小さな命の転換点、エピローグ。
キヴォトスの多くの自治区が協調して臨んだ虚妄のサンクトゥム攻略戦、そして空の彼方で行われたプレナパテス決戦。
あの戦いから、おおよそ3か月の月日が流れた。
長い冬を越えて、季節は春に。
桜が咲き誇り風に花弁を散らす、風雅な景色がキヴォトス各所で見られるようになった時分。
この頃には、キヴォトスはあの惨事で負った傷痕を埋め、その復興を完了させつつあった。
あの事件において最も大きな被害を受けたのは、キヴォトスの中央、D.U.地区。
唐突に落下してきた虚妄のサンクトゥムによって、キヴォトスの管制を行う連邦生徒会の中央拠点、サンクトゥムタワーは完全に消し飛ばされ、周辺にも巨大なクレーターができて。
更には、そこから這い出て来た多くの軍勢によって、周辺家屋や住民にも被害が及んだ。
他のサンクトゥムが寂れた地区や廃棄された区画に立ったのに対して、ここだけは市街地のド真ん中に発生したことにより、被害が大きくなってしまった形だ。
しかし、そんな混乱も、今はある程度の落ち着きを見せた。
周辺住民は、一早く事態を見て動き出したヴァルキューレ警察学校や連邦生徒会によって逃がされていたため、事件の規模に対して犠牲者はかなり少なく……。
3か月という時間と、今回「末端の暴走」とはいえ中央政権に対しクーデターを起こしたカイザーによる賠償と労働力の提供。
これによって、消し飛ばされた家屋やビルの建築は早急に進められ、今やサンクトゥムタワーを残すのみとなっている。
喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉通り、いつも通りの日常が戻って来たことによって、多くの住民がその恐怖を忘れつつあった。
被害に遭わなかったキヴォトス住民からは「アレは連邦生徒会によるマッチポンプだったのでは」、なんていう陰謀論まで上がり始める程で。
要するに、ごく一部の例外を除いて、キヴォトスにとってあの事件は過去のこと、終わったものとなったのだ。
……しかし、そのごく一部の例外にとって。
この事件で喪われたものは、決して無視できないものだった。
シャーレ主導で行われた、アトラ・ハシースの箱舟の落下予測地点捜索は、成果を生まなかった。
ただ一人、あの天空の要塞から戻らなかった生徒。
調月オリ。ミレニアムを統べる姉妹の片割れ。
彼女は3か月が経過した今も、行方不明のままだ。
連邦生徒会のリンからは、このまま100日が経過した場合は
……あの状況下で箱舟に残った以上、オリの死は殆ど確定していると言っていい。
それでもなお生徒会室長たちを説得し、3か月の間かなりの予算を引っ張って来ていた辺り、リンとて思うところがないわけではないのだろうが。
ミレニアムからも──正確に言えば調月リオ個人からも──多額の資金が投入されているが、それでも中央政権たる連邦生徒会からの予算程ではない。
このままであれば、捜査規模の収縮は避けられないだろう。
……このまま、あてもなく探し続けるのならば、の話だが。
* * *
タイムリミットが迫る中、その日、シャーレの先生が足を伸ばしたのは……。
ミレニアムの廃棄区画、「廃墟」だった。
アトラ・ハシースの箱舟落下予測地点は、D.U.外郭の海上。
当然ながら、そこから「廃墟」までは遠く、実に百キロメートル近い距離が開いている。
とてもではないが、今主題となっている調月オリの捜索に有効な場所とは思われなかったが……。
そんな常識に反し、先生は今、ここにオリを、そしてオリの痕跡を探しに来ていた。
非常に強力な、精鋭と言っていい生徒たちを連れて。
