調月姉妹のやべー方   作:アリマリア

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シャーレの先生と────

 

 

 

 エデン条約に纏わる事件は、終わりを告げた。

 

 発生していた不可思議な現象、ユスティナ聖徒会の姿をした正体不明の幽鬼たちは、補習授業部と先生の策によって不安定になって、その内発生しなくなり。

 トリニティ、古聖堂を占拠していたアリウス分校の勢力は、トリニティ・ゲヘナ両校の協力により撃退。

 

 地下に逃げ込んだ事件の主犯、アリウススクワッドのリーダー錠前サオリ、中心人物の秤アツコは、不意に現れた正体不明の敵によって取り逃してしまったようだが……。

 

 とにかくこれを以て、トリニティ自治区で発生していた事件は解決したと言っていいだろう。

 

 アリウス分校の真意を探ることやそのバックボーンの調査、現れたユスティナ聖徒会たちの正体の考察など、考えるべき課題は大量に残っているが……。

 少なくとも、アズサの望んだ明日は、確かに来る。

 

 その明日には、補習授業部の面々の中で新たなことを学ぶアズサの姿があるかもしれない。

 あるいは、ナギサとミカ、そしてセイアの3人が、1年ぶりに同じテーブルに着き、話をする光景があるかもしれない。

 あるいは、ゲヘナとトリニティの間にあった溝が少しだけ、しかし確かに縮む未来があるかもしれない。

 

 それはきっと、先生と生徒が送るに相応しい、ヒフミの望んだハッピーエンドのその先だろう。

 そんな平穏で平凡な日常を見ることは、先生にとって最も充実した時間の過ごし方だ。

 

 

 

 ……けれど、しかし。

 

 先生には、その物語を追う前に、1つやるべきことがあった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『先生、明後日の夜なら時間取れるって話だったよね?』

『今から送るところ、20時に来てくれるかな』

『色々説明とか必要だと思うしさ』

『あ、場所は誰にも言わないでね』

 

 数日前に送られてきたモモトークのメッセージを、今一度確認する。

 そのメッセージの後に添付されたのは、一件の高度な暗号と、その解読を行えるソフトが収められたアップローダーのURL。

 

 解読した暗号の中身は、ミレニアム自治区の座標だった。

 商業区の外れ、立ち並ぶ店舗の中の1つ、シャッターの閉まった小さな店の1つ。

 

 指定された時間に先生がそこに訪れると……不意に、入り口を塞いでいたシャッターの一部が光った。

 縦に長い長方形状の光。その上には、手の形の模様が浮かび上がっている。

 

“…………”

 

 先生がそれに手をかざすと、光はすぐに消え。

 一見して老朽化していたただのシャッターが、けれど音もたてず、ゆっくりと上に上がっていく。

 

“入れ、ってことだよね”

 

 先生が店舗に入ると、後方で速やかにシャッターが閉まっていく。

 街頭の光が遮られ、先生の視界が暗闇に包まれると同時、屋内にパッと灯りが点いた。

 

 

 

 そこは一見してただの雑貨屋のように思える一室。

 機能性を重視されるミレニアムにおいては少し珍しい、様々な趣向の凝らされた壁掛け時計や服飾、食器などが陳列されている。

 

 先生がそれを見ながら、ひとまず奥の方へと歩いていると……。

 

 色とりどりの商品に埋もれていた、奥の目立たない扉の方から声が聞こえてくる。

 

『シャーレの先生ですね』

 

 未だ聞いたことのない少女の声だった。

 そちらに歩み寄った先生は、扉の横に小型のスピーカーらしいものが設置されていることに気付く。

 非常に鮮明な声だったが故に勘違いしかけたが、どうやら声の主はここにいるわけではないらしい。

 

“君は?”

『私はリオ様、オリ様の従僕です。お気になさらず。

 中でオリ様がお待ちです、扉を開錠しますので、中へお通りください』

 

 感情の薄い言葉が届くと共に、先生の目の前で扉が開いた。

 一見してただのドアのようであったそれは、けれどその向こうに分厚いシャッターと二重の金属扉を備えている。

 そして、その先にあった廊下は下方向……地下へと続いているようだった。

 

 偽装の上で、更に固い防護を重ねる地下施設。

 先生の常識からすると、それは秘匿されたシェルターのように思えた。

 

 そして実際のところ、その予想は大して間違っているわけではない。

 

 ここは調月姉妹の使うセーフハウスの1つ。

 いざという時には切り捨てる、優先度の低いものではあるが……それでも、姉妹にとっては最も安全な場所であり、同時に部外者には漏らしてはいけない秘密であった。

 

 

 

 そうして、下へと続く廊下を1分程歩き。

 先生が行き着いた先は、1つの部屋だった。

 

 あまり物が置かれていない、無機質な一室。

 その中央には、一台のデスクと椅子が置かれている。

 

 そして今、その椅子の上には、1人の少女が座っていた。

 

