『ユメ、先輩……?』
生徒会長が、消えた。
ホシノが生徒会長と喧嘩をしてしまった、その翌日。
「いつもありがとう、ホシノちゃん! お元気でね!」という書置きを残して。
それを見たホシノの胸に去来したのは、「申し訳ない」という感情だった。
昨日は、衝動的に言い過ぎた。「生徒会はもう終わりです!」と、弾みで口にしてしまった。
それを生徒会長は本気にしたのだろう。
……謝らないといけないだろう。
ホシノに、生徒会を去る気はない。
あんなのはただ弾みで言ってしまっただけの戯言なのだから。
いくらでも取返しが付くはずの言葉なのだから。
取り敢えず、生徒会長の足跡を追わないと。
聞き込みで情報を集めて、それを元に今度はどんなトラブルに巻き込まれたか調べて……と。
ホシノがそんなことを思っていた時。
生徒会室のドアが、乱暴に叩き開けられた。
『ユメさんいるッ!?』
ドアの向こうにいたのは、もはやホシノも見慣れて来た、オリだった。
……けれど、一瞬、ホシノは彼女をオリだとは認識できなかった。
彼女の様子が、いつもとはあまりにも違うものだったからだ。
いつも冗談めかした笑顔を作っていた顔は今や焦燥に歪み、脂汗を流している。
その両肩も荒々しく上下し、彼女がここに来るまでにどれだけ激しい運動をしてきたかを示していた。
オリがホシノに余裕のない様子を見せるのは、初めてのことだった。
あの大蛇が来た時でさえ、「おっしゃアビドス総動員! 大丈夫大丈夫、みんなで為せば何とかなる!」と余裕ぶっていたのだ。
ホシノはてっきり、彼女はユメと同じ楽天家であり、焦りなどという繊細な感情は持ち合わせていないのだと思っていた。
しかし、そんなホシノの驚きを他所に、オリは生徒会室の中を漁り始める。
机を持ち上げて除けたり、ロッカーを開けたり、ソファにかかっていた毛布を取り払ったり、物盗りもかくやという荒らし方だ。
当然ながら、ホシノは慌て彼女を止めようとした。
『ちょっと、おい、何やってる!? やめろ!』
しかし、オリはホシノの言葉を聞くことはなく。
彼女の手の届かない速さで部屋の中を調べ尽くし……目当ての物、あるいは者がここにないことを確認した後、初めてホシノに目を向ける。
『ホシノ! ユメさんは!?』
『は? ……知らないけど。またどこかで騙されてるんじゃないの』
ホシノはその時まで、事態を重く見ていなかった。
いつものように生徒会室に行けば、ユメがほんわか笑って、ホシノがそれを叱って、最近はオリがわちゃわちゃとアビドス復興案を練っている。
彼女にとってはそんな日常が当たり前で、それはこれからも当然のように続くはずのものだった。
故に、生徒会長は戻って来ると、心のどこかで確信していた。
いつものようにどこかで騙されて、あるいは閉じ込められて、もしくは働いているのだろう。
いつものように自分が迎えに行って、邪魔な者を蹴散らして連れ戻せば、それで終わり。
そう、根拠もなく信じ込んでいたのだ。
平凡な毎日。
平穏な日常。
……それが、薄氷の上に成り立つものであると。
年若く、未だ世界の残忍さを知らない少女は、知らなかった。
けれど……。
『ッ、クソッ、クソックソックソッ!!
なんで、なんでだ!? 監視が足りなかった!? ドローンを増やすべきだった!? 私が直に監視すれば良かったの!?
なんであれだけの監視が落ちる!? なんでリオちゃんの方に情報が行かない!? なんで私は意識を失ってた!?』
それでも、目の前の少女が異様に焦り、苛立っていることは理解できた。
『どうする、どうするどうするどうする!?』と叫びながら、オリはその顔を酷く歪め、綺麗な黒髪を掻きむしる。
今までにない彼女の荒々しい様子に、ホシノは困惑しながらも声をかける。
『ち、ちょっと……落ち着きなよ。何がどうなってるんだ、まったく』
それに対し、オリはバッと顔を上げて、ギラギラとした瞳をホシノに向ける。
そうして、彼女が想像すらもできない、破天荒なことを言ってきたのだ。
『ホシノ! アビドスの生徒を連れて今すぐネフティス本社を攻めろ!』
『はっ……はぁ!? ネフティスって、セイント・ネフティス? もうとっくにアビドスから撤退してるでしょ、なんでそんなとこ……』
『いいから! まだだ……まだ、まだできることはある……大丈夫だ、落ち着け、今ならシェマタを……契約書さえ破棄すれば、流れはまだ……その間に私が……!』
あまりにも説明のない命令口調の言葉に、一度は及び腰になっていた彼女もいい加減苛立ちを覚える。
『お、お前に命令される謂れはない! 大体な、大義名分も何もなく企業を攻めたりすれば、アビドスにどんな非難が飛んでくるか……!』
しかし、その正論は、けれどオリのあまりに強い眼光によって止められた。
『言ったでしょ、ホシノ。私は「アビドスの生徒会を乗っ取ったテロリスト」だ』
『は? ……いや、お前、まさか』
オリの言葉に浮かんだ発想に、ホシノは目を見開く。
まさかそんなことを、と。
ホシノが想像したあまりにも突飛な答えを、そのままオリは口にした。
『「調月オリに自治権を奪われて強制された」って言え。
私の名前が出れば、絶対に大事にはならない。精々私が矯正局に入れられるだけで済むし、アビドスにはまず責任は行かない』
……つまるところ、全責任は自分が負う、と。
「アビドスの自治権を奪い、その兵力を一企業に差し向ける」……普通に考えて退学も免れないような罪の全てを自らが負う、と。
オリはそう言っているのだ。
ホシノは眉をひそめ、愛銃を持つ手に力を入れる。
その胸中から、混乱と困惑、この1か月の間に積もり重なった怒りの感情が噴き出した。
『なんで……なんなんだ、何がしたいんだ、お前!