先行して進路上の安全を確認・確保する、ミレニアムのC&C部長、美甘ネル。
ネルのサポートを行いつつ、周辺の警戒と索敵を行うC&C部員、飛鳥馬トキ。
先生の傍で盾を構えてその身を守る、アビドス対策委員会部長、小鳥遊ホシノ。
殿の位置から後方警戒と退路の確保を担う、トリニティ元ティーパーティ、聖園ミカ。
廃墟地下へと潜りフロントで戦うそのメンバーに加え、地上部には通信拠点を設置して情報支援を行う生徒たちもいる。
ミレニアムの生徒会長、調月リオ。
そして同じく特異現象捜査部部長、明星ヒマリ。
ミレニアムの双天と言っていい頭脳2つが、此処に揃っていた。
『先生、聞こえますか? こちら超天才病弱美少女友人思いハッカー、明星ヒマリです』
“うん、聞こえてるよ”
『通信状態は良好ね。先日まであった、恐らくは預言者のものと思われる通信障害も確認できない。
状況は予測通り。それでは改めて、ナビゲートを開始するわ』
インカムから届く声に従い、先生たちは廃墟地下を歩く。
……先生たちは、あの虚妄のサンクトゥム事件の後で知ったことだが。
あのアトラ・ハシースの箱舟攻略戦とほぼ同時期、この「廃墟」区画内にあるダムが不明な原因で崩れ、全てを押し流すような勢いの洪水が発生していたらしい。
それを受けてか、かつてここに居座っていたデカグラマトンの預言者、ケテルとケセド。
彼らは既にこの廃墟を立ち去ったようで、預言者の手勢は確認できなくなっていた。
ここにいると推測されていたデカグラマトン本体と共に、洪水に押し流されたか、あるいはどこかへと撤退したのだろう、というのがリオとヒマリの仮説だ。
そのため、地下を探索する先生たちの前に現れるのは、どこかの軍需工場から漏れ出て来たのだろう、はぐれのドローンやアンドロイドが少数だけ。
その程度の敵が、先生が招集したメンバーの敵を今更苦戦などさせるわけもなく……。
彼女たちは非常にスムーズに、この廃墟を踏破していく。
……そう。
この程度の軍勢を相手するだけであれば、ネルやホシノ、ミカといった生徒に声をかける必要はない。
生徒たちのポテンシャルを把握している先生にとっても、それは既知の事実。
では何故、わざわざこのメンバーを集めたかと言えば……。
今回の仮想敵が、それらではないからだ。
調査開始から、おおよそ4時間が経過。
「廃墟」という言葉に相応しい様相の通路を進んでいく中で、インカムから声が聞こえる。
『反応が検出されているのはその周辺よ。調査してちょうだい』
「はいはい」
リオの言葉に、付き合いの長いネルが応える。
……が、しかし。
てきとうなようにも思えるその台詞に反し、ネルの声音には鋭い警戒が込められていた。
C&C、コールサイン
あるいは約束された勝利の象徴、美甘ネル。
その本懐がC&Cでの連携戦法であるからといって、彼女自身の単体戦力が低いかかと言えば、そんなことは決してない。
C&Cはそれぞれが自治区最強級の戦力、それらが連携することによって、少数精鋭で自治区防衛を可能としているのだ。
その部長たるネルの実力は折り紙付き。
それこそホシノと戦っても互角に近い戦いができる程に、美甘ネルの力は突出している。
そんな彼女が、少なからず警戒を抱いているということは、つまり……。
今回のミッションオブジェクティブが、それだけの困難を伴うことを意味している。
「……さて、鬼が出るか蛇が出るか」
そう、ホシノが呟いた、その時。
前方で、ガコン、ガラガラ、と物音がした。
何かが落ちたか……あるいは、何かを倒したような音。
聞いた瞬間、一行は駆け出す。
“ネル、次の通路! トキはその次の部屋!”
