プレナパテス決戦。
そう呼ばれていた作戦は、成功に終わったと言っていいだろう。
生徒たちの懸命な奮戦により、アトラ・ハシースの箱舟の占領は完了。
その自爆プログラムに関しても……A.R.O.N.Aによる干渉の結果事前の想定通りにこそ進まなかったものの、ウトナピシュティムの本船での脱出を諦め、これを外付けの演算装置として使うことで解決した。
既に自爆プログラムは走り始めた。もはや誰にも止めることはできない。
アトラ・ハシースの箱舟はどう足掻こうと、壊滅の未来を免れない。
ひいては、これが発生させていた虚妄のサンクトゥムについても、もはやエネルギーの不足による自壊は免れず、復活することもないだろう。
キヴォトスを襲った惨事、虚妄のサンクトゥムによる脅威は去ったと言っていい。
であれば残るは、この惨事を引き起こしたと思われる元凶、プレナパテスだが……。
プレナパテスが手勢としていた未来のシロコは、同じく未来から訪れたオリとホシノによって撃破された。
また、彼女たちが使い得るリソースも残り少なく、虚妄のサンクトゥム復活は勿論のこと、存在の共存によるバリアの展開も、これ以上の生徒の回復や強化も難しい。
本人に戦闘能力があるわけでもないため、これ以上の抵抗は難しいと思われた。
故に、ウトナピシュティムの本船を脱出し、先生たちと合流した緊急対策委員会一行は、このままプレナパテスと未来のシロコを無力化し、リオの組み上げた地上への脱出シーケンスを使おうとしていたが……。
しかし。
一行が「ナラム・シンの玉座」へ辿り着いた辺りで、変化が訪れた。
先生の持つタブレット状の端末から、慌てるように青い燐光がいくつも漏れ。
一行の中にいたアリスの瞳が、瞬きの内に赤色に変わる。
「……! まだです、まだ終わっていません!
プレナパテスが……アトラ・ハシースの箱舟の残留エネルギーを収束させています!」
ゆっくりと。
先程の戦いの余波で膝を折っていたプレナパテスが、立ち上がる。
……いいや。それは、立ち上がる、という表現には相応しくない動きだった。
まるで操り人形が誰かに糸を引かれるように、不自然な動きでゆらりと身を起こしたのだ。
勿論、完全に元通りとはいかない。
先程の戦いで、プレナパテスの持つシッテムの箱はオーバーヒートを起こし、今は一時的にダウンした状態にあった。
シッテムの箱とシッテムの箱。同じだけの演算能力を持つアーティファクト2つが、全力で戦術指揮を行い合えばどうなるか。
相互に超高度の未来予測を立て、相手の行動に応じて秒どころかミリ秒単位で予測を組み替えていく。
普段を遥かに超える過負荷は、当然ながら機体に影響を及ぼし……先に根を上げたのが、プレナパテスの持つそれだった。
本来その身を守護する役割も持つシッテムの箱が、ダウンしている。
であれば……今ならば、プレナパテスに物理的攻撃は通用する。
無力化する、またとない機会だった。
逆に言えば、ここで無力化しなくては、プレナパテスは何度でも立ち上がるだろう。
“みんな、少しだけ、時間を稼いで”
先生は、その場に集まった生徒たちを指揮する。
生徒たちは一様に頷き、倒れ伏した未来のシロコの前に立ち塞がるプレナパテスに向けて、銃口を構えた。
例外は、ただ3人。
先程の戦闘と未来のシロコの言葉で、プレナパテスの正体にある程度の察しが付いてしまい、そのショットガンを向けることに戸惑いを覚えるホシノとシロコ。
そして、「あの子」からその正体を聞いていた、オリだけだ。
「……先生。アレは……」
“今は、あの攻撃を止めなきゃ”
ホシノの問いかけを封殺するように、先生は言う。
プレナパテスは今もなお、アトラ・ハシースに残されたエネルギーを収束し続けている。
もはや状態の共存を展開することもできない程度のそれだが……局所的に解き放てば、自分ごとこの周辺を吹き飛ばす程度のことはできる。
破れかぶれの自爆、それによる両者敗北への持ち込み。
それがプレナパテスの狙いだと思われた。
