調月姉妹のやべー方   作:アリマリア

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小さな命の転換点(1)

 

 

 

 不思議な、けれど慣れ親しんだ感覚に、オリの意識が覚醒する。

 

 ……いいや、正確には「覚醒した」わけではないのだろう。

 なにせそこは、現実ではない。

 オリが毎夜訪れている、夢の世界なのだから。

 

 直前の記憶を手繰れば、思い至るのは……アトラ・ハシースの箱舟。

 オリはそこで「子供の封筒」を使って先生を救い……。

 先生の帰還を見送った後に、意識が暗闇に堕ちた。

 

 流石に、あれが全部夢幻とは考え辛い。というか、考えたくない。

 

 となれば……ある程度は状況に察しも付くというものだ。

 

 

 

「……ん、んー、あー。ああ……やっぱり、口も喉も動く。感覚も戻って来てるか」

 

 軽く喉に手を当てて発声したり、手や足を動かしたり。

 それを以て、先程まで迫っていた死が、感じられなくなっていることを理解し。

 

 オリは……ふうと、安堵の溜め息を吐いた。

 

「やり遂げた、か。いやぁ……念願叶って燃え尽き症候群、かな」

 

 確かに成し遂げたという万感の想いと同時、どことなく寒々しい感情も去来する心中。

 それを言葉で覆い隠そうとするように、オリは口を動かし続ける。

 

「察するに、これはアレか、走馬灯ってヤツ?

 最期の瞬間、意識を失ってから死に至るまでの引き伸ばされた一刹那。

 電車の夢を見るのはいつものことだけど、やっぱりちょっと違うもんね」

 

 オリが言うように、彼女が毎夜見ていた「あの子」と話をする電車の夢と目の前にある世界は、少しだけ異っていた。

 窓から外に目をやれば、いつもなら流れゆくはずの不思議な景色が、しかし今は停止している。

 振動も伝わって来なければ、走行の音もなく、ただ静かな空間がそこには広がっていた。

 どうやら現在、オリのいる電車は、停車しているらしい。

 

 走馬灯だからなのかもしれない、景色の変化。

 世界の停止……あるいは、停滞。

 

 それは、オリの未来を暗喩しているように思えた。

 

 

 

「なんとなく、ヤな感じ。人生が終わるんだから当然かな?

 でもま、痛くも苦しくもない夢の中で終わりを迎えられるのは、私にとっては幸福なのかな。

 ……ね、あなたはその辺、どう思う?」

 

 オリはへらへらと笑い、彼女の対面に座る少女に問いかける。

 

 空虚な言葉の羅列を黙って聞いていたのは、オリと殆ど同じ姿の少女。

 外見上の違いは、ただその後頭部にヘイローがあるかどうかという、それだけ。

 彼女こそが、オリが「あの子」と呼んで慕い、かつては「ゲマトリアのオリヒメ」と名乗っていた少女……いいや、女性だ。

 

 優し気で温かい、慈母のような微笑を浮かべていることの多い彼女は……。

 しかし今、俯き、その表情を翳らせていた。

 

「……幸福、であるものですか。

 あなたは……あなたは、もっと生きても良かったのに。それなのに、自らの決断で命を落とすなど。

 そんなものを、私は幸福な終わり(ハッピーエンド)とは認めません」

 

 その声は苦し気で、悲し気で、何より少なからぬ怒気が混じっていて。

 真正面からその熱量を受け止めることを恐れたオリは、茶化すように肩をすくめた。

 

「うーん、じゃあ、あなたの言ってたメリーバッドエンドってヤツかな? それとサッドエンドとか?