音の出元は、そう遠くはなかった。
真っ直ぐに続く薄暗い通路、見える限り道中にある分岐路は、右手の三差路と、その先の扉だけ。
飛ばされた指揮の下、ネルとトキは突出し、それらの先を確かめに走る。
先に辿り着いたのは、勿論ネル。
彼女は通路を覗き込むが……。
「いねえ!」
ネルが見た分帰路の先には、誰もいない。
がらんとした通路が続いているだけで、軽く見た限りにおいては、物音を立てそうなものも見当たらない。
ということは……その先の部屋こそ本命。
先に扉へと辿り着いていたトキは、ネルが追い付くまで一拍待ち、扉を蹴破る。
それに合わせてネルが部屋の中に滑り込み、クリアリングを行い……。
「……いねえ、クソ、逃げられたか!」
彼女の二丁の愛銃は、しかし誰もいない部屋に向けられていた。
ここにも、人影はない。
「先生、どうする! 近くにいるのは間違いねぇ、あたしが走るか!?」
焦るネルは、報告を挙げて指示を仰ごうとするが……。
「いえ、待ってください」
「あ? どうした新人」
それを、トキが留める。
続けて彼女は無表情のまま、じっとその部屋を観察した。
金属製ではあるが錆びたり傷だらけだったりする、経年劣化が窺える材質は、これまでに通ってきた通路と何も変わらない。
……が、その部屋には、これまで見てきた空間と違う点もあった。
使い古されたと思しき椅子、同じく細かな傷の目立つテーブル。
比較的新しく見えるベッドがあり、部屋の隅にはロッカーもあるところから見て、どうやら居室として使われていたらしいことがわかる。
更に良く見れば、他の場所には積もっていた埃が、あまり見られない。
部屋の隅の方に置かれた籠には、ボロボロの布きれ……にも見える、服がいくつか入っている。
机の上を見れば、かなり古い材質の紙の上に、まだ新しいように思える黒鉛で、何やら地図のような絵が描かれている。
それらを見れば、ここがつい最近まで使われていたことは、確かだった。
「…………」
その中で、トキが最も注目したのは、ベッド横。
積み重ねてあった小さなコンテナボックスの内、右半分が崩れている。
そのボックスの内、恐らくは蹴り飛ばされでもしたのか、数個は少し離れた場所に転がり中身を……セーフティのかかった、現代のキヴォトスではあまり見られない型式の銃がいくつか転がしていた。
先程聞こえて来た物音は、この部屋を使っていた者が、焦って蹴り飛ばしてしまったボックスが転がる音。
とすれば……この部屋を使っていた何者かは、恐らくは自分たちの接近に気付いて、焦って移動か何かしようとして、誤ってこれを崩してしまったのではないかと推察できた。
トキが指差して見せれば、ネルも得心したように頷く。
そうして……。
「なるほど、よく気付いた新人。
……んなつまんねぇミスするとは、アイツよっぽど焦ってたな?
てことは、あの力は使えねぇ……他に出口もねぇし、あたしたちが出て来るところ見てねぇっつうことは、この部屋の中にいるのは間違いねぇ、と」
そう、ネルが推論を立てた時。
ガタン! と。
部屋の隅にあるロッカーが、震えた。
「…………」
「…………」
咄嗟に銃を向けることすらなく、呆れた顔で顔を合わせるC&Cの2人。
ネルは頭をガシガシ掻いた後、ため息を吐きながらロッカーへと近づき……。
「出て来いやオラッ!!」
ガゴン! と。爆音を立てる勢いで、その側面を蹴り飛ばす。
実に1メートル程横へ吹っ飛んだロッカーはそのままに倒れ、その扉が勢いのままに開き……。
「ぐえっ」
その中からは、大量の埃と共に、一人の生徒が出て来た。
いつも着ているミレニアム指定のパーカーでも、有事の際に使うバトルドレスでもない、ボロ布のような貫頭衣を身に纏ってこそいるものの……。
その大きな体躯も、怜悧に纏まった美貌も、それに反して情緒豊かな表情も、見間違えようがない。
彼女は、先生たちがこの3か月探し続けていた生徒。
調月オリ、その人だった。
べちゃりと床に潰れた後、彼女はゆっくりとネルたちを見上げ……。
一度、大きく目を見開いて。
「お、お……」
かさついた唇を震わせ、どこか虚ろな目で……言った。
「……おなか、へった」
* * *
こうしてケイの提言通り、廃墟に現れた不明な生態シグナルの調査によって、調月オリは確保された。
多くの生徒の安堵の吐息と共に、調月オリの捜査は、成功の下打ち切られることとなったのである。