「……まず、」
カッ、と。
目を焼く光が、ミレニアムタワーの一角を埋め尽くす。
アカネが投げたフラッシュグレネードの閃光に対し、オリは咄嗟にまぶたを閉じるが、間に合わない。
なんらかの策があるとは察しつつも、あまりにも近い距離、予想の外にあった兵器の登場といった不利条件が重なった結果、その光は見事に彼女の網膜を焼いた。
「ぐっ……!」
オリの身体能力は、キヴォトスでもトップクラスに優れている。
……が、それはあくまで、能力が高いというだけだ。
強烈な感覚刺激によって一時的に起こされるショックまで、無効化できるわけではない。
オリの視覚はホワイトアウトした後、情報の処理をボイコット。
その視覚は、一時的に封じられた。
やられたな、と。
混乱する頭を落ち着かせながら、オリは一周回って冷静に考える。
どうやらアカネは、オリの弱点を理解していたたしい。
「ダメージは通らずとも、スタンやノックバックは通る」……。
これはオリが度々口にするキヴォトスの住人についてのフレーズだが、オリにもまた生徒である以上、ある程度軽減することはできても、完全にこの例から漏れるわけではない。
故にこそ、真に恐れるべきは直接的なダメージではなく、間接的な状態異常。
眩暈、失神、五感の封鎖や平衡感覚の喪失などの、脳に由来する障害。
それこそがオリの最大の弱点であり、彼女はいつも、そういった事態に陥らないよう警戒していた。
だが今回は、いくつもの策によって思考の幅を削られた上、見慣れたグレネードの外装を繕っていたことによる「受けても問題ない」という思い込みも重なって、ほぼ無抵抗に喰らってしまった。
それでも、本来は失神や失明してもおかしくない距離で光を浴びながら多少の混乱で済ませている辺り、彼女の体質の強さは出ているのだが……。
それでも、大きなディスアドバンテージを背負ってしまったことは間違いない。
勿論、フラッシュグレネードはあくまで非殺傷用の兵器。それ自体は致命打にならない。
今は完全に視界を塞がれてしまっているが、オリの体質の都合上、それこそ1分もすれば完全に視界も戻るだろう。
故に、アカネは痛みの残る体に鞭を打ち、オリに向かって走った。
銃弾は効かない。手榴弾も有効打にならない。
アカネの持つ遠距離攻撃は、おおよそ意味を持たない。
勿論、近接格闘でも勝てる気はしない。単純に攻撃が通る気もしないし、あのパワーの拳を受ければアカネは長くは戦い続けられない。
アカネに残された手は、このミレニアムタワーにしかけた大量の爆弾だけだ。
それもただ当てるのではなく……直撃させ、その爆風によってミレニアムタワーから突き落とす。
それ以外に、アカネはオリに有効打を与える手段を持たない。
オリの傍、曲がり角の中にも1つ、爆弾がしかけてある。
だが……フラッシュグレネードが起爆した瞬間、オリが僅かに前に跳び出したからだろう、位置が悪い。
このまま起爆すれば、直撃こそすれど、タワーから落とすことはできない。
故に、アカネは決意する。
目が眩み、まともに抵抗もできないだろうオリをタックルで押し込み、そのまま起爆することを。
最悪、オリ諸共アカネも跳ね飛ばされ、落下する羽目になるかもしれないが……それでも構わない。
この程度の高さなら、入院するくらいの重傷にはなれど、そうそう死にはしないはずだし……。
オリに大きなダメージを与えれば、後は頼れる同期のスナイパーと直感が鋭すぎる先輩が、オリを打倒できるはずだ。
あの時とは……オリの瞳に怯えて自分の恐怖から銃を抜いた時とは、オリを逃がしたことにむしろ安堵してしまった時とは、違う。
今のアカネは、C&Cのメイドであり。
ミレニアムの治安を守るエージェントであり。
敵を排除するために手段を選ばない掃除屋だ。
彼女はその矜持に、自らが自らであるという自意識に、全てを懸けている。
故に、傷を恐れることはない。
室笠アカネは徹底して、己の力を使い、何かに尽くす者なのだから。
そうして、アカネはオリの元へと全速力で走り、肩からタックルをしようとして……。
「惜しい」
次の瞬間。
より正確には、次に気付いた瞬間には……。
壁に、叩きつけられていた。
酷く脳が揺さぶられたからか、状況の把握ができない。
