかな? 先生に愛の告白とか? シチュ作りとか手伝おっか?」

 

 ふざけた口調で訊かれたシロコは、静かにまぶたを閉じて、静かに答える。

 

「ん……先生を止める。

 そうすれば、予定通り、キヴォトスは終焉を迎える。それを導くのが、私の──『役割』だから」

 

 重い、言葉だった。

 自らの役割を定義し、それに従う。

 額面状の字義を浚うのであれば、あるいはそれはケイの……「KEY」の在り方に似ていたかもしれない。

 

 しかし……。

 

“…………っ!!”

 

 ケイのように、ただそれしか生き方を知らないのではなく。

 船内にいる先生が息を呑んでしまう程に、その言葉には悲痛な色が含まれていた。

 

 凄まじい苦痛と絶望の果てに、そうするしかないと諦めたような、そんな疲れ果てた声だった。

 

 

 

 けれど、それに対しても、なお。

 

「あっそ。まあ私がいる限り、やらせないけどね。

 ……私はこの世界が、この世界で生きる人たちが、大好きだからさ」

 

 オリは譲らず、その笑みを崩すこともなく。

 ただ、ゆっくりと、その銃と拳を構えた。

 

「抵抗、させてもらおうかな」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 戦いは往々にして、始まる前に終わる。

 より正確に言えば、始まる前からその結果が決まっている、と言うべきだろうが。

 

 実際の戦場での戦法や戦術は、無論大切なものだ。

 しかしそれ以上に大切なのが、戦略である。

 戦場での一つ一つの戦いではなく、大局的な視点での勝利敗北。

 それらを決定付けるのは──結局のところ、リソースの差だ。

 

 より情報を集め、状況を整理し、然るべき戦力と補給を持ち、潤沢な資源を持つ……それらすべてを総合した、リソースの有利を取ること。

 余りにも当然で、しかし余りにも真理を突いた勝利条件である。

 

 

 

 結局のところ、オリがシロコに負けたのは、それを満たせなかったからだ。

 

 

 

「……い、たい、なぁ」

 

 一瞬、飛んでいた意識を取り戻し、ぼんやりと呟く。

 オリの半分程しか開かない視界には、箱舟の床と、自らから漏れだした赤色しか映さなかった。

 

 どうやら直前のドローンによる爆撃で吹き飛ばされ、衝撃で昏倒していたらしい。

 

 勿論、いくら弱っているとはいえ小型ミサイルの爆風程度で意識を失うようなオリではない。

 オリが受けたそれは明らかに、不明な手段によって、本来のスペック以上に威力が増していた。

 

 床に手を突いた彼女の耳に、インカムの向こうから先生の声が届く。

 

“オリ、大丈夫!?”

「……へいき、へいき。うん、全然へいきかな。

 これくらいの痛みなら、まぁ、これまでも……ふぅ」

 

 吐き出した強がりは、最後まで続かなかった。

 立ち上がろうとしたオリは、しかし震える膝を床に付けることとなる。

 

 嘘では、なかった。

 子供の頃、リオを守ろうとして失敗した時の方がずっと酷い目に遭った。

 単純な痛みと外傷なら、それこそこの前のエリドゥでの戦いの方が重症だった。

 オリの身体的な外傷は、未だ致命的とは言えないものだ。

 

 けれど……。

 つい先程使ってしまった力が、問題だった。

 

 今もオリの懐で、不気味な存在感を放っているもの。

 ゲマトリアのゴルコンダの手になる、先生の「大人のカード」の力を模した作品。

 

 アレの為すところは、オリの生徒としての在り方を……つまりは「神秘」を対価とする、奇跡の行使。

 

 その作品名を、「子供の封筒」。

 少女の少女たる時間を代償として事を為す、この世界にあるまじき力だった。

 

 ほんの一瞬だけその口を開いた「子供の封筒」は、オリの神秘を容赦なく奪い去った。

 

 一度だけ、ウトナピシュティムの本船から天童アリスとケイに向けられる攻撃を防ぐ。

 ただそれだけのことに、しかしオリは、意識を飛ばしてしまう程の消耗を強いられ……。

 今なお、それは彼女の心身に極大の負担をかけている。

 

