ミレニアムタワー、最上層の会議室にて。
1人の生徒が、多くの視線を向けられながら、独白を行っていた。
「というわけで私は、プレナパテス、あっちの世界の先生を救うためにアトラ・ハシースに残った。
ぶっちゃけ自分の生還は考えてなかったんだけど、先生と約束した手前、最後まで諦めず抵抗しようとして……結局、何もできなくて。
とにかく、何かできないかって、歩いてる内に意識を失って……。
それで、『あの子』に助けられた。生きろって言われて」
その生徒の名前は、調月オリ。
虚妄のサンクトゥム事件以来、その姿を消していた彼女は、昨日ミレニアムの「廃墟」で保護された。
意識を失った彼女は、ミレニアムに連れて帰られ、酷い消耗具合を鑑みて食事と睡眠を取らされ。
翌日である今日、お馴染みのミレニアムパーカーに身を包んだ、どこかすっきりとした表情の彼女はミレニアムタワーに招集されたのだった。
招集の名目は、勿論事情聴取である。
彼女は墜落するアトラ・ハシースにて「自力で脱出する」と主張してから、彼女は長らくの間音信不通の状態にあった。
どうやってアトラ・ハシースから脱出して生還したのか。そしてそれから3か月何をしていたのか。
それを聞かないわけにはいかなかった。
オリはその招集に、二つ返事で応じた。
抵抗することも、何か聞くこともなくこの場に現れ……。
そのまま、殆ど何も隠すことなく、正直に事情を説明し始めたのだ。
「そこからどうなったかはわからないけど、気付けば私は『廃墟』にいた。なんかスリープポッドみたいなのに入れられて、箱舟で負った傷は完治。神秘の喪失による体への負荷もなくなってた。
状況は掴めなかったけど、ひとまずなんとかミレニアムに帰ろうとして……『廃墟』の迷路の中で迷いまくって失敗。
このままじゃ無理だって思って、腰を据えて地図を作ってなんとかしようとして、そうなるとどうしても時間がかかっちゃって。
その間は、冷凍保存されてたレーションで食いつなごうとしたんだけど、その在庫もなくなって、いよいよ餓死寸前だった……って感じかな」
彼女が何故そうしたのかという動機。
そして動機が発生した理由となる彼女の感情。
それが発生するようになった所以と、これまでの人生に至るまで。
これまでに徹底して内面を隠し、表面を取り繕ってきた彼女は、しかし今、何一つとして余すところなく自らを明かす。
無二の恩人と別れる前の彼女ならば、そんなことは恥ずかしくてとても語れなかっただろう。
その判断も、経験も、人生も、悉く恥と間違いに塗れたもの。
それを明かすことは即ち、未だ疼く傷痕を誰かに晒すに等しい行為で……。
オリはこれまで、大切な妹にすら、それを許さなかった。
己のことは、己の内に。
全ての負を抱え込み、誰に漏らすことなく、そのまま燃え尽きる。
それが彼女の、これまでの最終目標だったから。
けれど、今、オリはそれを滔々と語る。
内なる痛みを仮面で隠し、高まる羞恥を噛み殺して。
その変化は、あるいは……。
最後に見た電車の夢の中で、「あの子」から言われた言葉の影響だったのかもしれない。
「『廃墟』は昼夜の違いなんてないから、あの日みんなが来た時、私は寝ちゃってた。
だから、近付いてきた足音がみんなのものって気付けず、ビックリして。いつもこの辺りをうろついてるアンドロイドかもって思って、咄嗟に隠れちゃった。
それで、ネルパイの顔を見て、安堵しちゃって……多分疲労とかも限界に来て、気絶しちゃった。
……以上が、私から報告できることの全部かな」
長く続いた彼女の報告を聞いていたのは、当事者に近い者たちだ。
ある意味ではこの件の中心でもある、シャーレの先生。
ミレニアムのビッグシスターであり彼女の双子の姉妹でもある、調月リオ。
同じくミレニアム、C&C部長であり、オリと個人的な交友関係を持つ、美甘ネル。
C&Cの部員であると同時、調月姉妹の従者でもある、飛鳥馬トキ。
特異現象捜査部から、その部長でありリオと犬猿の仲である、明星ヒマリ。
そして、アビドス高等学校から対策委員会部長、小鳥遊ホシノ。
「廃墟」でオリを救出したメンバーの内、慈善活動の時間と被ってしまったため来ることのできなかった聖園ミカを除く全員に加え……。