自分はオリに体当たりをしようとしていたはず。
それが何故、今、壁を背にして倒れているのか。
……まるでそれを説明するように、アカネの元に声が届く。
「惜しい。本当に、本当に惜しかったよ。
策を重ねて、判断力を奪って、偽装して一度安全だと思わせた武器で、五感を奪う。
うん、完璧な私メタだったよ、アカネ。見事と言う他ない」
酷い耳鳴りと、ブレた視界の中に、ゆっくりと近寄って来るオリの姿が映る。
ゆっくりとアカネの焦点が合っていき……その目に映ったオリは、まぶたを、下ろしていた。
されど、その足取りは確かで、少しも不確かなところがない。
何の問題もないとでも言うように、彼女はその腕を広げて、アカネに歩み寄る。
「でもさ、知らなかったんだろうけど、私は目だけで戦ってるんじゃないんだよね。
聴覚とか嗅覚も結構鋭いんだよ。特に聴覚の方は、それこそ周囲10メートルくらいなら完璧に聞き取れる自信がある。
フラグレだけじゃなくてスタグレとの併用なら、もうちょっとヤバかったかな。……まぁ、目を潰された時点で足元の爆薬の匂いは勘付いたし、それだけで勝利にまでは行けなかったと思うけども」
アカネの、立ち上がろうとする足が、震える。
恐れではない。怯えでもない。ただ、生物としては当然の、脳への衝撃による混乱故に。
今すぐに立ち上がり、抵抗せねばならないと、せめてその姿をみせなければならないと。
いくらそう思おうと、彼女の体は自由に動いてくれなかった。
「……無理しなくていいと思うよ。今日のアカネは本当に手強かった。敢闘賞、点数付けるなら90点だ。
大丈夫、これなら来年のC&Cは十分安泰だ。君とカリンでミレニアムは守っていけるさ」
オリが、アカネに近づいてくる。
トドメを刺すために……あるいは、これ以上無理をさせないために。
オリは強者との戦闘を好む質ではあるが、だからと言って、無駄に相手を傷つける嗜好はない。
戦いはあくまでも互いの戦闘技術をぶつけ合い、どちらが上かを試し、自分だけでは知り得なかった穴を知り、もっと強くなるためのもの。
戦闘不能になった者を過度に傷つけようという意思を、彼女は持ち合わせていない。
だからこそ、オリは完全にアカネの意識を刈り取り、彼女のこれ以上の無理をさせまいとしているのだ。
そうして、ついには直接抱き締められるような距離に入り、オリの手がまともに抵抗できないアカネの首に触れる。
それは、決して力の入っていない、優しい手付きだった。
既に戦いは終わり、オリにとってアカネは敵ではなく可愛い後輩の1人となった。
故に、オリは彼女に敵意を向けるようなことはなく……。
……そして、それは。
奥歯に仕込んだスイッチを強く噛みしめるアカネにとって、これ以上ない垂涎の展開だった。
* * *
ミレニアムタワー。
2階下まで突き抜けてフロアが崩れ去り、瓦礫とガラス片と機械だった残骸の散らばる、もはや廃墟にすら見える区画にて。
オリは、上から降って来た瓦礫を払いのけ、身を起こす。
「……あー、いったたた。はぁ、油断したなぁ。
自爆特攻とか覚悟キマりすぎでしょ、アカネったら。下手したらホントにヘイロー壊れるって……。
君がいなくなったら、悲しむ子も出るんだよ? 私が守らなきゃどうするつもりだったんだよ。
ったく、リオちゃんといいアカネといい、なんでこう、覚悟キメすぎた子たちは自分を犠牲にしようとするかね……」
ゆっくりと起き上がるオリの下には、彼女の腕に包まれたアカネの姿があった。
その誇りであるメイド服は今やボロボロに崩れ、肌にも決して小さくない火傷と出血が見られる。
更に、左腕は肘から先が変な方向に曲がり、いつもかけている眼鏡もどこかに消えている。胸部も気持ち変形しているように見えるし、肋骨も折れているかもしれない。
勿論意識は残っておらず、面会謝絶級の重傷者と言える状態だった。
しかし、そんな彼女の決死の攻撃は、無駄になったわけではなかった。
額から一筋の血を流しながら、オリは思わず眉を寄せる。
「ったたた……流石に無傷とはいかないよなぁ」
完全に油断した状態からの、至近距離での爆発の直撃。
ホールが崩落する中、咄嗟にアカネを抱き締め、数メートル落下。
