ティーパーティの予言する奴と────
「……先生」
か細く小さな、今にも消えてしまいそうな声が、けれど無人の静かな校舎にはよく響く。
いいや、正確に言うのなら、その校舎は完全な無人というわけではない。
なにせ、言葉を吐いた当人がいるのだから。
が、それはさかしまに、この場所にはその当人以外、人影1つ存在しないということも意味している。
そこは、トリニティ総合学園校舎、ティーパーティの使用する特別棟……。
……に、よく似た場所だ。
よくよく視線を巡らせば、それが現実の光景でないことは一目瞭然だろう。
なにせ、言葉を漏らした生徒以外、生物という生物がここには存在せず。
トリニティの学園敷地外に目をやれば、それはぼんやりと陽炎のように溶け、実体を持っていない。
ここは、閉じられた箱庭。
1人の生徒が夢の内に籠って作り上げた、現実を精密に模倣した夢境とでも言うべき場所だった。
そして今、この世界の主は、トリニティの生徒会たるティーパーティーの使うテーブルに座り……。
静かに、ここではないどこかへ向けて、独り言を漏らす。
「先生。私は、君の奮闘を評価するよ」
砂のようにサラサラと流れる、金の髪。
頭上に生えた、狐を思わせるような大きな耳。
現実味を感じさせない、薄く小さな体躯。
彼女の名は、百合園セイア。
トリニティの中枢、ティーパーティの生徒会長
去年、正体不明の勢力によって襲撃され、死亡した……ということになっている生徒だ。
けれど実際のところ、彼女は死んではいなかった。
1人の少女の明日への希望と、1人の少女のひたむきな献身によって、セイアの身はトリニティ某所、安静な環境に置かれている。
……が。
だからといって、セイアが平穏に日々を送っているかと言えば、そうではなく。
彼女はベッドの中、この夢の世界に意識を落としたまま、静かに時間を過ごしていた。
その理由は、仮に動き出すとしても、トリニティに潜む危険因子を割り出すまでは二の舞になる、というのもあるが……。
何より、彼女の持つ不可思議な特性によるところが大きい。
「私は、君のことを見てきた。
私の持つ『未来視』で、先生がどのような選択を取り、彼女たちを救って来たのかを見てきた」
未来視。
それがセイアの持つ特異性だ。
彼女はそれを通し、これからキヴォトスが辿る未来を見ることができた。
それは一度聞いただけでは、極めて有用なものであるようにも思えるが……。
少なくとも、セイアにとってはそうではなかった。
「……けれど、ああ。
君がどのように動こうと、この物語はきっと、『めでたしめでたし』では終わらない」
彼女は垣間見てしまったのだ。
エデン条約。
それを推し進めようとする友人、その暴走を。
その裏で大きな間違いを犯してしまった友人、その悲嘆を。
そして何より……それらの先にある、あまりにも昏く救いようのない、憎悪に塗れた破局を。
故に、セイアは現実を諦めた。
これより先に明るい未来はないと、現実を直視することを諦め、この夢境の世界に逃げているのだ。
「孤独な世界を持つ少女に、友達を作った。
全てを虚しいと理解していた少女に、明日を見せた。
それは素晴らしいことだ。君が先生である証であり、無二の価値を持つ選択であると、私は思う」
セイアは未来視によって、先生が懸命に走り回る姿を見ていた。
故に、先生の善性を知り、信じている。
信じている……が。
「……けれど、それでも。
君はキヴォトスに来て日が浅く、長い長い時間が培ってきた、誰かの憎悪を知り得ない。
それを蹴散らす意義も、収める術も知り得ない」
故に、結末は変わらない。
彼女の2人の友人は、これ以上なく悲劇的な終わりを迎え。
トリニティとゲヘナ、そしてアリウスはその憎悪を深めるばかりで、決して手を取り合うことはない。
それが、セイアの結論であり。
だからこそ、彼女は全てを諦め、その目を閉じたのだ。
キヴォトスの外から来た不可解な存在であるが故なのか、セイアの眼を以てしても、先生の周りの未来はハッキリとは見え辛い。
そしてセイア自身、途中で未来を知ることを拒んでこの夢境に閉じこもってしまったため、ハッキリとその結末を見たわけではなかった。
