キヴォトスの中でも仄暗い商売人たちが集まる無法地帯、ブラックマーケット。
中央政権たる連邦生徒会の管制も行き届かないここでは、毎日のように不法なやり取りと不条理な暴力の嵐が巻き起こっている。
勿論、治安は最悪の一言だ。
武力に長けた生徒でなければ、この地区に立ち入って5分以内にスケバンやらヘルメット団やらに絡まれたり、悪い大人によってよくわからないものを押し売られたりすることになる。
控えめに言って、真っ当な生徒が立ち入るべきでない危険地帯である。
……が、その危険性が広く知られているが故に、逆に危険でないという側面もある。
ここに立ち入ろうとするのは余程武力に自信があるか、相応に重い目的があるか、性質的にアウトローな生徒だけだろう。
そしてブラックマーケットの住人たちも、不必要に外に手を出して連邦生徒会に本格介入されても面倒なため、問題は内部で片付けるという暗黙の了解がある。
外からお客さんが来ることも少なく、内から問題が漏れることもそうない。
つまるところ、不用意に立ち入りさえしなければ危険はないのだ。
……より正確に言えば、キヴォトスでは犬も歩けばカツアゲに当たるので、常に危険はある。その確率が外と中で一桁違う、というだけなのだが。
そして、そんなブラックマーケットの一画。
新築らしい3階建てのビルの中で、一人の少女が口を開いた。
「さて……今日はよく来てくれたね。
ようこそ、傭兵派遣企業『壊し屋オリオン』へ。君たちの就職を歓迎しよう」
余裕ある表情で声を上げたのは、肩までの艶やかな黒髪に、綺麗な青の瞳とヘイローを持つ少女。
いつものミレニアム指定のセーターではなく、私服らしい白のボーダーシャツに黒のロングスカートを身に付けた少女は誰あろう、ミレニアムの不条理の化身、調月オリだ。
「さて、まずは自己紹介からしてもらおうかな。今日から仲間になるんだ、仲良くしよう!」
彼女はデスクの上で腕を組み、目の前に座った2人の少女を見やる。
彼女の言葉に最初に応えたのは、オリから見て右の椅子に座った少女。
深い紺のキャップとマスクを身に付け、白いロングコートを羽織った彼女は、コクリと頷いて口を開いた。
「錠前サオリだ、よろしく頼む。
今のところ、特定の学校に所属してはいない。得意は屋内でのゲリラ戦法、破壊工作。要求は特にない、報酬さえもらえれば何でもするつもりだ」
彼女は錠前サオリ。
元アリウス分校、アリウススクワッドと呼ばれる精鋭チームのリーダーだった少女である。
エデン条約での動乱の元となったアリウス分校だが……。
既にこれは、トリニティ主導の下、解体されていた。
アリウス解体作戦の際、トリニティと連邦生徒会の監査の結果、この自治区からは生徒たちによる自治能力が喪失していることを確認。
正確にはどの自治区にも属さない立地ではあったが、トリニティに程近いこともあり、アリウス自治区はトリニティの一分派として組み込まれ……。
扱いとしては、属国や植民地に近いものとなった。
しかしそうは言っても、手酷い扱いを受けているわけではない。むしろ逆だった。
シスターフッドからの強い反発、ティーパーティからの要望によって、アリウス自治区の接収は叶わず。
この自治区は、トリニティの監視下という条件下ではあるが、今までと変わらず独自の自治区として運用される予定となっている。
現在はそのために、元アリウスの生徒たちへの各種教育、衛生的な居住区の整備が行われており。
アリウス解放からおおよそ半年経った今、大半の元アリウス生たちは事件の傷痕を引きずりつつも、平穏な暮らしを手に入れつつあった。
しかし、あの激しい動乱だ。この例に漏れる者もいる。
その筆頭が、アリウス生たちの中でもエリートであったアリウススクワッド。
彼女たちはアリウス分校に戻ることなく、キヴォトスの各地で様々な仕事をこなしつつ放浪しており。
特にそのリーダーであったサオリは、他3人からも離れ、ブラックマーケット周辺を拠点として自分探しを行っていた。
