「先生、今日は来てくれてありがと!」
ミレニアムの校内、オリは先生にそう言って笑いかける。
「今度時間がほしい」と言って実に2日後、先生はオリのために丸々1日の時間を作ってくれた。
最近のシャーレの忙しさは、最初期から先生をサポートしているオリが一番よく知っている。
生徒たちの信頼を得れば得る程、先生は頼られる部分が多くなり、結果として多忙になっていく。
「あの子」に聞いたところ、今後はそれがもっと酷くなるらしいので、今はそれの途中段階ではあるのだが……それでも既にかなり余裕のないスケジュールになっているはずだ。
それなのに、先生はオリのために長時間を作ってくれたのだ。
それだけ強く想われているようで、オリは嬉しかった。
“オリにはいつもお世話になってるからね。ゲーム開発部の件でも助けてもらったし”
先生はそう言ってくれるが……。
オリとしては、あまり自分に時間をかけられるのは望むところではない、という想いもある。
矛盾するようだが、構って欲しいと思う乙女心もあれば、あまり自分ばかり見てほしくはないという理性もあるのが、調月オリという生徒なのだ。
「なはは、気にしなくていいのに! 私は自分がしたくて先生助けてるんだし!
先生にも大事な生徒さんたちいるでしょ? その子たちのことも考えてあげなきゃ駄目だよ?」
“オリもそんな大事な生徒の1人だよ。だから君のために時間を使っても何もおかしくない”
「うぐっ……ああもう、そんなこと言ってるから『襲われても知らないよ』なんて言われるんだよ!?」
“え? いや、言われたことないと思うけど……”
そんな会話を交わしながら、2人はミレニアムの校内を歩いた。
時刻はまだ朝方と言っていい時分、機能的に整備されたミレニアムの校舎には、うららかな陽射しが差し込んでいる。
が、2人が向かう先は、むしろそんな光の届かない場所。
窓が少なくなり、外からの光も音も届かなくなっていく、ミレニアムサイエンススクールの深層部分と呼べる場所。
C&Cを筆頭とする、一部の特別な部活の部室が存在する、部室棟方面だ。
「そいえば小耳に挟んだんだけど、先生、最近はトリニティに行って退学しそうな子たちの補習してるんだって?」
“……そうだね。でも、どこからそれを?”
「おやおや、お忘れかな? 私
キヴォトスの情報……特にリオちゃんにお願いして集めてもらってる先生の情報で、知らないことなんてあんまりない!
具体的に言うと、先生が一昨日買ってたプラモデルの価格も、プレイしてるくらぶ・ふわりんのユーザーIDも知ってるよ? フレンド申請しようか?」
“私のプライベートはどこへ……?”
「既に盗聴も覗きもされてるんだし今更でしょうに」
更に言えば実のところ、先生には内密にされてはいるのだが、既にモモトークではシャーレ部員のグループが作られ、先生についての情報が共有され始めている。
そして、何事もギブアンドテイク。オリも先生の日常の素顔を知るため、そこそこの情報を流してしまっていた。
もはや完全に手遅れである。
……と、それはともかく。
最近はトリニティで色々と大変な思いをしているだろう先生に、オリは語りかける。
「ま、色々大変だと思うけどさ……生徒の皆のこと、信じてあげてね」
“……え?”
思わぬ言葉に振り向いた先生に、横を歩いていたオリは笑みを向けた。
「ほら、勉強できない生徒って、補習の時とかイジけたり面倒くさがったりしがちじゃない?
それでもきっとさ、疑ったり怒ったりするより、信じてあげた方が良いと思うんだ。
手のかかる生徒と手を取り合うために必要なのは、まずその生徒を疑ったり怒ったりすることじゃなく、信じてあげること……だもんね?」
オリの言葉に、先生は何を思ったか、数度その目を瞬かせた後……。
“……ああ、そうだね。その通りだと思うよ、オリ”
“どんな人も、関係も、まずは信じないと始まらないからね”
コクリと頷いて、微笑を浮かべた。
“……ところでオリ、話は変わるんだけど……ずっと気にはなってたんだけど、その背中に背負ってるのは?”