 肩より上で揃えられた黒髪、いっそ不健康にすら見える白磁のような肌。

 身に纏っているのは、先生の目に慣れたミレニアムの制服のセーターだ。

 

 彼女の名は、調月オリ。

 先生をここに呼びつけた少女だった。

 

 いつもの彼女ならば、綺麗な笑みを浮かべ、先生を出迎えてもおかしくなかったが……。

 その頭が俯いており、いつもは青く灯っているヘイローも見えず、まぶたも閉じていることからして、どうやら彼女は眠ってしまっているらしい。

 

 

 

“……待たせ過ぎちゃったかな”

 

 ぽそりと呟いた、誰に聞かせる気もない小さな小さな先生の言葉。

 

 けれど、それに。

 ピクリと、少女の肩が動く。

 

 そう言えばこの子は五感がかなり強いのだったと、先生がそう思い出すと同時……。

 

 彼女のまぶたが開き、その奥から青色の瞳が覗いた。

 そうして……。

 

 

 

 

 

 

「……ああ、先生。こんばんは」

 

 ニマリ(・・・)と、少女は嗤う。

 

 

 

 

 

 

 先生はその表情を見て、一度眉をひそめ、一秒程考えてから口を開く。

 

“あなたは、『あの子』?”

 

 

 

 それは、複数の要素から導き出された仮説だった。

 

 オリのまぶたは開かれ、しかし点くはずのヘイローは灯らなかったこと。

 その視線が、表情が、言葉が、言い方が、明らかに調月オリのものではなかったこと。

 そして何より……ずっと生徒を見て来た、先生の直感。

 

 それら全てが、目の前の存在が「調月オリ」ではないと、そう告げていたのだ。

 

 

 

 少女は、その言葉に驚いたように、目を見開き……。

 

 続けて、その瞳を三日月の形に曲げる。

 

「ク、くく、ひひひ……いえ、いえいえ。まさか、そんな、普通たった一言で見抜きますか?

 いえ、この件に関しては私が蒙昧でしたね。あなたの生徒へのアガペーは知っていた、知っていたのに無理だろうと決めつけた……この程度の違和感は呑み込むだろうと、そう思ってしまった。

 ええ、ええ、これはもう私の失点ですとも」

 

 繕うことをやめた、どこかぎこちなく紡がれる言葉。

 

 それは、調月オリのものではない。

 

 少女は……少女の体を使うモノは、椅子から立ち上がり。

 

「改めて、こんばんは、先生。そしてお初にお目にかかります。

 あなたの質問に応えるならば……ふふ、こんな短期間に同じ疑問を二度受けるとは思いませんでしたが……ええ、そうです。私は調月オリの言う『あの子』に他なりません」

 

 そして、先生に向かって、少しぎこちないながら一礼を行った。

 

「先生。独立連邦捜査部シャーレの、先生。

 あなたにお会いできる日を楽しみにしておりました。知己を得ることができ、幸甚の至りです」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 少女の姿をしたモノ……『あの子』は、先生に対面の椅子に座るよう促したが、先生は首を振り、その横に立つに留まる。

 「信頼がないというのは悲しいものですね」と嘯きながら、しかしむしろその笑みを深めて、『あの子』はその選択を受け入れた。

 

 そして、自分は椅子へと座り直し、改めて先生に言葉を投げかける。

 

「さて……この出会いを万の言葉で飾りたいところですが、それよりもまず、あなたが尋ねたい疑問について解消すべきでしょうね。

 先生、私に聞きたいことなどございますか?」

“オリはどうなってるの?”

 

 考える間もなく、先生は疑問を口にした。

 

 『あの子』が今、オリの体を使っているのは明白だ。

 その上で、オリの精神がどうなっているのか。安全なのか。

 

 先生がまず気にすべきは、それを置いて他になかった。

 

 

 

 そして、『あの子』はその質問を予期していたのだろう、余裕を持って答える。

 

「寄生生物をご存知でしょうか。

 あまり良い印象を持たれることのないアレらですが、実のところ寄生生物は多くの場合、宿主に害をもたらすことはないのですよ。

 アレらは宿主がなくては生きていけぬ、弱き生き物。故に宿主とは共生共存、むしろ相手の利になる行動を取ることもあるのです。

 私もまた、それと同じ。調月オリの体なくてはこの世界に存在できぬ者。然らば当然、自らを害することになるような選択肢など取りませんとも」

 

 仰々しく話されたのは、生徒のする話とは違う、婉曲で分かり辛い不穏な例え話。

 

 その上、この話には欺瞞がある。

 寄生生物は、宿ったのが中間宿主である場合、用済みになれば殺して捨てることもあるのだ。

 つまるところ、『あの子』は言外に……調月オリが無用になれば捨てることもあると、そう言っている。

 

 先生は、不快の感情を隠さず眉をひそめる。

 それを見て、けれど『あの子』は、むしろ嬉しそうにニヤニヤとした笑いを絶やさない。

 