勿論、そんな暮らしが安定するわけもなく、ずっとアリウスに籠り切りで常識を知らなかった彼女は、小賢しい大人によって騙されたり搾取されることも多かった。
アリウススクワッドをこっそりと支援しているシャーレの先生は、それに苦慮しており……。
そんな先生がサオリに直々に提案してくれた仕事こそ、今来ている職場、調月オリが新設した傭兵派遣企業「壊し屋オリオン」だった。
「シャーレの先生から薦められた職場だが……まさか、生徒が長をしているとは思わなかった。
とはいえ、従うことに否はない。私を便利に使ってほしい」
思ったことを素直に告げるサオリに、オリは苦笑を避けられない。
かつては先生の敵として、オリにとっては強い憎しみの対象であったサオリだが……。
既に先生と敵対関係ではなくなっていること、そして「あの子」が強迫観念を持って行ったことにより、現在はフラットに彼女と付き合うことができていた。
そしてそんなオリから見て、サオリはなんとも不安になる生徒だ。
卑怯であくどい大人を知っているオリからすれば、まだまだそれらに不慣れなサオリは、いつどこで騙されるかもしれない幼子のようにすら思えた。
ベアトリーチェとかいうドブカスから解放され、ミカから許され、先生から生徒と認められたサオリ。
しかし、自分のいない時間軸のキヴォトスの話を聞かされたオリは知っているのだ。そんなサオリがブラックマーケットで大きな困難を背負うことになるのを。
オリはサオリと殆ど接点がないが……彼女がアリウス自治区でたくさん苦労してきたことを知っている。
そんな子を見捨てるというのも気がとがめたため、今回オリが作ることとなった会社からスカウトをかけることと相成ったのだ。
勿論、そんな経緯であるため、オリとしても彼女への報酬を惜しむつもりはない。
リオが整えてくれた条件をそのまま伝えることとした。
「うん、よろしく。その力を買ってのスカウトだからね、是非ともその手腕を振るってほしい。
勿論、給金は弾ませてもらうよ。初任給として原則毎月20日に額面50万円、手取りで大体40万前後。
加えて夏季冬季ボーナス有り、年間有給は10日って感じになってるけど、大丈夫かな?」
それは、はっきり言って破格に過ぎる条件だった。
そもそもブラックマーケットで正規雇用などほぼあり得ない。
その時々に単発の仕事を受けて、然るべき報酬が支払われればまだ良い方で。
決して低くない確率で依頼人が踏み倒しに来たり難癖を付けに来たりする。
安定した報酬など夢物語というのがブラックマーケットの現実だ。
それなのに、「壊し屋オリオン」ではきちんと月給が払われるし……。
月に50万というのも、相場の数倍だ。
サオリがこれまでに受けて来た仕事に比べても、信じられないくらいの好条件だった。
「……多くの報酬を貰えることは嬉しい。しかし、それに相応しい働きができるとは思い難いが」
「んんっ、正直だねぇサオリちゃんは」
思わず失笑しかけ、咄嗟にオリはそれを抑える。
だいぶ自分の立場を不利にしかねない発言ではあるが、そういう素朴さは割にオリ好みだった。
一度こほんと咳払いし、彼女は改めて話し始める。
「まあ……正直に言えば結構大盤振る舞いだ。出血大サービスってヤツ。
でも、うん。君がこれまで味わってきた苦痛、背負ってきた責任の対価としては安いんじゃないかな。
ね? ……アリウススクワッドのリーダーさん」
ガタンと音を立てて椅子が倒される。
咄嗟に立ち上がったサオリは、肩から掛けていた愛銃に手を添え、いつでも構えられるよう控えた。
警戒を伴う臨戦態勢。
オリはそれを見て、穏やかな笑顔のままに声をかけ続ける。
「まあまあ、落ち着いてよ。
私は君がアリウススクワッドだって知った上で、こうしてスカウトをかけてるし、この金額を提示してる。
先生からの紹介ってことも加味すれば、私が君を騙そうとしてるわけじゃないって、多少なりとも信頼してもらってもいいんじゃないかなー」