超常の力を持つとはいえ、彼女は未だ成熟していない生徒の1人。友人たちが、そして彼女が愛したトリニティ総合学園が、誰かの悪意によって踏みにじられる様子を見たいとはとても思えなかったからだ。
故に、その破局を直視したわけではない。
まだその未来を正確に観測していない以上、そうならない可能性もないわけではない。
けれどきっと、破滅は免れないだろう、と。
セイアはそう思って……もっと言えば、確信していた。
それは、トリニティとゲヘナの間に蔓延る、そしてアリウスから向けられる憎悪が強すぎるから……。
……という、ただそれだけの理由ではない。
「そして、先生。何より致命的なことに……君は『もう一人の特異点』を知らない」
先生と同じように、セイアの未来視をして見通せない、不可解な者。
その選択によって未来の景色がブレる、あるいは
「調月オリ」
ミレニアムのビッグシスターの双子であり、自称姉。
なんら異常なはずもない、一般的なキヴォトスの生徒の一人であるはずの彼女。
けれどオリは、セイアの未来視の中で、酷く滲み歪んで映るのだ。
……それこそ、先生と同じように。
けれど……セイアの視界の中で、見え辛く見通せないとしても。
オリは確かにそこにいて、来たる昏い未来に備えようとしていた。
「……先生と同じく不可思議な存在であるオリが、動き出してしまった。
2年前の失敗を償う……いいや、今度こそ成功するために、彼女は先生の敵を『排除』するつもりだ」
セイアは未来視によって、オリの人生の一端を知り得ていた。
2年前、アビドス自治区で、彼女がどのような想いで行動を起こしたかも。
その選択の果て、結局は何も成すことができず、さかしまに自らの無価値を証明してしまったことも。
彼女はその無残な結果を、見て、知った。
故に。
これから調月オリが取る行動も、その意味も、理解できてしまう。
「オリが行うのは、存在証明。自らがこの世界に存在し、何かに影響を与えうるという事実確認。
そのために彼女は、命も、尊厳も、生徒としての立場も、それら全てを擲つだろう。
何故ならそれらは全て、この世界に存在して、初めて意味を成すものであるが故に。
そして彼女は、その手段として……」
セイアはその先を口にしなかった。
できなかった、と言った方が正しいかもしれない。
それは恐ろしく、そして忌むべきものだった。
……その手段として。
調月オリは、
その言葉は、未来は、事実は、一人で吐き出すにはあまりにも冷たく、そして重すぎたのだ。
調月オリ。
彼女は、なんらかの事情から生徒と戦うことになっても──とある一人の生徒と戦う場合を除いて──、いつもその力をセーブしている。
敢えて本気では戦わず、抑えている……つまりは、手加減しているのだ。
その理由は単純で、彼女が本気を出せば、相手の生徒が危ないから。
彼女の持つ不条理なまでの暴力は、人に向けるにはあまりに強すぎる。
下手に攻撃を続ければ、それこそヘイローすらも破壊してしまいかねない程に。
けれど……。
オリは今回、おおよそ手加減などすることはないだろう。
先生を傷つける集団を撃破するために……その危険性の一切合切を排除するために、彼女は文字通り死力を尽くすだろう。
ただ暴力によってその襲撃を防ぐ、だけではなく。
ゲリラ戦法も、そのために必要な戦略的撤退すら許すことはなく。
先生が再び襲われるという危険性を完全に消し去るために、その意思を、命を、根本から絶つ。
セイアには、微かに、その未来が見えたのだ。
長い黒と紫の髪を散らし、斃れ伏す2人の生徒を前に、その両の拳を血に濡らしたオリが、立ち尽くす未来が。
「先生。仮に君が、トリニティ、ゲヘナ、そしてアリウスに纏わる問題を止められたとしても……。
調月オリの凶行だけは、君には決して止められない」
セイアは淡々と、あるいは嘆くように、あるいは諦めるように、複雑な感情を内に秘めて独り言ちる。
「彼女の底の底にある、自己否定と自己嫌悪。君はそれを、知ることができなかった。
君は彼女に強く尋ねようとしなかった。彼女は君に己の闇を話そうとはしなかった。不自然な距離の詰め方を、君たちは選ばなかった。
