小さな命の転換点、エピローグ開始。
調月姉の明日
アトラ・ハシース攻略戦から、3か月。
調月オリは、ミレニアムサイエンススクールに復帰した。
「……あ、あれ? 私、退学届けと退部届け、出してたよね?」
学園に行くよう促され、混乱するオリに対し、リオは2つの封筒を手渡す。
彼女の遺言も兼ねた、リオと先生に送ったはずの届け出。
しかしそれらは、一度も封を切られることもなく、オリの手に戻って来てしまった。
「……本来、生徒会長としてあるまじき行動ではあるけれど、これは私の手で握りつぶしたわ。
シャーレの退部届けも、先生は見て見ぬふりをして、ミレニアムに郵送する書類に紛れ込ませてくれた。
どちらの届け出も受理、処理されていない以上、あなたの籍は、未だミレニアムとシャーレにある」
「そっ……か。ああ、そっか、そりゃあそうなるよね、うん。
……私、そんな可能性も見えないくらいに視野狭窄だったんだなぁ」
「強い目的意識は、時に人を盲目にするものよ。……私にも、覚えがあるわ」
2つの封筒を手に取り、軽くため息を吐くオリ。
プレナパテス決戦で、もう1人の先生を救った後……つまりは、自身が消えた後のこと。
オリはそれを、考えているようで、考えていなかった。
キヴォトスの皆に救いのあるようにと思いつつも、「そこから先のことは、私にはどうしようもないことだからなぁ」と諦めていたのだ。
自分勝手だな、私。
そう思い……今後改めなきゃ、と反省する。
オリは、「あの子」に未来を与えられた。
明日を、命を、可能性を……笑顔で託されたのだ。
である以上、その事実も含めて、過去に囚われてはいられない。
明日へ歩み、もっと良い自分になって、キヴォトスでの毎日を楽しみ。
そうしていつか、もう一度「あの子」に会った時、胸を張ってお話するのだと。
呪いでなく祈りを託されたオリは、もう道に迷うことはない。
「本当にありがとう、リオちゃん。
改めて……これから、よろしくね」
彼女の健気で可愛い妹に、とても綺麗とは言えない、あどけない笑顔で応えた。
ここ最近のオリは、体の調子を取り戻すためのリハビリと並列して、挨拶回りで日々を過ごしていた。
セミナーでユウカにガミガミ、ノアにチクチク、コユキにゲラゲラ言われたり。
エンジニア部でウタハから、珍しくしっかりと叱責されたり。
ヴェリタスのチヒロから、立場と能力に応じた責任について説教されたり。
ゲーム開発部で才羽姉妹に怒られ、アリスとユズに取り持ってもらったり。
……特異現象捜査部のヒマリには、「私くらいは飴側に回りましょう」と怒られることはなく、お菓子を摘まみながらお話をする程度で済んだけれど。
これまでの所業を許す対価として、色々な手伝いやリオへの口添え、あるいは一食分の奢りを頼まれ。
可能な範囲でそれらをこなして、日々を送る。
色んな部の活動を手伝い、リオとの関係を取り持ち、迷惑をかけたり謝ったり。
それはある意味で、これまでオリが送って来たものと同じ日常であり……。
けれど同時、これまでとは全く違う、極彩色の毎日だった。
キヴォトスの一員。
そう自覚して送る日々は、オリにとって新鮮なもの。
たとえ謝罪と贖罪ばかりの日々でも……それでも、どこか満ち足りていた。
そんなこんなで、なんとかミレニアム学内を回り終え。
次にオリが向かった先は、シャーレだった。
オリが他自治区よりシャーレを優先した理由は、3つ。
改めて先生に謝罪をしたかった、というのが1つ。
ミレニアムからシャーレに運び込まれたという「もう一人の先生」のその後を聞くため、というのが1つ。
そして……新たに発覚した、あの事件についての情報を伝えるため、というのが、最後の1つだ。
「結論から言うと、私が箱舟から『廃墟』に転移してたのは、連邦生徒会長のおかげだったみたい」
実に3か月ぶりに訪れた、シャーレ部室。
ソファに座り、先生の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、オリは説明を始めた。
「ケイちゃんが教えてくれたんだけど……ほら、デカグラマトンの調査の時、私が不覚を取って意識を失ったことがあったじゃん?