「…………それは、そうか」
サオリはあっさりと警戒を解き、椅子を立て直して座ってしまう。
やはりどこまでも素直で純朴だ。長い時間ベアトリーチェの洗脳の下にあった弊害か……あるいは、先生への強い信頼故か。
しかし、今に限ってそれはオリに追い風だ。
申し訳ない気持ちはあるが、別に騙すつもりもなし、利用させてもらうことにした。
「君は確かに悪いこともしちゃったけど、これまで頑張ってきたことも嘘じゃないはずだよ。
キヴォトスが君の鞭になるなら、私くらいは君の飴になる……っていうのは、私の友人からの受け売りだけど、そんな感じ」
「…………」
「なは、信じられない? それは良い警戒心だよサオリ、特に先生以外の大人に対してはちゃんと注意を払っておかないとね」
当然と言うべきか、サオリも日々成長しているのだろう。
半年の苦難の経験は、彼女に多少の疑いを持たせるに至った。
子供としては悲しいことのようにも思えるが、キヴォトスで、特にブラックマーケットで生きていくことを考えれば、これは確かな成長と言えただろう。
「ただまぁ、私と、それからあともう一人の子はねぇ。ぶっちゃけサオリと同じかそれ以上の罪人だし。
せめて傷は舐め合わないと、一人じゃキツいものがあるじゃん?」
「罪人?」
眉をひそめておうむ返しに尋ねるサオリに、オリは何故か胸を張って答えた。
「私、調月オリ! ミレニアムの生徒会長の脅迫と犯罪教唆、百億単位の資金横領及びそれを用いた不法な都市建設、そして生徒の殺害未遂までした凶悪犯!」
「!?」
思ったよりも凄まじい前科の羅列に、サオリは度肝を抜かれる。
更に……オリから見て左に座っていた、もう一人の新入社員が口を開く。
「ん……私は」
「あっちの世界はカウントなしでいこう」
「それなら、故意にキヴォトスを滅ぼしかけた。……この場合、罪状ってどうなるんだろう」
「うーん、正直自治区どころか世界相手の犯罪とか前例ないから難しいな。シロコはアビドス生だし、それ考えたら内乱罪と外患誘致罪と外患援助罪?
いやしかし、別に例の件の元凶は外患じゃないか? うーん……」
とんでもない規模の話に、サオリは唖然としてしまう。
「…………ジョーク、か?」
「いやガチだが?」
「連邦生徒会に聞けばわかるよ」
真顔で言ってくる2人に、サオリは「なんだと……?」と混乱を極める。
クーデターの戦力的幇助と二自治区の要人への攻撃。
サオリが犯した罪が、比較すれば軽く見えてしまう。
決して軽いわけもないのだが……というか非常に重いはずなのだが。
眉根を揉み自身の常識を疑うサオリに、オリは笑いかけた。
「ま、3人で贖罪も兼ねて、キヴォトスの需要を満たしていこうよ。
コツコツ焦らず、平穏な毎日を過ごしながらさ」
「それじゃ、改めて3人目も自己紹介よろしく!」
「ん」
一つ頷いてオリの要請に応えたのは、長い白髪を携えた少女。
華美な黒いドレスを身に纏った、大人のようにも思える見た目の彼女は、淡々と語った。
「砂狼シロコ。所属勢力は……一応、アビドス。得意は、クロスファイアと大物狩りかな。要求は、できればアビドスと事を構えたくはない、ってことと……」
砂狼シロコ……正確に言うなら、シロコ*テラー。
彼女もまた、パティを通してオリにスカウトされていた。
オリとしては、箱舟で彼女と戦ったことで、その高い戦闘能力を知っていたし。
サオリと同じく、パティ以外に頼りもない状態で彼女を放り出すことを良しとはできなかった。
一方でシロコの方も、当面暮らしていくためには資金が必要であり、安定した仕事を求めていたし。
命2つ分という莫大な恩を、少しでも返したいと望んでもいた。
そんなわけで、両者共に望んだ形での雇用と相成ったが……。
シロコとしては、今回の件は何も訊かずに黙って従うというわけにもいかず。
条件という形で、オリに質問を投げかけた。
「……訊かせてほしい。
この会社を、『壊し屋オリオン』を設立した意味は、何?