降り注ぐガラス片や瓦礫をその身に受けて、最後には重いコンクリートに圧し潰されたのだ。
なんとかアカネは守れた──流石に彼女自身の自爆はどうしようもなかったが──ものの、相応にダメージは負ってしまった。
「まったく……訂正するわ、アカネ。
敢闘賞どころか暫定優勝だし、90点どころか200点だ。
今回、少なくとも精神的には、私より君の方がずっと強かったよ。聞こえてないだろうけど、その気高き覚悟に乾杯だ。
……本当、やり過ぎはどうかと思いますけどね」
* * *
ミレニアムタワーには、多数の監視カメラがしかけられている。
……が、ここまでボッコボコに崩落してしまうと、もはやその監視網もきちんと機能しているか怪しい。
オリはひとまず、モモトークでユウカに、現在地の座標と回復体位を取らせたアカネの写真を、「アカネなら私の隣で寝てるよ」という文句も付けて送り付ける。
これで数分後には救護が来るはずだ。
病院送りにはなるだろうが、それでも1か月程度で退院できるはず……と、彼女が思った、その時。
風を裂く鋭い音と共に、オリに弾丸が迫り。
彼女はそれを、持っていた拳銃のグリップの底で叩き落とした。
「……はっや。ウタハ、もう制圧されちゃったのか」
壁に突き刺さった弾丸は、このミレニアムタワーの中から撃たれたものではない。
タワーの外……ここの近くにある高層ビルの屋上。
そこから、C&Cのスナイパーが、こちらを覗いているのだ。
「カリン……私にとってはそう難敵でもないんだけど、ゲー開部にとってはかなりキツい相手だよね」
再び襲い掛かる弾丸を、彼女は一歩身を右に逸らすことで回避しながら、ぼんやり呟いた。
オリは、キヴォトスの生徒にしては珍しく、多くの武器を使い分けている。
基本であり彼女の愛銃であるハンドガンの他に、ショットガン、アサルトライフルにサブマシンガン、グレネードランチャー、そして勿論スナイパーライフル。
これらの銃種を、それぞれ使いこなすことができる程度には習熟しているのだ。
それは、多種多様な状況に適応するためであり……。
そして同時、それらの使い手の思考を理解するためでもあった。
スナイパーライフルによる狙撃の経験も少なくないオリは、相手がどこを狙いたがるが、どのタイミングで撃ちたがるか、ある程度の察しを付けられる。
無論、それだけならば被弾は免れないが……彼女自身の感覚能力や身体能力が合わされば、狙撃の回避も難行と呼べる程のものではなかった。
……が、それはあくまで、オリに限った話。
狙撃の経験は殆どなく、また身体能力も飛び抜けて高いわけでもないゲーム開発部にとって、カリンの狙撃は非常に厄介なものになるはずだ。
「……ま、あの子もいるし、放っておいても大丈夫だろうけども」
ただなぁ、とオリは首を傾げる。
ネルはまだ帰って来ておらず、アスナからは徹底して逃げられる。
この状況下でオリが無力化すべき相手は、カリン以外にはいないのも事実。
軽く手を握ったり開いたりしても、軽い痺れこそ感じるものの、まだまだ戦える範疇だ。
「ん……よし、やりますか」
続く狙撃を身を捻って回避しながら、オリは1つ頷き……。
爆発によって崩落した、壁に空いた大穴に向かって歩みを進める。
スナイパーにとって最も恐れるべきは、相手の主力を無力化する前に自分の居場所がバレることだ。
戦場を俯瞰して1人ずつ狙い撃つスナイパーは、戦局をひっくり返せる力を持つ分、その居場所が割れてしまえば真っ先に狙われてしまう。
故に、居場所の割れたスナイパーは、すぐに移動して次のポイントに移るのが定石だ。
そしてその点、このミレニアムタワーという戦場は、狙撃を受ける側であるオリにとって非常に不利な場と言えるだろう。
なにせ相手の居場所を特定したとしても、一度高い階層から1階にまで降りて、相手のいるだろうビルに向かい、そこから屋上にまで登らねばならないのだ。
そんなことをしていれば、スナイパーの方からは狙い放題だし、当然位置を特定されたとも気付く。
こちらが駆けつける時には、蜂の巣にされてしまうか、あるいは別の場所で再び潜伏されてしまう可能性が高い。
……ただし。
それは、真っ当に地上を走れば、の話ではあったが。
ビル風が吹き抜ける大穴に、オリは身を投げ出す。