勿論、先生も生徒たちも、そんな結末は許容できない。
プレナパテスの攻撃を阻止しなくてはいけない、と。
その一点に関しては、完全に意思を統一できている。
……だが。
「だ、だって……あっちのシロコちゃんの、あの反応」
向こうのシロコが完全に折れたのは、未来のシロコとオリとの戦闘ではなかった。
そこで体力を削り切られ、膝を突いても、彼女は欠片たりとも諦めてはいなかった。
痛いから、苦しいからと言って諦めてしまえば……。
自分の本質によって殺してきた者に、その殺害に、意味がなくなってしまう。
だから、シロコは、遂げるしかない。
最期の瞬間まで、自分を貫くしかない。
そう、覚悟していたシロコは……けれど。
直後に駆け付けた、アビドス廃校対策委員会の面々を見て。
必死に、忙しなく、楽しそうに、幸せそうに生きる生徒たちを見て。
まるで、表面張力でギリギリに保たれた水面に、石を投げ込まれたように。
決壊し、折れた。
今や彼女は、その場にうずくまり……先程までとは逆に、プレナパテスに守られる位置にいた。
その反応は、あのシロコが確かに「何かがあった未来」のシロコである証左のように思え……。
同一人物がこの世界に2人、同時に存在するという、前例となってしまっている。
そして、その上で。
「……あれ、先生の持ってるのと同じタブレット」
ホシノの言葉に次いだのは、シロコの疑念。
つい先程駆けつけた面々と違い、長時間プレナパテスたちと戦っていたシロコ、ホシノ、オリは、その手に握られているタブレット端末の存在に気付いている。
一般的なそれのように見えて、けれどどこにも企業のロゴも入っていない特別な品。
それを、2人はただ一つしか知らない。
そして……いいや、それ以前に。
「それに、『私の先生』って、言ってた」
そう。
その言葉が、何より致命的だった。
シロコが……どのような道を辿っていようが、どのような経験を積んでいようが、シロコが「先生」と呼ぶ相手を、ホシノやオリも、そしてシロコ自身も、1人しか思い付かない。
「先生」
……そこまで口をつぐみ、銃口も顔も下に向けたままだったオリが、呟く。
未来を知る彼女の言葉は、ホシノとシロコにとって、これ以上ないくらいの答え合わせだった。
キヴォトスの、自分たちの敵は、排除し無力化しなければならない。
それは勿論、3人とも共通認識として理解している。
これまでもアビドスを、あるいはミレニアムを守ろうと、ずっと奮闘してきたのだ。今更その道理を説くのは釈迦に説法というもので。
……けれど、それでも。
「先生に、銃口を向けるとか……無理だよ」
オリは3人以外に届かない程の小声で、呟く。
他の生徒たちに聞こえないよう声量を絞った……わけでは、ない。
単に今、オリは酷い混乱と消沈の嵐の中にあるのだ。
もう1人の、未来から来たのだという自分に叱責、あるいは激励され。
目の前に迫った決断の時を前に、彼女は今、何が正しいのかすら判断できない状態にある。
だからこそ……あるいは、その上でもなお。
その手に握られた銃口を、プレナパテスには向けられない。
彼女の英雄、彼女の憧れ、あるいは彼女の好きな人。
そんな人に害意など、向けられるわけもない。
ホシノとシロコもそうだ。
プレナパテスが先生であるというのなら……。
唯一全幅の信頼を置ける大人であり、返し切れない程の借りがある恩人であり、個人的にもこの上ない親愛を感じている先生だというのなら。
どのような都合があれ、どのような必要性があれ、その銃を向けることには躊躇いが生じる。
『……オリ? どうしたの?』
地上に残り、通信越しに一行のサポートを請け負っていたリオが唯一、その異常を見て取った。
けれどオリは、それに応えることはない。
妹に……妹であった少女に、余計な傷など残したくはなかったからだ。
先程の船でのやり取りを見ても、この数か月で、リオが先生に少なからぬ親しみを持ったことは理解できた。
だからこそ、伝えるわけにはいかない。