あの時、連邦生徒会長の子飼いだった狐共に血を、つまりは私の遺伝子情報を取られてて。
で、廃墟にある……なんだったかな、次元歪曲式の空間座標同一化装置? だかで、遺伝子情報を元に転移するよう、あの人が仕込んでたみたい。
ケイちゃんはその辺のシステムについての知識も豊富だから、私を見た瞬間、『廃墟』と繋がってるのがわかったらしくて。ちょっと不安定になってたシステムを安定化してくれたんだって。
全く、何が命の恩人だって話。ケイちゃんたちこそ、私の命の恩人だよ」
“そっか。今度、私の方からもお礼を言わないとね”
“ケイちゃんには、私がしっかりしろって怒られちゃうかもしれないけど”
オリの説明に、先生はいつも通りの調子で答えた。
つい先程、真摯な、嘘も誤魔化しも一片たりとも含まない謝罪を受けて、しかし先生の態度はなんら変わることはない。
生徒がどのような間違いを犯しても、どのような失敗をしたとしても、あるいはどれ程成長したとしても。先生が生徒に向ける感情は揺らがない。
それがまさしく、あのエリドゥでの戦いの前に……いいや、もっともっと、エデン条約の前にまで戻ったように思えて。
あるいは、先生と関係をやり直せる可能性を、明日を得たように感じられて。
「それなら一緒に行こ、先生」
オリは無性に、嬉しかった。
しかし、その感情をすぐに表に出せる程、彼女は素直な性格ではなく。
気恥ずかしさから、すぐに視線と話を逸らしてしまう。
「いやあしかし……相変わらず底知れないというか。
キヴォトスを立ち去る時点で、私がこの道を選ぶことも、一手足りずに帰れなくなることも理解してたんだよ、連邦生徒会長。先読みの化け物じゃない?
しかもさ、あの日あの時に私が『廃墟』に来るって分かって狐共を待機させてるんだもん。
もう私以上に未来のことわかってるじゃん、って感じ!」
……実のところ、この連邦生徒会長の策には、一つの外的要因も関わっていた。
当時既にゲマトリアの一員であり、仮死剤を行使することで表に出ることのできた、オリヒメ。
彼女が将来的に自己犠牲に走るだろうオリを救うため、連邦生徒会長に要請し、調月オリの思考回路や精神性について語って聞かせていたのだ。
とはいえ、それだけでここまでの未来を見通すことができたのは、間違いなく連邦生徒会長の超人っぷりを証明する功績足り得るだろうが。
そんなことは知り得ないオリは、「やっぱあの人おかしいわ」と肩をすくめつつ……。
先生に……正確には、先生が机に置いていたタブレットに歩み寄り、にやりと笑いかけた。
「すごいよねぇ……ね、アロナちゃん」
タブレットからは、反応に困るように、ぽろぽろと青い粒子が漏れている。
内部にいるスーパーAIアロナちゃんは、恐らくはオリに何か苦言を呈しているのだろう。
が、それはオリには届かない。
「あはは、ごめんねー声聞こえないや!