 それが、今、コツコツと響く足音の主……。

 

「終わりだね」

 

 砂狼シロコに、オリが敗北した理由の1つだった。

 

 

 

 他にも、いくつか敗北の理由はあった。

 

 シロコ撃退のためとはいえ、先生がオリに対して「大人のカード」を使うわけにはいかなかったこと。

 そして向こうのシロコは、「大人のカード」に届き得る程の、不可思議な手段による強化を受けているらしいこと。

 

 オリがシロコに対して、結局明確な殺意も敵意も向けられなかったこと。

 シロコは()()()()()()であるオリに対して、冷たく確かな殺意を向けていたこと。

 

 オリが最初から、シロコをウトナピシュティムの本船から遠ざけることを主眼に置いて戦っていたこと。

 シロコが最初から、不可解な介入者たるオリを排除するために戦っていたこと。

 

 初見殺しにこそ真価を置くオリが、既にその力を見せてしまっていたこと。

 シロコがオリの知り得ない、多くの悲しみと痛みを知り、「人を殺す」経験を持っていたこと。

 

 それらの条件の、リソースの差が積み重なり、オリとシロコの間に決定的な差を生んでしまった。

 

 そして……本来下駄を履かせるはずの先生の指揮も、しかしそれと同等と思える程の指揮を受けているらしいシロコによって阻害され。

 本来オリを奮い立てるはずの調月リオの声は、しかし今のオリにとっては遅効性の毒ですらあった。

 

「まだ、終わる気はないけど……不利なことは、認めようかな」

 

 ありとあらゆる要素が、オリに味方しなかった。

 ありとあらゆる要素が、アヌビスの化身の味方だった。

 

 結局のところ、この結果に原因を求めるなら、そうなるのだろう。

 

 

 

『────!!』

 

 悲鳴が聞こえた。

 オリの耳元に備え付けられたインカムから、誰かの、何人かの、悲鳴が。

 

 それが、薄れゆくオリの意識を辛うじて保たせ、彼女の体に力を入れる。

 

「……ていうか、終わらないよ。私、生きてるもん。

 ていうか、殺されてやらないよ。君に、これ以上、誰かを殺させたり……しないし」

 

 自分が何を嘯いているのか、白ばむ意識の中では掴めなかった。

 ただオリは、脳と口が直結したように、想いを垂れ流しながら立ち上がる。

 

「取返しの付かない、悲劇のヒロイン、とか……ふざけんな。

 シロコ、には……ギャグマンガの、ヒロインがお似合いだし。アヌビスとか、未亡人とか……そんな属性……いらないっての。本当、納得、できないったら」

「…………?」

 

 ゆっくりと立ち上がり、自身に拳銃を突き付けて来るオリ。

 それを見て、その言葉を聞いて、シロコは眉をひそめた。

 

 現時点で、先生たちは「このシロコ」を「この世界のシロコ」と繋げて考えているはずだった。

 「色彩」によって操られ、変貌したものだと、そう思わせているはずだった。

 

 けれど……今、目の前の見知らぬ生徒が語ったのは……。

 

「無名の司祭、とか、色彩とか……ふざけんな。

 シロコはアヌビスじゃない。シロコは、シロコでしょうが」

 

 一瞬だけシロコが固まった隙に、オリは自らの胸元から、一本の注射器を取り出し、それを乱暴に自らの肌に突き立てた。

 それは、彼女の妹だった少女が作った禁薬。一時的に強力な気付けを行い、骨折するような痛みさえも感じなくなる鎮痛効果も持つ代物だ。

 

「あなたが私を知らなくても、私はあなたを知ってる。

 あの日、寒空の下薄着で倒れてて。私とホシノとノノミで保護して。何度も何度も凝りもせず勝負を挑んで来て!

 今はホシノたちの可愛い後輩で! 銀行強盗とライディングと先生が大好きな!