キヴォトスという多数を救うためには、先生という少数を殺す必要がある……などと。
彼女が孤独に背負っていた苦しみを想起させてしまう現実など、見せつけるわけにはいかないのだ。
「…………」
『オリ……?』
何事かを必死に考え、俯いて微動だにしなくなる姉を見て、リオは不穏なものを覚えた。
オリが自分の言葉に黙秘を返すのは、決まって都合の悪い時。
ただし、自分にとってではなく、リオにとって、だ。
ただ自分の不利になる情報なら、オリは隠さない。
リオが問い詰めれば決まり悪そうに苦笑しながら告白し、それを聞き付けて駆け付けて来たユウカが叱る、というのが日常風景だった。
そんなオリが、リオの意向を無視してまで黙秘するというのは……。
大抵の場合、それを知ることそのものが、リオにとって不利になる情報か。
あるいは、知っても信じない、伝えても意味のない情報を、混乱を避けるために伝えない。
オリは自分ではなく、大事な人を想ってこそ、その口を閉ざす。
生まれた瞬間から15年余り、その半分以上をオリを姉と認め過ごしてきたリオにとって、オリの無意識下の思考の方向性など、知悉しているもので。
『…………』
だから、リオも問いかける口を閉ざした。
姉は、意味のない行動をする人ではない。
不条理な理由で暴れることはあっても、無意味に破壊をばら撒くことはないのだ。
それはリオの、姉への無償の信頼であり。
……彼女が未だに持ち続ける、無意識下の罪悪感の現れでもあった。
自然と無音になった、その空間。
響く銃撃音と目を焼くようなマズルフラッシュが、どこか遠くに感じられた。
黙り込んでしまった3人に対し、先生はインカムをミュートにし、言う。
“……ごめんね、酷なことを強いて”
大人である先生とて、いいや、大人だからこそ、生徒たちから向けられる感情はよく理解していた。
大人の責務として見ぬふりをしているだけで、その信頼と親愛に察しは付いている。
いいや、そうでなくとも。
先生からすれば、彼女たち程の年齢の少女に、誰かへの害意を持たせること自体が歪なのだ。
子供は守られるべき存在であり、大人の庇護下で青春を謳歌するもの。それが先生にとっての常識。
だからこそ……このような形で自分に銃を向けろというのは酷に過ぎると、十分に理解している。
そして、今から自分がすべきことも、理解していた。
“私が、終わらせるよ”
インカムのミュートを解除し、向こう側にいる生徒たちに問いかける。
“リンちゃん、ケイちゃん。アトラ・ハシースのスーパーノヴァは?”
『既に整備完了、ウトナピシュティムに残されたリソースの70%を用い、射撃可能状態にあります!』
『誰がケイちゃんですか! ……照準良し。妨害要素排除完了。出力は前回の15%に過ぎませんが、確実に命中しますよ』
すぐに返って来た言葉に、一つ頷く。
生徒たちから向けられる銃弾の嵐を前にして、けれどプレナパテスは倒れない。
それも当然だろう。
銃とは本来、誰かを殺すためのもの。
既に斃れ、殆どが操り人形でしかないソレに対しては、ただ多少の衝撃を与えることしかできない。
故に……そう。
生徒たちの銃撃は、ただの時間稼ぎであり。
本命は、極大のエネルギーをぶつける一撃。
あのサムス・イルナ・ケテルの一撃すらも凌駕する、プレナパテスを物理的に再起不能にするだけの、圧倒的な質量だ。
“コントロールは私に”
『はい。制御権を先生に移譲。後はお任せします!』
その一撃は、先生が撃たなければならない。
「プレナパテスを斃した」のは、生徒たちであってはならないのだ。
後に事実が発覚したとしても、彼女たちの心に生じる傷が、最も小さくなるように。
先生はその願いと共に、タブレットの向こうの相棒に声をかけ。
それに応じるように、画面からは青い燐光が漏れ出た。
“主砲、光の剣:アトラ・ハシースのスーパーノヴァ────発射”
ウトナピシュティムから、直線状に放たれた極大の光線。
ケイによって作られた直線状の空洞を通り抜け……。
それは、過たず、プレナパテスを貫いた。