「ふ、フフ……あなたのその不快感、隔意。それもまた、私にとっては甘美なものです。

 なにせ先生、あなたが生きていると、そう実感できる。

 この喜悦の対価として、お教えしましょう。

 私の頭上、あるべきヘイローが灯っていないでしょう? つまるところこの体の持ち主、調月オリは現在眠っているのです。……特殊な薬剤によって、ですが。

 心配なさらずとも、1時間程すれば彼女は目を覚ましますよ。そうなれば、私はまた彼女の夢の中に戻るだけです。

 まぁ、私がこうして活動している間の記憶は残りませんが……彼女に、そんな記憶は不要でしょう?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 不穏な言葉や理解の及ばない部分も多いが、とにかく、『あの子』は先生の疑問に答えた。

 

 それが真実であるという保証はないが……。

 この部分で嘘を吐く意味がないことも、また事実。

 なにせ、1時間後にはその真偽も判明する上、それに関して先生に脅しや交渉を持ちかける様子もない。

 

 であれば一旦、これは事実として進めていい。

 先生はそう判断して、次の話題を振る。

 

 即ち、誠意との安全の次に、先生が気にすべき疑問を。

 

“あなたは、何者なの?”

 

 

 

 それは、先生がオリに『あの子』の話を聞いて以来、ずっと抱いて来た疑問だった。

 

 少なくともオリの自我が確かになって以来、毎晩その夢の中に出てくる不可解な存在。

 本来生まれることのできなかったオリを救ったと語り、また多くの知る筈のない情報を知っている。

 

 どうやら口止めされているらしく、オリはあまり『あの子』について語りたがらず……。

 故にこそ、『あの子』という存在の情報を、先生は殆ど持ち合わせていない。

 

 けれど、エデン条約での一件を経て、先生は確信した。

 『あの子』は、オリにとって害になり得る存在だ、と。

 

 かつてヒマリが言っていたように、オリは『あの子』がもたらす情報によって、本来背負うはずのなかった苦難を背負っている。

 

 つい先日のヒエロニムスの一件もそうだ。

 トリニティにもゲヘナにも関係のないオリは、本来あの事件に関わるはずではなかった。

 けれど、恐らくは『あの子』が情報を与えた結果、ヒエロニムスという敵が現れることを知り、先生を助けるために駆けつけてくれた。

 

 少し前のビナーの件もそうだろう。

 アビドス砂漠にそろそろビナーが現れると、彼女はどこで知ったのか。

 オリの提唱によって生まれたという特異現象捜査部は、果たして何のために作られたのか。

 それらから考えられるのは、『あの子』による関与を置いて他にない。

 

 オリの努力や献身自体を否定するわけではない。

 実際、調月オリという戦力は、先生からしてもとても頼りになった。

 ビナー撃退もヒエロニムス討伐も、オリは主役にこそならなかったが、彼女を欠かしては作戦の成功は見込めなかっただろう。

 

 だが、それは何も、オリが背負うべきものではないはずだ。

 ミレニアムの生徒会長を担う彼女の妹とは違い、調月オリは何の責務も負わない無所属の一般生徒。

 キヴォトスを脅かす危機に対処せねばならないという道理はない。

 

 彼女がそう選択することは、他ならぬ調月オリの善性だ。

 ……けれど。

 もしも、情報を与えることでオリを、その良心を利用しようとする存在がいるのならば……。

 

 それは、オリの青春を乱す脅威であり。

 先生にとって、対処せねばならない問題となる。

 

 

 

 故に、先生は『あの子』の正体を、真意を確かめねばならなかった。

 

 何を目的として動いているのか。

 オリの日常を脅かす者なのか。

 

 それを尋ねるために、まずは正体を問い質し。

 

 ……あるいは、先生のその想いを理解しているのか。

 

 『あの子』は、不格好に歪んだ笑顔を浮かべた。

 

「ふふ、ふ、ヒヒ。そうですね。そう来るかと思っていました。

 あなたにとって、私は不明瞭な存在でしょう。所属、目的、意思、その何もかもを知らない。故にあやふやで、オリを除いた他の記号と結び付けられない。

 では、はい。答えましょう。あなたにとって最もわかりやすく、私という存在を明かす言葉を」

 

 そう言って『あの子』は、先生の前で脚を組む。

 その手は体の前で結ばれ、僅かに傾けられた顔からは余裕が滲んでいた。

 

「それでは、改めて自己紹介をさせていただきましょうか」

 

 泰然自若とした態度に、どこか尊大な雰囲気。

 それは、生徒というよりは、むしろ……。

 

 

 

「このキヴォトスに、私を指す確かな名前は存在しません。

 ですので、あくまで通称になりますが……私を知る者には、こう呼んでいただいています。

 

 『歪みの乳母』。

 あるいは……()()()()()のオリヒメ、と」

 

 

 







 5人目のゲマトリア。
 調月オリがエデン条約に関わることを拒んだ、マエストロ、ベアトリーチェを除いた最後の一人。

 お話は続く。



(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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