それは、あるいは先生と生徒としては理想的な距離の詰め方だったかもしれないが……最終的に、彼女は真の意味では君を信じるに至らなかったという結果だけが残る」
2人の絶対的関係性として見れば、それは悪いものではなかったはずだ。
先生はこれまで決して、生徒との距離感を見誤らなかった。
当然ながら、それはオリとの関係も例に漏れない。2人の関係性は、まさしく理想のそれだった。
……けれど、同時。
キヴォトス全体から見て、それはいっそ悲劇的なすれ違いですらあった。
先生がオリを想い取った選択が。
オリが先生を想って取る行動が。
最終的にはトリニティの、そして恐らくはキヴォトス全体の、破滅への道筋となっているのだから。
「相互不理解。つまるところ、全てはそこに起因している。
アリウスは憎しみの中にあり、トリニティは彼女たちを忘れ、ゲヘナはその事情を知ることなく。
オリは先生のことを想うが故に先生を裏切り、先生は彼女を信じたが故にその手から取りこぼす」
考えを訥々と述べても、それを聞いて考え込む友人も、聞き流して煽って来る友人もいない。
彼女の声は、ただ無人の校舎の中に虚しく消えていく。
「……ああ、やはりこの話は、先生、あなたには似つかわしくないものだろう。
不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めるような……悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような……それでいて、ただただ後味だけが苦い、そんなバッドエンドで、幕を閉じるのだろう」
砂の帝国で、滅びに抗う少女たちに手を貸し、ただの一人も欠けることなく心まで救い。
最新の園で、産声を上げた勇者を育て上げ、小さなクエストをけれど確かに完了させた。
そんな先生の辿る未来として、これは決して釣り合うものではないだろう。
正当な報酬も、然るべき因果応報もない、理不尽な結末となるだろう。
けれどそれが、今からキヴォトスで避けようもなく発生する惨劇であり。
……それを目に入れたくないから、セイアはその瞳を閉ざしたのだ。
* * *
一人きりのセイアは、脱力したように腕を垂らし、かくんと首を後ろに倒して、ため息を吐く。
終わりの時は近い。
トリニティの、セイアの維持していた世界はどうしようもなく変わる。壊れる。枯れ果て腐り落ちる。
それはもはや避けられないことで、どうしようもないことで。
あるいは運命は最初から、彼女たちをこの世界に生んだ時から、そうなるようにできていたのかもしれないとすら思いかけ。
「……少し、疲れたな」
セイアはそう言って、まぶたを閉じようとして……。
「ご安心を。あなたが思い描くような未来は、決して訪れませんので」
その言葉に、目を見開く。
明らかな異常事態だった。
ここはセイアが閉じこもった夢の世界。
余人に、残酷な現実に侵されることのない安全領域……の、はずだった。
それなのに、今響いた声は、確かにセイア以外のものであり。
つまるところ、この世界に何者かが侵入したことを意味していた。
ゆっくりと首を起こし、視線を前へと戻す。
直前までと殆ど変わらない景色の中、違和感が一点。
そこには、音も気配もなく現れた、何者かがいた。
セイアが座っている円卓に着こうともせず、ただ向かいの椅子の横に立ち……。
『来訪者』は、酷く歪んだ目で、セイアを見つめている。
「………………、どうして」
セイアは、自分の声が掠れていることを自覚した。
想定外の侵入者がいることも、そうだが……。
何より、セイアはその来訪者に見覚えがあった。
いいや、見覚えがある、という次元ではない。
セイアは明確に、来訪者のことを……彼女のことを、知っていた。
その上で、わからなかった。
「どうして、君が、ここにいるんだ……?
……調月、オリ」
来訪者は、その言葉を受けて……。
青い瞳を、嘲弄するように、三日月に曲げ。
酷く不格好な笑顔を浮かべた。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!