ゲーム開発部から天童アリス、そして彼女の内に宿るケイも、ここで話を聞いていた。
そうして語られた、彼女の半生を含むこれまでのこと。
これに対する、彼女たちの反応はまさしく十人十色で。
「……申し訳ありません、オリ。あなたのことを見誤っていました。
あなたがそこまで、自らに価値を置いていないことを……私は終ぞ、見抜けなかった。
そして、今更ながらに謝罪も重ねましょう。あの日、あなたにとって唯一信じられた存在を否定したこと、誠に申し訳ありませんでした」
いつもの余裕の笑顔をしまい込み、ヒマリは神妙な表情で頭を下げる。
全知を名乗っておきながら、昔馴染みの少女のことすら理解し切れず、彼女に対して然るべき言葉をかけられなかったことを、彼女の善性は強く恥じていた。
「オリ様……」
侍従たるトキは、沈痛に表情を歪める。
ずっとオリの隣にいた彼女は、オリの抱える闇の気配を薄々察していた。
しかし、オリの排他的な雰囲気が、侍従としての意識が、それへの言及を避けさせた。
……踏み込んで話をしていれば、何か変えられていただろうか。
そう思ったのは、彼女だけでなく。
「……ちっ」
ネルは小さく舌打ちし、視線を逸らす。
C&Cに引き込んでから、抱えるものを吐き出させればいい。
そう判断していたネルは、あまりにも遅くなり過ぎた勝利に、これまでの自らの不甲斐なさに、苛立ちを隠せなかった。
「オリ先輩、何度も言わせないでください! アリスたちはオリ先輩を必要としてます!
アリスには難しいことはわかりませんが……結果が変わらないとか、意味がないとか、そういうことではなく! アリスは、オリ先輩ともっとゲームをしたいです! もっとアイデアを出してほしいです!」
座ったオリに迫り、純心に告げるのは天童アリス。
彼女が求めるのは、結末の転換でも唯一の救済でもない。
ただ隣り合い、勇者の仲間として、小さなクエストを楽しむこと。
彼女は被害者としてでも、庇護対象としてでもなく、「仲間」としてオリにそれを求めた。
そうして、一度ぱちりとまばたきをし……。
瞳を赤色に染めた彼女は、僅かにオリから視線を逸らし、言う。
「……他のことについては、観測していないために不明ですが。
あなたが何も為せないかと言えば、それは否でしょう。
神秘の発散による奇跡の成就……今の私はその手段を肯定するつもりはありませんが。しかしどのような手段であれ、あなたは王女を……王女と私を守ってくれた。
……感謝を。調月オリ、あなたがいてくれて、良かった。私たちに、あなたは確かに必要だった。
ですから、どうか、もう……自分は必要ない、なんて思わないでください。私たちの恩人を、否定しないでください」
少しだけ気恥ずかし気に、同時真剣にそう告げたのは、アリスの中にいるケイ。
あの戦いでアリスとケイの2人は、ウトナピシュティムの本船に物体の再構築を行うことにより、主砲を構成したが……。
その際、本船によるカウンターハックが起動し、彼女たちに危害が及びかけた。
それを防いだのは、オリだ。神秘の発散……「子供の封筒」の行使により、それを受け止めた。
エリドゥの戦いでは、一度殺されかかったが……それはあくまでも、リオを悪者にしないための演技だ。
それを理解し、既に割り切っている彼女たちにとって、オリは恩人に他ならないのだ。
だからこそ、オリの自嘲を、聞いていられなかったのだろう。
彼女の表情は、薄く悲痛に歪んでいた。
「…………オリ」
小鳥遊ホシノは、複雑な心境でその話を聞いていた。
彼女は自分と同じ、だと思っていた。
3年前に命の喪失を目の当たりにし、苦痛を背負い込んでしまった、同じ境遇だと。
けれど、違った。
オリは、命の価値の喪失を、生まれた時から背負っていて……3年前の一件は、致命的な最後の一押しに過ぎなかったのだと、ホシノは知ることになった。
それに対し……残念と思う気持ちもある。
横に並んでいたように思っていたオリが、少しだけ遠くにいて……理解し合えないわけでも共に歩けないわけでもないが、それでも距離が離れてしまったように思えて。