 まあそういう定義は見る人によって変わるものだしね。今から退場する私にとってはどうでもいいかな~って」

 

 軽い口調はそこまでに……オリもまた、譲れない一線で踏み留まり、言葉に重さが宿る。

 

「私にとってはとにかく、無事に先生を救えたことが全て。

 調月オリがこの世界にいたことで、救えたものがあった。悲しむ人が減って、喜ぶ人が増えた。

 それなら、私がどう言われたって、どうでもいい。私は私を誇れるから」

 

 まあ、私の破滅にあなたを巻き込んじゃうのは本当に申し訳ないけど、と。

 そう付け加えたオリに対し、けれど対面に座る女性は、そこには触れなかった。

 

 ただ、静かな怒りと共に問う。

 

「本当に、悲しむ人が減ったと、そう思うんですか?」

「……はは、痛いところを突くなぁ」

 

 その答えのわかりきった問いに、オリは視線を逸らし、頬を掻いた。

 

 

 

 しばらく前。現実から目を逸らしていた頃なら、オリはそれに、迷いなく肯定を返しただろう。

 

 これこそが調月オリにとって、そしてキヴォトスにとって、最良の結末。

 不要なものが、必要な何かを生んだ。プラスでもマイナスでもないゼロが、世界にプラスをもたらした。

 その純粋な事実のみを以て、この現実を肯定することができただろう。

 

 けれど……今のオリは。

 2人の先生に、2つの言葉をもらったオリは。

 ……本心から、それを肯定することはできない。

 

「悲しむ人は……いて、くれるだろうね。

 リオちゃん、トキちゃん、セミナーの皆にヒマリとエイミ、ネルパイにホシノ、アビドスの対策委員会……ちょっとだけとはいえ共闘したし、ミカとかヒナちゃんも悲しんでくれるかな?

 それに何より……先生か。

 生徒を救えなかった。救えない生徒がいた、じゃなくて救えなかった。

 この事実が、先生にどれだけの悲しみを与えるか……私には、正直予想もできない」

 

「……現実を突き付けるならば。

 あなたが救ったもう一人の先生。その人を知るのは、恐怖に染まったシロコと、タブレットのAIだけ。

 多くの人は喜ぶのではなく、困惑するでしょう。先生がもう一人いることに。

 あなたが生み出した喜びは確かにあります。シロコとA.R.O.N.Aはあなたに、心底からの救いすら感じるかもしれません。

 けれど……重みを考慮することなく、その絶対数を天秤に載せれば、負の方が遥かに大きい」

 

「……あはは。手心とかくれないわけ?

 私、もう人生詰んで、死亡一秒前なんだけど。せめて良き終わりだったなー、とか思いたいな」

 

「いいえ、あなたにそんな救いはありません。

 自分勝手に暴走してきた罪に対する罰の一つがそれです。あなたは自らの為したことの罪深さを、生みだしてきた悲しみの重さを知らなければなりません」

 

「っ……優しくないなあ、いつもと違って」

 

 

 

 電車のシートの上で、オリはその唇を結ぶ。

 

 そうして、上を見上げた。

 電車の天井を担う金属板。その鈍色を目に、考える。

 

 何を間違ってしまったのだろう、と。

 

 自分自身を代償にして、先生を救うという奇跡を起こそうとしたこと?

 自分にはどうせ何も変えられないと、色んなことを諦めてしまったこと?

 誰にも相談したりせず、ただ一人でここまで来てしまったこと?

 こんなどうしようもない存在が、先生を救うなんて大層な目的を抱いてしまったこと?

 

 それとも。

 そもそも、生まれてしまったこと?