「ん? ひみつー! 心配しなくとも、後で見せたげるよ!」
* * *
程なくして、2人は目的地に到着する。
ミレニアムサイエンススクールの校舎の片隅、地味で目立たない場所に配置された、とある一室。
多くのディスプレイやコンソールに包まれた、他自治区から技術的に一歩も二歩も先を行くミレニアムにおいてなお最先端の技術が詰められた部屋で……。
「ハロー! 先生連れて来たよ!」と高らかに告げて扉を押し開いたオリと、それに続いた先生を、2人の生徒が出迎えた。
「ありがとう、オリ。そして……初めまして、先生」
そう口にしたのは、車椅子に乗ったぱっと見儚げな少女。
オリにとってはリオに次いで親しい友人であり、先生にとっては初対面の生徒だ。
「私の名前はヒマリ。このミレニアムサイエンススクール随一の容姿端麗徳高望重、誰より秀逸な頭脳と優れた性格を併せ持つ超天才清楚系病弱美少女ハッカーです」
“自画自賛がすごい!?”
「ふふっ、事実ですから」
ドヤ顔で言い放ったのは、ここを拠点とする特異現象捜査部の部長、明星ヒマリ。
美しい白髪とたおやかな振る舞い、機械式の車椅子に乗っていることから、一見儚げな印象を与える外見をしているが……。
先生の中でその印象が続いたのは、ほんの一瞬。
彼女の発した言葉により、そんな穏やかな印象は遥か彼方に吹っ飛んでしまった。
唖然として目を見開く先生に対し何を思ったか、ヒマリはドヤ顔で話を続ける。
「それに私、そこそこ有名人なので、一度くらいは噂など聞いたことがあるのではないでしょうか?
正体不明なヴェリタスの超美人部長ですとか、病弱美少女のお手本のような存在ですとか、あるいはミレニアムに咲く一輪の花ですとか……ひとつくらいは聞いたことがあるでしょう?」
“……オリからは、よく構ってくれる優しい友人だって聞いてるよ。作ってくれるガジェットも助かってるし、ヒマリがいないと色々立ち行かないって”
「ちょっと変わった性格してたりもするけどね」という添付部分はなかったことにした先生の言葉に、ヒマリは更にドヤ顔を深める。
「やはりそうでしたか。ふふっ、ふふふ……オリと私の付き合いですからね!」
「部長が調子に乗った……先生、責任取って元に戻して」
ヒマリに続いて呆れたような言葉をかけてきたのは、後方に控えていた和泉元エイミ。
明るいピンクの髪に鮮やかな赤のリボン、そしてすさまじく個性的な──本人曰く「これ以上なく効率的な」──服装が特徴的な少女だ。
彼女はヒマリと同じく特異現象捜査部に所属する生徒であり、普段から体の問題であまり自由に動くことのできないヒマリの手足のような存在だ。
今日も今日とて、シャーレの先生との邂逅というイベントを見守り、そしてこれから行う作戦の補助を行うため、こうして立ち会っていた。
……が、そんな関係だからと言って、彼女がヒマリに対して従順かと言えば、そうでもなく。
「あら、その言い方は心外ですね、エイミ。調子に乗ったのではなく、事実確認を通して全てが順調であることを確認しただけです」
「いつも言ってるじゃん」
「いつでもチェックを怠らないのはセキュリティの基本でしょう」
「非効率的……そういう時の部長相手するのめんどくさいし」