ずっとずっと、いきなりアビドスに来て、アビドスのために動いて、挙句ネフティスを攻めろとか言って!! お前の目的は何なんだ、いい加減答えろッ!!!』
ショットガンを突き付けられたオリは、しかし欠片も動揺を見せることはなく……。
『私の目的は、アビドスの生徒会長を……梔子ユメを助ける。ただそれだけだ』
ギラつく瞳でホシノに向き合い、頭に突き付けられた銃身を掴んだ。
……そこから。
そこから、色々あった。
ホシノはアビドスの少数精鋭を連れネフティス本社に攻め込み、ユメがネフティスと何らかの契約を結んでいたという情報を得て……けれど、結局オリの言った『シェマタ』については掴めず。
その間、オリはひたすらにアビドス砂漠を探し続けて、けれどあまりに広い砂漠を前に何も見つけ出すことはできず。
そうして…………。
33日後。
アビドス砂漠の片隅で。
捜索を続けていた2人は、
* * *
「…………」
“ホシノ?”
「ん? あ、ごめん、先生」
声をかけられ、ホシノは自分が黙り込んでしまっていたことに気付く。
どうやら先生に話すことも忘れ、過去に意識をとらわれていたらしい。
「えーっと……どこまで話したっけ?」
“オリがやって来てから1か月で、ってところかな”
「そっか」
彼女は手の中の缶を揺らす。
ホシノは既に、先生に信頼を寄せている。
他者への、特に大人への不信感の強い彼女ではあったが……。
数か月前のカイザーとの動乱の中で先生の見せた行動は、
言葉は信じない。
嘘を吐くことは簡単で、いつでも誰にでもできるから。
けれど、選択と行動は信じられる。
かつて「アビドスを乗っ取るために来た」と抜かしながら、徹底的にアビドスの健全化と生徒会長の保護のために動いていたオリと同じように……。
口で何を言おうと、アビドスのために、自分たちのために本気で頑張ってくれる相手なら、信じられる。
それが、あの2年前の事件からホシノが学んだことの1つだった。
……けれど、それでも。
あの人のことを。
ユメ先輩のことを、先生に言うのは……。
どうしても、抵抗を感じてしまう。
あの人のことは、未だに対策委員会の仲間たちにも話せていない。
それだけ、ホシノにとって……そして、恐らくはオリにとっても、大きな傷を残した事件だったから。
だからこそ、今更、簡単には話せない。
少なくともオリと、そして後輩のみんながいる場所じゃないと……と。
そう思い、ホシノは口を開く。
「オリが来て1か月した頃、私たちは……大切なものを失ったんだ。
オリは、全力でそれを守ろうとしてくれた。でも、結局それもできなかった。
気付けば、宝石は……粉々に割れて、砂漠の砂粒になっちゃった」
“それは……”
先生の悲痛そうな表情を見て、ほんの僅かに救われるような心地を感じながら……。
しかし、ホシノは告げる。
「多分、それでオリは……私と同じか、それ以上に傷ついたんだと思う」
あの時聞こえた、砂漠の中に崩れ落ちた少女の、声。
『そんな……なんで? なんで、33日? 知って、結果、変わらないなんて、おかしい、だって全力で……私、私はお姉ちゃんなのに。助けなきゃいけないのに。違う、だって、だってそれなら、何のために』
全身から力が抜け、何も考えられず、虚ろにそこに立っていたホシノの耳に届いた……。
『私……何のために、生まれて来たの……?』
ホシノと同じように、心が折れてしまった誰かの声。
その残響が、ずっと、ホシノの心に残っている。
あの言葉の真意を、ホシノは知らない。
彼女はオリのことを、大事な存在だと思っている。
自分とあの瞬間を共にした、唯一の生徒であり。
言葉でも武力でも本気でぶつかり合うことのできる、数少ない存在でもある。
アビドスの可愛い後輩たちと同じかけがえのない仲間であり、なんならアビドスの生徒としてずっと彼女の籍を開けているくらい。
……けれど、オリが自分に全てを明かしているわけではないことも、理解している。
何故ユメを救おうとしたのか。
結局彼女はその理由を語らなかったし、ホシノも聞かなかった。
『何のために生まれて来たのか』という言葉の意図も、わからないままだ。