不甲斐なく思う気持ちもある。
これまで3年もの時間付き合ってきて、決して少なからず知っていたつもりになっていたオリが、しかしその実態を別に置いていたこと。
薄々勘付きながらも、それに手を伸ばせず、気付けなかったことへのやるせなさが胸を締め付ける。
慰めたいと思う気持ちもある。
オリが無価値、などと。そんなことを、ホシノは決して認めない。
3年前に折れかけたホシノを支えたのは誰か。自分がここにいるのは誰のおかげか。
たとえ彼女が自分を明かしていなかったとしても、この3年間、共にあった時間は偽りではないはずだ。
その価値を誰も認めないというのなら、ホシノだけでもその価値と意味を認めたいと、そう思えた。
そして、それらと同時……納得の感情も、またあった。
オリの行動は、1年前、初めて先生と知り合った頃のホシノのそれの、まるで生き写しだ。
自分自身に多くの価値を見出さず、詰んでしまっている現状を打破する為、自己犠牲で済むのならそれで良しとして独断専行する。
……そうしてしまうくらいに、当時のホシノは追い詰められ、視野を狭めてしまっていたし。
オリは、あるいは自身以上に限界だったのだろうと、そう納得した。
そうして、オリの妹である、調月リオは。
「オリ」
ブーツの音を立て、彼女の姉であるはずの少女の前へと歩き……。
疑問の言葉を、吐き出すように口にする。
「……私は、あなたの、妹なのでしょう?」
「…………」
「私たちは、双子で。最後まで裏切らず、隣り合って生きると、そう約束したでしょう?」
「…………」
「何故、私に……その想いを、教えてくれなかったの?」
「…………」
「私はあなたにとって、そんなにも頼りなかったの?」
「…………」
オリは、答えない。
ただ黙って、対面に立つ少女を……。
リオの、初めて見る表情を、真っ直ぐに見つめた。
いつも血の色が失せたように真っ白だった肌は、今赤く染まり。
怜悧に細められるはずの瞳は見開かれて。
その口は……まるで子供のように、悔し気に結ばれている。
怒り。慚愧。後悔。寂寞。無常。
調月リオが、ここまで感情に支配されている姿を……オリは、初めて見た。
「答えなさい、オリ。私は、」
言いかけ、一度口をつぐみ。
数瞬の躊躇と恐怖を呑み下して、彼女は吐き捨てた。
「……あなたにとって、どうでもいい他人なの?」
「違うっ!」
バタンと音を立てて、オリの座っていた椅子が倒れる。
思わずといった様子で立ち上がった彼女は、咄嗟にリオに手を伸ばしかけ……。
……しかし、彼女の背後に腕を伸ばす寸前、それを止めて。
自分を見つめる、うるんだ赤い瞳から視線を逸らして……項垂れた。
「リオちゃんをどうでもいいなんて、他人なんて、思ったことないよ。
……いいや、思えなかった、んだけど。
本当は、判断を誤らないように、そう思わなきゃいけないと思ってた。リオちゃんも他の生徒も、そして先生も、全部等価値に見なきゃって……。
だから、もうリオちゃんを妹って思わないようにして。だから、本船でも普通に接しようって」
そう、オリは思い……。
けれど、失敗した。
「でも結局、私の意志なんてペラペラで。
最後に、私は願ったんだ。……またリオちゃんと、家族と、一緒に暮らしたいって」
リオと共に在りたい。
それは、あの夢の電車の中で、彼女が一番に抱いた願いだった。
オリは一度、荒く息を吐き……。
まぶたを閉じて、椅子に座り直す。
「……信じられないって、そう言われても仕方ない。
私はみんなを騙した。みんなに迷惑をかけて、手前勝手な目標のために利用した。
そこに関しては、今はちゃんと客観視できてる。どれだけ悪いことをしたか、理解できてると思う。
ごめんなさい。そこに関しては、みんなが許してくれるなら、後でちゃんと謝らせてほしい」
語りながら、自然と俯いていた彼女の膝の上に……ぽつぽつと、雫が落ちた。
「でも……今更信じてほしいなんて言えないけど、嘘じゃないんだ。
リオちゃんに向けてた愛情も、トキに向けてた友愛も、ヒマリに向けてた友好も、ホシノに向けてた親愛も、ネルに向けてた友情も、アリスに向けてた親交も……先生に向けた恋慕だって!