シッテムの箱の持ち主である先生、あとは向こうの世界の先生とA.R.O.N.Aちゃんにしか、君の声って聞こえないっぽいからねー」
面白がるように言い、改めて席に戻ったオリは、ふと話に出た者たちについて尋ねる。
「あ、そう言えば、あっちの世界のA.R.O.N.Aちゃんってどう呼ぶかもう決まった?」
“うん、「プラナ」って呼ぶことになったよ。もう一人の私は……”
先生がその名を呼び掛けた時。
シャーレの部室のドアが、音を立てて開かれる。
“フレナパティ……「パティ」と。今はそう名乗ってるよ”
入り口を潜ったのは、一人の大人。
キッチリとしたスーツ姿に、片手には弾痕の残るタブレットを持ち……。
しかし、何よりの特徴は、頭に被った仮面だろう。
すっぽりと頭を覆ったそれは、どこかプレナパテスを思わせる、しかし笑顔を象ったものだ。
少なからず奇怪にも思える外見の大人は、しかしフレンドリーに手を挙げてみせた。
“やあ。調月オリ……リオのお姉さん、でいいんだよね”
“また君に会えて嬉しい。たくさん、話したいことがあったんだ”
更に、その大人に続いて、一人の生徒が入室する。
オリの見慣れた彼女でなく、けれど確かに知っている生徒。
髪を長く伸ばし、後頭部のヘイローは割れ、けれど極端に白かった肌色は少しだけ血色を取り戻して、虚ろだった瞳には光を取り戻しつつある少女……。
シロコ*テラー。
彼女はオリをその視界に捉えると、ビクリと体を震わせ、どこかいたたまれなさそうに俯く。
その2人を、そして赤い粒子を漏らすタブレット端末を見て……。
「……そっか、良かった」
オリは、柔らかく、微笑んだ。
プレナパテス。
異なる世界からやってきたもう一人の「先生」。
その大人は今、「フレナパティ」と名を変え、シャーレの事務員兼助っ人として働いているらしい。
“この世界の私と生徒の関係に、土足で上がり込むわけにはいかないからね”
“「シャーレの先生」ではなく「シャーレの事務員」として働かせてもらってるよ”
「そっか……うん、先生、じゃなくてパティさん? がそれでいいなら、私もそれでいいかな」
答えつつ、オリはぼんやりと考える。
「あの子」曰く、先生は「絶対者」。
ただ一人、他にない者。だからこそ、運命を変え得る主人公。
あるいは、元プレナパテス……パティは、「シャーレの先生」が並び立つことを避け、この世界の破綻の回避を試みているのかもしれない。
……定まった運命と破綻の回避、つまりは転換。
オリにはこれまで、ただ二度の例外を除いて、殆ど叶わなかったことだ。
「あの子」は「自分と別れれば、オリはキヴォトスの生徒の一員、この世界の一員となれる」と語っていたが……果たして、今のオリはそうなれているのか。
なれているとして、未来を知るオリは、それを歪めることはできるのだろうか?
……わからない。
わからないからこそ、これから色々と確かめていこうと、オリは思う。
定まった命の限界、タイムリミットは取り払われた。
今のオリは、いくらでも時間を使えるのだから。
思いを巡らせていたオリに、パティは居住まいを正し、正面から向き合って言う。
“……改めて、ありがとう、オリ。君のおかげで、私たちは救われた”
“シロコのこと、アロナ……いや、プラナのことも、気遣ってくれたんだよね”
“その代わり、君に、とても迷惑をかけてしまったと聞いた。私たちのために、無理をしたと”
“だから、ありったけの謝罪と感謝を。これから何かあったら、声をかけてほしい。きっと力になるよ”
パティはそう言い、頭を下げる。
「シャーレの先生」でなくなったパティは、どうやら幾らかの「偏り」を許されているらしい。
勿論、パティが先生であった存在であることは変わらない。
生徒たち全員に、無尽の愛情を持っていること自体は変わらないのだろうが……。
特定の生徒に対して、少しだけ肩入れをする、くらいの自由はあるのかもしれない。
なんとなく新鮮な思いで、その言葉を聞いていると……。
パティの隣に座っていた彼女も、言葉を発する。
「私からも、感謝させてほしい。
世界を滅ぼそうとした私を、私たちを……先生を、救ってくれて、ありがとうっ……!」
頭を下げる彼女の言葉には、堪え切れない嗚咽が含まれた。
俯き、ぼたぼたと涙を流すシロコ*テラーを、パティが支える。
「もう、もうっ……先生と、話すことはできないと、思ってた……。私のせいで、先生は死んじゃって、もうどうしようもないんだって!
でも、先生は、先生は生きてる。話もできるし、ごめんって謝ることもできる!
ありがとう、本当に、ありがとう……っ!」
涙ながらに感謝を告げるシロコに、オリは薄く微笑んだ。
箱舟で取った選択を、オリは今、正しかったとは断言できない。
リオを悲しませた。先生に辛い選択を強いた。
……「あの子」が、逝ってしまった。
その上でなお「私は間違っていなかった」なんて言える程、彼女の面の皮は厚くない。
けれど……。
正しくない選択の結果として、得られたものもあり。
彼女がずっと望んでいた「
「少しでも2人……いや、3人の救いになれば、私も嬉しいよ」
それに、微かながらも達成感を覚えるのは……果たして、間違いだっただろうか。