「エイミ?」
「先生も、こんな部長に付き合わせちゃってごめんね」
「エイミ」
エイミは、ヒマリのことを軽んじこそしないにしろ、結構舐め腐っていた。
ヒマリ自身があまり崇拝を集める性格をしていないというのもあるが、エイミもエイミで誰かを敬うことを知らない性格をしている。
部長と部下という形を取っているものの、実際の彼女たちの関係は、先輩後輩というよりは、善き仲間、善き戦友という言葉の方が適切なもの。
だからこそ、あるいは失礼にあたるかもしれない言葉を平然と掛け合うことのできる、近しい距離感を保っているのである。
それからしばらく。
私はあの浄化槽に浮かぶ腐った水のようなビッグシスターと違って万年雪の結晶なので、とか。
やめなさいエイミ、エアコンの設定温度を下限を越えて下げる秘密のコマンドを入力するのを今すぐやめなさい、とか。
いえだからと言って脱げと言っているわけではありません、エイミやめなさい先生の前でそんなはしたない、とか。
そんなコントが落ち着いた頃、2人は先生の言葉に居住まいを正す。
“よろしく、ヒマリ。エイミも、改めてよろしくね”
「ええ、はい。これからよろしくお願いします、先生」
更に続けて先生は尋ねた。
“それで、今日呼んでくれた用件は……”
「そうですね、そろそろその話にいきましょうか」
こほんと、些かわざとらしい咳払いと共に、ヒマリは話を始めた。
ミレニアムどころか、キヴォトスの存続に関わるかもしれない、危機の話を。
……そして、その前に。
彼女の友人の、個人的な危機の話を。
* * *
「改めて。私こと超天才ハッカー明星ヒマリはここ、特異現象捜査部の部長を務めております」
“特異現象、捜査部……”
「これは、そこにいるオリの提言を基に、ミレニアムの生徒会長であるリオが立ち上げた部活。いいえ、部活というより特務組織という表現が正確でしょうね。
その活動内容は……」
思わず言葉に詰まったヒマリの話を、エイミが請け負う。
「科学的に解明しがたいとされる現象を、追跡・研究すること」
“ミレニアムは最先端の技術を持ってる学園だよね。そんなミレニアムでも解明できないことがあるの?”
「……ええ、認め難いことですが」
ヒマリは1つ頷き、車椅子を回して後ろのモニターに向き合う。
そこにはミレニアム自治区のリアルタイムの映像や、細かいデータの羅列が流れていく様が映っている。
生徒会長たるリオと協力体制にある特異現象捜査部は、本来一般生徒は知り得ない程の、膨大な情報を手に入れることができる。
……しかし、それだけのデータがあってなお、解析し得ない現象もある。
「どれだけ科学が発展しようと、それだけでは分析・解明・理解できないことは往々にして発生します。
それは時に怪奇と呼ばれ、時に超常と呼ばれ、時に不条理と呼ばれ、時に奇跡と呼ばれるもの。
私たちの理解の枠を超えているだけで、この世界にごく自然に起こり得る現象。そして多くの場合、平凡で穏やかな私たちの秩序を掻き乱すのものなのです」
再び車椅子が回転し、ヒマリの瞳が、先生たちの方へと向けられる。
より正確には……先生の横に立っている、1人の少女に。
「オリ。……あなたの中にいる、『彼女』のように」
“……え?”