 そんな、砂狼シロコでしょうがっ!!!」

 

 

 

 ドクンと、血が昇るような、熱が込み上げるような、危険な感覚。

 全身を襲う激痛が消え去り、薄れかけていた意識が冴え渡る。

 全身がさらさらと崩れていくかのような喪失感は消えないものの、それすらも無視できる程の興奮と激情が、一時的にオリの精神を侵す。

 

 インカムの向こうで、大切な人が、大切だった人が、何かを叫んでいる。

 けれど今、その心配の声すら、オリには届かなかった。

 

 今のオリの目的は、時間稼ぎ。

 

 アトラ・ハシースの箱舟が占領されるまで、変貌したシロコをウトナピシュティムの本船に近付けさせるわけにはいかなかった。

 彼女がただ一度でも船に触れれば、恐らくはバックドアが作られてしまう。帰還のための最大の手段であるウトナピシュティムの本船が喪われる結果に繋がるだろう。

 それを防ぐためにも、今は時間を稼がなければならない。

 

 問題は、「大人のカード」にも近しい力……いいや、「大人のカード」による力を得ているシロコ相手に、今のオリがどれだけの時間を稼げるか。

 

 クスリを使って痛覚を遮断しているとはいえ、身体的な限界が近いことは事実。

 神秘の喪失による意識の希薄化こそ止まったものの、少女性の神秘という装飾を取り払ってその崇高の本質である「非存在」に近付いたことにより、今なおオリの心身の状況は悪化し続けている。

 そしてそんな中でもなお、オリは未だシロコへの殺意を持てずにいる。止めようという思いはあっても、殺そうとは思えていない。

 

 追い詰められたこの状況から、果たしてどれだけシロコに抗せるか。

 オリの予測では、恐らく3分。アトラ・ハシースの箱舟の占領には、とても間に合わない。

 

 オリ一人では、この状況を解決することができないだろう。

 

 

 

 だから。

 

「────そこまでだよ」

 

 もう一人が、戦場に辿り着く。

 

 

 

「っ!」

 

 壁を爆破し、舞い上がる黒煙の中から現れた、小さな人影。

 

 オリに向けられた銃から放たれる殺意の嵐を、その盾によって受け止め。

 代わりに、ショットガンによる制圧射撃を行うことでシロコを飛び退かせた、ピンクの髪をたなびかせた彼女は……。

 

 オリにとっても、シロコにとっても、見知った人物だった。

 

「遅いよ……せっかくこっちまで戦場寄せたのに、来てくれないのかと思った」

「間に合って良かったよ。シロコちゃんを捕まえるのは、昔からおじさんとオリの仕事だからねぇ~」

 

 小鳥遊ホシノ。

 オリの認める、キヴォトス最強だ。

 

 

 

 彼女はオリの横に並び立ち、囁いた。

 

「訊きたいこと、一杯あるからね」

「それを伝えることは、できないかもしれないけど」

「いつか絶対に聞き出すから」

「そんないつかが、来るといいんだけどね」

「ま……先生もいるんだ、なんとかなるでしょ」

 

 打っても響かないオリの言葉を、けれどホシノは気にすることもなく。

 そのショットガンをリロードし、再び盾を構えて……「敵」を見据えた。

 

「さあて……いくらシロコちゃんでも、ちょっとやりすぎだからね。ちゃんと怒るのも先輩の務めだ。久々に、2人でお灸をすえるとしようか」

「あっちにも都合があるから、程々にね」

 

 

 







「子供の封筒」
 大人のカードを模して造られた「作品」。
 大人のカードが持ち主の時間や存在を代償として奇跡を為すように、子供の封筒は持ち主の神秘を代償として奇跡を為す。ゲマトリアらしいカスの発明。
 その変換効率は大人のカードに比べて非常に悪く、オリの神秘で以て起こせる奇跡は精々二度程度。内一度はケイを守るために行使済み。
 これを使って神秘を使い果たしてしまえば、色彩によるテラー化とはまた別の形で「恐怖」の側面が顕現する。少女や人の形も保てず、本当の怪物となってしまう。セトの怒りみたいな感じに。
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