それはきっと、オリにとって最も大切でデリケートな部分で……。
あの一件以来、身近な人を失うことに臆病になってしまったホシノは、結局それを尋ねることができなかった。
ただ1つ、確かなことは。
「オリはきっと、その時、変わっちゃったんだ。
どう表現すればいいかわからないけど……私には、何かを
あれ以降、オリは二度と、あんなに焦った様子を見せなかった。
いいや、それだけじゃない。
彼女のあらゆる活動が、消極的になったと思う。
今でも、仕事の斡旋やある程度の通商の融通など、変わらずアビドスはオリのお世話になっている。
けれど、抜本的な解決、アビドス全体でのビジネスプランの提案は……。
あの時を境に、ピタリとなくなった。
オリがあの笑顔の裏で何を想い、何を諦めたのか。
それは、ホシノにはわからない。
けれど……あるいは、先生なら。
ホシノが信じる大人である、先生なら。
オリがあれだけ
「だから……お願い。オリのことを気にしてあげて。目を離さないであげて。
あの子はただの気まぐれな子供じゃない。ちょっとでも目を離せば……どこか遠い場所に行っちゃいかねないような気がするんだ」
青と黄の瞳が、先生を見つめる。
それはこれまでに見たことがない程に真っすぐなもので……。
先生はそれに、コクリと頷いて応えた。
“わかった。オリのこと、よく見ておくよ”
* * *
「2人で何の話してるの?」
「っ!」
“うわっ!”
唐突に、先生の背後から、声。
それは件のオリの声であり、振り向いた先生の視界には、きょとんとした表情の彼女が立っていた。
「何故驚いているのかわからない」という表情からして、どうやら先程の会話は聞かれていないらしい。
先生はホシノとアイコンタクトを交わし、ひとまず今の会話を明かさないことを決定。
しかし、あるいはそのアイコンタクトが良くなかったのか。
オリは驚愕の表情で、その視線を先生とホシノの顔の間で行ったり来たりさせた後……。
ニマリと、おかしそうに笑う。
「へぇ~~~~、ふぅぅううううう~~~ん?」
「な、何かな、オリ」
「いや、別にぃい~~~? ただ、おじさんにも春が来るものだなぁって思ってさぁ?」
明らかに何かを誤解したオリは、カッと顔を赤らめるホシノを後目に、ニヤニヤと笑って先生に語り掛ける。
「せんせー、友達の私が断言するけど、ホシノは良いよ、おススメの優良物件だよ!
超強いし、良い子だし、ちょーっとめんどくさいところもあるけどそれもまた魅力だし!
どうかな、ここはホシノルートに進んでみるとか!」
「オリ~、おじさんそういう冗談は好きじゃないな~?」
「ホシノテメェ日和ってんじゃねーですよ! 先生の隣の座はただでさえ引く手数多のレッドオーシャン! しかも押し倒されたら抵抗できないライオンの中の子羊!!
そんな『おじさんじゃ駄目だよねぇ』みたいな態度じゃ先に食われちゃうよ! トリニティの猫とか百鬼夜行の猫とかに!
やられる前にやれ! Wow wow wow 先生を食え! ホシノ!」
「オリ、ちょっとお話しようかぁ!!」
顔を赤らめてオリの胸倉をつかみ上げようとするホシノ。
身長差故に殆ど持ち上がらず、ニヤニヤと笑顔を浮かべるオリ。
先生は静かに、2人の生徒のじゃれ合いを見つめ……。
あるいは、ホシノに“よく見ておく”と語ったからか。
あるいは、大人である先生の観察眼がそうさせたのか。
その表情を見ている内に……気付く。
オリの笑顔は、あまりにも綺麗で特徴のない……。
まさしく、『貼りつけたような』笑顔だということに。
「調月姉妹のやべー方」。
「特殊作戦デカグラマトン・アビドス砂漠編」はあと1話で終わり。
その後は幕間を挟んで、エデン条約第3章を題材にした、「彼女たちの物語」編に続きます。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
(追記)
アビドス対策委員会編3章part.2公開に合わせて、いくつか訂正を行いました。
アビドス対策委員会編3章part.4公開に合わせて、いくつか訂正を行いました。