ヒマリの言葉に一瞬硬直した後、先生は横にいるオリを見やる。
しかし、恐らくその視線に気付いているであろう彼女は、先生と目を合わせることなくヒマリに向かい合っていた。
そして……。
「ヒマリ。いくらあなたでも、『あの子』のことを貶すのは許さない」
これまで先生の見たことのない、調月オリの、刺し殺すような鋭い目線。
それが今、ヒマリに向けられている。
しかしそれに対し、ヒマリは怯むことなく、穏やかな視線と言葉を返した。
「貶すつもりはありません。……ただ、『彼女』の言葉によってあなたが度々危険を負わされているという事実は、確かに存在します。
あなたの古い友として、私はそのことを危険視せざるを得ない。
あなたがそのような危険な目に遭う必要などどこにもない。それはあなたの義務ではないのですから」
先程までのふざけていた声とは全く違う、穏やかで温かで真っすぐな、飾ることのない真剣な声音。
それは紛れもなく、親身な情が込められた、友達としての言葉だった。
それを受けてオリは、一度まぶたを閉じて……。
数秒後、再びまぶたを開いた時、その瞳は先生の知る普段の彼女のそれに戻っていた。
「……その気持ちは嬉しいし、素直に受け取っておく。
けど、勘違いしないでほしいんだけど、私は自ら望んでしか行動しないんだよ。
これまで『あの子』に行動を強制されたことなんて一度もない。ただ私自身で、知っている情報から何をするか、何をしたいのか判断してるだけだ。
つまりは、どれだけ危険だろうと痛かろうと、それは全部私の責任なんだ。『あの子』はただ情報をくれただけで、悪いわけじゃない」
「ええ、そうでしょうね。あなたはそういう人……誰かに踊らされず、自分の意思と足で動く人です。
それでも、あなたは……」
「ヒマリ」
言い募ろうとしたヒマリを、オリは首を振って制した。
「もう、ここまでにしよう。先生が困惑してる。
ヒマリがそう思ってくれてることは覚えておくし、これからの判断基準に加える。でも、この話はここでおしまい。いい?」
「……そうですね、この清楚系病弱美少女ともあろうとものが、少し熱くなり過ぎました。
先生にも、お恥ずかしいところをお見せしました」
“構わないけど……”
先生は、横にいるオリに目を向ける。
“オリ”
『彼女』の……『あの子』の話は、聞いていた。
調月オリの命を救った「誰か」。夢の中で語り掛けて来る、不可思議な存在。
確かに、言われてみれば『あの子』も特異現象と呼べるのかもしれない。
けれど、今大事なのはそこではなく……。
“……何か、危険なことをしてるの?”
「うっ……」
そう、そこだった。
先生として、生徒が一人で危険なことをしているのは許し難い。
勿論、オリにはオリで事情があるのだろうし、それが彼女の大事な部分──先日自分にも明かしてくれた、『彼女』との時間だろう──に関わるものであろうことには、察しが付く。
オリは、自分で考えて動くことのできる生徒だ。
この前の『鏡』奪還作戦の時もそうだったように、恐らくは何かしら事情があってそうせざるを得なかったか、あるいは彼女自身がそうすべきだと判断したのだろうと、察しは付けられる。
けれど……それでも。
生徒が危険を冒すところを見て見ぬフリをすることなど、先生にできるはずもなく。
“オリ。君のやることを止めようとは思わない”
“けど、いつも君が私を助けてくれるように、私にも君を助けさせて欲しい”
“今後、危険なことをする時は、私に相談してくれないかな”
オリは先生の言葉に、数秒の間、苦い顔をする。
痛いところを突かれた。あるいは、マズい展開になってしまったと、そういう表情だ。
そして、その果てに……。
「……ごめんなさい、先生。今はまだ、色々話せないことが多すぎる」
そう言って、ペコリと頭を下げる。
「内容も話せないし、話せない理由も話せない。
シャーレ部員なのに、先生に秘密を持ってるとかサイテーだと思うけど……こればっかりは譲れない」
いつになく頑なな彼女の様子に、先生は少し考えて……。
1つ、彼女に訊ねた。
“今は、ってことは、いつかは話してくれるってことでいいのかな”
「うん。いつかちゃんと説明するよ。……『あの子』のことも、この前話せなかったことも、改めて」
そう言ったオリの表情は、真摯なもので……。
先生はただ、頷くことしかできなかった。
何故なら。
大人とは、常に子供の
全ては、信じることから始まるが故に。
うわーん! コイツらしっとりしすぎて全然本編に入れません!
でも次回からは砂漠に行くのでからっとする予定。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!