1つ向こうのビルの屋上に飛び移ろうとし……。
それを許さぬとばかりに飛翔する弾丸を、再び拳銃のグリップで叩き落とす。
衝撃で失せた勢いを補正するため、腰の装置からグラップリングフックを射出。それが目的の屋上の床を捉えると同時、急速に引き寄せ……着地した。
「ふぅ! なかなかにスリリングなアトラクション!」
地上50メートルで行われる、危険極まるパルクール。
オリはそれを、笑顔でこなしていく。
そう。地上を駆けて間に合わないのならば、空を跳べばいい。
それがオリの出した、単純明快でありながらほとんどの生徒に真似しようもない解だった。
ぴょん、ぴょんと──無論、本当にそんな軽い音で跳んでいるわけではないが──ビルをいくつも飛び移る内、狙撃手からの弾丸は飛んでこなくなった。
どうやら狙撃することを諦め、スポットを移動しようと判断したらしい。
けれど、その判断は遅いと言わざるを得ないだろう。
オリの速度ならば、あと十数秒で目的のビルに到着する。
カリンがそこから逃げ切るためには、あまりにも時間が足りない。
では、逃走を諦めて応戦すべきかと言えば、それも難しい。
スナイパーであるカリンは、他のメンバーのように近接格闘に秀でるわけではない。
勿論、C&Cのエージェントとして最低限は修めてこそいるものの、それでオリに敵うわけもなく。
仮にすぐそばに倒れ伏すウタハを人質に取ったとしても……不条理の極みとまで言われるオリに、どこまで有効に働くもわからない。
故に、ただそこから逃げるしかないのだろう。
仮に成功率が低いとしても、それが唯一任務続行の可能性のある策であるために。
「ま、それしかないよねぇ
カリンちゃんの狙撃は超精密で、教科書みたいに優等生的だ。最大効率で最適解を選びに来る。
だから……私とは、ちょっと相性が悪すぎるんだよね」
いつ来るか。どこに来るか。
それさえわかれば、彼女は狙撃に対処できる。
故に、多少気を払う必要こそあるものの、彼女の狙撃は彼女にとって本格的な脅威にはならない。
いざその障害の排除に動くことになっても、今回のようにオリの優れた身体能力を以てすれば、カリンを逃がさずに捕縛することができる。
故に、オリにとってカリンは非常に相性の良い相手であり、これまでの幾度かの交戦でも一度たりとも敗北を喫したことはなかったのだが……。
……しかし。
「今まで勝てた」ことは、「今回も勝てる」ということは意味しない。
あるいは、アカネの奮戦による負傷がなく、万全な状態の彼女ならば気付けただろうか。
この件に関して自分が動くことを察しているはずのビッグシスターが、自分が不在の時と同じだけの陣しか敷いていないわけがない。
自分と相性の悪いカリンという兵を、ただそのまま配置するわけがない、と。
カリンがいるはずのビルの1つ前のものに飛び移り、オリはぐるぐる巻きにされたウタハと彼女のターレットが転がる屋上に向かって跳ぶ。
そして、彼女の視線の先では、ウタハがオリに気付き……。
何故か、強く首を振っていた。
「む」
それに何かがあると感じ、オリは咄嗟に拳銃を構え直して……。
階下に繋がる穴から顔を出してきたカリンの銃撃を、なんとか弾くことができた。
「っと、あっぶな!」
既に移動したと見せかけて、ここで撃ち落とす気だった?
確かに、ここはミレニアムタワーよりは低いにしても、地上まで50メートル程度はある。
落下すれば、オリをしてもそこそこのダメージになるだろうし、少なからず足止めもできる。
けれど、その程度で落ちるオリではない。
1発の銃弾にできるのは精々、ジャンプの勢いを削ぎ、オリをその空中に釘付けにするくらいで……。
…………それが、目的だとすれば?
オリが焦りながら、腰の装置に手を伸ばした時……。
彼女の体を、
そして直後、弾丸が強い衝撃を受けたことにより、内部の信管が作動。
ミレニアムの上空に、小さな花火が上がり……。
ついに、不条理なる暴力は撃ち落とされた。
△オリちゃん罠に引っかかりすぎでワロタ
○ビッグシスターとC&Cががここまで徹底して罠にかけないと足止めもできないのが調月オリとかいう不条理です
しかし、爆発する弾を撃つスナイパーライフル持ちの生徒……一体何八魔なんだ……?