何か、キヴォトスに、その未来に干渉するために、これが必要なの?」
シロコ*テラーは元プレナパテスことパティと共に、この世界の先生からオリについての話を聞いている。
一人の大人により、キヴォトスの未来についての知識を与えられた少女。本来は存在できないはずの、調月リオの対極にいる彼女の姉。
そして、オリは虚妄のサンクトゥム攻略作戦以前も、この世界のままならない悲劇を塗り替えようと誰かのために奔走していた、ということも。
シロコ*テラーは、調月オリを直接は知らない。
この世界のシロコと違って、出会ったのはあの箱舟が初のことだった。
けれど……もう一人の自分があれだけ懐いているとなれば、ホシノがあれだけ信頼しているとなれば、理解できることもある。
調月オリは、善い人なのだろう。
少なくとも、自分の知り得る範囲で起こり得る悲劇を見逃せない程度には。
だから、シロコは救われた。
それに、シロコの先生も……パティも救われた。
シロコがオリを知らないように、オリもシロコを知らないのに。
それでも、「知っているから」という理由で、彼女は手を伸ばした。
それがたとえ見捨てる罪悪感を避けるためでも、自らの自己肯定感を上げるためでも……。
彼女が命を懸けて、他者の救済を為したことは、変わらない。
故に、シロコはオリに深く感謝しているし。
何かあれば助けになりたいと思ってもいた。
もしもオリが、何か大きな目的と理由を持ってこの会社を立ち上げたのなら、シロコはどこまでも協力しようと思っている。
今やシロコ*テラーも、このキヴォトスに受け入れられた住人の一人。
ならば、オリが先程語った通り、贖罪も兼ねてこのキヴォトスのために尽くすのは決しておかしな話ではないはずだ。
そう思い、覚悟を固めていたシロコに……。
オリは、視線を逸らし、言葉を返した。
「ああいや、えっと……そういう感じじゃなくて、うん。
勿論今後、2人に手を貸してもらうこともあるかもだけど、そのう、今回はただ私がやってみたかっただけ、といいますか。
ほら、会社やってる大人ってカスばっかじゃん? そんな中、一つくらいは生徒フレンドリーでマトモな会社があってもいいかなーとか……いやこれはただの後付けか。
まあ、社会経験と興味、2人のサポートも兼ねてるけど、結局は……私ってこれまでずっと引きこもりだったからね、ミレニアムの外で色々してみたかったってだけだ。
たはは、お付き合いいただくシロコちゃんたちにはちょっと申し訳ないけど」
自然に浮かんだのだろう、オリは気恥ずかしそうな笑みを浮かべる。
彼女が「すべき」ではなく「やりたい」を基準として行動を起こすのは、これまでを基準に考えれば、これがなかなかに稀なことで。
そして同時、何より調月オリらしいことだった。
それはうるんだ上目遣いの視線と甘えたお願いを合わせ、妹たるリオの心を動かし、出資金を出してもらうには十分であり。
更に言えば、目の前にいる、オリに救われた少女に微笑みを浮かべさせるにも十分だった。
「……うん、いいんじゃないかな、それで。
やりたくないことを、しなきゃいけないからやるんじゃなくて……やりたいことを、やりたいようにやる。
その方が、ずっと私たち向きだと思う」
誰かの憎しみのために、歪んだ使命を持たされた少女。
自らの本質のために、世界を滅ぼすことを強いられた少女。
そして、自らの存在証明のために、命を投げ出しかけた少女。
彼女たちにとって、キヴォトスでのセカンドライフは、多少自分勝手なくらいが丁度良いのかもしれない。
……ただし。
「よぉし、それじゃあ早速、売名も兼ねてカイザーの銀行潰しに行こう!」
「任せて。ブラックマーケットの銀行と逃走経路はちゃんと覚えてる」
「いや、待て……それは普通に犯罪じゃないのか? やって大丈夫なことなのか?」
パッションモンスターとナチュラルアウトローという2人の怪物のブレーキ役を担うことになったサオリの気苦労は、絶えないかもしれないが。
「壊し屋オリオン」
ブラックマーケットに拠を構えると噂の新興傭兵派遣会社。
謎の剛腕リーダー、コードネーム「シスター」に率いられた少数精鋭によって構成されており、他には総合力が高くブレーキ役も兼ねる「バイター」、用意周到かつ冷静沈着に事をこなす「ビジター」といったメンバーが確認されている。
それぞれ「S」「B」「V」という文字の刻まれた目出し棒を装備しており、正体は未だ不明。伝説のアウトロー集団「覆面水着団」との関与が疑われている。
(出典:クロノススクール報道部「月刊クロノス」)