 

「違います」

 

 まるで思考を読まれたように、対面から強い制止の声がかかった。

 

「……今、言葉に出しちゃってた?」

「いいえ。……ですが、生まれてから15年強、私はあなたの隣にあったのです。その程度の機微に気付けないわけもないでしょう」

 

 それもそうかと、オリは頷いた。

 なにせ、オリは彼女によって産み落とされた命であり、彼女はずっとオリを支えてくれた人。

 今更、自分の細かい変化に気付かないわけもなかった。

 

 

 

 いつもと違って、振動もなければ走行音も響かない、どこか空虚な車両内。

 俯くオリに対し……彼女が、声を投げかける。

 

「オリ。1つ、質問に答えてください」

「別に、いいけど。死ぬまで暇だしね」

「正直に、取り繕うことなく」

「……それもいいよ。どうせ最後だし」

 

 いつにない真剣な口調と押しの強さに戸惑いながらも、オリは頷いた。

 

 女性は一度まぶたを閉じてから……まっすぐにオリの目を見て、口にする。

 

 彼女の心を整理させるための、そしてその奥底を測るための、裁定の問いを。

 

 

 

「……調月オリ。あなたは、とても辛い一生を歩むこととなりました。そうしてついには、自らの意志で命を絶つ決断までしなければならなかった。

 その上で……あなたは、自らの誕生を呪いますか?

 生まれたことは間違いであったと。生まれたことは悲劇であったと。

 あなたは……苦しむために、生まれて来たのだと」

 

 

 

 一瞬、「そうだったかもね」と茶化しかけ。

 しかし、正直に答えるという約束を思い出し……オリは、一度余分な息を吐き出し、思考を進める。

 

 今までの人生と、今までの苦痛を思い出す。

 常に優秀すぎる双子と比べられ、家族から受け入れられず、評価もされず、自分が存在してもいいししなくてもいいどうでもいい存在と知り、必死に足掻いた抵抗も何も成し得ず、大切な人を自らの失態によって喪い、そうして一人孤独に宙の彼方で死ぬことを。

 

 それらは、彼女の生涯に昏い影を落としていた。

 それこそ、全てが無意味で虚しいものだと思えてしまう程に、辛く苦しいものだった。

 

 ……けれど。

 苦痛と隣り合ったところに、成し遂げたこともあった。

 

 何もできないと思っていたオリはしかし、先生を救うことができた。

 この世界に何かをもたらすことができた。オリの存在意義は、確かに示された。

 

 故に……きっと。

 そうであれと祈るように、オリは自らの考えを語る。

 

「違う。私の誕生は、それ自体は、きっと悪いものじゃなかった。

 苦しむために生まれたんじゃない。私はきっと、プレナパテスに貶められた先生を助けるために……」

 

 

 

 ……その結論でいいのか、と。

 対面に座る女性の瞳が問うてくる。

 

 正直に答えろと、一切繕うなと、そう言って。

 その上で、それを本音にしていいのかと。

 

 その光に当てられ、オリは……自然、口を閉ざし。

 

 ……胸の中にある衝動が、勝手に零れだす。

 

 

 

「……そりゃあ私だってさ、思いたかったよ」

 

 苛立たし気に後ろ頭を掻きながら、少女は吐き捨てる。

 

「調月オリは、青春を楽しむためにここにいるって。

 キヴォトスの生徒として、先生の生徒として、幸せになるために生まれて来たんだって!」

 

 他の生徒たちと同じように、祝福された誕生があったのだと。

 何度そんなイフを考えただろうか。

 何度そんな甘い夢を見ただろうか。

 

 けれど、現実はそうではない。

 

 調月オリは必要とされていない存在だ。

 結果として、今ここにいるオリが喪われれば、悲しむ者も出るだろうが……。

 

 そもそもオリが生まれなければ、そんなことも起こらなかった、というのもまた事実。

 

 そんな誕生が、祝福されたものと言えるだろうか?

 誰かに望まれたものだと、そう言えるだろうか?

 

 ……そんな命に、何の価値があるというのか?

 

 

 

「生まれたことを、悪くは思いたくない。あなたにもらった、大切な命だもん。

 でも、否定はしなくても、今の私に……肯定は、できない」

 

 頭を抱えていた腕が、ゆっくりと降りていって……彼女の顔を覆う。

 

 必死に繕い、言葉と共に溢れ出るものを抑えようとして……。

 けれどそれも能わず、指の間から溢れ出した。

 

「肯定、したいよ……。あなたにもらった命、私の生きた人生、全部、全部良いものだったって!