全部、全部、嘘じゃない。私が持てた、私に生まれた本当の気持ちなの!」
たとえ、生まれが歪みであっても。
たとえ、生に意味などないとしても。
それでも、調月オリが人生の中で獲得した、その感情が全て偽りになるわけではない。
オリは自らの胸を撫で……自分自身を確かめるように、ぽつりぽつりと言葉を吐き出す。
「……あの時、ようやく、気付けたんだ。
この十五年余り、辛いことも悲しいこともいっぱいあって、でも、楽しいことだって一杯あって。
だから私、もっと生きて、みんなと一緒にいたかった。みんなと一緒に、青春、してみたかった。
嘘と誤魔化しだらけの私だけど……この想いだけは、絶対、絶対、嘘じゃない」
それは、きっと。
調月オリがこの1年で吐き出した中で、最も深く、彼女の真実を語る言葉だった。
……許されることはない、と。
生まれてよりの妄執を「あの子」に奪われ、視野の広がったオリは、思う。
ただ一つの絶対の約束をすら破り、全てを押し付けたリオにも。
結局その勧誘を受けることなく、それどころかまともに相手もせず、逃げ回って来たネルにも。
侍従としての責務を優先させ、友人として見殺しにする選択肢を取らせたトキにも。
ずっとずっと心配してくれていたのに、それを突っぱねることしかできなかったヒマリにも。
親友などと言いながら、結局何一つすら真実を語らず、なあなあの関係を続けたホシノにも。
自分の目的を満たすためとはいえ、汚染するような言葉と思考を流し込み、その心身を酷く害しかけたアリスやケイにも。
そうして……。
「生徒を救うという本懐を果たすために、生徒を見捨てるしかない」という、最悪の選択を押し付けた、先生にも。
自分が許されることはなく。
自分が許されていいわけがなく。
……自分が許されるなんて、思えるわけがない。
故に、どのような処断も受ける覚悟で、オリは今日ここにいる。
彼女はあの本船に乗る前に、ミレニアムの退学届け、及びシャーレの退部届けを提出している。
調月オリは、もはや生徒ではない。守られる立場ではない。
行動には責任を。罪には罰を。
その当然の因果に、従わなければならない。
たとえ、それが。
彼女の抱いた、妄執ではないと確信できた、最初の願いを壊すことでも。
「でも……私は、」
……けれど、結局のところ。
「あ、……え?」
それを望む者など。
オリ自身を含め、ここに、一人としていなかった。
俯いて、前を見ていなかった彼女は、無警戒にそれを受けた。
感じたのは、温かさ。
次いで、ぎゅっと……決して強くないはずの、けれど振りほどけない力で、体を抱きしめられる感覚。
いつの間にか、彼女の頭に、首に、手が回され……。
オリは、リオに、抱き締められてた。
「いいわ」
「え?」
「それで、いい。そう望んでくれるなら、それだけで構わないの」
贖罪も、反省も、求めない。
彼女が求めるのは、ただ一つ。
「異なるキヴォトスがどうであれ、異なる時間軸の私がどうであれ、関係ない。
『この私』には、『あなた』だけなの。
あなたの隣で育ち、あなたに救われて来た調月リオには……あなたしかいないの」
調月オリが、孤独に死ぬことを望んでいたのなら……。
「あなたが望まないのなら、私は諦めたでしょう。
けれど……けれど、あなたがそう望んでくれるのなら。
私の隣で生きることを、望んでくれるというのなら……」
調月リオが望むのは、その真逆でしか在り得ない。
「お願い。どうか、私の隣にいて……お姉ちゃん」
それは、世界からの肯定と呼ぶにはあまりにか細く、小さく、少なく、そして弱々しく。
けれど……。
「っ、リオ、ちゃんっ……!」
一つの小さな命を救う、奇跡だった。
わあわあ、と。
抱き合う双子の姉妹は、嗚咽と共に、負の過去を清算していく。
零れる涙は温かく、確かに人の温度を宿して。
そうしていつしか、子供らしく泣き疲れるまで。
リオとオリは、互いの存在を確かめていた。
結末は転換され、小さな命の物語は続く。
夜が終われば朝が来るように、ページの記述が終わればまた次のページへと。
だからこれは……。
調月姉妹の、停滞の終わりで。
調月姉妹の、新たな始まりだ。
「小さな命の転換点」 fin
いくつかエピローグを語りまして、本編第一部完結です。