 でも、あなたの言う通りだよ! 私は、私のことばっかりで……みんなを悲しませるばっかりで!

 その上っ! ……今更、自分で割り切って、諦めたはずのことを望んでる……!!」

 

 ぼたり、ぼたりと、オリの頬を通り、顎から滴った雫が、床に小さな水たまりを生む。

 きっと、それと同じくらいに、今のオリの言葉は透明だ。

 

 何の装飾もない。何の見栄もない。何の嘘もない。

 意地っ張りな彼女の、死の間際に至るまで誰にも明かせなかった本音が、初めて世界に零れた。

 

 

 

「死にたくない! まだ、生きてたい!!

 リオちゃんと、トキちゃんと、ユウカやノアにコユキ、ヒマリとエイミ、ネルにホシノ。みんなと……みんなのところに、あの世界に、戻りたい……!!!」

 

 

 

 その言葉こそ、見ないようにしていた心の瑕だった。

 

 どれだけ居心地が悪くとも。

 どれだけ生きる意義を見出せずとも。

 

 それでもオリにとって、キヴォトスは唯一無二の自分の世界であり、居場所だ。

 

 リオたちが、オリと別れることになれば悲しむのと同じように。

 オリだって、彼女たちと別れることになれば、当然悲しく思うのだ。

 自己の喪失や喪われるものの数も考えれば、その悲しみの総量はむしろ、リオたちのそれすら比べ物にはならないだろう。

 

 けれど、それを直視するわけにはいかなかった。

 きっとオリは、ここまでの道中でそれを自覚すれば、足を止めてしまっていた。

 自らの目的に疑問が疑問が、妥協が、あるいは諦めが生じていたかもしれない。

 一度抱いた決意を貫くため、彼女はこの世界との繋がりと共に、その悲しみからも目を背けていた。

 

 けれど今、その最終目標を達し。

 彼女はようやくそれを直視し、認めることができた。

 

 目標ではなく、望みを。

 義務ではなく、願いを。

 ようやく、口にすることができたのだ。

 

 

 

 なんら含むところもなく、リオと共にミレニアムを守ったり。

 ユウカに叱られながらもコユキと悪だくみをし、ノアに怖い笑顔を向けられたり。

 よくわからないものの調査のためにヒマリに顎で使われ、エイミと共に愚痴を漏らしたり。

 親友たるホシノと切磋琢磨し、親しい少女たちと共に砂漠で巨大な兵器と向き合ったり。

 

 そんな日々が来れば、どれだけ幸せだろう。

 自分が捨てたもの。選ばなかったもの。……けれど、心の底で欲していたもの。

 

 幸せな、日々。

 キヴォトスでの、平穏で温かな暮らし。

 

 畢竟、彼女は────。

 

 

 

「私はっ──私も、幸せになりたかった……!!」

 

 

 

 この電車の中で告白された願いは、決してキヴォトスに届くことはない。

 故に、小さな奇跡など望むべくもないだろう。

 

 いじっぱりな彼女の弱音は、生徒にも先生にも聞かれることはなく……。

 

 

 

 けれど。

 

 

 

「……その言葉を、聞けて良かった」

 

 

 

 ただ、対面に座る女性のみが、そう応えた。

 

 

 

「あなたが幸せになりたいと、生きたいと、そう望んでくれるのなら……。

 私も、私の本懐を果たすことができます」

「あなたの……本懐?」

「ええ」

 

 オリとそっくりの見た目をした女性は、けれどオリは絶対にしない、柔らかで温かな笑顔を浮かべる。

 オリにとっては見慣れたような……けれど少しだけ寂し気な、笑顔を。

 

 

 

「生きなさい、オリ。

 あなたの失敗の責、罪による罰は……私が負いますから」

 

 

 

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